第81話 テレビ前(5)

 夫も、こどもも、家庭も。

 冴村さえむらさんは全部持っている。


 辛うじて私の手元にあるのは『仕事』だけれど、スキル的には冴村さんの足元にも及ばない。


 冴村さんが今の私と同い年の頃は、もっと忙しい毎日だったろうに、もっとずっと仕事も家事もこなして働いていたに違いない。


 自分との違いにやるせなくなって、私はDVDパッケージを床に放り出す。膝を抱えて座り直し、小さく息を吐いた。


「コトちゃんは、十八から二三の頃って、なにしてた?」

 なんだか、ずんずん落ち込みそうになっていきそうだったけど、さらりとそう君が言葉を挟んでくれる。意識して声掛けをしてくれたのだろうか。ちらりと隣に座る総君を見た。


「大学生?」

 鳶色の瞳に優しげな色を滲ませて私を見ている。私は頷いた。


「うん。大学通ってたかな」

 その頃、冴村さんはきっと今のご主人と出会って素敵な恋を。


『ごめん。やっぱり俺、真菜まなのことが好きだ』

 突如、きし君の声がよみがえった。反射的に息を吸いこみ、喉の奥で、ひゅうと妙な音が鳴る。


「コトちゃん?」

 不思議そうに、総君が私を覗き込んだ。


 冴村さんは、きっと、学生時代に素敵な恋愛をしたんだ、と思った刹那、もうこの数年意識して思い出さなかった記憶が、するりと心の底から滑り出た。


『俺、気づいたんだ。真菜のことが好きだって』


「大丈夫」

 総君に向かって笑う。その顔は大分強張っていたかもしれない。


『なんか、違うんだよなぁ』

 岸君の語尾に、翔真しょうまの声が被ったからだ。


『なんか、こう。違うんだよなあ』

 舌打ち混じりの、あの声が。


「ほんと?」

 訝しげに、だけど気遣わしげに総君が再度尋ねる。顔を近づけ、覗きこもうとするので、目を細めて何度か首を縦に振った。


 冴村さんが教えてくれたあの笑みを浮かべようとしたけど無理だ。誤魔化すように、ただ口角だけ上げて見せる。


「平気。大丈夫」

 今は大丈夫だ。私は総君の顔を見ながら、言い聞かせる。


 だって、『恋愛ごっこ』だもの、と。


 私は、恋愛をしているわけじゃない。『恋愛ごっこ』だから。


 だから。

 きっと、上手にできる。


 多分。

 大丈夫。


「……総君は何してたの? 十八から二三ぐらいまで」

 私は総君に話を振った。

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