第79話 テレビ前(3)

『分かりました』

 私の説明を聞き、向かいの警察官が何度か頷くのを見て、そう君が安堵している。保護者みたいなその態度に、苦笑しそうになった。私の方が年上なんだから、そんなに心配することないのに、と。


 その後、パトカーでアパートに戻ったのは、深夜三時だ。


 本当は隣近所にすぐにでも『お騒がせしました』と謝りに行きたかったのだけど、それはもう少し後にすることにして、先に寝室を掃除することにした。このあたりになると、眠さはピークで、総君が『僕が掃除しておくから、寝てなよ』と声をかけてくれたけれど、いやいや、と首を横に振った。自分の部屋の事だし、と。


 ガラスを片付け、ぎざぎざの恐竜の口のようになった窓を見て、ああ、修理を頼まなきゃ、と気付いたのはそれから更に一時間後だった。もう6月だ。蚊はまだ早いかもしれないが、梅雨が来る。おまけに、開けっ放しは女性の一人暮らしには無用心だ。


 七時を待って、即行大家のおばさんに電話をし、事情を説明。『……その部屋、もうダメね』と、姪の心配よりも自分の物件の心配をするおばさんを急かし、午前一番で委託業者に修理に来てもらうことにした。


 その後、隣と階下の住民に『お騒がせしました』と謝りに行き、部屋に戻ると、総君が『今日はもう、仕事休んだ方がいいよ。冴村さえむらさんに電話したら』と言われ、そうだ、業者が来るんだ、と慌てて冴村さんのケータイに連絡を入れた。

 今日は有休をいただきたい旨を話すと、理由を聞かれ、端的に説明をする。


『……まさかと思うけど、この前ボラセンに乗り込んできたあの、馬鹿男の悪戯?』

 冴村さんは電話の向こうで、総君と同じ見解を口にした。


『……確信とかはないんですけど』

 おそるおそるそう答えると、珍しく不機嫌そうな声で口早に尋ねられる。


『警察には?』

『伝えました。……まずかったですか』


『まずくない。今は? 施錠確認して』

『してます。施錠』


『ひとり?』

『ええ、はい』

 まさか、幽霊は一緒に居ますが、とはいえなかった。


『外出不可。自宅待機』

 そう言われて、通話は切れた。


 一方的過ぎたものの、壁にかけた時計を見てしまったと思った。

 冴村さん、子持ちだし、この時間帯は忙しいよね、と。


 その後、のろのろとキッチンに向かってコーヒーを淹れて朝食の準備をした。本当は、甘いミルクティーが飲みたかったが、茶葉が無い。近所のコンビニに行くのも億劫だし、と惰性でコーヒーを流し込んで、眠気を追い払った時だ。


 再度電話が鳴った。

 一瞬冴村さんかと思ったら、おばさんからだった。業者の訪問時間と連絡先を告げるので、メモしながら聞いていて電話を切る。


 その直後。

 やけに大きな排気音がアパートの外から聞こえ、そして近所で停まった。なんだろう、と思いながらも、私は総君に『窓ガラスって、普通ゴミかな』と話しかけていた。


 ほぼ、それと同時に。

 玄関チャイムが鳴る。


 総君と顔を見合わせ、玄関に急いだ。


 ドアスコープを覗くと、冴村さんだ。片手にフルフェイスのメットを持ち、片手には紙袋を下げて周囲を見回している。慌ててドアチェーンを外し、鍵を開けて玄関扉を開いた。


『おはよう、菅原すがわらさん』

 冴村さんは、いつものあの笑みを浮かべ、それから『ちゃんと施錠していて感心だ』と頷いた。

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