『恋愛ごっこ』が終わるまで……

武州青嵐(さくら青嵐)

1章 運命の出会い

僕が見えますか

第1話 駅前(1)

 その男性を見たのは、『困っていた』からに他ならない。

 私が、ではなく。彼が、だ。


「あの、すいません」と男性は道行く人に声をかけ、すげなく無視されればいさぎよく視線を別の通行人に向ける。「ちょっとだけ、よろしいですか」。そう声をかけなおしてみても、男性はやっぱり足さえ止めてもらえない。


 そうやって、東駅出口を何十回となく右往左往し、そこらの営業マン顔負けの辛抱強さと粘り強さで声をかけ続けていた。


 そしてたった今。

 とうとうタクシー乗り場と書かれた丸い看板の前で立ち尽くしてしまったのだ。


 がっくりと肩を落とし、首まで垂れた。

 ふわふわとした猫っ毛の髪がばさりと顔全体を覆い、力ないその様子は、少しでも風が吹けば倒れてしまいそうな風情だ。


 私はペットボトルに残っていた無糖の紅茶を飲み干すと、キャップを締めて分別ペールに放り込む。

 がこん、とボトルが落ち込む音がし、コンビニ前を掃き掃除していた店員が「ありっとやした」と声を上げた。軽く会釈をし、目の前の二車線道路に近づいた。


 送迎用の車両が一段落したのだろう。

 数分前までテールランプの列が並んでいたロータリーも今では閑散たるものだ。


 私は左右確認をし、セダンの車を一台やり過ごしてから、足早に道路を横断した。 


 まだ、次の電車が来るまでには時間があるのかもしれない。


 駅に向かうのは私ぐらいなもので、他の皆は足早に私と反対にコンビニのほうに向かっている。ちょっとした逆行状態で、人の波を縫いながら歩く。行きかう人たちの中で、顔を上げて歩いている人は稀だった。歩きながらスマホを見ているか、それとも耳にイヤホンを突っ込んで俯いて歩いている人たちが殆どで。


 これなら、声をかけても誰も立ち止まらないだろうな、と苦笑する。


 私は一歩一歩、タクシー乗り場と書かれた丸看板に近づく。

 錆びかけた鉄板が角棒に打ち付けられ、コンクリの塊が重石になったような簡易な看板だ。


 その側に、相変らず男性はうな垂れて立っている。


 宵闇の中、男性の姿は霞みそうになっていて、私は目を瞬かせた。


 見え方が変だ。齟齬がある。

 ぼやけて、なんだか、彼の姿が作り物めいて見える。


 なんというのか。

 周囲から浮いているのだ。


 彼だけ、背景に無理矢理コラージュしたように見えた。


 なんだろう。私は首を傾げ、その男性をざっと眺めた。


 紺色をベースに、深い赤のチェックが入った長袖シャツと、デニムのパンツを穿いている。少しだぼっとした印象があるのは、彼が痩せているからだろうか。ただ、だらしない印象は無かった。


 髪の毛だってそうだ。癖は強そうだが、手入れが行き届いていない、という訳ではない。実際、襟足も切りそろえられ、もみ上げもそう長いわけではない。


 定職につけている、あるいはつけそうな、社会人だ。


 言葉遣いも、悪いわけではない。さっきも落ち着いた声で、丁寧語で話しかけていた。かたこと、ということもない。外見は日本人に見えるが、外国籍という場合も考えられたが、あれだけ流暢なのであれば問題はないだろう。


 それだけ考えて、この男性に声をかけるためのハードルが幾分下がる。

 声をかけたところで、そう、危険な男性ではないだろう。

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