第百一話

 ヴィネは凌馬がいとも容易く屈したことを嘲笑っていた。

 好きな女を他の男に取られ、義理の娘を本当の両親に奪われただけで。

 今まで術を行使して、こんな拍子抜けなことに恐怖する者など見たことがなかった。


 だがそうではない。凌馬にとっては、普通の人が恐怖する絶対的な力になどそもそも恐れる必要がないのだ。

 そんな存在がいたとしても、全力でねじ伏せるだけのことそう思っている凌馬にとっては。


 むしろそんな問題より、ミウとナディが自分の意思で凌馬の元を離れていくことを恐れていた。

 彼女らの意思をねじ曲げることも、行動を縛ることも凌馬には出来るはずもなかったから。

 だからこそ何よりも恐れていたのだ。


 凌馬にとっては、ミウとナディはそれだけ重くかけがえのない存在になっていた。自分の元を離れていってしまうだけで壊れてしまうくらいに。


 ヴィネの過ち、それは凌馬を自分の支配下に置けるなどと思い上がった考えを持ってしまったことか。

 それとも、彼の大切な存在を土足で踏みにじるような真似をしてしまったことなのか。

 いや、そもそもこの国を標的にしたことが間違いだったのかもしれない。彼が訪れることになるこの国に。


 しかし、今更後悔してももう遅すぎた。

 彼女はパンドラの箱の蓋を開いたのではなく、箱ごと粉砕してしまった。中に残された希望もろともまとめて。


 ソレ・・がゆっくりとヴィネに闇を伸ばしてくるのをただ見つめることしか出来ない。

 そう、これは能力でもなんでもなかった。ただ、ソレ・・の一部にすぎなかった。



τέλος終わりを告げしもの

 滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅


○ουδεν


○能力値

 力    ∞

 魔力   ∞

 素早さ  ∞

 生命力  ∞

 魔法抵抗 ∞


「嫌だ・・・嫌だーーー! 死にたくない───助けて、魔王様!」

 体を恐怖で震わせながら下半身から生暖かい水を垂れ流し、恥も外聞もなくここに居るはずもない魔王にすがろうとするヴィネ。


『勘違いするな女よ。これは救済なのだ。停滞という名のこの淀んだ世界の末路は、もはやなんの救いもない緩やかな死だ。終わりと始まりは表裏一体に過ぎん。それが分からぬ愚か者・・・のせいで救済が遅れてしまったのだから。』

 かつて、己が前に立ち塞がった愚か者のことを思い出し、怒り、憤り、憎しみ、そういった負のエネルギーが溢れ出す。

 感情など持ち合わせていないはずのソレ・・が。



 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォ────────!!

 ソレ・・になり変わった凌馬から溢れ出した闇は、現実世界に残ったミウたちの前にもその力の本流を感じさせるほどの余波を放ち闇が徐々に侵食を始める。


「ミウお嬢様、ここは危険です。速やかにここからの撤退を進言します。」

 クレナイはすぐさまここからの離脱を進言すると、ナディ、ウィリックたちをカイとソラに託すことにして退路の確保をする。


 凌馬によって事前に不測の事態が発生した場合は、ミウたちの安全を最優先に皇都を脱出するように指示を受けていた。

 そして、コレ・・は明らかに異常であった。それも危険などというレベルを超越した──────。

『クゥーン。』

 カイとソラもミウに寄り添いながら、その力が溢れ出ている場所を心配そうに見つめていた。


「駄目、クレナイ。感じるの、パパが今とても苦しんでいるって。そんなパパを置いてなんていけない。」

 しかし、返ってきたのは明確な拒絶の意思であった。クレナイとしては不本意であるが、例えあとで責められることになろうともミウの安全のためには致し方ないと強制的に避難する決断を迫られていた。


「パパ・・・・・・ごめんね。」

 だがその判断よりも先に、ミウは自身の首に掛けられている凌馬から貰ったペンダントを徐に外そうとしていた。

 それは凌馬がその強大すぎる力からミウ自身を守るために、決して外さないと約束をして付けたもの。


「ミウお嬢様、いけません!」

 クレナイは瞬時にミウの行動を止めるために動き出す。

「!」

 だが、ミウの目を見たクレナイの制止はその動きを止められてしまう。

「凌馬・・・さま・・・。」


 クレナイはミウの背後に凌馬の幻影を見たような錯覚に陥っていた。

 姿形どころか年齢も性別も全く異なる二人にも関わらず、ミウの瞳は凌馬のそれと酷似していた。

 クレナイですら見間違えるほどに・・・いや、クレナイだからこそと言うべきか、それほどまでに酷似していたのだ。


 凌馬は理解していなかった。確かに、普段のミウは凌馬の言いつけを破るような事など考えもしない。凌馬の自慢すべき最愛の娘である。


 だが、ミウは凌馬の娘なのだ。例えその血が繋がっていなかろうが、種族が異なろうがそんなものは関係なくミウは凌馬の娘なのだ。

 彼がこれまでに、ミウやナディそして、多くの弱者といわれる人々を救ってきた姿を、その背中を見てきた。

 この世界で、誰よりも長く、誰よりも近くで見続けていたのだ。


 凌馬は、誰も彼も命を懸けて救うなどとそんな高尚な思想など持ち合わせてはいなかった。

 ただ、自分の大切な人を守りたいと行動しているにすぎない。そして、その為ならばどんな手段も躊躇はしない。

 言い方を変えれば、彼は究極の自己中なのだ。

 そんな彼を正義のヒーローのように語るのは無理があるだろう。


 だが少なくとも、凌馬は父親として恥ずべき行動をしたことは一度たりともない。

 母親の無償の愛に対して、凌馬がミウに与えたのは人としての真っ直ぐな生き方。その背中を見せ続けていた。


 時として、親子というのは血の絆を越える繋がりを見せることがある。

 そんな言葉は既に幾度と使い古されていることだろう。

 だが、それでも敢えて言おう。

 凌馬とミウは血の絆を越え、魂で繋がっているのだと。

 そんなミウが、凌馬の───大好きなパパ・・・・・・の危機にただ逃げ出すことなど出来るはずがなかった。


「パパ・・・約束したよね。ミウを置いてどこにもいかないって。パパ・・・戻ってきて───。」

 ピカーーーー!!

 ミウの体から白く暖かい光が溢れてくる。

 それはまるで禍々しい闇の力と対を成すような暖かな光を。


「くっ・・・。」

 ミウの表情が苦痛で歪む。

「ミウお嬢様。」

『クゥーン、クゥーン。』

 クレナイ、カイ、ソラがミウの心配をするも、自分達ではただ傍に居ることしか出来ないことを歯がゆく思っていた。


 それでも、ミウにとってはそれだけで力強かった。そして、それだけで十分すぎるほどに勇気をもらえた。

「パ・・・パ・・・。」

 光と闇が拮抗する。時間にしてもう数分が過ぎていた。

 そうしている間もみるみるミウの力は消耗させられ、立っていることも精一杯といった状況であった。


「ミウお嬢様、もうこれ以上は危険です!」

『クゥーン!』

 これ以上力の放出を続ければ、ミウの命に関わると三人がミウを説得するも彼女の目は決して諦めようとしない。


 しかし、本人の意志とは別に物理的な限界が訪れようとしていた。

「・・・っ、」

 ミウの体から力が抜けていき、次第に光が弱まっていく・・・。

 ガシッ!

 だが、倒れようとするミウの体を支えるように、背後からその体が抱き締められていた。


「ミウちゃん、よく頑張ったね。ごめんね、ミウちゃんだけに辛い思いをさせて。」

「お───姉───ちゃん。」

 ナディはミウを抱き締めると、回復魔法を使用する。

 状況を見たナディは、直ぐに事態を把握すると凌馬が今も戦っているだろう闇の溢れ出る裂け目を見据えていた。


「ミウちゃん。一緒にパパを取り戻そう。」

「うん。」

 顔色が少しずつ正常に戻り、力を回復させたミウはナディに笑顔で頷き返すと再びナディと共に闇へと対峙する。


「───凌馬さん。ミウちゃんが、カイやソラ、クレナイにムラサキ、そして私も貴方の帰りを待っているんです。誰にも私たちから凌馬さんを奪わせません。」

『アォーーーン!』

「凌馬様!」

 ミウの光に重なるように、ナディの体からも光が溢れ出す。

 そして、それに連動してカイ、ソラ、クレナイからもナディを通して光が放たれていた。


「パパ、何があってもミウはパパから離れないよ。何があっても、どんな手を使っても必ずパパを取り戻す!」

 キィーーーーーーーーーン!!

 先程よりも遥かに強い光が、闇を振り払うと次元の裂け目へと光が吸い込まれていく。



 キィーーーーーーーーーン!!

『グオオオオォォォォォ!!』

 突如苦しみだしたソレは、掴んでいたヴィネを投げ捨てる。


『なんだコレは───何が起きている?』

 自身に起こったあり得ない現象が、ソレに驚愕と混乱を覚えさせていた。







「ミ・・・ウ・・・」

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