『猫』
小さい頃、よくおばあちゃんの家に行った。
何度も、何度も、何度も、
その時の楽しみは、おばあちゃんの飼っている猫とおしゃべりをする事。
おかあさんの事。
おとうさんの事。
ともだちの事。
じぶんの事。
いっぱいお話した。
灰色の猫に絵本も読んだ、魂は七つある話もした。
おばあちゃんの家に行くと僕は暇になるから、
猫とお話していた。
たまに大きい声が聞こえると猫は襖越しに居間を見ていた。
じぃと瞳を黒くして見ていた。
「……おはなし中なんだって」
おばあちゃんのとこには行けないよ、と背中をさすると、
猫はニャアと鳴いて僕の指をひと舐めした。
その時から僕は、この猫が何を言っているのだろうと思うようになった。
それから何日かして、おばあちゃんの家の前に僕は置いていかれた。
僕はおばあちゃんと猫と過ごしていた。
猫はいつもおばあちゃんに寄り添っている。
朝、仏壇の前でおじいちゃんに挨拶している時、
お料理をしている時は居間から、
くつろいでいる時は、おばあちゃんの膝の上、
僕の膝にも乗ってくれる。
『――――』
おばあちゃんが猫の名前を呼ぶたびに猫は鳴く。
「ねえ、おばあちゃんは猫語がわかるの?」
「猫語ってのは絵本に載っていたの?」
「ううん、テレビで人間は会話のできる生物だってやってて」
同じ動物同士なら会話できるって……
「おばあちゃんは――――とはおじいちゃんが生きている時からの付き合いだから」
なんとなく、よ。と微笑んでた。それに猫もひと鳴きしていたし、
僕は『なんとなく』がなくなれば、もっと仲良しになれるのになあ、て思った。
だって、おばあちゃんと僕のおかあさんおとうさんは同じ生き物なのに仲良しにできないから、
せめて、せめて――――の言葉が分かったら、おばあちゃんが悲しそうな顔をしたり、
泣きながら電話をしていたり、頭を抱えていたり、困った顔をしたり、怒鳴ったり、
苦しんだり悲しんだりした時、慰めるように擦り寄る――――の言っている事が分かっていたら、さみしくないんじゃないかって思ったんだ。
思ったから、思ってしまったから、
あの日、両親が笑顔で迎えに来た日、焼けるような夕焼け空の日。
身体が橙に包まれて、一際大きく見えた太陽に包み込まれて、
『なんでも叶ってしまいそうな夕闇の中、僕は玄関先まで見送ってくれる――――を見た』
その大きな眼を。
無表情、少しの間だけど暮らしていたのに一回も見なかったのっぺらとした表情に。
僕の中の何かが軋んだ。
その日から家の中にいるのに声が聞こえ始めた。
両親に言えば嫌な顔をされたので、だんだんと言わなくなったけれど、
本当の所、報告しなくなったのは声が聞こえる時は必ず猫がいる事が分かったから、
僕は猫の言っている事が分かるようになっていた。
嬉しくて友達に話した。嘘つきと言う子もいれば気味悪いと言う子もいたし、
でもナナトだけは信じてくれた。それから僕の友達はナナトだけになってしまったけれども。
冒険隊を作って猫と遊んだり追いかけっこしたり色々遊んでいた。
ふと――――を思い出した。
そういえば長く、おばあちゃんの家に行ってない。行きたいとせがむ僕に両親はしかめっ面で、
『用は済んでるから、もう行かなくていい』と言った。
おばあちゃんの家には車で行っていたから場所も分からないし、野良猫に聞いても分からなかった。
僕の願いが叶った時、おばあちゃんは死んでいた。
黒い服の大人がいっぱいいて、両親は悲しそうな顔を作っては何度も頭を下げる。
親戚の人たちはヒソヒソ遺産がどうとか遺書がどうとか弁護士がどうとか、
――――は、おばあちゃんが入っている棺桶の傍にいた。
何度も他の部屋に放っては、いつの間にやら――――が入り込んでいるから、そのうち誰も相手にしなくなっていた。
僕は、そう僕は『――――もさみしくなっちゃうね』と声をかけた。
今の僕なら――――に寄り添える。――――がおばあちゃんに寄り添っていたみたいに。
何を期待していたのだろう、あの時の僕は。
大丈夫? 平気? さみしくないわ? どうしよう? そちらのお家にいってもいいかしら?
――――は棺桶に向けていた瞳を僕に向けて、ニャアと
『お前の両親のせいで母さんは死んだ』
ニアア『お前も可哀想なやつだ』
ミャァ『母さんは金を搾り取られ、お前を脅しの材料に遺産をアイツらにやると約束してしまった』
ニャァ『見てみろ、喪主になったアイツらを。悲しそうな顔をしながら笑いを堪えているぞ』
アァァ『私は母さんと共にいく。可哀想に。母さんは孤独だった。お前らのせいで心まで病んだ』
『お前たちのせいで母さんは死んだ。……お前は可哀想だな、ハルミ』
ナァと鳴いた。
ぱきり、と僕の頭の中で音がする。
ばきばき、ぱきん、心臓が早くなる、痛くなる、全身が総毛だつ、氷水を被った時のよう。
おばあちゃんが焼かれた次の日には、もう――――はいなかった。
両親は大笑いしながら、あのいけ好かない猫もついていったのね、保健所に放り込んでやろうと思ったのにな、と楽しいそうにして、そして数日後、おれは偶然にも近くにあった養護施設に放り込まれた。
多分、偶然ではなかったけれども。
おれはナナトと離れ離れにならなくてよかったと思う。そう思う以外の感情がすっぽりと抜かれたようで、おれの世界は止まる。
猫の言葉が分かるおれの世界は、あの日、同情の顔でおれを見送る――――と一緒の顔になっていた。
のっぺらとした、ナナトに言わせればいつも通りな、ナツキに言わせれば死んだ、アキに言わせれば眠そうな顔。
毎朝、鏡を見る。おれの顔は変わらない。変わりたいと思えど変わらない。
変わらないのがもう一つ、今も猫の声は聞こえている。だから高校を卒業した時、ナツキに言われた猫探しと猫専用の探偵にでもなれば? という言葉を聞いて、あぁと納得した。
そうしなければいけないという気さえした。
だから今日も自宅兼事務所に猫や人間が来る。誰も知らない世界と一緒に生きているおれのもとに。
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