7-1
七花が帰るときになって、ふいにアサギマダラの標本のことを思い出す。確認するのは下世話だろうかと少し怯えながら聞いてみたら、姉ちゃんは単純にここに忘れていったのだと教えてくれた。今度はちゃんと持っていく。そう言葉を紡ぐ彼女の横顔にはなんだか普通のひとめいた、現実的な色を感じた。ただ瞳は夢見がちなままだったから、もしかしたら距離を置かれているんじゃないかと思って、そしたら急に寒気がして、多分はらだたしさみたいなものも伴ったそれは置いていかれる子供のような感覚だったけど、むきになったようにさらに質問を重ねた。
「裏、」
「え?」
「裏に、書いてある名前、……誰の」
彼女は少しの間、俺が何なのか探るようにじっとこちらを見つめた。でもやがて顔をそらして「誰でもいいでしょう」とひそかに不機嫌そうな、つめたい声音を返す。
誰でもいいわけがない。七花にとって。それは俺にとっても。
(でも。俺にとって誰でもいいわけがない蛹がどうしてここにいたのか、姉ちゃんは疑問に思わないんだ)
切菜のことなんか知りもしないまま、俺のことなんか気にもしないまま、その蛹を自分の部屋に持ち帰っていくんだろう。考えるとすごく辛くなった。だけど切菜の存在がないことにされるのが辛いのか自分に興味がないことが辛いのか、どちらもか、それとももっと別なことで辛いのか、判断がつかなかった。ただ少し許しがたく思って。だからといって嫌いになることはできない。どうあっても七花は俺にとって大切なひとで、それは揺るがなかった。
(でも、)
俺は七花にとって外の人間だということも、たぶん今後揺るがない。
ごめん、気をつけて帰ってね。
笑って言えた自信があんまりない。
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