9-1

 すべすべとした木の感触を確かめるように、箱の側面を親指で撫でる。白い木で出来た浅めの箱は硝子で蓋をしてあって、中では渡り蝶が眠っている。

 泣いている私に勇が声を掛けてくれて、標本にしようって言って、手伝ってくれた。だからあなたはまだ綺麗なままで此処にいる。それでも、やっぱり死んでしまったことに変わりはなかった。何の証明もいらない、私の心に鮮明にその事実だけがある。

 私はもう、今までと同じように、この静かな部屋の中で繰り返し蝶が死ぬのを待ち続けることは出来ないと思う。それがどんなに非道ひどいことなのか、今はわかる。思えば果楽は、私と初めて会ったとき、二言目には水を求めていた。仲間と引き離され、狭いかごの中に閉じ込められて、何も飲めるものがなかった彼はどんなに苦しい思いをしただろう。なのに、私の為に、私のもとで散っていってくれた。


 思い出しそうになっていたことを、幾つか思い出したような気がする。今までずっと眠っていて、今はじめて目を覚ましたような、そんな気分だった。

 死んでしまった蝶たちのことを、私は何も知らなくて、知らなくちゃいけないと思う。それに、私がいるべき場所はこの部屋じゃないと感じた。

 あなたたちは死んでしまって、私は生きている。生きるのは、太陽のもとで息をすることが、きっと本当は正しい。外は私を傷付ける鋭い色をしていると思っていたけれど、そうじゃなくてただ一生懸命な鮮やさを持っているのかもしれない。きっと、とても綺麗な色をしている。


 白いスカーフをくぐって、衿にかける。黒い衿には空色のラインが引いてある。それを一度指でたどって、スカーフを蝶々結びにした。

 扉が二度鳴って、勇の声が聞こえる。


「姉ちゃん、準備出来た?」

「うん。ねえ、ちょっと見て欲しいの。変じゃない?」


 部屋に入ってきて、私の制服姿を見て、にこりとする。「大丈夫、変じゃないよ」

 私も安心して笑むことができた。

 じゃあ、下行こう、と勇が言って、開いたままだった扉から階段へ向かっていく。それを追い掛けようとして一度止まって、棚の上にある彼の棺を引き出しの中に仕舞った。

 やさしい彼に伝えることばを呟いて。

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