3-1

 ことりとコップが置かれる。

 中の水が波紋を描く。


「今日は、りんごジュースなの」


 彼女が言う。言葉は返せなかった。

 喉元で詰まったままの感情を零さないようにそっと飲み物を掴み、酸味を少しだけ喉に通して、また置く。机――と、呼ぶらしいと最近知った脚付きの板には、白い花が描かれていて、思わず眉を潜めそうになる。

 コップというのも彼女が使っていたのを聞いて覚えたものだった。僕らは、ひとが作った道具について詳しい名前なんて知らない。

 知らないのは当然だと思う。彼女だって、僕らが行う祝祭の名前なんて知らないだろう。必要ないのだから。


 彼女を、どうしようかと、そればかり考えている。殺すためにとらわれていたのだと、確かにわかってしまってからは本当にずっと。

 僕がひとの体になれるようになって、ケースの蓋も窓も開けることができるようになって、それでも今なおこの囲いに留まっている理由はそれだった。あの口ぶりからして、僕が一番はじめの蝶じゃないだろう。それを知っていて、許しておけるだろうか。


 あ、と、ナナが声を上げる。何かと思えば、その細くて白い手のひらで僕が今置いたばかりのコップの影を撫でた。


「うつってる」


 日の光が入り、影はうっすらと黄みがかった水の色を透かしていた。とても弱々しい、解けそうな黒の格子をつくって。

 きっとはじめてのことじゃない。いつだって僕はこの時間帯に飲み物を貰い、同じようにコップをこの位置に置いていたはずだった。


「水とかが、……こうして、切り取られて影の中にうつるのは、好き」


 頼りなさ気な儚い目と、透明な声を紡ぐ優しい口元が、部屋に差し込む光に照らされている。

 僕は言いようのない感情を覚えた。彼女の頬を撫でるくすんだ薄い色の髪のひとつひとつが鮮やかな印象を持って胸の中に入り込み、戸惑う。


「……綺麗、ですよね、」


 取り繕うように返事をすると、ナナの視線が僕をとらえた。

 そして、か細く笑む。


「…うん。」


 その様子を、日だまりや花のようだと形容したくなったのは、どうしてなのだろう。

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