私の愚道

@yokoda

第1話

氏名 横田 大輔


2017年10月23日

私の愚道の始まりは、幼少期からあった。

テレビゲームやアニメ、漫画に熱中し、大切な妹をないがしろにしてきた。

親にも経済的負担をかけてきた。


中学3年の時から英語が好きになり、没頭して勉強した。

高校に入ってからも英語を勉強し続け、英検準2級を取得した。

2級も合格判定だったのだが、試験には落ちた。

準1級の試験問題を見て、自分には到底敵わないと思い、英語への道を断念した。


高校3年になり、担任が親戚の横田直樹先生になった。

私は先生から、文系大学を出ても仕事ないぞと言われ、苦手な理系への道に入った。

推薦基準を満たしていた為、金沢工業大学に入った。


工大に入ってからは、全く授業についていけず、気が変になった。

約半年で中退した。


その後、コメヤ薬局でアルバイトをした。

親の希望もあって、翌年、金沢星稜大学に入学した。

部活はテレビ番組研究会という部でしたが、蓋を開けてみるとただのアニメ、漫画、アダルトゲームをするだけのどうしようもない部だった。

私はそれらに熱中し、現実を見ていなかった。


大学3年になり、中本教授の研究室に入った。

そこで、諸智明君に出会った。

生涯大切にしたいと思える友人に出会えた。


就職活動はうまくいかず、約50社受けて全て不採用だった。

そのまま大学を卒業し、パソコンの館でアルバイトを続けた。


7月、有限会社D&Dアソシエイツ社長、土公さんに出会い、引き抜かれた。

D&Dでの仕事はとても楽で、楽しかった。

しかし、パチンコ屋の広告という仕事が少し嫌だった。ギャンブルが嫌いだからである。

あと、朝鮮人があまり好きではなかった。


約3年半勤め、このままでいいのかと思い、退社して介護の道に入った。

介護の仕事は過酷で、大変だった。

けど、利用者さんたちが好きだから頑張った。

けど、心身衰弱し、約8カ月で辞めた。


その後、失業保険をもらいながら転職活動をした。翌年、AWコーポレーションという会社に営業として入った。

山口組のフロント企業だった。

仕事は苛烈を極め、寝る時間は3時間くらいしか取れなかった。

給与も少なく、手取り10万、携帯代を引くと7万だった。

顧客はチンピラやヤクザ、普通の人、色々いた。

約3カ月で重い鬱病になり、辞めた。


その後、澁谷工業に派遣社員として入った。

人工透析装置の部品組立の仕事だった。

とてもやりがいを感じていたが、ラインの工程の私の前の人、片桐さんが無断欠勤や無断遅刻する人だった。

あまりに酷いので、同僚に愚痴をこぼした。

それを聞いていた片桐さんの友人が片桐さんに伝え、喧嘩になった。

しかし、その翌日から彼女は変わった。

真面目に仕事をし、更生した。

とても嬉しかった。

しかし、社員の中という人が人間的に救いようのない人で、その人にいびられた。

生産ラインの副責任者を依頼されたが、中のいびりが一層酷くなり、年齢も30近い為、見切りをつけてやめた。


その後、旅行代理店や土方、アダルトチャットの監視、運送などの仕事をしたがどれも続かなかった。


私は自殺しようと思い、大阪にまずは行った。西成区に行こうと考えたが、そこでは食事が提供されるため、自殺にならないと思い、沖縄に行った。

薬が無い状態だったので、沖縄の観光どころではなかった。心は地獄と化し、本当に死のうと思った。

しかし、親からのメールで思い留まり、家に帰った。


その後も色々な仕事をしたが続かなかった。

辛い。


高林製作所に派遣で入り、製造の仕事をした。楽しかったが、一人厳しい仕事の鬼の人がいて、辞めた。


その後再就職手当をもらい、預金が100万あったので、一人暮らしをしてみたいと思い、家を出た。

勤め先はルーフ金沢。デリヘルの仕事だった。

女の子の送迎の仕事だった。

無駄を省き、効率を上げ、蒲田社長も喜んでいた。

しかし、限界だった。

私は実家に帰った。

100万が0円になった。

情けなかった。


その後は就労継続支援A型事業所リハスに入り、単純作業をした。

しかし職員とあまり合わず、やめた。


その後なるわの里に入ったが、嫌で辞めた。


リハスの時に知り合った山岸さんの紹介で

ハニービーに入った。

とても居心地が良かった、

山岸さんに感謝。


最初の月は皆勤賞だったが、翌月から白内障に悩まされ、右目を手術した。


その頃、親と折が合わず、喧嘩ばかりだった。


私は自分とは一体なんなのかを知りたくて仏教を学んだ。ほかにも哲学にもはまった。


9月23日、残金わずかの中、祖父母のお墓まいりのために新潟へ向かった。

木田で降り、約40kmほぼ飲まず食わず、不眠で歩いた。

途中、親鸞聖人の枕石に出会った。

嬉しかった。


その後も歩き、途中の休憩所で力尽きそうになった。

そこでたまたま出会った方に千円を恵んでもらいました。

心より感謝致します。


間も無く、伯父さんが迎えに来てくれて柏崎に着いた。伯母さんに食事とお風呂を頂きました。生き返りました。心より感謝。


翌日、出雲崎の祖父母のお墓まいりをしました。念願叶いました。


帰りは伯父さんと伯母さんに金沢まで車で送って頂きました。感謝。


そして現在に至ります。


忘れていました。

私は白猫プロジェクトというスマホゲームに熱中し、大金を注ぎ込んでしまいました。

借金をしてしまいました。

親にばれて、知らないと言う度に心が欠けていきました。

嘘をつくのは本当に辛いです。


こらからは改心し、清貧を貫こうと思います。


親に感謝

ご先祖様に感謝

神仏に感謝

自然に感謝


塩と水と米はきらすな。

武器を持たず御念珠を持て。

少林寺拳法を学ぶべし。

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