南京錠

 あの浜辺の柵に鍵を掛けると願いが叶うと

 恋愛成就のおまじないを あなたは信じて

 私に教えると 誕生日にそこへ行こうと

 海辺のレストランで食事をして帰ろう

 そう言って その日は南京錠を買いに行った

 どこにでもあるような 事務的なデザインの

 普通の鍵を買ってきた


 いい歳の大人が 本気で そんなジンクスを

 信じているなんて 100%信じることは

 できなくて でも 舞い上がる程に嬉しくて

 私は自分の誕生日を心待ちにしていた

 そんなことは生まれて初めてだったような

 それくらい嬉しかった


 約束とか 未来のこと 形に残るもの

 そういうことを嫌う人だったから

 手紙も 指輪も 何もなかったから

 街を歩く時には 少し離れて歩けと

 何も悪いことはしていないのに

 私は誰にも紹介されず


 会う時は私の家か 橋の向こうのホテルか

 その手の寂しさには 慣れることがなかった

 どんなに遅くなっても 自宅に帰ってゆく

 私の家に私物を置かない

 合鍵を受け取らない

 徹底した態度に 意味があるのかないのか

 わからなかった


 ただひとつ

 あなたが私を愛していることだけ

 わかっていたから それでよかった

 一つずつ持っている あの南京錠の

 小さな鍵は 小箱に入れて保管してある

 そのままずっと 多分取り出すことも

 捨てることもなく ずっとそのまま

 途切れてしまった関係は

 その先がないけれど

 それ以前が消えたわけじゃない


 悲しみは 最初からずっとあったから

 そこから溢れ出したりしない

 もう流す涙も尽きた頃に

 息絶えるようにして途絶えた恋

 愛された記憶は あの鍵と同じように

 取り出すことも 捨てることもなく

 ずっとそのまま 小箱に入れて

 私の傍の何処かにある


 南京錠は あの浜辺に掛けられたまま

 潮風に晒されて 錆びて色を変えて

 ずっとそのまま ロックされたまま

 柵がある限り そこにある


 見に行くことはないと思うけど

 ずっとあってほしい

 今も そう思う

 無駄なものなんて

 きっと ひとつもない

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