第9話


 コンコンコンという音が聞こえ、義明の身体がビクっと動く。さきほどの音がドアをノックした音だと気づくのに、数秒かかった。

 誰かがお越しにきたのか。

 でも今は夏休み。休みの日に起こされることはめったにない。それにノックという優しい起こし方を妹や母がするわけがなかった。

 それにしても今日はなぜかベッドから出る気が起きない。いつもなら少しででも目が覚めたらすぐに起きて、コーヒーを飲みにリビングにいくか、プログラミングをするかのどちらかだが、いつも以上にふかふかで、それでいてとても心休まる暖かさでベッドから出たいと微塵にも思わない。冬のこたつと似たような感じだ。まさか自分のベッドがこんなにも眠り心地がいいとは……。ほんの少し開きかけた目を、義明は再び閉じた。

 コンコンコン。

 コンコンコン。

 コンコンコン。

 ぼーっとする頭にこの音は響き、義明の左右の眉が中央にギュッとよる。

 うるせぇ! っと言ってやりたいが、声をだすのも辛い。この最高に気持ちいことに気づいた自分のベッドをもっと堪能したい。黙っていれば諦めるだろうと、義明は我慢する。

 コンコンコン。

「ヨシアキ……」

 コンコンコン。

 コンコンコン。

 ノックと自分の名前が聞こえたことに気づく。

 義明は片眼を半開きにして音がなる方を見る。

 誰なんだ。

 ため息をつきながら上半身を起こす。

 そして、すぐに違和感に気づく。

「……あれ俺の部屋……じゃない?」

 コンコンコン。

「よ、ヨシアキ。朝よ……起きてる?」

 ドアの向こうから女性の声が聞こえる。その声はどこか申し訳なさそうな声のトーンであった。

 母や妹、祖母でもない。こんなにきれいな声ではない。

「ヨシアキ、入るわね」

 ガチャリと扉が開かれ、

 ドアから現れたのは絶世の美女だった。

 そして義明はその美女がアリーという名だということを思いだした。

「ああ、そっか……そっか……そうだった」

 完全に目が覚めた。お目々はバッチリ開いていた。

 昨日の出来事が早送りのように脳内で再生される。

 開発中であったプログラム言語が、突然原因不明なバグが発生したこと、目を開けると、自分の祖母が実は異世界人だったこと。異世界の料理はうまかったこと。


 そして、その料理で死にかけたことも。




 昨晩はご馳走が義明に振る舞われた。

 漫画に出てきそうな分厚いサラマンダーのステーキ。

 光を当てれキラキラ光るエメラルドキャベツのサラダ。

 香ばしい匂いと一個がおにぎり並にでかいエンペラーラビットの唐揚げ。

 どれもインパクトが大きく、アッと驚かされるが、とくに驚かされたのは、鮮やかな紫色のデッドマッシュのアヒージョ。

 デッドマッシュという名前も見た目も食べたら死んでしまいそうな料理をだされ、義明はアリ―に文句をいった。食べたら死ぬと……。

 だが、アリ―はムーっと口を尖らせ「ちゃんと毒抜きしているから大丈夫」とまだ油がグツグツ煮だっているアヒージョを義明の口元に差し出した。

「絶対美味しいから、はい。あーん」

 かわいい笑顔だ。

 まさか、この異世界にて、しかもこんな美人に密かに憧れを抱いていた『あーん』をしてもらう日がやって来ようとは……。

 嬉しい半面、食べたら死ぬのではないかという恐怖。

 せっかく作ってくれたのだ。毒抜きしてると言っていた。だが、きのこの毒抜きって聞いたことが無い。

 デッドマッシュのアヒージョを食べた。

 恐る恐る噛みしめる。

 一回、二回……。噛めば噛むほど、デッドマッシュのエキスが口の中にひろがっていく。

「美味しい……」

 味は上品でまろやかで、香りが控えめでクセがなく、また食感がよく非常に食べやすい。

 言ってしまえばとても美味しいマッシュルームだった。

「そう! 美味しいのよ!

 デッドマッシュって高級食材なのよ? といっても調理するためには免許が必要なのだけどね。あ、私は当然持ってるわよ?」

「……フグみたいなものか」

「フグ?」

「毒を持った魚だよ。調理するために免許が必要なんだ」

「へぇ。魚を調理するのに免許が必要なんて変わってるわね」

 毒キノコの免許には言われたくはなかった。少なくとも義明の知っている限りでは毒キノコを調理するなど聞いたことがなかった。

 でも知らないだけで、実は存在するのかもしれない。すぐに調べたい欲求にかられるが、ここは日本じゃない。義明の部屋ではない。今ここにスマフォもパソコンもないのだ。

 

 次に義明が食べたのが、サラマンダーのステーキだった。

 義明は肉が大好きだった。ステーキはもちろん。焼肉、しゃぶしゃぶ、肉ずし。

 サラマンダーのステーキはとても柔らかく、ナイフがスゥーっと入り込み、口の中に入れると、今度はスゥーッと溶けてなくなった。美味い肉は溶けるというけれど、本当に溶ける体験をするのは初めてであり、義明は感動した。義明が今まで食べたどのお肉より美味しかった。

 義明はあっという間にステーキを完食した……。もう美味しい肉以外食べられないかも知れない。そんなどうでもいい不安を幸せそうに感じていたときだった。ステーキに満足している最中に、身体の内側からどんどん熱くなっていき、次第に汗が身体の毛穴という毛穴から、汗が溢れ出した。

 尋常じゃない汗だ。まるで高温サウナにいるみたいだ。汗が滝のように流れる。

 胸のあたりが熱い。身体の中が燃えているみたいだ。息も激しくなっていく。吐く息が炎のように熱い。

 義明は汗でしみる瞳で、アリ―を見る。

 意識がぼーっとするなか、アリーをみると、アリ―はなんだか慌てた様子であった。

「ご、ごめんなさい。サラマンダーのお肉ってエメラルドキャベツと一緒に食べないと、熱さで身体が焼けちゃう……のよ。

 でもでも、少量だから、きっと大丈夫……たぶん。

 と、とにかくエメラルドキャベツを食べて!」

 エメラルドキャベツを義明の口元に無理やり押し込む。熱さでなかなか噛みしめる力がでない。汗と共に体力が流れ落ちているようだった。キャベツが硬いせんべいのような感覚だった。

「ヨシアキ! 飲んで! 飲み込んで!」

 細かくちぎったキャベツを口の中に入れ、ようやく飲み込むことができた。

 するとすぐに効果が現れ、どんどん身体の熱さが引いていく。

 義明は深く呼吸をして、落ち着かせる。

「その……あまりにも美味しそうに食べるもんだから、その……嬉しくなっちゃって忘れちゃってて……」

「……」

 アリ―が申し訳なさそうに、お冷をさしだし、義明はそれを一気に飲み干した。

 ふぅっと息を吐く。

 エンペラーラビットの唐揚げがあるが、手をつけられそうになく、異世界の食事は終了した。

 義明は部屋に戻るとすぐさまベッドに倒れ込み、そのまま眠りについた。


 

 部屋に入ってきたアリ―は申し訳なさそうな顔であった。。

「おはよー。アリ―」

「お、おはよー。……ヨシアキ、その……大丈夫?

 体調はどう?」

「うん、大丈夫だよ」

「ほんと? なんともない?」

 義明はニコっとして縦に首をふると、不安で落ち潰れそうなアリーの顔の緊張が解け、不安を身体から押し出すように、深く息を吐いた。

 よく見るとアリーの目にはうっすらと隈ができていた。目も少し赤い。

 義明はとても申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 義明はアリーのきれいな青い瞳を汚してしまったような気がしてならなかった。

 何か言わなければ。でも何を……。

 何か言わなければならないと思えば思うほど、何も出てこない。

「アリー……」

「さ、準備して。朝ごはん用意してるから」

 義明が何かを言う前にアリーは、この場から逃げるように、後ろを振り返りこの場から離れようとする。

 言わなきゃいけない。

「アリー! 昨日はありがとう! すごく美味しかった!」

 アリーは立ち止まって振り返った。

「今度は普通に食べても平気なものだから大丈夫よ」

 アリーの笑顔はやはりいいもんだった。


 

 



 

 



 


 

 




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