第16話 機神咆哮

 リチャードと偽物が充分に離れるのを見届けて、アンジェリーナは広場から機神の全貌を見上げる。

「マギー、あなたは市民を避難させなさい。あれは私がなんとかするから」

「そんな、無茶です! いくらあなたでも、あんなものが相手では!」

「あれが天使の纏う鎧なら、やれるのは私しかいない。でも、街への被害までは考慮出来ない。そのぐらいの戦闘規模になるでしょう。だからそっちは任せることになるわ」

 信頼を視線に乗せて。マーガレットはその意を汲む。会話に費やせる時間はないのだ。

「……解りました。住民の安全確保を最優先にさせます。ご武運を」

「誰に言ってるのよ」

 制服の裾を捲って結べば、フライアを右手に戦乙女が飛ぶ。


 彼女はずっと、己が戦闘という一種の極限状態に陥ることはもうないだろうと思っていた。それこそがこの世に地獄を具現する愚行に他ならないと解っていたから。

 だがそれは間違いだった。彼女が戦わずとも、人々は戦の炎に追い立てられ、無辜の民が犠牲になっていく。その数だけ、また戦が起きる。

 自らの正義を信じて。戦いが自分たちを正当化すると思い込んで。

 頼りない砲火があちこちからあがる。機神を相手に戦いを挑んでいる。正規軍の勢力と、反魔法団体の面々が轡を並べ、互いを助け合いながら立ち向かっている。

 この未曽有の大災害については彼らでさえも知らされていなかったのか。

 機神の目前にて滞空。そこに彼女がいると信じて、一際強く言葉を投げる。

「エヴァンジェリンさん! こんなことはお止めなさい! あなたは私を慕ってくれた友人、せめて自分の意志が少しでもあるのなら……っ!」

 頭部の双眸が反応を示す。光臨を宿す戦乙女目掛けての熱線が全ての砲門からひと揃えに放たれた。多重積層型魔法障壁ヘルメス・トリス・メギストスがその衝突に揺らぐ。熱線が背後へと幾条にも拡散されて分かたれていく。

 直撃にさらされてなお、戦乙女の眼光に揺らぎはない。

「そう、聞こえないのね。なら、少し痛いでしょうけれど、我慢してもらうわよ」

 フライアにエーテルが集う。

回路点火イグニション。コード・ファランクス!」

 同時、幾つもの魔法陣が彼女の背後から真横へと、互い違いの上下に拡がって展開。

 それら全てはフライアの銃口と同義。放たれるのは渾身の制圧射撃。

 機神を目指してひた走るおびただしい数の攻撃魔法。ひとつひとつがオーバーテクノロジーによって紡がれし破壊の光。

 さりとて、それも機神の防御を貫くには至らない。

 頑強を通り越して、隔絶的な硬度を誇る障壁が壮絶な規模で展開された。

 あまねく魔法は魔法であるが故、上位存在である機神には通用しない。エーテルを介したいかなる攻撃手段も通じないと弁えてかからなければ、この相手をして活路はない。

 機神が手を伸ばしてくる。アンジェリーナを捕まえて、握り潰す算段か。

「――神剣エクセリオン!」

 立て続けの詠唱。これがもたらすのは、先日見せた途方もない規模の斬撃。

 機神の掌がそれも防ぐ。障壁が歪んだ。規格外の、度外れた威力を誇るこの魔法ですら無効化するのか。

 アレはもはや魔導器を介した攻撃では突破不可能。攻撃もさることながら、防御もまた桁外れだ。しかして、機神も同じように怯みを見せる。あの機体は戦乙女と正面きって押し切れるほどの力はないのか。

 模造天使。贋作の神罰武装。どちらも紛い物。よって全盛期の驚異ではない。

 性能を見計ったアンジェリーナが口辺を吊り上げる。

「なるほど。魔法では無理、ということね。なら、これはどう!」

 機神が一歩、アンジェリーナへと距離を詰めた。だが、遅い。

 言祝ぐように紡がれる祝詞は、神の洗礼を授かった〈奇蹟〉を顕すに足る聖句。

「――主よ。御使いたる我が願いを聞き届け給え。我にこの世全ての悪を断つ力を貸し与え給え。善なる力の依り代をここに。光をこの手に。我が身に裁きを為さしめ給え! この身は千の救済と裁きをもちてあまねく敵を糾すものなり!」

 峻厳な調べが朗々と響き渡る。二対六枚の金翼がとりわけ峻厳に輝きを増す。右手を空へと掲げて、碧眼が敵を見据えた。彼女の声なき声が無慈悲に告げる。

 聞いて傅け、見て敬え。汝に下されし神の裁きは、その手が及ぶものでは断じてないと。

「〈アンジェリーナ・ロスヴァイセ〉の名において。

 我、御剱みつるぎまかり成る――〈神槍グングニル〉」

 途端、眼を焼くような暁光が集ったかと思うと、巨大に過ぎる剣のようなものが彼女の頭上へと現れた。

 これこそ彼女が秘め持つ神器。太古の昔よりその血統に刻まれた伝説の武装。神話の時代、戦争と死を司る主神オーディンが振るったとされる勝利を齎す神の槍。

 〈神罰武装ジャッジメント・ウェポン・グングニル〉。彼女がこの剣とも槍とも言える武器を用いて、戦略級の破壊を為すさまは、人が扱う域にないとりわけ隔絶した〈現象〉として判別される。

 形容するならば、彼女の背丈を倍ほども超えた諸刃の大剣。しかれども柄の長さから、突撃槍とも見て取れる特異な形状。

 にわかに白い燐光を宿した槍を構えて。

「これが現存する唯一のオリジナルよ。あなたが真に神の戦車メルカバーだというのなら、ちょっとくらい叩いても壊れないわよね!」

 彼女が掲げた右腕を振り下ろせば、刹那にも満たぬ時間に対抗を示した機神の障壁がやすやすと打ち破られ、槍がその矛を突き立てる。

 同時に閃光、次いで衝撃。ありとあらゆる瓦礫を巻き込んで広がっていく極光の太陽。夜を昼に変える程の膨大な熱と光。その壊滅的な破壊は瞬く間に全てを飲み込み、消し去っていく。

 たった一突き。されどその威力、隔絶の一言。

 槍より解放されたのは絶対的な、何の形も持たない純粋なエーテルの奔流。

 言葉にするなら、無系統魔法。詠唱も何もない、魔法と呼べるかどうかもわからぬモノ。

 だが、だからこそ強い。防ぎ得ぬ力として、あの槍は機神を打ち破る。

 いかに機神が圧倒的と言えど、彼女には抗し切れぬ。これはそれだけの意味と役割を持つ、戦乙女のみに許された神罰の代行なれば。

 いつか誰かが彼女に言った言葉。死神、または告死天使。

 このようにして、天使のなかでもとりわけ特異な立ち位置にある戦乙女は、魔法によって害することは事実上不可能とされている。

 人間の上位存在であるが故、存在としての質が違う。力が違う。

 故に、古代の天使は人々を導いた。意に添わぬ者は切り捨てて、戦へと駆り立てた。死神という言葉が今に伝わっているのはそのためだ。

 そうして――暴君のように振る舞う同胞を葬った、裏切りの天使。そう伝えられることもある戦乙女の真実は、果たして真に死神か否か。

 ともあれ、機神の躯体はその一合で悲鳴を上げた。駆動系に異常を来したか、関節、装甲の継ぎ目、その他諸々の箇所から煙が生じる。

「あら。ちょっとやり過ぎたかしら。ごめんあそばせ」

 それでも抵抗の意志を衰えさせない。ぎりぎりと体を軋ませてなおも戦乙女へと、無事で済んだ砲門を照準。見て取ったアンジェリーナが双眸を細める。

「――執行イニシエート。コード・ファランクス」

 この一手は先と同じ。だが内包するものは全く異なる異質な力。

 同じ魔法のはずが、今度は機神の防御を呆気なく打ち砕いてその体に数多の魔法弾を雨あられと届かせる。

 何のことはない。グングニルを携えた戦乙女の、これが全力というだけの話。

 先の一射は、あくまで〈人としての〉彼女が放った魔法でしかなかった。フライアはそのために、普段から出力をそのように抑制している。

 だが、人として戦うことを止めた彼女に今その制限は存在しない。

 種も仕掛けも何もない。全てのヴェールを脱ぎ去った姿が、これというだけ。

 これに無事で済むわけもなく、満遍なく光のシャワーを浴びた機神が堪えきれずに膝をつく。

 損傷は甚大、今度こそ行動不能。

 これで最後と槍を構えた。が、胸部の装甲が外れた奥に見える人影。

「エヴァンジェリンさん!」

 一応は五体満足。とはいえこちらの声が届いている様子はない。うねくるように配置されたコードの中心に、一糸まとわぬ姿で拘束されているのは紛れもなく白髪で矮躯の見慣れた人物。

 コアユニットとして組み込んだ。あの男が言ったのはこういう事だったのか。

「なら、助けるより他にないのでしょう……けれど」

 アンジェリーナの有する致命的な欠点がここにきて浮き彫りになる。

 誰にも触れられないという弱さ。触れられることに恐怖すら覚える、心に差す影の形。

「……こんなことで!」

 機神が息を吹き返す。自己復元能力。眼に見える速度で各所の再生が始まる。

 魔法によるものではない。囚われの少女を起点として、浮かび上がる紅の紋章。

 第三の力による事象変異を示す、明確なサイン。

「あれは、星座の御印ゾディアック・ルーイン!」

 無限を意味する宝瓶宮アクエリアス

 今再び立ち上がる機神。奇しくも互いに弱みを露呈した形で。

 仕切り直しと言わんばかりに、再度の戦端が開かれる。

 幾度も銃火を交わして、両者は半透明の通路が互い違いに行き交う立体交差路へと降り立つ。

 偽物は上の通路。着地と同時に見上げたリチャードが射撃を浴びせる。

 行使するのは、その構造体ごと破壊する攻撃魔法。

「これでどうだ!」

 命中と同時に炸裂するエーテル爆発。スレッジナパームの魔法は、交差路に持たされた構造強度に想定以上のダメージを与えて瓦解させる。展開されているテスラ・フィールドを見るに、偽物は未だ健在。どころか、爆風にさらされてなお照準をこちらに合わせる。

「これほどの力を持っていながら、運命に抗おうとは思わないのか!?」

 こちらの足元を穿つ雷霆剣。圧倒的な破壊力に通路が大きく歪む。飛び退くものの、足場の崩壊までには至らない様子。

 あれは貫通破壊に特化したが故、巨大な構造体を直接破壊するには向いていない。

 対象を直接攻撃するには体勢も状況も不安定なのに、どうしてそんな魔法を選択した?

 今の魔法選択。攻撃に際しての単なる判断の波とするには、些か疑問を抱く。

 五〇メートルもの距離を保った対象への直接攻撃をするには、スレッジナパームのような面制圧に長けたものを行使するのが定石。しかし、相手はそうしなかった。もしや。

 あのアンサラーを、完全には御し切れていないのだとすれば。

 未だ一部しかその機能を扱えていないのだとすれば。

 勝機、ここに見たり。

「考えたこともねえな! 運命も未来も、自分たちで切り拓くもんだろ!」

 落下していく空中に足場を形成し、隣り合う通路へと移る偽物目掛けて。

 リチャードが接近を敢行。あちらの残弾は残り二発。再装填を挟む前に、こちらに有利な状況を作り上げる。隣り合った通路に着地した相手が気づく。だが遅い。こちらはとうに射程内。

連続解術コンビネーション・ドライブ、ショットブラスト、スレッジナパーム!」

 いかに魔法で編まれた通路とはいえ、その造りは数千トンもの負荷に耐えられるよう強度を高められた、エーテルの結晶体。これをたやすく瓦礫に変えるゴスペルの事象変移能力。

 散弾という面で攻め、なおかつ爆裂焼夷弾による戦術的破壊工作。

 これにはひとたまりもなく、偽物の体は空中に投げ出される。

「くっ……そうやって、自分の居場所がある奴は!」

 再び、刃を交わす二人。視界の隅を焼く火雷。

「お前がやろうとしている事は、他人の居場所を奪ってそこに立つ事だ! 自分で自分の居場所を造るんならいいさ。誰も何も言わない。けど、これはそうじゃねえだろ! 国を壊すなんてのは、間違ってる!」

「なら、君は魔法が使えない人間たちに居場所を造ってやれるのか!」

「与えられた居場所で満足なら、最初からそうしてるだろうが!」

 互いに接地した状態、交わした刃を翻して更に切り結ぶ。

「誰かが作ってくれた居場所なら、いざって時に責任を転嫁するのが楽だもんな! 何もかも、居場所を造った奴が悪いってさ。でも、ならさ、聖天子は何のためにいる! ここに住む全員のために今も心を砕いてる! その為に自分の時間も何もかも投げうって、国に尽くしてくれている! それも全部、お前はぶち壊すつもりか!」

「そんなもの、政治を取り仕切る者なら当たり前だ! 聖天子として即位した時から、彼女は人間としての道を諦めてしかるべきなんだよ!」

「それが思い上がりだってんだ、この偽物野郎!」

 再装填からの三連解術。偽装聖剣を展開。

 継ぎ目のないその行動の速さたるや、眼にも止まらぬほど。

「っ……押されているだと、このアンサラーが!」

 リチャードの優勢。ここに来て戦局をどうこうするには、今までに培った戦闘技術がものを言う。そして今、この相手にそれはない。薄い背後。知識としてだけ知った技術。

 上辺に張り付けただけの戦い方では、窮地を脱する方法も知りはすまい。

「合点がいったぜ。お前は第零世代がどうして生まれたかも知らずに、そいつを振り回してるんだ。なら、この結果も当然だったな!」

「どうして生まれたか、だと……!」

「ウェンディ・ハンドレッドは確かに天才だった。だがな、天才であるが故に孤独だったのさ。だからこそ、第零世代の魔導器にはその性質が宿った」

 そう。それこそが第零世代に仕組まれた秘中の秘。最後のメカニズム。

 信じる心こそが、魔法の杖たる魔導器のポテンシャルをどこまでも変化させる――術者と共に成長する〈相棒〉として。

 他人を求めるからこそ、人は強くなれる。決してその逆は有り得ない。

「他者を否定して、この魔導器を使おうなんて――言語道断ってもんだぜ!」

「何を言ってる!? どういう意味だ!」

 アンサラーが弾き飛ばされ、同様にリチャードもゴスペルを取り落とす。

 最後にものを言うのは、己の体のみ。

「終わりにしようぜ、お前のカーニヴァルはこれで閉幕だ!」

「くっ……だが、君の合気道は既に、」

 モーションに先んじて、懐に入れさせないよう立ち回る。それだけでリチャードを封じられる。この男の策とはそういうもの。だが、それのみに終始していて勝てるほど、勝負というものは甘くない。距離を詰めるリチャードに対して、一歩引く偽物。

 さりとてその足の指先、踏まれては退けるものも退けはすまい。

 必然的に縮まった距離。この間合いで視線のフェイントを交えた一瞬の攻防。

 水月――鳩尾みぞおちに軽く触れた右掌から、偽物へと伝わる衝撃は臓腑を潰すような埒外のもの。

 合気道ではない。これは寸勁。それも熟練の腕前。

「がっ……!」

 次いで、心臓への肘打ちから背負い投げ。通路へ強かに背を叩きつけられ、たまらずに肺腑から空気が絞り出される。

 見下ろすリチャード。雌雄は決した。しかれども、諦めの色はそこになく。拾い上げたアンサラーの銃口が持ち上がる。

 それも、構える前に回転弾倉の部分を上から掴むように押さえられた。

「リボルバーの弱点。俺が知らないとでも思ったか?」

 引き金を弾くにあたって、弾倉が回転して次弾を発射する。その構造に付き合った年月は五年。長所も短所も知り尽くしている。弾倉を固定されては、次弾が撃てないのだ。

「この距離で、銃を使おうなんてのが間違いだったな」

 リチャードが偽物の両足を撃ち抜く。低い呻き。瓜二つの偽装が解除された。

 そして、赤ずくめの男は目元を隠したまま薄く笑う。

「……それでも、フィンブルの冬は来る。もう止められない。神々が世界に仕組んだシステムのひとつを起動させたんだ。これから、終わらない戦争の時代が来る」

 機神の咆哮。リチャードが眼をやれば、紅蓮の炎に焼かれる凄惨な街並み。

「クソッ、お前、こんな事をして新しい国を本当に造れるつもりなのか!?」

 いかに強大な力を有しているとは言え、それが世界の敵として君臨するなら、そんな存在に付き従う者がいる訳もない。

「そんな事は、本当はどうでもよかったのさ」

「何だと!? じゃあ、何が狙いだったんだ!」

「偽りの神を――滅ぼす。その為の力が必要だった。けど、それもあの戦乙女に止められるだろう。だがそれでいい。これで、残る六柱の天使も長い眠りから目覚める」

「残りの天使、だと……!?」

「死んだはず、か? そんなものは嘘だよ。でなければ、あんなものがこの世に残っているわけがないだろう」

 模造天使を生み出した技術。そして機神。幻想古典の模写。そのいずれもが、人間だけの手によるものだとは誰も言っていない。

「答えろ! お前は一体何者だ! あの機神とかいうのを誰から受け取った!」

「俺にあの機神を預けたのは、オーガスタ・キンバリー。俺はそこの工作員。解るだろう、リチャード。お前も千年帝国ミレニアム・エンパイアの、第三王子ならさ」

「俺が王子、だと……!?」

「真実は自分の眼で確かめろ。その瞳、髪の色、お前は自分がユーフォリア人じゃないことを知ってたはずだ。そして本当の名前もな」

 赤帽子が、アンサラーを自らのこめかみに押し当てる。

「運命がお前を選んだ。ここまでは譲ってやる。だが、帝国の野望は潰えない。俺の撒いた火種が、いつか必ず世界を巻き込んで時代を焼き尽くす」

「バカな……そんなことをして、誰が得するっていうんだ」

「――真なる神の、復活。これもまた、その為に払うべき対価」

 その言葉を最後に、赤ずくめの男は自害した。


 一体、神とは何なのか。この男が信奉し、崇めた神の姿とは。

 それは世界のどこかで祀られる御神体か。はたまた、この男のみが思い描いた全知全能のそれだったのか。知る術はもうないとしても、人間が、人間だからこそ抱く神という幻が、人を破滅に追いやったひとつの結末。言い表せぬ感傷が胸を過ぎる。

 あの機神。あれを壊すことで人は神の夢から覚めるのだろうか。

 きっと違う。誰もが抱く希望の中に、神はいる。人間の心が生み出す、光の内にだけ。

 それは決して紛い物ではない。破壊の権化であってはならない。

 そして人を救い、導くものであってはならない。

 何故なら、神とは人が触れるべからざるもの。

「表現さえ得ざるもの……神ってのは、人が奇蹟をこいねがうものなんかじゃない。最後に頼る心の拠り所でもない。神はひとりひとりの心の中にいる。

 決して形を持たないからこそ、神はいつでも人のそばで見守ってるんだ」

 人に関与しない観測者。リチャードが抱く神の姿もまた、彼だけが持つ幻想でしかないのだろう。だからこそ、人は文化や宗教、それまでに培った人生観のなかに神を見出す。

 人間だけの創造物として。

 銃を下ろし、背を向ける。ただ、哀れだった。この男の意志の向き先が、もっと違うものに向いていたら。益体もない感傷。この赤い男の切り拓こうとした未来が、いつか人類を滅ぼすことになっていたとしても。

 世界に自らの可能性を求めた意志が、どこか貴重だったような気がしただけ。

「アンジー、今行くからな」

 跳躍。風を切る音が耳にうるさく響く。

 運命を仕組まれた子供。赤い男は、リチャードをそう呼んだ。

 それがどんな意味を持ち、運命という時代の歯車が自分の手に何を為さしめるのか、リチャードはまだ知らない。それでも、運命が決まっていようと、未来は変えられると信じている。

 運命のダイスを振るのは自分自身に他ならない。決して、他の誰かが決めたレールではない。

 大気の振動。港湾区から浮上する巨大な影、空中戦艦が、全ての砲門を機神へと向けている。

「あれが動いた!? やっぱり、あの時の連中が!」

 同時、機神にも動きがあった。

 紅蓮の街に佇む巨体が、全体に深紅の紋様を輝かせる。

 周囲に漂うエーテルが拡散と収束を繰り返す。暴走している。

 ようやく理解した。あの赤い男が握っていたのは、手綱コントロール。あくまで機神を人の道具として操り、制御下に置くためのもの。止めるのならば、あの男の意志による抑止ブレーキでなければならなかったのだ。その枷を外された機神を、もはや止める術はどこにもない。

 再装填。跳躍に弾丸を使う方法がどうにも消耗をいや増してしまう。残り、一二発。

 平面になっている家屋に降りると、空を見上げる。曇天に浮かぶ光臨。

「……アンジー!」

 こちらに気付いた。目くらましに攻撃魔法を加え、アンジェリーナが光の輝線を描いて傍に降り立つ。とはいえ消耗の色が濃い。いかに天使でも満足に戦えない状況が続けば、その輝きが薄らいでしまうのも致し方あるまい。

 港湾区の方角から飛来する砲弾の群れ。浮上した空中戦艦が砲撃戦に入っている。

 機神の注意がそちらに向く。そのせいで流れ弾が更に被害を広げる。

 どうにかしなければ。だが、どうやって。

 今度は機神ばかりか、空中戦艦も含めての三つ巴。危機に瀕して無理やり起動させたのだろう、戦艦側は低空で正面きって撃ち合っている。あれでは火力で勝る機神に軍配があがるのも時間の問題。

「ブレイダブリクが……」

 アンジェリーナの声も、数多の砲声に混じって遠く聞こえる。

 業火に追われて逃げ惑う人々を導くマーガレット。それを護衛しながら手伝う少尉の姿。ミランダもまた同じように付き従っている。

 さりとて、満足には動けていない。やはり機神と、そして戦艦の艦砲射撃が邪魔をする。

「リッチ。あれの胸のところが見える? エヴァンジェリンさんを助け出せそうだけれど、私では触れられない。だから、お願い」

「解ってる。約束があるしな。さっさとあそこから出してやりたいところなのは山々だけど……お前も、一緒に来てくれるか?」

「え? でも、言ったでしょう。私では触れられない。触れるのが、怖い」

 時間はかけられない。跳躍、荒れた風のただ中に身を躍らせる。距離が縮むにつれて機神の赤い巨躯がそのスケールを増していく。

「お前のその弱点、克服するなら今しかないだろ!」

 追随するアンジェリーナの顔に口惜しさが浮かぶ。

「仕方ないのよ。戦乙女は死者の魂を導く存在。言わば、私は死神なのだから」

「そんなものは眉唾だ。実際、俺はお前にいくら触れても何ともない。お前は自分を鎖で縛っているんだよ」

 リチャードが危惧する、アンジェリーナの唯一の弱点。

 それに向き合うべきは、今。すくんだ心を奮い立たせるのは、今をおいて他にない。

「解決できるのは誰でもない。お前自身の心の強さだ。それとも、いいのか? 友人がああして敵に利用されて、それでも手を差し伸べるのを躊躇う自分のままで!」

「でも……私は……」

 気弱な少女としての素顔が、一瞬だけ顔を覗かせる。

 本当のアンジェリーナを知る彼だけが、そこに込められた感情を読み取れた。

「怖がらずに前を見ろ。大丈夫、俺も一緒にいくから」

 暴風の塊が近づく。二人は上下に分かれるようにしてそれを回避。

 リチャードは伸ばされてきた機神の腕に足を乗せると、そのまま走り出す。

 まともにやり合ってどうにかなる相手ではない。障壁が邪魔で懐に潜り込むのも常道の魔導器では不可能。しかしてそれが二人ならどうか。

 ひとりで不可能なら、二人で可能にするだけのこと。

 巨木の如き前腕がよじられる。バランスを崩す。自ら体を宙に投げ出して。

「受け止めろ、アンジー!」

 伸ばした手を掴む、少女の小さな掌。緩やかに旋回しつつ向き合う。

「リッチ……いいえ、リチャード。私を導いてくれるというなら、私はあなたを信じるわ。十年前、あの孤児院が焼けていくなかで、あなたは私の命を救ってくれた。今の私は、ただその想いに応えるために生きている。だから、あなたがやれというのなら、やる」

「おいおい、こんな時に大仰なことを言うのは止してくれ。お前はいつも通り、高慢ちきに振る舞ってればいいんだよ!」

 ふっと綻んだ顔に、垣間見えた何がしかの感情。

「そう。あなたがそう言うのならそうするわ。もしもあなたが死んだ時、私はその瞬間から本物の死神になる。あなたのいない世界に価値なんてない。だから壊す。

 心しなさい。私を従える、私だけの英雄。あなたの命は、世界の命運を握っているのよ」

「また重い話だな! お前、本当にやりかねないから怖いんだよ!」

「無理しないでって事よ。仕方ないでしょう。あなた、私の眼の届かないところで無茶するんだから。その命は軽いものじゃないってこと、よく覚えておきなさい」

 だからといって、世界の命運はやり過ぎだ。

「一応聞いておくわ。あなたは何の為に彼女を救うの? 何の為に戦うの? それが正しいと思ったから? あなたのなかの正義だから?」

「冗談じゃねえ。いいかアンジー、俺は自分の手が届く人を助けたいだけだ。正義も悪も、そんなのは全部どうでもいい。ただ、最初から無理だと諦めて見捨てるような真似が出来ないだけだ! 俺が俺でいるためのものだ!」

「なら、示して見せなさい。私を救い、彼女を救い、そして世界を救うあなたの勇気を」

 接近した機神の障壁をアンジェリーナが槍を用いて突破するが、すぐさま再生が行われる。

 通れるのはひとり。リチャードは、迷わなかった。

 アンジェリーナの手を放して飛び込む。手には偽装聖剣。エヴァンジェリンを捉える無数のコードに突き立てる。

「よう、約束通り助けに来たぜ、お姫様!」

 それが鍵となったか、あるいは完全に機神に意識を取り込まれていたか。ようやく眼を覚まして現状を直視する小柄な少女。

「あ、あなた……私は、どうしてここに? あの男に捕まった後、どうなって?」

「怪我はないみたいだな。何よりだ。だけどいつまでもその恰好じゃ風邪をひくぜ。倒錯的なセクシーさだが、そろそろ何か着たほうがいい」

「えっ……? な、なんっ」

 そこでようやく自分の恰好に気づいたらしい。構わずにリチャードは残りのコードを引き裂いて、彼女の自由を確保。上着を脱いで羽織らせる。

「あ、あり……がとう」

 コードは魔力回路と霊的な接合状態にあったらしく、外傷は見当たらない。振り返る。

「アンジー、来いよ」

 コアユニットが奪われて機能の殆どが停止したようで、障壁が解除されて霧散。アンジェリーナが少女と対面する。

「エヴァンジェリンさん、ごめんなさい。私はあなたの友人失格ね」

「姉さま……私は、ブレイダブリクを滅ぼす災厄になるところ、だったのですか」

「今も危ないけどな。まあとにかく、友達を見捨てられない馬鹿がここにいたってわけでな。アンジーもそれで力を抑えて戦ってくれてたんだよ。だからまあ、怒らないでやってくれ」

「そう、だったのですか」

 機神が、またもや動き出す。中枢を奪われてなおも止まらない。

「こいつ、相当しぶといな! まだ動くのかよ!」

 そこでエヴァンジェリンが頭上を指さした。

「頭の角です! 繋がっている間、なんとなく解りましたわ。あの角がアンテナとなって、星座の御印からの力を受信しているのです!」

「角か、よし。アンジー、引っ張り出すのを手伝ってくれ」

 一瞬だけ戸惑った彼女の右手を握り、共に差し出す。

「エヴァンジェリン、さん」

 ひとりでは、怖い。だけど一緒なら。こうして人の温もりを、生きている証を掌に刻めたのなら、自分は少しだけ癒されたのかも知れない、と。

「姉さま……ありがとうございます」

 三人の手が繋がる。と、リチャードは一気に小柄な少女を機神から引っ張り出した。

「あわぁっ!?」

 少女の裸体が露わになる。隠そうとするが、隠し切れるものではない。

「ちょ、ちょっと止めて下さいまし! こ、こんな、誰にも見せたことないのにぃ!」

「そいつは悪かったな。まあ、恨むなよ!」

 とりあえず担ぎ上げると、機神から落下するように離れる。そのままマーガレットがいる場所へと向かう。霊障の眼が、エーテルの流れをオーロラのように見せた。

「くっ……」

 左眼の限界が近い。色彩の鮮明さが燃え尽きる前のロウソクのように思えた。

「マギー!」

 頭上から降ってきた声に振り仰ぐマーガレット。

「兄さま!? それに、その御方は!」

 着地して担いでいた少女を立たせる。頷いて。

「よく街を守ってくれてる。けど、そう長くは持たないか」

 見ればマーガレットの顔にも消耗が色濃く浮かんでいる。機神の砲撃に加えて、今度は戦艦の艦砲射撃。いかにオリンピアと言えども展開に必要な魔力が全くのゼロというわけではない。

「しかし、そちらが首尾よくいったようで何よりです」

「おかげさまでな。けど、もう一仕事残ってる。お前ももうひと踏ん張りしてくれるか?」

「ええ、お任せ下さい。元より私は皇族、民を見捨てて逃げる真似など出来ません」

「良い啖呵だ。この子を頼むぜ。俺はあれを止めてくる」

 そこでアンジェリーナが進み出た。

「マギー、あなた、大丈夫なの? 無理はしないようにするのよ」

「あなたに心配されるようでは終わりです。安心して下さい、私は信頼に応える人間なので」

「そう。ならいいけれど。ゴスペルとフライアのアレ、使うことになるかも知れないわ」

「許可致します。暴走を続ける機神を止めるには、もうそれしかないようですし」

 幾度破壊しようとも、無限に復元を続ける機神。

 これを止めるには、生半可な魔法では不可能であると、彼女もまた理解していた。

 切り札はひとつ。使うにあたって聖天子からの許可を必要とする、系統外魔法において更にカテゴリー外に位置するこれこそが、最後に残された手段。

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