第15話 降臨する災い

 中央区画に入った。人のひしめき合うなかではぐれないようにミランダの手を握る。

「こっちだ。あそこの裏道に入ろう」

 この人混みからして、やはり戦乙女の御尊顔を一目見ようと押しかけているのか。確かにアンジェリーナは一部の人間にしか顔を知られていない。メディアに不躾な撮影や報道を政府が禁じているためだ。

 その甲斐あって、建物の影になるところには人がいない。リチャードはそこに眼を付けた。

「ふう。大丈夫かい、あんた」

「――はい。力強い手ですね。あの子もこういうところに惹かれたのでしょうか」

「何。女性のエスコートには慣れてるもんでね」

 解放してあげると、何やら意味ありげに胸のあたりで両手を重ねる。

「じゃあ、その風呂敷渡してもらっていいかな」

「はい」

 ここからは変装を解いて機を伺う。こうも人の数が多い場所に紛れ込めば、軍と言えど何ほどのこともない。

 聖天子が会場に姿を見せたらしく、広場全体から歓声があがる。

 リチャードとミランダも、建物の影から顔だけを覗かせた。

「……遠いな」

「でも、なんとか顔だけは見えますね」

 聖天子がいるのは壇上。その近辺は居並ぶ軍人が封鎖しており、民衆から一定の間をおいている。

 ふと、どこかで拡声器からの注意が飛んで歓声が止む。登壇した聖天子の顔には薄い笑み。マイクがその声を拾った。

『――この素晴らしき日を、皆さんと共に迎えられたことを光栄に思います』

「マギーのやつ、緊張してるな」

 リチャードの言葉にミランダが答えた。

「無理もないでしょう。まだ一七歳であらせられるのですから」

「……敵は動くか?」

「いえ、まだです」

 その後も滔々と語られる、ユーフォリアが今までに乗り越えてきた苦難と国家間の危機。一〇〇〇年の間に歴史の裏で繰り返された小競り合いの歴史。

 犠牲になった人々の勇気によって、現在の平和がある。

 それらは、少女が口にするにはあまりに重い内容。

『戦いに身を投じた勇敢なる先人たちに限りない感謝を以て、今日という日を過ごしましょう。この国が戴く平和の象徴――〈彼女〉と共に』

 そこで、聖天子が空の彼方を見る。

『――どうぞ、お出で下さい』

 それが合図だったのか。今、飛行便船から滴のように落ちた一条の黄金があった。

 光臨を宿して、六枚羽根が開かれる。現代の熾天使セラフが流星のごとき速さで急降下。

 地表に近づけば速度を落とし、折り目正しく制服の裾と腰までの金髪を押さえてゆっくりと壇上に舞い降りる。

 ようやく追い付いた風が周囲に一陣の旋風を巻き起こすものの、それは民衆に届く前にそよ風ほどにまで和らぐ程度。

 どよめきが波のように広がるなか、聖天子だけが平然とマイクの前で言葉を紡ぐ。

『……この方こそ、歴史に名だたる英雄の末裔。

戦乙女ヴァルキュリア〉アンジェリーナ・スキーブラズニルです。公の場にご臨席賜るのは初のこととなりますが、』

『もういいわよ、マギー。そういう堅苦しい紹介よりも、民衆は私の言葉を聞きたがっているでしょう』

 戦乙女が公的に記録される初の場だというのに、そんなものを全く以て意に介さない憚らぬ言動。国中、いやさ世界に中継されているのを解っているのだろうか。

 さりとて、これもアンジェリーナの度量を人々が見計る一場面。

 彼女は、否、彼女こそが。世界の行く末を左右する、生命の頂点に立つ存在に他ならない。これだけの注目に曝されて、なお平静を崩さぬ余裕もまた彼女の威光に華を添えていた。

『ちょ、ちょっと、アンジェリーナ!』

 聖天子の背後から進み出る。慌てふためくマーガレットなどどこ吹く風。

 ――緊張が走る。この少女は今まで政府が秘してきた絶対的な存在。

 その、歴史に刻む第一声はどんなものか。民衆も固唾を呑んで見守る。

 切れ長の双眸に、凍えるほどの怜悧さが宿った。


『――控えなさい』


 圧倒的だった。

 誰もがそれに疑問を抱かない。誰もが戦乙女に対する興味本位の無礼を恥じて、民衆が、国が、世界が、彼女の威厳の前に傅き、こうべを垂れた。

 誰も彼もが慙愧ざんきを抱く。遺伝子に刻まれた畏怖を、どうして忘れていたのかと。

 かつて戦乱の世を収めた、黄金の翼の生きた伝説――この地で生まれ育った者ならば、戦乙女の威光に逆らうなど神に誓って有り得ない。

 女帝のごとき威風から、次の言が放たれた。

『私と対等に視線を交わした無礼は許してあげる。だけど心しておきなさい。私の母たちがもたらした平和を乱す輩が、もしこの場にいるとするなら。

 この威名――〈アンジェリーナ・ロスヴァイセ〉に賭けて排除してあげる』

 戦慄が走る。リチャードもまた、同じ慄きに震えた。

 知っている筈の静かな気高さが、その冷厳なる佇まいと仮借なき視線でこれ以上ないほどの苛烈さを孕み、民衆を睥睨する。

『あなたたちは知っているかしら。先日、この街に降りかかった災いを』

 ここで壇の後ろに控えていた政府の要人が彼女を諫めにかかる。一連の流れが、あらかじめ取り決めてあったはずの予定と違い過ぎたのか。

「恐れながら、アンジェリーナ様。お話になる内容はもう少しお選びに、」

 返されたのは氷のごとく冷えた眼。

『発言は、許してないわよ』

 たまらずに言を差し控え、引き下がった。そうせざるを得ないほどの凄烈な瞳。

模造天使エンジェル・フェイク。そう呼ばれた偽物の天使を、命賭けで退けた人を知っているかしら』


「……あいつ、何を話そうとしてるんだ?」

「後ろの人が止めさせようとしたけど、彼女は構わずに伝えようとしている」

「だから、何を?」

「……きっと、昨夜はそのことでひと悶着あったのでしょう。人間を天使に改造したなんて、公にしてはならないことのはずですから。だけど彼女は言いたがっている。他ならぬ、あなたのことを」


『あなたたちが知らないところで、あなたたちを守っている人がいる。

 そのことを知って欲しいと思ったから、私はこんな面倒で堅苦しい、開催式なんて場所に立っているのよ』

 先ほど、アンジェリーナを止めようとした人物がマーガレットに何かを伝えているが、彼女は頑として動かなかった。

『――だけどあなたたちは今、その人のことを異端者と決めつけて、あなたたちを守りたかっただけのその人を追い立てている。

 国の敵として。私に仇なす害悪として』


「……昨夜のこと、知ってるのか」

「あなたなら切り抜けると信じていたのでしょうね。その想いが今、形になっている」

 女帝の言葉は続く。

『おかしいと思わない? 確かに、人間の体を弄んだ結果の、偽物とはいえ天使アイオーンを単なる学生が討ち果たした功績は大きい。だけどそれって、本当なら褒められることでしょう? 今までの歴史でそれが出来た人間はいないわ。

 命を削って人を助けた結果、疎まれ、忌まれ、味方が誰もいないなんて。

そんな酷い話があって?

 私は油断していた。この国なら正しい形で彼を認め、導いてくれると信じ切っていた』

 民衆もまた、彼女が何を言わんとしているのかが解らずに動揺しているようだ。

 だがそれにも構わず、言葉は朗々と紡がれる。

『……誰も認めないのなら、私が認めましょう。誰も信じなくても、私だけは信じてる。この言葉も、きっと聞いているはずよね。あなたなら』


 全くその通りだ、と。照れくささのなかに心を打ち震わされて、リチャードは立ち上がる。

 アンジェリーナの美しい声が、徐々に震えを伴って響いていく。

『あなたを裏切り、追い詰めた人々が、自分たちに都合の良い解釈をして、今度はお祭り騒ぎなんてしようとしている。私は、それがどうしても許せなかった』

 怒りを以て決然と眦を決した熾天使が、民草への怒りを隠さずに糾弾した。

『今後一切、彼への手出しは許さない! 彼を討とうと思うのなら、それは私に牙を剥く行為と知りなさい! あなたたちは、いい加減利用されていることに気付きなさい! 全ての国民、全ての人間はこの言葉を魂に焼き付けよ!

 ――恥を知れ!』

 美しかったはずの声調が、最後は怒りを伴って吐き出された。

『……リッチ! リチャード・カルヴァン! いるんでしょう!?

 出てきて、顔を見せてちょうだい!』

「……行ってくるよ。ミランダさん、あんたが言ってたこと、今なら少し解る気がする」

「はい。お気を付けて。あなたたちの絆は確かなものでした。それが見れただけでも、来た甲斐があるというものです」

 いつも一緒にいたからこそ、解るものがある。

 全ての人間を相手に彼女は今、たったひとりで戦っている。

 もう随分と長い間、会っていないようにさえ思えた。

 安心させてあげよう。あの泣き虫な少女の心の隙間を埋められるのは、自分だけなのだから。

『……どこなの、リッチ! あなた私の下僕でしょう!? どうしていないのよ!』

「――おい! さすがに下僕になった覚えはないんだけどな!?」

 建物の影から飛び出して、降り立ったのは赤い屋根の上。

 その瞬間の少女の顔を、どう見たものか。

 驚き。安堵。喜び、そして――頬を伝う涙。

 両手で顔を覆う少女。泣き虫なのは、今も昔も変わらないらしい。

『……この、おバカ。遅いのよ』

 震える喉で絞り出すような声。感情が溢れそうなのを、必死に抑えているのか。

「しょうがないだろ? こっちだって色々あったんだ。

 それにしても、まあ……なんていうか、久しぶり、だな」

 涙を拭うと、これに堪忍袋の緒が切れたか、猛烈な勢いで罵声が飛んできた。

『久しぶりも何もないわよ! あなたがいない間、こっちはどれだけ大変だったと思ってるのよ! マギーなんて一晩中泣きながら書類仕事してたんだから!

 だいたい、私に許可もなくあれだけバカスカ古代魔法なんて撃って、どういうつもりなの! もっと後の事を考えて運用しなさいっていつも言ってるでしょう!』

 キーン、という耳鳴りのような音が広場を通り過ぎる。

「わ、解った、悪かったから。もっと声を落としてくれ!」

『いいえ許さないわ! 何度連絡しようとしても全然通じないし食事も全然喉を通らないし! 魔法を使って眠ろうとしても睡眠時間三時間よ! 三時間!』

「その割には元気だな、お前!?」

『おまけにマギーは寝相悪いし! 下着のサイズは合わないし! 最悪よ!』

『あ、アンジェリーナ! 何だかさっきから私のイメージが崩れまくりなんですが!? そういうことは公衆の面前で言わないでください!』

『うるさいわね! 兄さまコレクション、略して兄これとかいう秘密のアルバム暴露されたくなかったら黙ってなさい!』

『わ、わあー!? 止めて下さいそれだけはってもうこれバレてるのではー!?』

 痴話ゲンカだった。どうしようもなく。

 これではリチャードが肩を竦めるのも致し方あるまい。

 集まってくれた国民の皆様には申し訳ないものの、とりあえずはこんな空気のなかで聖天子の暗殺など考えるほうがバカらしかろう。

『いいからさっさとこっちに来なさい、リッチ!』

「解った解った。ところでアンジー、その兄これとかいうやつ、マギーは絶対に俺以外には見せないって約束したやつなんだけど。何で知ってるんだ?」

 狼狽を見せるアンジェリーナ。最初の威風はどこへやら。とはいえ、年相応の少女の顔が知られるのも、親近感を持たれる点では悪くない、かも知れない。

『……そ、そんなの……』

「……見たんだな?」

『だって仕方ないでしょうこの子が泣いてる私にこれで我慢してくださいってお願いしてくるんだから私は悪くない勝手に見せられただけだしそもそも泣いてなかったし写真もなぜか上半身裸のが多かったしだから私は絶対に悪くない!』

『兄さま、一部事実と異なります!』

「つまり、マギーが見せたからお前に非はないと?」

『そうよ!』

「そんなん聞くか! 精神的凌辱だ! 賠償を要求する!」

『それこそ聞けるものですか! いい加減にしないと、盛るわよ!』

「何をだよ!」

『特盛りよ!』

「だから何をなんだよ!?」

 ――まあ、そんなこんなで。

 開催式において類を見ない聖天子の失態と、戦乙女の痴態は全国に向けて放送され、二人が慕う男性という形でリチャードの名前は広まることになる。

 後に、この開催式について人々は口を揃えたようにこう語るようになった。

 最初は良かった、と。

 まるで魂の抜けたような表情をぶら下げ、マーガレットが棒読みで開催宣言を締め括る顛末となった今回の件。各地に波紋を呼ぶことは間違いあるまい。これがユーフォリアという国か、と侮られても無理からぬ話。

 にしても、思い思いに軒を連ねる屋台や露店を始めとして、人々が集う活気自体に影響はない。むしろお祭りの意味合いとしては、あの開催宣言という痴話ゲンカもひとつの趣きとして考えれば……良かったと考えることも出来るだろうか。

 ひとまずリチャードに対する疑いは晴れたが、敵がこれで引き下がるとは到底思えない。列席した政府高官に苦言を呈される聖天子を待ち、リチャードが気の毒そうに口を開く。

「お疲れさん。悪かったな、マギー。俺のせいで折角の厳粛な式の空気がメチャクチャだ」

 頭を下げるが、それを制するマーガレット。

「いえ、お気になさらず。あんなことが許されるのも平和であるからこそ、と見る向きもありますし。全く、それにしてもアンジェリーナ? どうしてあなたは場を弁えるということが出来ないのですか。軍事大国である中央大陸の要人や、アルテリアの導師だって顔を出していた大切な式だったというのに」

 素知らぬふうを装って、アンジェリーナ。

「情報ひとつで国が躍らされているのよ。誰だって頭に来るでしょう。きっとその要人たちだって、内心でほくそ笑んでいたに違いないのだし」

「それよりも! どうしてあの場で私信に時間を使ったのかです! あなたは自分がどれだけ重要な立場にいるのか解っているのですか!

 しかも私のプライベートを赤裸々に! もう街を歩けません!」

「それは、まあ、悪いと思ってるけど……」

 またいざこざが起きる前にと、リチャードが割って入る。

「とりあえず、今はそれは置いといてくれ。話したいことがある」

 場所を変えて、広場の隅へ移動した。

「実は、チビっ子が狙われてるらしい。何者かは解らないが、神を復活させる依代みたいなものとして、あいつが必要だって話だ」

「エヴァンジェリンさんが? それは反魔法団体じゃなくて? そんなことを目論むなんて、正気とは思えないし」

 アンジェリーナの言に聖天子が嘴を挟む。顎に手をやっているあたり、何かしらの心当たりがあるのか。

「もしかしたら、あの赤帽子……?」

「あの悪趣味な男? まさかそれが目的で聖遺物の偽物を回収しに来たっていうの? 神の復活って言ったって、もうバラバラにされてるのに一から全部集めてるのかしら」

「その、赤い帽子ってのは?」

 リチャードはそこで、先日の全容を伝え聞く。

 やはりミランダの言った通り。神の〈武〉を司る災いと称された何かを、復活させようとしているものがいる。

「……第三勢力か。まずいな、どうするか」

 空中戦艦の傍らで暗躍する反魔法団体。聖天子暗殺の噂がある正規軍。そして神の復活を狙う赤い帽子の男。状況が錯綜している。下手に動けば先手を打たれかねない。

「とにかく、マギーは俺とアンジーから離れないようにしてくれ。少尉さん以外の軍隊も信用ならない。お前の暗殺を企んでる特殊部隊がいるって話を聞いた」

「そんな! でも、ならやはり政府の内部に工作員が?」

 瞠目するものの、特段慌てるような醜態を見せないあたりは肝が据わっている。やはり国の頂点に立つからには、そうした荒事にも平時を忘れぬ落ち着きを心得ているのだろう。

 先の開催式で見せた狼狽ぶりと少女らしい顔は、さすがに心を決めてかかる事態としては異例に当たったのかも知れない。

「……やっぱり、繋がらないわね。ほら」

 アンジェリーナが携帯端末の画面を示す。

「これだけ近くにいるのに、リッチにかけてもエラーが出る。こんな真似をして意図的に私たちを分断するなんて、出来る人間は相当限られるわよ」

 特定のエーテル通信だけが妨害されている。携帯端末その他を繋ぐ情報媒体はヒアデスを経由して通信を行う。つまり。

「情報ライブラリ〈ヒアデス〉に触れられる権限を持ち、その一部を改ざん出来る特権階級の人間。そして二人がいない間、軍に指示出来る立場。俺にはアンセム宰相しか浮かばないな」

 すると、マーガレットが進み出た。

「内々のお話で申し訳ありませんが。アンセム宰相は昨夜遅くに一度、行方をくらませています。側近の話では、その直前に室内で言い争う声が聞こえた、と」

「何だと? じゃあ――誰かの指示で、動いていた?」

 その時、眼に留まったのは渦中の人物。

 ゆっくりと、靴音を鳴らして往来を歩く姿。

 掘りの深い厳めしい面構え。白髪の壮年男性。仕立ての良い黒のスーツにはいくつかの勲章が飾り付けられている。加えて、宝石を誂えたステッキ。

 間違いない。アンセム・ミリオンズネイル。

 今はまだダメだ。詰め寄ったとしても、単に昨夜は人目を憚る用事があった、という口実で逃げられる。罪状を暴くには証拠が足りない。

 手元にあるのは全て推測の域を出ない情報のみ。

 だが、どうにも彼の背後に潜む影が深いように思われてならない。

「アンセム宰相……開催式にもお出でになられていましたが、昨夜の顛末については一切お話になりませんでした」

「……あの服。ものは良いみたいだけど、ごてごてして趣味が悪いわね」

「アンジー、何か気になるのか?」

「ええ。女の勘よ。ああいう派手な意匠を好む人間はだいたい何か裏がある」

「お前の勘は怖い程当たるからな。様子を見てみよう。マギー、離れずに付いてくるんだぞ」

「はい、兄さま」

 気兼ねなく祭典の空気を楽しんでいるように装い、後を尾けた。

 気がかりなのはエヴァンジェリンだ。あのアンセムでさえ傀儡としてしまう何者かに狙われているとなると、聖天子暗殺を目的に動いている特殊部隊とやらも絡んでいるに違いない。

 これもまた、宰相が一枚噛んでいるか。

「本来なら、この場に赴くのは私ひとりのはずでした。元老院の方々は基本的に皇宮ユグドラシルから出ることがありません」

「なら何故、今回に限って?」

「今朝がた、アンセム宰相が独断でお出でになられたと。恐らくはアンジェリーナに関する警戒でしょうか。何か問題が起きても現場で対応するほうが確実ですから」

「でも、出来なかった?」

「少女だと侮っていたのでしょうね。彼女がどんな人柄か、知ってさえいれば止めることの出来ない暴走戦車だと解るはずです」

 何かに眼を奪われて、手招きするアンジェリーナの姿。

「リッチ! これ見て、これ! すごくカワイイ!」

「……ああ、うん。そうだな」

 棒読みだった。

 この状況で露店の品定めに勤しむ戦乙女の器には、感嘆の念を禁じ得ない。

 ある程度の緊張感を維持しつつ、付かず離れずの距離でアンセムを追う。

 三人は横に長い座台に腰を下ろし、出店の品を口に運びながら横眼で様子を伺っている。

 あたりには香ばしい匂いが立ち込めていた。アンジェリーナはこれに屈したのだ。

 クリームの甘味たるや思わず舌鼓を討たせるほど。今や若者に不動の人気を誇る、薄い生地を鉄板で焼いて折り畳んだ焼き菓子。中目にはクリームや果物などが挟まっている。ユーフォリア南部では小麦の生産が盛んなため、このように創意工夫されて普及していた。

「それにしても意外だったな。マギーの中間期考査の成績がまた二位だったなんて。そろそろ動くかと思ったよ」

 マーガレットも同い年なので学院に通ってはいるが、政務が多忙を極める今の時期は出席出来る日が限られる。なので自室で教官立ち合いのもとに考査を受けたらしいが、その順位が気に入らないらしい。

「はい……面目ありません。またもアンジェリーナの下だなんて」

 頬張っていた焼き菓子を飲み込んで、首位を独走中の少女が語る。

「あなたは私の後塵を拝しているのがお似合いよ。どうせ聖天子って言ったってお飾りみたいなものなんだから。精々足掻きなさい」

「なっ!? それは暴言です! とても淑女レディの言葉とは思えません!

 この、ユーフォリアに巣食う羽虫が!」

 とんでもないことを言い出す陛下。戦乙女に向かってこの罵倒、本来なら刎頸ふんけいにも値する狼藉であろう。

「暴言なのはどっちよ! 殺されたいの!? 今年もあなたには絶対譲らないから!」

「今に見てなさい、すぐ追いついて見せます!」

 それでもまだ関係が崩れないあたり、良いケンカ友達ということになるのかも知れない。こうしてライバルがいるからこそ、授業を受ける時間が少ないながらもマギーは努力を惜しまないのだろう。

「追い付くことばかりで、追い越すことを目指さないから今の自分も超えられないのよ!」

「う、うう……兄さまぁ……」

 よよよ、と泣き崩れながらリチャードの胸に顔を埋める陛下。なにやら不穏な空気に身を震わせながら様子を見るリチャード。この時、アンジェリーナから見えるマギーの表情には“計画通り”と言わんばかりの邪悪な笑みが覗いていた。

「これが目的!? 男の庇護欲を誘う手管、私に出来ないことを平然と! 恐ろしい子!」

「兄さま、アンジェリーナがいじめます。慰めて下さい……」

 濡れた瞳の美少女に見上げられては逆らえる男など在りはすまい。情に流されて頭を撫でようとするが、当のマーガレットは襟首を掴まれて引き剥がされる。

「却下よ。何その思考回路。膿んでるんじゃない? あなた同い年の割には大人っぽく見えるから、そういうことはもっと自分にとって利益になる相手を選ぶといいわ。金払いの良い中年とかおススメよ。生憎あいにくリッチは貧乏で女たらしだから諦めなさい」

「貧乏は合ってるけど違う! 何でそこで俺の悪口が出るんだ!?」

 解放されたマギーと、リチャードの間に立ちはだかるアンジェリーナ。

 対抗心が芽生えたか、手の代わりに光翼を使って額を押さえる戦乙女に敢然と立ち向かうマーガレット。どうしても接触が必要な場合、彼女はこの手を使うのだ。

「くぅ、負けてなるものですか! 私は兄さまがいいのです! 優しいし、ちゃんと私を受け止めて下さるし!」

「それは表面上よ。男が女をたらしこむ常套手段なの。あなた騙されてるのよ」

「違うっての! お前のなかの俺のイメージって一体どんななんだ!?」

「好きなものは金と女よ」

「止めろ! 俺のイメージがどんどん最低になっていくじゃねえか!」

 体力がないためか、やがて根負けした陛下がずべっと倒れ込んだ。アンジェリーナが下向きに力を加えたらしい。悔し泣きをしている。

「うう……優しい嘘ならそれに騙されたくなるのが乙女心なのです……」

「くっ……減らない口ね。手強いわ」

「騙してなんかないのに……」

 緊張感など、あってないようなものだった。

 それでも本分を見失うことはせず、追跡を続けていくと、ふいにリチャードが呟く。

「……妙だな。人気がないところに向かってる」

「気付かれているってこと、かしらね」

「どうします? 一応私も魔導器は持ってきていますが」

 というのも、皇室のみが扱える特型魔導器アーティファクト・プラチナム〈オリンピア〉は、俗に言う世代という隔たりを無視した立ち位置を持つ例外的な礼装だ。

 曰く、皇族が人を害することはあってはならない。

 その理念に基づき、およそどのような攻撃魔法であれ問答無用に無効化する、絶対的な防御力を有することとなった唯一無二の魔導器。

 能力は、障壁の形成。それひとつのみの魔法障壁に特化された型。

 特筆すべきは世襲制であり、受け継ぐものの内的世界によって様々に形を変える特性を持つ。

 マーガレットの手にあって、それは肩掛けショールの形を取っていた。

 付け加えると開催式の折、アンジェリーナが舞い降りる直前こそ、壇上に佇む彼女の暗殺を狙う輩からみれば絶好の好機だったはずだが、これの存在があるために断念せざるを得なかったほどの、隔絶した堅牢さを誇る自動防御システム。

 淡雪あわゆきのような儚さを放つ、雅なる白妙しろたえの衣。世界でもっとも美しいと評される魔導器だ。

 これが皇室をおよそどのような危険からも遠ざけ、聖域として守護する不朽の至宝。

「ああ、存在感無さ過ぎて忘れていたわ。そういえばその布切れ、魔導器だったのよね」

「あなたは皇室の至宝さえバカにするのですか!? 何たる侮辱!」

「おい! 騒ぐなって、見つかるだろ!」

 制止は遅かったようで、目標がこちらに振り向く。


「おや。戦乙女に聖天子陛下。楽しんでいらっしゃるようで何より」

 その声の調子には――覚えがある。

「あなた、まさか!」

 アンセム・ミリオンズネイルが腕で顔を隠すと、次に現れたのは。

「悪趣味な男! あなたが宰相になりすましていたの!?」

「御明察。だけど、それだけじゃない」

 さらに腕を一振り。そこには、リチャードにとって見覚えのある顔。

「エド、ワード……?」

 行方不明になっていたはずのアイゼンシュミット開発主任。脱出ルートから姿を現さなかったと、少尉は言っていた。

「あんたが……どうしてあんたが!?」

 一時とは言え、共に轡を並べた仲。何故。どうしてここにいる?

「言ったろう。ボクは魔法が嫌いだってね。ま、本人の記憶まではないけどね」

 見せつけるように、胸の勲章のひとつを外す。下から現れたのは。

「銀翅蝶……」

「まあ気にすることじゃないさ。〈俺〉はどこにでもいて、どこにもいない」

 更に腕を振ると、今度は真っ赤なスーツに全身を包み、赤いシルクハットを被って双眸を隠した男の姿。それが、本性か。

「幻惑魔法……魔導法令違反ですよ!」

 マーガレットが食ってかかる。

「テロリストにそれを言ってどうするのさ。ま、いいじゃないか。今日はめでたい一〇〇〇年祭なんだし、無礼講といこう」

 ぱちん――赤い男が指先を鳴らす。

「――ただし。ここから先は俺が主催する、カーニヴァルだがね!」

 空に、真っ黒な孔が開いた。まるで皇宮を包み込めるほどの巨大な暗黒が、その咢を真下に向けて。昼が夜に変わる。どす黒く汚染されたエーテルが降りしきる、暗黒の雨。

「何だ、何が起こってる!? 何をした、エドワード!」

「そういえば、君は異端者だったね。なら、こうしようか」

 またも顔が変わる。だが、その顔は。その姿は。

 まるで自分と瓜二つ――

「リッチ……!?」

「兄さまが、二人!?」

 どうして。何故。あまりに呼び込む混乱が大き過ぎるとして、封印指定された幻惑魔法。

 ヒアデスの、それこそ最深部に厳重なロックをかけて封じられた古代禁呪インデックス

「俺はリチャード・カルヴァン。リッチでいいぜ。金はないがな」

 そうして。謎の赤い男は、皮肉のように彼の決まった紹介文句を口にした。

 道化師のような仕草でくるりと回る。

 それで体格も服装も完全に模倣した、全身黒ずくめが出来上がった。

「これで完成。見分けがつかないだろ?」

 大袈裟に腕を広げ、おどけた調子を崩さぬ謎の男。

「なんで俺の真似を! 手品だったらよそでやれ!」

「異端者ってのは秩序に歯向かう者を差す言葉だ。例外は秩序で縛れない。

 俺も君も、そう呼ばれるのが妥当だと思うがね?」

「例外? 古代魔法エインシェントのことを言ってるならお門違いだぜ。あれは規則に則って行使するように決められてる。ラヴィーネの時も、あらかじめマギーの許可は取り付けたしな。人が敷いたルールに縛られてるなら、例外とは言わないだろ」

「そうかい――でも、君は自分が〈異分子イレギュラー〉だということをよく理解するべきだ」

 その言葉には覚えがある。一〇年前に言われたはずだ。

「歴史の転換期に現れる〈統制者ドミネイター〉は、すべからく古代魔法を携えて歴史に関与してきた〈例外〉を指す言葉だ。世界にとって不都合な因子、世を変革する原因を排除する存在なんだよ」

「俺がそんなよく解らないものに使われてるってのか!? 笑えない冗談だな!」

「事実、君はそうなるように〈運命を仕組まれた子供〉なんだよ。そりゃあ自覚なんてあるわけもない。君は自動的だからね。

 例えば――世界のどこかに、この時代を大きく変える革命家が現れたとする。

 そうすると、君はなんだかんだと周囲、環境、立場……そうした“理由”に運ばれて、その革命家を始末する。歴史が動かぬように、そう修正する。

 言わば歴史の自浄作用。これはそういう話だ。〈時代の申し子ジーン・リッチ

 だから、君はこうして俺の前に立ちはだかる。〈抑止力〉として。そしてそれ故に、全てが終わった時には君もまた、人によって裁かれる運命にある」

 脳裏を過ぎるのは童話の魔法使い――あれは、もしやそれを意味していた物語だったのか?

「この世は全てが調和するように出来ている。神の実験のフラスコに、俺たちはいる。君はそこに不可逆な変化をもたらすものを間引く、対抗因子キラーファクター

 だからこそ。俺の前に君が立つのは必然だったと、男は語る。

「さあ、ダンスを始めよう!

 君の背負う運命が勝るか、俺が描く破滅の未来が勝つか!

 ここが歴史の分岐点ターニング・ポイントだ!」

 上空で口を開いていた暗黒が蠢く。大気の振動。何かが、這い出てくる。

 ――赤い。二つの鉄塊。

 続くその上……二足歩行戦車を見た時にも同じような構造があった。

 そう、言うなれば関節部。なら、あれは足、なのか。

 降りしきる漆黒の雨が炎に変化、あちこちで火の手を上げる。

 逃げ惑う人々の声をかき消して、大気の鳴動はその唸りをおぞましいものに変えていく。

 空に浮かぶ、遠近感がおかしくなるほどの巨躯。

 鉄塊のような足を備えた腰部。城塞のごとき胴体。大木の幹を思わせる腕、そして一本の角を備えた頭。暗黒より姿を現したのは、巨大で異質ななにか。

 言うなればそれは、巨人だった。無数に等しい砲門を全身に備え、完膚なきまでに破壊を体現したヒトガタ。皇宮ユグドラシルを超える巨体が、質量に任せてそれを踏み潰し、大地を震わせる振動を伴い、絶対的な威容でブレイダブリクに降り立つ。

 塔ほどに聳える大きさのそれは、今まで相手にしてきたどれともまるで規模が違う。

 現実味が無さ過ぎる。どこか、夢を見ているようにさえ思えた。

「君たちのお相手を紹介するよ。こいつは災害ディザスター級戦略戦闘兵器。

 機神・昏き焔の守護者スルト

 神話の時代、天使アイオーンたちがその力を結集して創造した、この世界の高次元におわす機神ガーディアンだ。

 神代の叡智によって動く、審判を下す存在。

 俺はこれを制御する術を手に入れた」

 ゴスペルを構える。だが、あんな巨大なものに立ち向かうには、その細い柄のなんと心細く頼りないことか。

「クソッ、有り得ねえ……! こんなのをどうやって呼び出した!?」

「あのお嬢さんだよ。魔導器と一緒さ。コアユニットとして模造天使を組み込み、人の意志が介在する兵器として機神を動かす要になってもらっている」

 機神。その背部から二対六枚の緋色に輝く光翼が、弩級の規模で展開される。

 あれは、天使アイオーンの力で動いているのか。

「そう、か。動力にされているのは天使だけじゃない。今までに戦争や小規模な戦闘で、死んでいった人たちの想いさえも糧にしている!

 信仰礼装セント・グリームニルをこんな形で使うなんて!」

 禍々しい輝きを帯びる光翼は、エーテルのみならず肉体という枷から解き放たれた人々の魂をも力に変えている。ならば、あの機神の特性は〈魂喰いソウル・イーター〉に他ならない。

 生物を蹂躙する行いが、そのまま自分への動力供給になるという自己完結型。

「またまた御明察。さすがだね戦乙女。見る目がある。まあ、君にしてみれば忌まわしきもの、になるのかな。あれが天使の、本来あるべき姿なんだからね。

 本当は君が担うべきだったんだよ。世界を滅ぼす、神の御使いとしてね。代わりを務めてくれている彼女には感謝しなくちゃ」

 だからこそ、この男はエヴァンジェリンを欲したのか。

 天使としての力を、人の道具として扱うために。

 半人半霊という両特性を持った魂の位階によって、人と神とを繋いだのだ。

「どうだい? 自分の母親が命を賭けて封じた機神を目の当たりにする気分は! 

 君も解ってるんだろ、自分の役割を! 与えられた立場が何なのかを!

 選ばれた勇者の魂エインフェリアをヴァルハラに導く死神ならさぁ!」

「あなたは……!」

 ホルスターから抜き放たれた、フライアの音鳴り。

「この顔を撃つのか。アンジー?」

「くっ……!」

 躊躇いが顔に出た。照準が揺れる。

「相手を間違えないで欲しいね。 ほら、踊って欲しくて“彼女”が相手を探しているよ」

 緋の機神、その頭部に備わった眼のようなものが、こちらを捉えた。

「……兄さま!」

 咄嗟、マーガレットがリチャードにしがみ付く。

 機神から解放される膨大な熱。幾条もの熱線が無数の砲門から赫奕の光を放つ。

 大気が絶叫した。突如降り注いだ災厄に街が、人が、あらゆる全てが焼かれ、焦がされ、融解していく。砲門が蠢き、熱線は街の至るところに縦横無尽の爪痕を刻む。

 眼を覆うほどの暴虐。あれが本格的に暴れたら、こんな街などたちどころに焼け野原だ。

 規模が、違い過ぎる。全身が総毛立つ。

 今の熱線、仮にこんなものが命中すれば、魔法障壁など紙の役にも立ちはすまい。掠めただけで致命傷を免れない。機神が咆哮するように体を逸らし、空を睨んだ。照射された途方もない熱量に大気が乱気流を起こし、唸る風を生む。絶望が心を塗り潰していく。

「何だよ、これ……!」

 眼前に穿たれた熱線の痕が膨張を起こすと、次いでエーテル爆発の暴風が襲った。

 マーガレットが庇ってくれたおかげで事なきを得たものの、状況は変わらず。

 破壊の限りを尽くす、壊滅的な暴力の化身。この世に地獄を具現する権化。

 あれはそういうものだ。ミランダが語った災厄は、このことを差していた。

 もはや人ではどうしようもない程の災い。

「はっ! ははっハハハ! 素晴らしい、これほどか! これが、世界を一度滅ぼしかけた機神の力! 手に入れたぞ、俺は神の力を手にした!

 とくと見ろ、これが機神! 〈機械仕掛けのデウス・エクス・マキナ〉だ!

 さあ――来るぞ。“フィンブルの冬”が来るぞ!」

 爆風を浴びたアンジェリーナの表情が青ざめている。機神が戯れに放った一射でさえ、彼女の顔色を変えるほどのものか。逆説的に、リチャードはそれを見てむしろ冷静になる。

 熱風が髪を煽り、肌を焦がす。

「……お前の、目的はなんだ? こんなものを呼び出して都市を攻撃するからには、それなりの理由があるんだろう!」

「世の変革、と言ったはずだよ。反魔法団体の首魁として言うなら、この世から魔法を根絶するためには、一度文明をリセットしなければならない。

 強い力を手にしたのなら、人がそれを手放すことは決してないからね」

「お前は! どうしてそこまでして、世界を変えたいんだ!」

 そう。あの機神を呼び出したのがこの男なら、こいつさえ倒せば止まるのが道理。

 ゴスペルから拳銃を分離し、照準。右の片手長剣は背に担ぐようにし、出所を見せぬ構え。

 さりとて、男は平然とそれを見眇める。

「それを話すには、まずここからだな。俺が率いる反魔法団体ってのはね。元々は小さな、本当に小さな集まりだったんだ。魔法を扱う適正のない者が寄り集まった集団。社会に弾圧され、周囲に疎まれ、赤子のうちに捨てられた者もいる。

 彼らは認められたがっていた。自分たちだって生きていると。同じ人間として受け入れて欲しいと。だけど実際はどうだ? 確かにそこの聖天子が敷いた法と秩序は、彼らを一時救ったかも知れない。慈悲による救済を与えたかも知れない。平等という夢を見せたかも知れない。

 でもそのせいで、迫害に乾いていた彼らはより飢えるしかなかった。誰もが求めていたんだ。人の優しさって温もりを」

 幻惑魔法で隠していたか、腰の後ろから刃が取り出される。濡れた鈍色の片手長剣。そしてなによりも、機関部エンジンに回転式弾倉を備えた見覚えのある型――

「――第零世代イマジナリー・ナンバー、だと」

「その想いは誰もが持っているものだ。他人が認めてくれるから自分はここにいてもいいと安心する。だけどそんな小さな安らぎも、明確な居場所のない彼らには一時の幻でしかなかった。なら、彼らは一体どこに向かえばいい?

 誰も彼らを本当の意味で導くことをしなかった。だから、俺は道を与えた。

 社会のカタチを壊して、自分たちの世界を造ってしまえばいいと!」

 この男、まさか新たなる世界の統治者として君臨することを望むのか。

 それが反魔法団体アルジェントの目的だとしたら。なるほど、彼らは全く以て救われない。

 都合よく使われているだけ。見せかけの救いをちらつかせて、この男はどこまでも人を利用し、自らが望む世界を造ろうとしている。

「自分たちにとって居心地の良い場所が欲しい。その気持ちは解らないでもない。 だが、行き過ぎた信仰は戦争の狼煙をあげる。お前がやっていることは、その扇動。いずれ自分をも滅ぼす呪いを振りまいているに過ぎない」

 確かにリミッターを外す機能を用いれば、人間を消耗品とする魔導器は例え魔法の才能がなかろうと、一時の力を与えるかもしれない。

 精神と密接に結び付いた、魂を削りながら。

 魔導器はそうして、使用者の限界を超えた力を発揮する。それに伴う代償として、彼らが自滅の道を辿ると知っているのか。誰かが手を下すまでもなく、反魔法団体は力を失い、やがて滅ぶ。他でもない、彼らを率いるこの男によって。

 過ぎた力を手にした代償として。

「リチャード・カルヴァン。俺を倒せばあれが止まると考えたのは正解だ。だけど、第零世代の力は君もよく知ってるだろ? 大口径四連装、刃には幻想古典の一節が刻んである」

 最先たるゴスペル、完成形としてのフライアに次ぐ第零世代、その三番機。

 技工士がどれほどの高みに至ろうとも、決して辿り着けぬ境地に手を伸ばした、狂気の産物。

 刻印銃身に掘られた銘――“you shall be as gods”

 意味するところは〈汝ら神の如くなりぬ〉

 〈回答を告げる剣〉アンサラー。

「ゴスペルのスペックは完全に把握している。彼女よりも先に俺と踊りたいなら、覚悟してもらおうか」

 超越型魔導器アーティファクト・オルタナティブが今、その本性を曝す。

 ただならぬ気配。エーテルが荒れる潮流の如く、光の渦を形成していく。

 なにかに気づいたアンジェリーナが、一際声を張った。

「間違いない……リッチ、あれは三番機よ! ウェンディから聞いたことがある。

 異世界の法則をこの世に持ち込んだ、摂理の外に位置する最悪の魔導器!」

「最悪? 今以上の最悪があるのかよ」

「あれは単一の現象を引き起こすために特化されている! あなたのゴスペルと同じ、異分子イレギュラーを討つための呪いの礼装!」

 言葉を皮切りに仕掛けてくる。鉛色の刀身とゴスペルの漆黒のそれが切り結ぶ。火雷が散る。

 弾丸は温存の構えか。四連装なら、数で勝るゴスペルに分がある。だが。

「こいつ、俺の行動を読んでるのか……!?」

 先んじて対策を立てていたのか、決め手の合気道がことごとく警戒され、かわされている。モーションを見抜かれて相手の体に触れられない。

 近接戦においてはこちらの土俵だというのに、一分の隙さえ見逃さず、斬撃が飛んでくる。

 足元への牽制射撃。読まれた。躱されて二度、三度と刃を交わす。

「その魔導器とやり合うのは止めなさい! あなた間違いなく死ぬわよ!」

 切迫したアンジェリーナの様子を見て取り、厭な笑みを浮かべる男。

「勘が良いね。ここまで来ると予知能力かと思うよ。なら、ご期待に添えようか」

 アンサラーから機関部の拳銃を分離。左手に握り、リチャードを照準。

 まずい。迎撃を。

解術エーテル・ドライブ、アクセラレート・スパイラル!」

解式ディストーション・ドライブ――インドラの雷霆剣らいていけん

 共に、弾丸を加速させて貫通破壊をもたらす、シンプルな攻撃魔法。 

 さりとて威力は隔絶の一言。

 片や螺旋状に渦巻く過大な重力を伴い、片や――相反する電荷を持った二つの稲妻によって弾頭を発射する、多段加速式超電磁誘導弾。魔法によって拳銃の前方に見せかけの銃身を形成して、そこを発射台と変えた光の弾丸。

 激突に際して生まれた衝撃と異音たるや、眼を開けていられぬほど。

 押し負けたのはゴスペルの魔法。稲妻がすぐ傍らを轟音を伴って駆け抜けた。

 次いで襲う音速衝撃波に巻き込まれ、数多の瓦礫と塵が吹き上げられる。

「っ……!」

 だがこれで判明した。アンサラーが顕す現象は雷。それひとつのみ。

 全属性を撃ち分けるゴスペルならば、打つ手はあろう。

 とはいえ、弾頭が擁するパワーは今しがた見た通り、こちらが劣る。

「ほう。これを凌ぐ。やるね、リッチ。弾丸に弾丸をぶち当てるなんて芸当、人間業じゃないよ。その射撃技術は魔的なほどだ」

「余裕かましてられるのかよ! ショットブラスト!」

 次弾は拡散して飛来する面制圧魔法。

 同時に身を屈めて接近。

「前、と思わせて側面に回り込むつもりだろう? そうはいかないさ」

 しかし。上方より降り注ぐ数多の雷撃が散弾のことごとくを撃ち落とし、リチャードの一歩後ろを立て続けに辿る。

「ヴァジュラの雷爪――君の行動パターンは全て解析済みだよ」

「クソッ、用意周到過ぎねえか!」

 回り込むつもりだったリチャードが進行方向をさらに変え、距離を離す。

 広場の縁に足をかけ、飛び降りる。眼下にはここを中心として、外郭へ向かって幾つも放射状に街道が走る。その魔法のレールの、立体交差路ジャンクション目掛けた跳躍。

「逃げられると思ってるのかい!」

「……追って来いよ、偽物野郎!」

 まずは機神のそばから離れるのが先決。魔法のレールからレールへ飛び移りながらも追い縋る偽物へと照準、宙に身を躍らせながら魔法行使。

「スレッジナパーム!」

「ジャンプの最中は、どうかな!」

 だが相手も然るもの、肌を焦がすような雷霆剣が二発、左右を通り抜けていく。

 音速衝撃波に巻き込まれる。空中での姿勢制御に二発。相手は隣のレール伝いに走りながら。

「チッ、銃口の向きを読んで、身を捻って避けたのか? まるで神業だ」

「あの偽物野郎、付かず離れずってところか? なら、地形を利用するしかねえ」

 再装填は互いに同時――

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