第13話 孤独な狼
がばっと起き上がるエヴァンジェリンは、身支度を整えたリチャードを視界に納める。
「どこかへ、行くのですか?」
「おう、起きたか。ちょっと様子を見に屋上までな。どうも首の後ろがチリチリするんだよ」
フィリップの姿が見えない。どこへ行ったのかと首を巡らすが、姿はなかった。
「フィリップならもう帰らせたぞ。敵が狙ってるのは俺なんだし、巻き込むのもな」
「……彼は、それで納得していましたの?」
「食い下がってきたよ。でもあいつも大事な友達なんだ。危険にさらすわけにはいかない」
「そうですか。では、私も屋上へ同行しましょう」
ドアを開いたリチャードの後に従い、通路へと進む。
「……お前は病院から俺を連れ出したから、多分マークされてる。しばらくはひとりで出歩かないほうがいい」
「仰る通りですわ。それにしてもアンジェリーナ姉さまはまだ? もう夜も遅いというのに」
階段を昇っていくと、すぐに強風吹き荒ぶ屋上。
「何度か携帯で連絡しようとしたが、繋がらなかった。地下にいるのか、はたまた人為的にエーテル通信が妨害されてるのか」
リチャードが眼鏡を外す。虹色に輝くオーロラが視界を泳ぐ、異世界の光景が広がった。
頭痛。エーテルに敏感な視神経が過剰反応を起こしている。
だがその代償と引き換えに、あらゆる情報が飛び込んできた。
「くっ……やばいな、こりゃ。囲まれてるぞ」
「反魔法団体ですの!? もうここまで!?」
「違う、これは――軍警だ」
「軍警がどうしてあなたを!?」
「今、マギーとアンジーはこの街にいない。なら、先んじてそれを知っていたやつ。軍部に対する指揮権を持ったソイツがこうなるように仕向けた。反魔法団体と軍を使って、俺を追い込むように」
それが出来る人間は限られる。
「……元老院。聖天子に次ぐ政権の筆頭――アンセム・ミリオンズネイルか!」
こうして、リチャードもまたこの国の歪みを直視する。
現状は窮地。今まで見逃されていたのは、横にいるこの少女、上流階級のエヴァンジェリンを巻き込んでしまうという配慮からか。
なら、彼女から離れればそれをきっかけに彼らは攻めてくる。否、そうしなければ彼女が切り捨てられ、巻き添えを食うこともあり得るか。
部屋でかき集めたゴスペルの残弾は十二。一回だけなら戦闘に耐えられるものの、それ以上は補給がなければ厳しい。
――敵は、この国そのものと言っていい状況。
今まで彼を守り育ててきたユーフォリアという一個の国家が、敵となって立ちはだかる。
思い出したように降り始めた霧雨が、大気を湿らせていく。
リチャードは眼鏡をかけなおして、少女に向き直った。
「軍警はすぐにもこの学生寮に踏み入ってきそうだ。一度身を隠して状況を見ようと思う」
「なら、私も一緒に!」
「いや、お前は別口だ。さっきみたいなことを言っておいてなんだけど、巻き込んですまないと思ってる。だからなるべく安全なところに、」
「行くアテはあるんですの!?」
「これから探すって。今は夜だから、全身真っ黒な俺には都合が良い。雨も味方してくれてる。ひとりのほうが動きやすい」
「私が足手まといだと言いたいんですのね!」
「違うって! エーテル通信が妨害されてて、どうやってアンジーと連絡を取るんだよ! お前は待機! 少なくとも、俺がここから離れれば巻き込まれなくて済むだろ!」
少女が口をつぐむ。悔しげに固められた拳が震えていた。
何らかの逡巡が見て取れる。と、その顔をあげた。
「……ゆ、友人を放っておくなど、出来ない相談ですわ!」
リチャードはしばしの間、状況を忘れて感心する。
「なら、余計だな。お前を連れては行けない。ここからは俺の問題だから」
少しずつ心を開いてくれている。それが嬉しかったのも手伝い、彼女を危険にさらすのは彼のプライドが許さない。
「どうして! 私は戦力にならないと仰るのですか!? それにあなた、まともに戦える体ではないでしょう! こんな時くらい誰かを頼っても良いはずです!」
「だから違うよ。法の番人である軍警を動かすほどの敵だ。表だって俺に味方出来る立場じゃないだろ、お前は貴族なんだし。よく考えろ、これは俺を〈異端者〉として排除する行為だ。政府に楯突くなんて家の面目丸潰れだぜ。それに、内申書に響く」
「なら、私自身の気持ちはどうなるのです! 捨て置けと言われ、私が納得出来ないのは何故なのか、応えてみなさい!」
「そんなの俺に解るかよ! 大丈夫だから、安心しろって! なんとかする!」
なおも食い下がろうとする彼女だったが、ここで悪戯に時間を浪費するのは彼の立場をさらに悪くすると判断したようだ。
「……百万歩譲って、ここは退くとしても。どうするのです? 軍を相手にして身を隠せる場所など、このブレイダブリクにあるのですか」
「東方人街だ。あそこは異邦人のコロニーだし、脛に傷のあるやつも周囲が隠してくれるような場所だからな。
軍警といえども、俺を見つけるのには手を焼くだろうさ」
「……東方人街の外れに、ミランダという方がいます。私の姉に当たる人物で、昔からよくして下さいました。頼れば、力になってもらえるかも知れません」
「お前の家族まで巻き込めっていうのかよ?」
呆れて肩を竦めるが、次の言葉は力強く耳朶を打つ。
「ミランダ姉さまは特別です。未来を見通す〈御使いの眼〉を賜った、異能持ちであらせられる。この顛末もきっと存じ上げているはずですわ」
そして、そのために自分を病院のもとへ向かわせたに違いない。
「……
「知らないはずの事象でさえ、言い当てることの出来る特殊な体質です。
我が姉にかかれば、月の裏側までも見通せましょう」
「大きく出たもんだ。なら、お前の下着の色でも教えてもらいに行ってみるか」
屋上の縁に足をかけて、そんな軽口を述べ立てる。
こんな時だというのに――だがそれも、この男が持つ愛嬌のひとつであろうか。
「なっ!? あなた、バカなんですの!?」
「よく言われる! じゃあな、お前が危なくなった時には駆けつけてやるから、今回は許してくれよ。友達との約束は、破らない主義でな」
宙に身を躍らせる。
彼女の姉は置いておくとして、先に確かめておかねばならないことがある。
降り立った地面から匂い立つ、雨の湿った香り。
移動を開始したリチャードは、まず手近な裏通りへと身を滑り込ませた。
目当ての人物はすぐに見つかった。
警戒中なのか、両の手に小銃型の魔導器を携えて静々と歩いている。以前にテレビで見た最新型だ。あれにはいかにゴスペルといえど、障壁は紙の役にも立たない。
加えてあちらの防御を突破するにも、如何せん残弾が心許ない。軍の装備は統一化されているため、あれが全員に行き渡っている。強行突破は下策。
雨に濡れた緑の植え込み伝いに近づく。周囲には他の軍人の姿も見当たらない。
真横に来た時を見計らい、植え込み越しに手を伸ばして口を塞ぎ、引き込んだ。
「……!」
「動くな――久しぶりだな、少尉さん」
驚きに眼を見開いている。騒がないことを示すように武器を手放し、諸手をあげた。
植え込みから距離を離して解放してあげると、神妙な表情で見上げてくる。
「……言い逃れはしません。どう言い繕っても、一度助けてくれた貴君へ恩を仇で返そうとしているのは違いありませんし」
「別にそれはいいさ。軍属は上の命令には逆らえない。少尉さんにも事情があったろうしな」
「……解って、くれるのですか?」
頷きを返して、言葉を続ける。
「聞きたいことがある。軍警に俺を狙うよう指示を出したのは誰だ?」
答えれば軍どころか、政府への背任行為。任務に忠実なこの女性があっさり応じるとは思っていないが、それでも今のところ、軍の動きを察知するには頼るしかない。
言い訳が必要か。
「……これでいいだろ。脅されたって言えば、あんたは罪に問われない」
ゴスペルから拳銃を分離し、突きつける。だが少尉はこれを手で押しのけた。
「不要です。自分も今回の指示が正しいものとは思えません。ですが協力出来るのは情報だけです。自分もこれでひとかどの軍人、ユーフォリアを守る存在なればこそ、陛下のお膝元で国に背くことは出来ません」
「解った。ありがとう。助かるよ」
「いえ。それで、命令の出どころでしたね。
元老院において宰相の位置に立つ、アンセム・ミリオンズネイル卿です」
「やっぱりかよ。それで、名目は?」
「リチャード・カルヴァンはいずれ戦乙女を討つ、国家の象徴を貶める異端者。
よって排除を命ずる。それが仰せつかった命令です」
瞳孔が開くほどに、感情が沸騰する。
「俺がアンジーを!? デタラメもいいとこだ! あいつは家族だぞ!」
「恋人、ではないのですか?」
「違う! それは他人同士が結ぶ関係だ、俺とあいつは血よりも強い絆がある!
だいたい、甘い関係ならもっとオイしいシチュエーションがあったはずだろ! まだおっぱいすら触らせてもらってないのに!」
血を吐くような叫びだった。頭を抱えてうずくまる。
対して少尉の視線は雨に煙る夜気よりも冷ややかだ。
「……コホン。それはどうでもいいとして。もっと声を小さくして下さい。見つかったらタダではすみませんので」
「あ、うん、ごめん」
「とにかく貴君はしばらく身を隠すべきです。それと気になる話がひとつあって」
言葉を選ぶように、顎に手をやる少尉。肩口までの金髪から雨の粒が滴る。
「……これは噂でしかないのですが、軍内では聖天子陛下を暗殺する計画がまことしやかに囁かれるようになっていて。どうも特殊部隊が動いているようです」
「マギーの、暗殺!? なんだってそんなことに!」
「先日、アイゼンシュミット本社の抱える機密データをヒアデスにアップロードするということがあったのを、覚えておいでですか」
「ああ、エドワードのおっさんがやったらしいけど。あの後、おっさんはどうなったんだ?」
「私も探そうとしたのですが、行方不明です。手筈ではあの後、地下駐車場から脱出したはずなのですが、周囲に展開されていた正規軍は誰の姿も見ていないらしく。どうやらその顛末が元老院の逆鱗に触れたようです」
「マジかよ……おっさん、一体どこに……」
「……っ! 隠れて!」
足音。咄嗟に植え込みへと身を潜めた。誰かがすぐそばまで近づいてきていたのか。雨の音が強まる。
「少尉、そこでなにをやっている?」
「申し訳ありません、隊長。子猫が雨に濡れていたもので」
「猫? 見当たらないが」
「逃げてしまったようです。軍人の恰好は、動物には警戒されるのでしょうか」
「フン。まあいい。相手は学生、まぐれで天使を下した奴だ。油断するのもいいが、程々にしておけよ。とはいえ、この包囲網から逃げられるとは思えんが」
「肝に銘じておきます」
「それにしても、上は何をやっている。待機を命じられて、かれこれ二時間経つというのに。子供相手にここまで警戒しなければならんとはな」
ややあってから、遠ざかっていくのを見届けた少尉が小さい声調で。
「行ったようです。嘘をつくのは己の首を絞めるようで、いたたまれませんね」
リチャードが這い出てくる。
「それをさせてるのは俺なんだし、少尉さんが気に病むことじゃない」
「……あなたは、優しいのですね」
ふっと微笑む。しとどに濡れたその頬を、淀んだ景観照明が幻想的に浮かび上がらせた。
「なに。女性に優しくするのは紳士のつとめだ」
「だいぶ変態のようですけれどね」
「うるせえよ。ポンコツの堅物少尉」
「聞かなかったことにしておきます。さ、早く行きなさい」
「ああ。悪かった、嘘をつかせて」
「軍人の身で言えることではないかも知れませんが、陛下をよろしくお願いします。元老院をお諫めしきれなかった、私たちの不甲斐なさを押し付けるようで申し訳なく思います」
立ち上がる。人影は見えないが、軍も今は油断している。包囲の穴を突くなら今しかない。
「気にするなよ。それじゃあな。今度は私服姿でも見せてくれ。その帽子、やっぱり無いほうが素敵だぜ。軍人なんて似合わない」
「……待って」
それが心の琴線にどう触れたのかは解らない。
ただ、この冷え冷えとした雨の夜、頬に触れた唇の暖かさはまるで心を揺らすような衝撃を伴った。
「……少尉さん」
帽子を取った、女性としての素顔が間近にある。
「あなたは一度私を助けてくれた。だからこの一度だけ見逃します。次は敵同士。でも、そうならないことを祈っていますよ」
垣間見えた、ひとりの女としての顔。柔らかそうな頬を伝う水滴に嫉妬さえ抱きそうだ。
それも長くは続かない。凛とした表情、既に心は軍人へと立ち戻っている。
「部隊を混乱させます。西へ向かって下さい」
頷きを返したリチャードが駆け出せば、小銃を拾い上げて少尉が通信機に叫ぶ。
「隊長! 目標を補足、東に向かって逃走中!」
慌ただしくなる背後に感謝の念だけを置き去り、リチャードは軍の包囲を突破していく。
時に隠れ、時には屋根の上でやり過ごす。
装甲車輌に、飛行船まで持ち出しているのか。
サーチライトがすぐそばを過ぎる。
その折、いくつもの砲門を備えた巨大な人影らしきものまで認めた。
民家の屋根までの高さを誇る、見上げるような巨体を有した戦術戦闘用の二足歩行戦車。まだ実験段階にあるはずの、魔導器を動力源とした新兵器まで。
何故あんなものが動いている? 本当に敵は正規軍だけなのか。その眼をつとめる、熱感知センサーを備えた胸部カメラアイがリチャードを補足――
「……見つかったか!」
激発。跳躍の魔法によってエーテル波長パターンが検出され、周囲の兵器群にまで居所を察知された。
「いたぞ!」
警報が鳴り響く。探査魔法が繰り返し自分を捉える感覚。肌を騒がせる悪寒。
東方人街まではまだ遠い。その距離の隔たりが、どうしようもなく長く思える。
砲声。すぐ脇の地面を抉る爆轟。
上空からだ。テスラ・フィールドが衝撃に揺れる。
眼の前に聳える建物を穿ち、崩壊させた大魔法のエーテル爆発。
追い縋る機動戦車。
これでは例え東方人街までたどり着いたとしても、隠れる余地はどこにもない。
「……さて、どうするか! うおっ」
跳躍の着地点を予測された。足場にした建物にごっそりと砲弾の孔が開く。
体勢を崩して落下する。都合二度の激発で空中に足場を形成、再びのジャンプ。どうにか立て直した。余計な消耗。残り、最後の六発を装填。
軍隊に正式採用されたばかりの小銃型魔導器が待ち構える。
「待ち伏せか!?」
ゴスペルのテスラ・フィールドがいともたやすく貫かれた。
障壁を再展開。残り五。
精度を増した上空からの狙撃。命中。跳躍の方向が弾着でズレた。修正に一発。
着地。目前に敵影。見上げるほどの巨躯。
機動戦車が二機。直線状に並んでいる。
『一〇年前の旧式でよくやる!』
外部スピーカーを通した声。
跳躍の魔法を前方に向けてその足元を潜る。立て続けにリチャードを追う機関砲の雨。
残り三。
「今に当てはめたら、すっとばして第七世代相当だぜ!」
弱点を背面にあると見て。
「――やっぱり、戦車は後ろが弱点だよな!」
冷却部が内蔵された部位を、眼鏡の奥で霊障眼が捉える。
「
装甲を貫通する鋭く硬質な音。振り向こうとする人型戦車がじきに熱量過多を引き起こし、活動停止。排熱の煙が装甲の継ぎ目から漏れ出る。
「学院で習った戦史も、たまには役に立つ!」
背後にもう一機いるのも失念してはいない。咄嗟に地を這うような跳躍。足を踏ん張って制動をかけ、すり抜けざまに。
「――アクセラレート・スパイラル!」
数ある魔法式のなかにあって、制御がとりわけ困難を極める
数多の装甲をまとめて貫通、穿ちぬいたのは急所たる動力源。
トリプル・コアの誇るテスラ・フィールド。
これを難なく突破するゴスペルの驚異は、とうに現代兵器の域を超えている。
残弾、一発――
またも、居並ぶ兵器群が目前で壁のように道を塞ぐ。
進退窮まったか。だがこれで諦めるようでは自分を見送ってくれた二人に申し訳が立たない。
ならば――奥の手。霊障眼が輝きを放つ。快復していたはずの左目が霞み始めた。やはり負荷がかかるとまずいらしい。されど、ここは意地の張りどころ。
「
ゴスペルの外部フレームが展開、内部構造体が露出。
これより放つは、使用に際して多くの制約を科せられた古代魔法と同格を誇る
ゴスペルが告げる福音。それは対象の死のみにあらず。
眠りによって訪れる安息もまた、諸皆に等しく告げられる福音なればこそ。
「――慈悲深きもの。汝に安らぎを。
閃光。放たれた弾丸が空中で眩い極光を宿した。
――
魔法のくびきより解放された周辺空間は、しばらくの間あらゆる魔法が介在出来ない異界となる――否、そんなものが存在しなかった原初の世界へ立ち戻ると言えば良いか。
機動兵器群も、小銃型魔導器も、探査魔法も、飛行船ですらも。その意味を喪い、活動を停止していく。追突、不発、そして墜落まで引き起こす二次災害の阿鼻叫喚。
全ての魔導器が動力を失い、リソースであるエーテルを奪われて、なにもかもが。
今静かなる眠りへと誘われ、魔導の支配者たる
――残弾、ゼロ。
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