第12話 安寧は遠く、深い暗闇に紛れ……

 少女が辿り着いた時、一面そこらじゅうに著しい破壊の痕が刻まれていた。

 病室のドアはその枠すら跡形もなく、壁には無数の弾痕。転がる死骸。むせ返るほどの血臭。

 焼け焦げた跡まで見えるあたり、掛け値なしの死闘だったに違いない。

「ワンハンド! どこにいますの!?」

 応じる声は病室の奥から。

「……その声、チビっ子か……?」

「今、そちらに行きます!」

 呼び方に不満はあったが、こんな状況を見せられては後回しにするしかない。

 瓦礫を踏み越えて部屋に入れば、ベッドに寄りかかりながら肩で息をする姿。

「よう、何だか、随分会って、なかった気がするな」

 眼鏡をかけていないため、双眸は蒼く輝いたまま。だが左のほうはにわかに鈍い。

 衛生科とは言えど、ユーゲントにてアンジェリーナに追随する優秀な成績を収めている彼女だからこそ、解る。

 今の彼は、空っぽだ。エーテルを操るための精神力が、弱り切っている。

「悪いけど、眼鏡を、探してくれるか。左眼が霞んで、よく見えない」

「あなた、そんな状態でこれだけのことをやったんですの……!?」

 これには舌を巻くしかない。

 ひとまず目当てのものを探す。崩れかかった戸棚にフレームレスの細い眼鏡。

 差し出せば、震える左手が受け取る。どうにかかけても、ずり落ちそうだった。

 直してあげようと手を伸ばす。だが。

「……っ!」

 追い付いてきたのだろう。崩壊した部屋を覗くようにして、新手がこちらに銃を向けていた。それに対応したリチャードの早撃ちクイックドロウは、まさに瞠目を禁じ得ぬ魔技。

「クソッ、またか……遠近感が狂って、何人か、仕留めちまったぞ」

「そんなの、相手の自業自得ですわ! 襲われているのはあなたですのよ!」

 酸素を貪るように喘ぐ姿は、見ていて痛々しい。

「そうか。俺が、狙われてるのか。チビっ子、お前、どうしてここに?」

「それは後! 今はここを脱出しましょう! 窓から飛びます、いいですわね?」

「相手も同じこと、を考える。今、そこから出たら、狙い撃ちだ」

「私が盾になります! いいからしっかり掴まりなさい!」

 有無を言わさず黒いジャケットを肩にかけると、小柄な少女が抱き寄せるようにしてリチャードを支えた。見かけによらない力強さ。


 ガラスの割れる音で、裏口に待機していたテロリストがこぞって上を見上げる。

「逃がすな!」

 怒声と銃声。加えて攻撃魔法。

 それらを通さぬ、エヴァンジェリンの強固なテスラ・フィールド。

 跳躍に際して頬を叩く風も、それで最低限度にまで緩和がされている。

 背の低い建物に降り立った少女が、次の場所めがけて吹き飛ぶように跳躍を繰り返す。

「逃げるったって、どこに?」

「とにかく、人のいる場所! そうです、学院なら!」

「この時間は、閉まってる」

「なら……」

「アンジーは、どこだ? 俺の部屋にいけば、あいつと合流、出来るはずだ」

「解りましたわ!」

 

 学院も中央区画に位置しており、学生寮はほど近く。

 屋根から屋根へ飛ぶエヴァンジェリンは、やがて寮の上階、その手すりに一度軽く足を乗せてから通路に着地する。

 何人かの生徒が病院で起きている騒ぎに身を乗り出していたため、注目が集まる。

「ここの、何号室ですの?」

「あっちだ。早いとこ、部屋に入ろう」

 歩き出せば、背後からの声。フィリップが驚きを隠せぬ表情で。

「おい、リッチか!? どうしたんだ、その恰好!?」

 煤汚れの目立つ病院着。さすがに誰でも同じような疑問を抱くだろう。

「ちょっとな。悪い、立て込んでるんだ。後にしてくれ」

「顔が真っ青じゃねえか! 放っておけるかよ!」

 肩を貸すために屈みこむ。リチャードの消耗の度合いを見て取り、眉間に皺を寄せた。

「病院から逃げてきたのか。だけど、ここなら安心だ。皇宮の近隣で軍警が眼を光らせてる地域だからな。

 ジェラルダイン嬢、俺が部屋まで運びます。女性の細腕には厳しいでしょう」

 これに微笑を返して、リチャードを離す少女。

「身体強化は得意ですのよ。でもありがとう。先に扉を開けておきますわね」

 入口脇にある非常通話から大家に話を通せば、すぐに開錠の手続きがされた。

 本人が消耗して満足に動けない以上、是非もない。

「入室してすぐにベッドへ! タオルはどこですの!? フィリップ・ハーキュリーズはすぐにお湯を沸かして下さい!」

 立て続けに指示を飛ばす。さすがに衛生科、こうした対応には手慣れたもの。

 ベッドに仰臥させると、小さな傷へ処置を施し、魔導器を用いて状態を精査。

「……やはり精神の消耗が激しい。魔法を酷使すると陥る症状に似ていますが、先日の私より深刻な状態。

 そういえば、教官は魂と精神は密接に結びついていると仰っていた。古代魔法は、まさか魂を代償にするんですの?」

「ジェラルダイン嬢! お湯が沸きました!」

「エヴァでいいですわ! こちらへ!」


 外はとうに暗闇の世界。夜空を見上げても、星の見えぬ曇天。

「一雨来そうですね」

 フィリップがそう零す。小康状態らしく、後ろではリチャードが寝息を立てていた。エヴァンジェリンは心配そうにその顔を覗いている。

「……まさか、こんなことが起きるなんて」

 風が強い。窓を叩く勢いで、時に唸り声のようなものも聞こえた。

「一体、何があったんです?」

「私にも確証はありません。アンジェリーナ姉さまと聖天子陛下がいない間に、恐らく反魔法団体は彼を抹殺しようとしたのでしょう」

「英雄、ですからね。今や時の人ですが、その分恨みも買うのでしょう」

「ですが不自然でもあります。天使を滅ぼすほどの力を持った人間を手にかけようなど、大それたことを普通考えるでしょうか?」

「……う、」

 リチャードがうわごとのように呟く。

「……どこだ、アンジー……どこ、に」

「ここにいますわ。大丈夫、どこにもいかないから」

 手を握ると、安心したように寝息を立て始めた。今は安らかに眠らせてあげることが最善。

「……何か料理でも作りましょう。アンジェリーナ嬢ほどの腕ではありませんが」

「助かりますわ。この方も、起きればお腹が空いているでしょうから」

「そういえば。エヴァ、でよろしいんでしたよね? 俺のこともフィリップと。

 それといい加減、そいつもリッチと呼んでやってはどうですか?」

 途端、顔を赤くするエヴァンジェリン。

「なっ、それとこれとは話が別です! 愛称で呼ぶほど、親しい殿方というわけではありません! それに私の名は自分で言うのも何ですが、長いのですわ!」

「はは。そんなにカリカリせずとも。それじゃ、胃に優しいトマトスープにしますかね」

「……もう!」


 ふと眼を開ける。さっきまでの重苦しい感じはだいぶ薄れていた。

 はっきりと感じる。調子が戻ってきている。

 自分の部屋。鉛のような体が幾分軽くなっていたので、上半身を起こす。

「ここは……」

 うとうとしていたらしいエヴァンジェリンが応じる。治癒系の魔法を使い続けていたのか、眦には疲労の色が見て取れた。

「あら、起きたようですわね」

「チビっ子。俺とお前、さっきまで病院にいたはずじゃ?」

「覚えてないんですの? そこからはあなたの提案で、ここに来たんですのよ」

 呼び方には相変わらず不満を隠さないが、いちいち突っ込んでもきりがないと判じたらしい。

「マジかよ、全然覚えてねえ」

 まるで夢を見ていたようにすら思える。

 ふいに鼻孔をくすぐる香しい匂い。自然と食欲が刺激された。

「良い匂いだな。メシを作ってるのか」

「おう、リッチ。お前の好きなトマトスープだぞ。

 腹減って起きたのか。現金なやつだ」

 キッチンから顔を出して覗き込むフィリップ。

「お前が作って食い物になるのかよ。珍しいこともあるもんだ。パンも添えてくれ。浸して食うとうまい」

「はは。いつもの調子が戻ってきたな。その軽口があれば、もう大丈夫だろ」

「心配しても何も出ないぞ。貧乏だからな」

 これに笑ったのはエヴァンジェリン。

「貧乏なのに、あだ名がリッチだなんて。皮肉もいいところですわね」

「うるせえよチビっ子。大体お前、なんであそこにいたんだ?」

 ゆっくりと足を下ろして、ベッドから立ち上がる。少しふらついたが、すぐに少女が手を差し伸べる。

「無理をしてはいけませんわ。私は、その……お見舞いにきたら、あんな事態になっていて」

「まあ、おかげで助かったけどな。

 その顔を見るに、随分負担をかけたらしい。ありがとさん」

 クローゼットを引き開けて、着替えを探す。

「ジャケット、だいぶほつれたなぁ。またアンジーに縫ってもらわないと」

 突然脱ぎ出す。少女が顔を赤くして背けたことに気付くべきなのだが、自分の部屋だからか一切の遠慮がない。

「ね、姉さまにそんなことまでさせてるんですの!?

 無礼ですわよ! 天下の戦乙女に! あと、突然脱がないで下さいまし!」

「そう言われても。あと勝手に変なマスコットの顔を縫い付けられるよりマシだろ」

「マスコット……?」

「ああ。そこのベッドにいるだろ。ヌイグルミ」

 言われて気づいたが、茶色い物体が枕の上に鎮座している。

「それ、キングリッちゃん三世な。あいつは毎晩それを抱いて寝てる。

 なんでか絶対離さない」

「キング……」

「昔のアンジーは夜になると寂しくなって泣き出すから、シスターが布切れを縫い合わせて作ったのが一世。二世はボロボロになったから物置。そいつが今の王様。俺の部屋で一番偉いらしい。全く意味は解らないが、俺はその下僕なんだとよ」

 仏頂面でそうのたまう彼がよほど面白かったのだろう。少女も頬を綻ばせた。

「姉さまがぬいぐるみを……意外ですわ。それに見れば見るほど、なんというか独特の愛嬌がありますわね」

「そうか? 俺は殴りたくなる。おーいフィリップ。メシはどうだ?」

「良い頃合いだ。寝てなくて大丈夫なのか? さっきまでアンジー、どこだーってうなされてたのに」

「うわ……マジかよ、嘘だろ。おい、それ絶対あいつに言うなよ……」

 期せずして三人で食卓を囲むことになったのだが、何故かそわそわと落ち着かない様子のエヴァンジェリン。

「ん? どうしたチビっ子。早く食わないと冷めるぜ」

 と、スプーンを口に運びながらのリチャード。

「い、いえ、その。と、殿方と食事をする、というのは、初めてなもので……」

「安心して下さい、エヴァ。スープは完璧に仕上げております」

「フィリップはそろそろその口調止めたらどうだ? 様になってるけど、友達に使う口調じゃないだろ」

 友達、という言葉にびくりと反応する少女。

「いや、しかしなリッチ。彼女は上流貴族なんだぞ。普通ならお前の態度のほうが咎められる。そこは解ってるのか?」

 食器の音が部屋にさざ波を立てる。

「以前から思ってたけど、貴族って面倒だよな。そのへんのしがらみ」

「い、一応お前もその貴族に入ってると思うんだがな? それと、勝手に友達を名乗っては彼女に失礼だ。先に謝罪を、」

「――いえ! 私は、大丈夫です」

「私の友人がとんだご無礼を。失礼致しました」

「本当に、いいのです。私には、友人と呼べる人はいませんでしたので。少し驚いてしまっただけですわ」

「そうなのか。意外だな。あ、ほらあの二人は? 廊下で俺に絡んできたときの」

「あの方たちは、私の家の名前に逆らえない人たちです。なので仕方なく私に付き従ってくれている、というか」

 少女の抱える闇を垣間見た気がして、フィリップは居たたまれないような表情。

 対してリチャードは。

「ならちゃんと話したらどうだ? 友達になってって言えば相手も喜ぶんじゃないか?」

「リッチ。貴族というのはそんなに簡単な身分じゃないんだ。解るだろう」

「古臭いんだよ、そういうの。俺だったらこれだけ可愛い子に、友達になってって言われたら即了承だぜ。小動物みたいで可愛いだろ」

「なっ! あ、あなたはなんでそんなに口が軽いんですの! 言葉はもっとよく吟味してから口に乗せなさいな! 無礼千万ですわ」

「やれやれ。リッチはこういうところがあるので、モテるように見えてモテないんですよ。軽薄に見られるのを解ってやってるようですがね」

「うるさいっての。おかわり」

「自分でやってくれ。俺はお前の世話係じゃない」

「それもそうだな。ついでに水も飲みたかったし」

「ああ、なら俺にもくれ」

「あいよ」

 そんなやりとりをする二人を見ているうちに、羨ましくなる。

 遠慮のない会話。何もはばかることのないやりとり。自分にはここまで気を許せる対等の友人というものはいなかった。

 もし自分から踏み出せば、胸を苛んできた孤独は少しでも遠ざかるだろうか、と。

「……わ、私にも! 水を下さいまし!」

「ん? おう、何ならアンジーのカップ使うか? 間接キス的な意味で」

「な、なん、間接キスなんてうはぁっ!?」

 噴水のように鼻血を出して倒れる。幸せそうな表情をしているあたり、どうやら天国が見えたらしい。

「コイツ面白いな」

「ああ、面白い。すごく」

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