第11話 リチャード暗殺計画

 マーガレットがやっとの思いで研究施設から距離を取ると、少し離れたところでアンジェリーナが白亜の魔導器、フライアを頭上に掲げるのが見えた。

 そこから放たれるのは、絶大無比な攻撃魔法。

 黄金の光翼が一際その輝きを増す。

「神剣エクセリオン」

 激発――同時、短い剣身部分からそれを延長するように光刃が生まれた。

 新雪を思わせる白光が、黄昏に暮れる地上を白い夜に染め上げる。

 驚くべきは長大に過ぎるそのブレードだ。

 真上に掲げられた光の剣が蒼穹の天蓋を突くかの如く伸び上がる。

 アンジェリーナのフライアが形成するこの剣は、既に近距離戦闘用としての域にない。

 遥か下の地盤にまで刃を届かせる広範囲攻撃を果たす、極大規模の攻撃魔法。

 閃光を伴って解き放たれた美しきその姿が、神々しいまでの威容でもって周囲を睥睨。

 腕を振り下ろせば、切っ先はそれに倍する速度で大地を襲った。

 ブレードが風を切って滑る。施設が真っ二つに切り裂かれ――次いで噴火のような極彩色のエーテル爆発が引き起こされる。吹き上げられた岩盤はたちまち崩壊の憂き目に合い、原型を留めないほど粉々。

 濛々と立ち込める粉塵。今のが一体どれだけの力を要する魔法なのか――この傑出した攻撃魔法がどれだけ度外れているかは、魔法に少しでも携わった者なら一目で理解出来る。

 まるで桁が違う、と。



 ふわふわとした、実体のない空間にいるようだった。

 そのなかで、遠い昔の記憶が闇をスクリーンとして映し出される。

 ――知らない病院。見たことのない顔。自分のことさえなにも解らず、拷問のように苦しい投薬実験に耐える日々の再生。過度のストレスで髪が白くなった過去。

 誰かに与えられた名前。エヴァンジェリン・オールドレッド・ジェラルダイン。

 母親を名乗る女性が、迎えにきたのを覚えている。七人姉妹の末っ子として貴族の家に入り、見せかけの家族として振る舞って生きてきた。

 そのなかで、自分だけが異物。陰で囁かれる誹謗中傷も聞いた。似ていない。哀れな実験体。女としての価値もない。幼い頃には解らなかった。何故、姉たちのように優しくしてもらえないのか。家族の環に入れず、時間をずらして冷めた食事を胃に押し込む日々。

 嫌な記憶。思い出したくない。そんな悪夢――

「……夢?」

 重い瞼を開く。気怠さを堪えて身を起こせば、見慣れた自分の部屋だった。

 誉れ高きジェラルダインの家格に沿うよう、設えた豪奢な調度品の数々。この無味乾燥な部屋には、自分が生活しているという実感さえ抱かない。

 天蓋付きのベッドから出て身支度をし、廊下へ足を進める。自分付きのメイドは断っているので、誰もこの部屋には入って来ない。

 瀟洒な拵えの廊下からは、中庭で生い茂る樹々を眺めることが出来た。植物は何も考えなくていいのだろうか。益体もない感慨を抱く。

 そうしていると、廊下の奥から五人の姉がしゃなり、しゃなりと歩む姿。

 まるで徒党を組んでいるようだ。自分の前に来るのを待ち、頭を下げた。

「……おはようございます、姉さま方」

 返答はひとつもなく。一瞥して通り過ぎていく。見向きもしない者もいた。

 ……朝食は摂らずに登校しよう。そう思わせる、空漠たる寂寥の朝――

 

 その光景を少女が眼にしたのは、三日前のことだ。

 名だたる大企業の社屋で事故が起きた。真昼の空を駆ける、一条の流星。

 同じようなものを昨日、目の当たりにしたばかり。

 あの男子学生が、何かをしている。

 情報を集めるため、姉のなかでひとりだけ歳が近く、エヴァンジェリンを異物としてではなく家族として迎えてくれた女性を頼る。

 変わった気性のためか、それとも醜い家督競争から逃れたかったからか、今その人物は勘当同然の身で中央区画の本邸から東方人街へと移り住んでいた。

「ミランダ姉さま。お久しぶりでございます。エヴァです」

 通信端末から返ってくる、艶のある声。それは少女に懐かしさを抱かせた。

『あら。あらあら。可愛い妹から連絡だなんて、嬉しくなっちゃうわ』

 自然、頬が綻ぶ。この女性だけは自分を蔑み、厭うような真似をしない。

「姉さま、突然ご連絡差し上げたご無礼をお許しください」

『いいのよ、そんなに硬い言葉を使わないで。本邸での生活がつらかったら、いつでもこっちに来なさいね』

「ありがとうございます。まだ大丈夫です。いつか私が姉さまをお迎えにあがるその時まで、力を尽くす所存です」

『しゃちほこばっちゃって。それで、どうしたの?』

「はい、実は……」

 少女はそこで先日の顛末と、今見届けた一部始終を伝える。

『ふうん、古代魔法。あそこで何が起きているのか知りたいのね』

「はい。ですがネットでは第四世代の暴発事故とのみ掲載されています。何か、ご存じではないでしょうか?」

『ひとつ聞いておきたいけど、いい? あなたがそれを知ってどうするつもり?』

 ――来た。この手の返答は想定内。

「私は一度、彼に敗北を喫した身の上。ジェラルダインの名に泥を塗りました。 

 いつか勝たねばならない相手です。そのために、彼を他の誰かに奪われるのは避けたい。だからここで彼に危険が迫っているのなら、それは防がなくてはならない。

 姉さまの異能……魔法の力に頼らず、未来を見届ける〈御使いの眼〉に、これがどう映ったのかを教えていただきたく、ご連絡差し上げた次第です」

 全てが本心。この姉に嘘は通用しない。

 例え負けても、いかに力の差があろうとも、彼女がリチャードに勝つことを諦めないのはここに理由がある。敗北は一時の恥。母と五人の姉を見返すには、誰にも負けない力を身に付ける必要があるために。

『そう……今回は特別よ。あなたがそこまでこだわる相手、私も少し気になるわ』

「では!」

 魔法が幅をきかせる現代において、貴重とも言える未来を見通す異能の持ち主。

 彼女が心を許すのは、本心でぶつかってくる相手のみ。

『ただ、今回に限ってあなたの出番はないわ。その人が矛を交えるのは、紛い物と言えども天使の一柱。のこのこ出て行っても、足を引っ張るだけよ』

 悔しさに歯噛みする。やはり、今のままではだめなのだ。

『でも大丈夫、その人は戻ってくる。でも、問題はその後』

「後、ですか?」

『ええ。三日後、面会時間が終わる頃に顔を見せて差し上げなさい』


 それだけでいいのだろうか、という疑問は当然あった。ひとまずリチャードが担ぎ込まれた都立病院へと足を運んだものの、踏み入る勇気は未だ持てず。

「うう……姉さまにああは言ったものの、どんな顔をして会えばいいのでしょう」

 一際小柄なエヴァンジェリンが病院の前を右往左往。通行人の注目を集めていることに気付き、慌てて隅に寄った。

「お、オホホ……」

 そんな作り笑いもうそ寒く響く。

 ただ、そうやって往来に眼をやっていると、あることに気付いた。

「あれは……そういえば、アンジェリーナ姉さまが仰っていたような」

 先日の学院食堂で、崇拝している女性とリチャードが交わした会話の一部始終。

 思い出す。銀色の羽根を持った蝶のエンブレム。

 病院の裏口がある、細い通りへと身を滑らせる一台の黒い車輌。それに乗っていた男達が胸のあたりに備えた、あの紋章は。

「噂の反魔法団体……! 何故こんなところに!?」

 急いで追う。だがその脇を通り抜けていく車輌もまた、同じような恰好の誰彼を乗せていた。

 たちどころに悟る。少女もまた、ユーゲントが誇る才媛のひとり。主席をひた走るアンジェリーナの背中を追うが故、出来の良さは引けを取らず。

「――包囲作戦!」

 裏口と正面入り口を封鎖し、対象を逃さぬ構え。アルジェントが追う人物に、心当たりはひとりしかいない。

 ときの声をあげて銃火器を乱射し、一階ロビーを制圧した集団は次々に散開して捜索を始める。

「させませんわよ!」

 姉が言っていたのはこのことだった。確か、聖天子陛下と崇拝すべき女性は今、ブレイダブリクから離れた研究施設へ足を運んでいると聞く。ならばこれはその隙を狙った策。二人の行動をあらかじめ知っていた人間が仕組んだ、リチャード・カルヴァンの抹殺命令か――

 銀の双剣を手に、テロリストの群れへ背後から踊りかかる。

接続アクティブ! セイバー、スラッシュファング!」

 それを形容するならば、擲斬撃てきざんげきか。弧を描いた銀剣の軌道が、そのまま直線的に延長、離れた場所にも斬撃を届かせる。

 本来、遠距離武器である弓型魔導器ガーンデーヴァを近接用として用いるなら、このようにして遠間への攻撃も兼ね備えた遠近両用の万能兵器となる。

 剣は二振り。ならば飛翔する斬撃もまた二つ。

 悲鳴は上がらず、されど敵の間に走った床の亀裂がその威力を物語る。

 牽制に動揺が走る。敵の注意が背後の少女へと向いた。

「何だ、このガキは!?」

淑女レディに向かって失礼な!」

 狙いはこれだ。敵が自分を注視するならば、自然とその武装も明らかになる。

 流れるような動作で、ガーンデーヴァは既に弓への変形を終えている。

 露わになった敵方の魔導器、その全てを瞬時に照準。

「私は、十七歳ですわよ!」

 つがえた炎の矢が拡散する。火の粉を散らせて尾を引く数多のやじりが、過たず目標を破壊。

 それも恐れずに盾を構え、接近する相手には更なる境地を見せるのが第三世代サード・ステージの本領にして本懐。両の柄尻を合わせた形態から繰り出されるのは、両刃剣ダブルセイバーの槌に匹敵するような重い剣圧。

 断ち割る。いかに魔法で強化されていたとしても最新鋭の、そして魔法の扱いに長けた彼女の前には紙も同然。

 腰が抜けたらしい相手を前に、背丈に見合わぬ睥睨をくれる少女。

「あなた方の目的は、あの殿方かしら?」

「は、はぁ?」

 普段、貴族と言葉を交わさないからか。エヴァンジェリンの言っていることにいまいち理解が追い付かない様子。そうしているうちに、病院内の奥で悲鳴があがった。

 テロリストの銃撃音。患者が撃たれているのか。

「――あなた方は! 恥を知りなさい!」

 蹴りをひとつくれてから、ロビーを駆け抜ける。身体強化の魔法で引き上げられた膂力が、骨を砕く感触を足に残させた。

 前方に敵影。院内の廊下は狭い。見て取るに、歩いていた患者を邪魔と判断して撃ったのか――こちらに気付いた。

 倒れている老人。力なく呻く子供。お腹が膨らんだ妊婦まで……

 頭に血が昇る。人としての道理を踏み外した、その所業。

「――万死に値しますわ!」

 戦う術を持たぬ者、体に病魔を宿す者。満足に歩くことさえままならぬ者がいる場所で、そんな暴挙が許されるものか。

ユーゲントで習うのは、相手を制圧する術。だが今、そんなものは無用の長物。

 人を殺すのならば、己が殺される覚悟をして然るべきと心得よ。

「――ゼロ・モーメント!」

 都合四人のテロリストは瞬時にして見失った少女の姿を一陣の風としてしか認識出来なかった。瞬間的に音速の壁を突破したエヴァンジェリンの速さたるや、刹那よりも短い閃きの如く。

 その寸毫すんごうの狭間に加えた斬撃の数、およそ一〇。神業的な剣舞を終えた少女は、既に行く先で剣を交差させていた姿勢を解き、首だけで振り向く。

「……ここは病院ですものね。殺生はご法度、致命傷は避けてあります。

 ――ですが、腕の一本は頂戴致します」

 絶叫と、夥しい出血。体から切り離された腕が、敵の数だけぼとりと落ちる。

 中間から真っ二つにされた魔導器もまた、同じように残骸と化す。

 構わず、エヴァンジェリンは倒れている患者へと走り寄った。

「気をしっかり持ちなさい。今、止血を施します!」

 衛生科の面目躍如と言うべきか。あっという間に指先ひとつで魔法を用いると、処置を終えたエヴァンジェリンはすぐさま次の患者へと取り掛かる。

 そうしているうちに、振動。建物が大きく揺れた。

「これは……ワンハンド!」

 起きたのはエーテル爆発。魔導器のテスラ・フィールドを打ち破るには、それだけ強力な魔法を用いるしかない。

 だが、眠っている相手にこれは大袈裟過ぎる。

 もしや。

 指先を鳴らして探査魔法の波紋を広げる。爆心地は上階、既に敵はそこまで侵攻していたか。

「申し訳ありませんが急いでいます。身を隠して、事態が落ち着いたら医師をお呼びなさい」

 弱々しく老人が頷くのを認めて、エヴァンジェリンは再び駆ける。


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