第10話 主は天に在りて

 アンジェリーナは、その強大な力の裏に脆さを抱えている。

 幼少時のトラウマに端を発するそれは、未だ彼女に癒えぬ傷痕を残す。

 かつて孤児院から焼け出された後、紆余曲折あってスキーブラズニル家に養子として迎えられた。そこで、同じ家の直系である嫡子に〈死神〉と呼ばれたことが原因である。

 あるいは、告死天使バンシィ。今もその記憶は彼女を苛み、他人に触れること、触れられることに極度の抵抗を覚えるようになっていた。


 ――書物の項を繰る乾いた音が、しとやかに病室へ波紋を投げる。

 他人を拒絶してしまうこの欠点は、私生活に影響を及ぼすほど深刻なもの。

 貴族同士ならば握手や手の甲に口付けなど、触れる機会など様々にあるものだ。

 よって事あるごとにその問題が露呈する。

 人と触れ合えない身にあって、彼女は誰かの体温というものを彼以外に知らない。だからこそ、彼だけが自分と世界を繋げている接点にもなっている。

 ごく自然に触れることの出来る特別な存在。その意志を尊重するように動き、決して傷つけないように立ち回る戦乙女の献身を知る者は少ない。


 彼女がいるのは病院だった。

 静かに過ぎる時間のなかに、アンジェリーナの細い指先が項を繰る音だけ、ひっそりと響く。

 あれから三日が経つ。リチャードはあの事件以来、眠り続けたままだった。

 原因は、やはり古代魔法を酷使して肉体の流体素適応能力が限界を迎えたからだ。世に名だたる大魔法の反動たるや推して知るべしと言ったところ。今はゆっくりと快復に向かっている。

 そうしてアンジェリーナだけが、こうして彼の目覚めを健気に待ち続けている。

 以前、リチャードに指摘された言葉がある。

 彼女は夜、ひとりで寝られない。これは孤児院でたくさんの子供たちに囲まれて育ったからであり、夜になると孤独を思い出させ、感傷的になってしまい、どうにも寝入ることが出来ないようになってしまっていた。

「……やっぱり、本よりも寝顔を見ているほうが楽しいかしら」

 それでも彼女に寝不足の印象が見られないのは、魔法を用いた人為的な睡眠を自分に施す故。

 そのため、ここ数日は気持ちの良い目覚めを過ごせた覚えがない。

 時刻は夕暮れ時。もう誰も来ないと思って書物を閉じると、ふいにドアがノックされた。

「どうぞ」

「お邪魔しますよ、アンジェリーナ嬢」

 誰かと思えば、フィリップだ。学者肌を自称するリチャードのクラスメイト。

「あら、あなたが来たのね。リッチも喜ぶわ。でも寝ているから、出来るだけ静かにね」

「ええ、了解です。クラスメイトで来たがっているやつもいたのですが、病室に大勢で押しかけるというのも配慮に欠ける。俺は代表ですよ」

 フィリップが見舞いの品を持ち上げて示す。恐らくクラスメイトから預けられたのだろう。果物や本などが詰まった紙袋。

「これ、どこに置きましょうか」

「ありがとう。その戸棚の横にお願いするわ」

「はい。それと一応、自販機のものではありますが、紅茶を買ってきました。いかがです?」

「あら、この私にそんな安物を飲めと?」

 苦笑を返せば、フィリップも肩をすくめた。

「冗談よ。ありがとう」

 受け取っておくのも礼儀のひとつ。缶のタブを引き起こして口に運ぶ。

「いえいえ。こんなもので良ければ。それで、どうです? リッチはともかく、あなたも学院を休んでここに籠っておられる。何事かと皆騒ぎ立てていますよ。ここは医者に任せて、明日からでも学院に顔を出しては?」

「特に興味はないわね。今のところ成績も問題はないし、家のほうにも私の行動には口を出さないよう言い含めてあるから」

「さすが、学年主席は言うことが違いますか。でも、あなたがこうしてずっと学院を休んでいることを知ったら、リッチは怒ると思いますよ?」

「眠り続けるほど、全力を尽くしたほうが悪いわ。本当ならあの程度の相手、もっと余力を残して勝てたでしょうに」

「そうでしょうか。まあ確かに昼前、アイゼンシュミットの本社で古代魔法が暴発したといいますし、余計な立ち回りはあったのでしょうが……天使を倒すなんて真似、それこそ死力を尽くさねばならなかったほどだったのでは?」

 アンジェリーナの眼が、ベッドの脇に立てかけられているゴスペルへ注がれた。

 あらかじめ、交差するように置かれていたフライアは既に彼女の腰へと帰還している。

 お守りとしての役目は果たした。具体的にはテスラ・フィールドが一枚増えるだけの効果しかなかったようだが、無いよりは遥かにマシだったろう。

 大きな怪我は見当たらずとも、細かい傷は数知れず。

 これでもうまく立ち回ったほうだ。

「ゴスペルの調子が良くなっていた。大方、血気に逸って撃ってしまったのでしょう。眼に浮かぶようだわ」

「はは。アンジェリーナ嬢にあらせられては、お見通しというわけですね」

「色々と変則的な事態があったのよ、きっと。反魔法団体もそのせいで今はおとなしいのでしょうし。それでも、天使に勝った事実は大きい。これで大勢の人がリッチの力を認めてしまった。これから何が起こるのかしら」

「何か、困るのですか? 彼の力が知られると」

「当然よ。天使を滅ぼすことの出来る人間がいるのなら、まず政府は放っておかない。正規軍にでも取り込もうとするでしょう。それにマスコミも囃し立てて英雄にでも祭り上げかねない。

 そうしてまた、手に余る事件が起きたらリッチに押し付ける」

「なるほど。それが気に入らない、と」

 閉じた書物の上で、アンジェリーナが拳を作った。

「私のことはいいの。だけどリッチは、それを放っておけるような性格じゃない。困っている人がいたら手を差し伸べてしまう。いつかそれが自分を破滅に追いやるようなことになっても、平気でね。だから、それが怖い」

「アンジェリーナ嬢……」

 フィリップが、そっと肩に手を置こうとする。

「――っ!」

 ばっと飛び退き、警戒を表情に滲ませる。

「……ごめんなさい。私に、触らないで」

「い、いえ、失礼しました。つい」

 ややあってから眦の厳しさを下げる。

 フィリップとて労わろうと思っての行動だった。

 悪意など微塵もない厚意。それでも、アンジェリーナの心の壁はどこまでも冷たく、他人を拒絶する。

 これを取り繕うような女性ではない。貴族たる者は民草を導く先導者であるべきと教えられ、そのように育てられた彼女は自分の行いを正当化したりせず、ただ事実だけを告げる。

「……他人に触れられるの、苦手なの」

 視線を逸らした先にはリチャードの顔。早く起きて欲しい。

 そうすれば、こんなに寂しい想いもしないのに、と。

「以後気を付けましょう。ではこれで。アンジェリーナ嬢も、早くお帰りになられるよう」

 帰ると言っても、どこに帰るのだろう、自分は。

 スキーブラズニルの家は、とうに見切りを付けている。

 あそこは自分の居場所ではない。

 国の衰退に関係するような存在を受け入れる度量などない家だった。それでも、自分には大人の庇護が必要だったから養子になるしかなかっただけのこと。議員になるために。姉と妹の夢を継ぐために。

 寂寞の想いが胸に淀みを生む。

 家族のいない部屋に戻って、何の意味があるというのか。

 面会時間も終わる頃、アンジェリーナは夜の帳が降り始めた街へと足を進める。

 彼女はメディア関連への進出をしていないため、実際に戦乙女の姿形を知っているのは貴族や学院、政府関係者だけとなる。

 院内で談笑しているような大方の人間は、アンジェリーナに対して礼をとったりはしない。

 しかし、彼女のもとへ現れた男性――学院でリチャードとエヴァンジェリンの模擬戦を見届けた、無骨な外見の教官までそうということはなく。

 傅き、こうべを垂れる。最大限の敬意を払った姿勢。

戦乙女ヴァルキュリアアンジェリーナ様。お迎えに上がりました」

 そして彼女もそれが当然のように振る舞う。今や聖像イコンとして祭り上げられるまでになった戦乙女は、その顔を知らぬ人間にも国家の象徴として崇められ、侵しがたい偶像として存在する。

「迎えを頼んだ覚えはないわ。それと戦乙女って呼ばれるのは好きじゃないわね。別にもう、私が戦うようなことはないでしょうし」

「失礼致しました。陛下がお呼びですので、学院長室までご足労願いたく」

「そう。あの子が。歩いていくから、放っておいて」

 かの聖天子を待たせることに何ら感じることがないなど、もはや傍若無人のようにも思える。さりとて、これが彼女の常の姿。立場としては聖天子と対等か、上に位置するのが天使アイオーンだ。

「しかし……!」

 さすがにここで、はいそうですかとは言えないのが公職のつらいところだろう。

 これでアンジェリーナが学院長室に姿を現さなければ、彼の責任問題に発展しかねない。それに配慮したか、気怠そうに肩を竦める。

「解ったわよ。飛んでいくわ。だから構わないで」

 途端、彼女の背に黄金の翼が具現する。

 神々しいまでの威容に眼も眩むばかりだ。

 あまりの輝きに教官が眼を庇う。

 熾天使セラフの位を示す二対六枚。絶対者として君臨する戦乙女の信仰礼装。

 そしてラヴィーネにはなかった、頭上に位置する天使の環エンジェル・ハイロゥ

 制服の裾を上げて太腿の横あたりで結べば、黒いニーソックスからわずかに雪の肌が覗く。

「そういえば聞いておきたいのだけど。あの子は何の用で私を呼びつけたの?」

「はっ。何でも〈古典〉が関係していると」

「ふうん。たかだか本の用事で。まあいいわ」

 ふわりと飛び上がり、ゆっくりと上昇する。かに思えたが、次の瞬間には閃光のごとき速度で姿を見失った。暴力的な風圧に顔を庇い、教官は嘆息する。

「……あれが本物の天使か。カルヴァンはよくもあれに勝てたものだな」

 天使として同じレベルの力を誇ったという模造天使。彼は内心でリチャードの評価を改めた。


 入室の前に、制服の結び目をほどく。

 学院長室で彼女を出迎えたのは、姿勢を正した学院長と優雅な威住まいで紅茶のカップを傾けるマーガレット。

「ようこそお出で下さいました、アンジェリーナ様。陛下がお待ちです」

「ええ。こんな人間の話し相手なんてさせて悪かったわね」

 よもや皇族をこんな人間呼ばわりとは恐れ多い話だが、マーガレットは眉ひとつ動かさない。

「で、では、内密のお話しとのことですので、私はこれで……!」

 そそくさと退室していく学院長。その背中のなんと寂しいことか。

「開口一番にそれですか。全く、人がいる時はもっと言葉を選んだらどうです」

 あそこで学院長が下手にマーガレットを庇って口答えでもすれば問題となる。

 それを解っているのか、と言外に込めたセリフだった。

「面倒な話よね。あなたのような小娘相手に気を使わないといけないなんて」

 これにはカチンと来たマーガレット。

 とはいえ今回は挑発に乗ってはいられない。

「……ケンカを売るなら相手を間違えないで下さい。今日は大切なお話しがあって来たのです。それをお忘れなく」

「リッチの教官から聞いたわ。古典って、あの〈幻想古典トリストラム・シャンク〉よね」

「はい。皇宮ユグドラシルに封印されている神の心臓。その一部を写したものが、模造天使を最後に確認した場所から発見されました」

 それは古典とは名ばかりで、水晶のような碑石を差して呼ぶ特殊な遺産……聖遺物アーティファクト・ヘリテイジとされている。神代の智慧を刻まれた太古の遺物。

「ラヴィーネがそれを持っていた、と?」

「はい。ただ、炎をまとった剣の形をしており、膨大な熱量が邪魔をして研究機関に運び込んでも詳細に読み取ることが出来ません」

「人が近づけないほどの熱量。概念魔法の一種ではなくて?」

「明らかに異なります。魔法であれば術者が命を落とした後も残り続けるものではないでしょう。思い当たるものが、ありませんか?」

「――神罰武装ジャッジメント・ウェポン。でもそんなものが、どうして模造品の天使に」

 あの神話級の破壊をもたらす武器が、人工的に作られてラヴィーネに装備されていた。

 なら、あるいはそれを推し進めて量産などされれば、恐ろしいことになる。

「あなたのものより規模は劣るようですが、人類にとっては変わらぬ驚異です。解読をお願い出来ますか?」

「にわかには信じがたいわね。昨夜は時計塔の上から一部始終を見ていたけれど、ゴスペルの古代魔法に耐えて残ったのでしょう? そんなものが今の人類に作り出せるものなのかしら」

「解りません。それに一部とはいえ、どうやって幻想古典を模写出来たのか。あれは私と元老院にのみ閲覧が許されるものです。他の人間が近づけるはずないのですが……」

「あなたの腹芸なんて私には通用しない。なら黒幕はその元老院でしょう。

 あの老人たちを徹底的に洗えば、どこかでアルテリアと繋がっているかも知れないわよ」

「政府の要人が、ですか……信じられません。

 私と志を同じくする、清き人々ですよ」

「あなたがそう思っても、あなたより長く政争を経験してきた人たちよ。疑ってかかったほうがいいわ。お腹に抱えているものが真っ黒だったら、どうするのよ」

「……解りました。あなたがそう言うのなら。それと……」

 言いにくそうにカップをもてあそぶマーガレット。

「その、兄さまはどうされていますか? 私も病院へ赴こうと考えたのですが、どうしても大事になってしまうので差し控えていて……こうなったのは私のせいでもありますし」

 座り直し、こちらの様子を伺っている。やはりマーガレットにも負い目があるのだろう。

「まだ眠ったままよ。別に、リッチが受けた話だったのだから私から何か言うこともない。顔を見せてあげれば、喜んでくれるでしょう」

 意外そうに顔をあげる。白金の髪がさらりと揺れた。

「良い、のですか? もっと、怒られるかと思っていました」

「リッチが自分で決めたことだもの。それとあなた、報酬のことはどう考えていて?」

「ええ、それはもうたくさんご用意しましたので。人類が天使を撃破するなんて、こんなに名誉なことはありませんし」

「それ、絶対に受け取らないから話に出さないほうがいいわよ」

「な、何故ですか? 勲章もご用意しましたのに」

「……人を殺して貰えるようなお金なんて、あの人は喜ばないもの」


 白亜の建造物、その地下に存在する研究機関。

 ここに回収されたラヴィーネの武器、未だ豪炎衰えぬ蛇腹剣〈害為す魔法のレーヴァテイン〉を一瞥して。

「粗悪品もいいところね。確かに幻想古典の一文が刻まれてはいるけど、組成や骨子は北方大陸で調達出来る素材と技術よ。デッドコピーとでも言うべきかしら。あっちにも魔導器は渡っているけど、国柄までは隠せない。造りが雑なのよ」

 とアンジェリーナ。これにマーガレットが答える。

「北方大陸? 何故そのような場所のものが」

「ユーフォリアとそこの間には中央大陸があるけど、恐らくアシが付くと思ったのでしょう。わざと遠い場所で造られた可能性があるわね。幻想古典に刻まれた一文を写すことで、簡易的な聖遺物として機能するようになる。少し、まずいかも知れない」

「つまり、どういうことですか?」

「ユーフォリアの秘宝があちこちにばら撒かれた、と思っていいわ。そして神罰武装のコピーが世界中に生まれる」

「じゃあ、模造天使のような存在がまた……!」

「あなた、ラヴィーネの身元については調べたの?」

 頷く。神妙な表情をするあたり、推測を裏付けるものがあったのだろう。

「アルテリアで一度破棄されたというあのお話は本当でした……堕天使計画フォールダウン・プロジェクトと呼ぶそうです」

「まあ、母さまよりずっと前から戦乙女の血統は受け継がれてきていたしね。それを人が真似しようと思うのも無理はないか」

「高い流体素適応能力エーテライト・ポジティブを持った人間を生み出し、魔力回路を人工的に増設。霊的な加護も施して天使アイオーンのコピーとする。この計画を先導していたのはアルテリアですが、技術の一部を中央大陸にも流していたと」

「……哀れなものね。そんな思惑で、何をしたかったのかしら」

「あなたを倒すため、でしょう。あなたがいる限り、世界中のどの国もユーフォリアには手が出せないのですから」

「さっきの話を訂正するわ。中央大陸と繋がりのある元老院の老人を調べてみなさい。それにアルテリアと中央大陸、確かオーガスタ・キンバリーと言ったかしら。あの国との関係もね」

 全ての糸がそこに繋がっている。北方大陸を匂わせる数多の細工はダミーだ。

 そして糸を操っているのは、この国の元老院――政府の要石。

「アルテリアと中央大陸の国が、裏で同盟を結んでいると考えるのですか?」

「それも二か国が連携してユーフォリアに工作を仕掛けてきた――下手をすれば、この国すらも私を排除しようとしている。迷っている時間はないわよ」

 アンジェリーナという存在は、他の国からすれば邪魔でしかないのだろう。

 共同で潰しにかかってきたというなら、彼女としては相手をするのもやぶさかではない。

 そして今いるこの国が敵に回るというのなら、それは許されぬ行為。

「折角、リッチが骨を折って解決したばかりだというのに。慌ただしいったら」

 踵を返して施設から外へ向かう。途中のエレベータでそう零した。

「それが呼び水となって、新たな事件が起きようとしているのです。まだ形は見えませんが、決して無視出来ません」

「解っているわよ。あなたこそ気を付けなさいよね。元老院の裏を探ろうとしたら、暗殺されても文句は言えないのだし」

 これにマーガレットが気色ばむ。

「あ、あなたがやれと言ったのでしょう!?何かあったら責任取ってもらいますからね!」

「死んだ後にどうしろっていうのよ。死人に口無しっていう大和のことわざがあるわよ」

 エレベータが到着を告げる。ロビーに足を踏み入れた途端、マーガレットを手で制するアンジェリーナ。

「待って……そこにいるのは誰? 五秒の猶予をあげる。姿を見せない場合、その柱ごと吹き飛ばすわよ」

 フライアが抜き放たれる。カウントを始めるよりも早く、不審者が姿を見せた。

「これは失礼、戦乙女。てっきりバレないかと思ったけど」

 赤いスーツ。そして真っ赤なシルクハット。中背の男、だがこれが侮れないほどの異質さを放つ。シルクハットで顔が見えないせいか、薄ら笑いを浮かべる口元だけが妙に印象的に映る。

「趣味の悪い恰好。不快ですらあるわ。センスの欠片も感じられない。まるでトマトみたい」

 これにおどけた様子でのけぞる赤帽子。

「手厳しい! これでも自慢の服なんだけどね。ほら、誰が見ても一発で俺だと解る。良いトレードマークだろう?」

 不快だった。ひたすらに不愉快。思い返すに、こんな人間は政府関係者、軍部にもいない。

 もし助力を申し出てくるような国、組織ならばあらかじめ政府に連絡を入れる。

 なら正体はなんであれ、十中八九あのレーヴァテインを回収に来たと見ていい。

 模造天使の件に一枚噛んでいる。よって敵である。

「――回路点火イグニション

 突如、膨大なエーテルが吹き荒れ始めた。これに驚いたのはマーガレット。

「ま、待ちなさいアンジェリーナ! こんなところであなたが力を使っては!」

 対して赤帽子も口元の微笑を凍り付かせる。ここで戦乙女が力を解放すれば、全員一緒に瓦礫で生き埋めだ。だから、撃てない。聖天子もいる場所でそんな暴挙、許されるわけが。

「――限界突破オーバーレイ

 エーテルが魔法式に充填される。圧倒的に過ぎる、暴風雨のような光の乱流。

 無理だ、撃てる訳がない――誰もがそう考える。だがその確信を身の毛もよだつ悪寒に変えせしめる、この気迫は何なのか。

 女帝のような風格を纏う、アンジェリーナの威容。

 それはもはや、相手が誰であれ強引に傅かせるが如き高圧的な佇まい。

 気高く、誇り高く、それでいて高貴であり可憐――されど敵対するものには一切の手心を加えぬ、冷酷なまでの仮借なさ。

「こう見えて気が短いの。あなた、私の顔を知っていてその前に立ったのよ。低俗な身を恥とも思わずに、対等に視線を交わせるとでも言うつもりかしら。

 だとしたら度し難い不敬だわ――痴れ者が。身の程を弁えなさい」

 底冷えのする声音。まるで別人のようですらある。王族の如く相手を睥睨し、威圧する様はどこまでも傲岸で遠慮がない。

「ちょっとちょっと。落ち着きなよ、戦乙女。それはさすがにまずいだろう!」

「発言を許してあげているだけ、光栄に思いなさい。

 私の恩情に預かるべきは下僕ただひとり。

 ほら、さっさと跪きなさい。言われても出来ないの? これは命令よ。子供だってもう少しお利口なのにね」

 それとも、と言葉を結ぶ。

「――まさかとは思うけど。私の命令が聞けないとでも言うつもり? あまつさえ、まだ頭を下げない? 駄犬風情が。思い上がりも甚だしいわよ」

 一度ひとたび敵と見なせば、どこまでも容赦はしない。それが彼女の性質。

 見誤った。姿を晒した時点で間違いだった。ようやくこの赤帽子は自分の落ち度を自覚する。

 戦乙女を相手にそんな愚鈍、許されるわけがなかったのだ、と。

「おいおい。話にならな過ぎだろ!」

 赤帽子の姿が残影を残して掻き消える。

 幻惑の魔法か。速い。横手に向かったのだけは視界に捉えた。

「マギー。外に向かって走りなさい」

「え、ええ……解りました、けど。どうするのです?」

「あいつは地下に向かった。生き埋めがお望みなら、そうしてやるまでよ」

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