第9話  死の福音 後篇

 リチャードが先手を取るよりもなお早く、ラヴィーネは詠唱を紡いだ。

解術エーテルドライブ――」

召喚サモン昏き死の国より這い寄る影デス・ブリンガー

 途端、豪炎が黒い天使を取り囲み、周囲を灼熱の光で照らし出す。エーテルが励起され、模造天使の下に集う。

 大規模な魔法行使。人間を遥かに超えた超常存在がもたらす事象変移は、その兆候だけで想像を絶する威力を物語る。二対六枚の、闇を塗り固めたような翼が炎に照らされて、その深遠さをとりわけ幽玄に映し出した。

 膨れ上がった炎の塊からずるりと現れる、先に見た黒い十字架。

「チッ……離脱するぞ! 少尉さん!」

 すぐさま合図、リチャードは激発と同時に跳躍し、後退。吹き抜けになっているホールの左右に分かたれた踊り場へ帰還、そのまま上階への踊り場へと身を隠した。

「あの黒い十字架は連続で七発まで撃ってくる。だがそれを掻い潜ってもペンデュラム……伸縮自在な振り子の武器を隠し持ってる! こうまで戦場が広いと隙を突くのは無理だ。一度退避して、迎撃戦に持ち込むぞ!」

『了解。しかし貴君、何故そこまで詳細に……?』

「五年前に一度見た!」

 だが今、目前で展開されている歪な十字架はあの時見たものよりさらに巨大。ホール中央に打ち込まれたものよりも、なお。

 直感が警鐘を鳴らす。

「――まさか、強化されているのか!?」

「気づくのが遅いな、ボウヤ」

 これは現代の科学魔法テクノキャストとは異なる体系。力を有するひとつの形象を呼び出し、それを用いて破壊を為す。異能と呼ぶべきもの、天使にのみ許された――〈概念魔法ガイスト・レリック

 魔剣イービル・ブレードデス・ブリンガー。呪詛と怨念によって形成された、人知の及ばぬ怪異の果て。

 放たれた魔剣、その数は確かに七。しかしその威力はリチャードが想定していたものを遥かに上回った。着弾点を大きく抉り、さらにそこから魔剣より解放された数えきれないほどの人の怨念がエーテルを侵食していく。

 妬み、嫉み、恨み、そして憎悪。ひいては人が持つ負の想念。死してなお潰えぬ怨嗟の声。それは空間すら歪ませるほど、あらゆる呪いを内包した異界の形成。

「クソッ! これじゃ魔法が使えねぇ!」

 これに侵されたエーテルは人体に有害な毒となる。まかり間違って魔法を使うためにこのエーテルを用いた場合、精神汚染によって自我の境界線が融解してしまう。魔導器にとっても致命的な作動不良を引き起こす。

 それが同時にして連続七発。逃げるための魔法行使を許さぬ構えか。

『囮になる! 貴君は下がれ!』

 二手に分かれていたことが功を奏した。放たれる直前に少尉が牽制射撃を加えていなければ、今ごろは逃げ場を失って命を落としていたに違いない。

 場所が悪い。エントランスを抜けて上階へ戦場を移す。


 魔導器がガーデンライトの役割を担う、リフレッシュスペースへと踏み込む。鮮緑の木々がライトアップされており、夜間故のノスタルジックでひそやかな息吹きを演出している。

 一角にはカウンターがあり、客席がいくつか並ぶ。ここでハーブティーなどをたしなむなら、確かに普段の忙しさを忘れる一時の休憩として申し分あるまい。

「ここで迎え撃つ。敵がどこから来るか解っていれば対応のしようもある」

「では自分は貴君の左後ろから援護を」

「悪いね。俺が前衛フォワード、少尉さんは後衛バックスで穴埋めを頼む」

 だが、今は誰もいない夜。立ち並ぶテーブルをひっくり返して、頼りないバリケードを造る。

 リチャードがカウンターの奥にある酒瓶の並びに眼をやる。

「北方大陸産のアルコールか。あっちは万年雪の積もる寒い地域だから、度数がかなり高い」

 封を切られた様子がないので、社員に飲ませるためのものではないのだろう。アルカイックな調度品として置かれているだけなのか、あるいは北方大陸との何らかの繋がりを伺わせるものか……会社の隅に並べるには、不釣り合いな一品という印象を受ける。

「酒盛りをするには、些か場がそぐわないですね」

 少尉のジョークに苦笑を返す。

「その代わり、火遊びにはもってこいだ」

 バリケードを難なく破壊して、模造天使が通路から姿を現した。魔剣の再使用を許す前に先手を打つ。宙を舞う、いくつもの酒瓶。そのいずれもが度数九〇以上を誇る火酒。

解術エーテルドライブ、スレッジナパーム!」

 焼夷弾と化したゴスペルの弾丸が空中で炸裂する。酒瓶を巻き込んだ極彩色のエーテル爆発が苛烈な爆轟を引き起こし、大気を振動させフロア全体を揺るがす。

 とはいえ、これだけでは模造天使を倒すための一手には足りない。彼女たち天使アイオーンは頑強な防御――魔導器で言うテスラ・フィールドを幾層も重ねたような鉄壁を誇る。

 さりとて目眩ましには充分。模造天使がリチャードを補足するより早く、合図を送った。

「少尉さん!」

 同時に駆け出す。急速に燃焼された大気を肺に取り込めば、人体と同じ心肺機能にダメージを受けて動きは鈍る。燃える酒が降り注いで視界も悪くなる。

 そこへ少尉の援護射撃。どれも阻まれるが、さすがは第三世代の新鋭機。神話級の守りを誇る障壁に、揺らぎが見えた――好機。

「くっ……!」

 作り出した悪条件によって、あちらの狙いが逸れるのは当然。苦し紛れに繰り出されたのは、先端に鋭利な刃を備えたペンデュラム。数は四。ドレスの端々から飛び出した暗器の群れが鋭角な軌道を描き、リチャードの頬、足、肩を掠めて通り抜けていく。

 炎に巻かれ、渦巻く熱から顔を庇う模造天使が忌々しげに口辺を歪めた。

「小賢しい!」

 リチャードは跳躍ジャンプの魔法を前方のみに使用。急激に距離が縮まる。

 四〇メートルをわずか一歩で飛び越える。暴風が髪を煽り、轟々と耳朶を打つ。

 迫る距離。手が届く――ここが勝機。

 放つのは天使の守りを破る一手。左腕を用いた長い詠唱を許してくれる相手ではない以上、活路は接近戦のみに存在する。そして、こと接近戦においてこの男に負けはない。

三連解術トリプルドライブ――偽装聖剣コールブランド!」

 剣身が蒼い燐光を帯びる。それは対天使兵装の名を冠されたゴスペルのみが放つことの出来る、古代魔法によって生み出された疑似的な聖剣の再現。

 衝突。火雷が散る。荒れ狂うエーテルの奔流に掻き回され、大気が絶叫をあげた。フロア全てのガラスが断末魔をあげて砕け散る。この魔法の起動プロセスに用いた激発は三度。通常に比べて過大な装薬と魔的な加護を与える法儀式を徹底的に追加付与された特注弾。

 いかに相手が神話の化身とても、これを防ぎ得る道理は有り得ない。

 守りは三層にまで重ねられた強固な多重積層型魔法障壁ヘルメス・トリス・メギストス

 まるでガラスが割れるような音を立てて、二層までを貫く偽装聖剣。

 残り一枚。だがこれを破られて再展開に要される消耗を嫌ったか、模造天使が身をよじる。

「……貰う!」

 ダメ押しの激発、突破――だが浅い。左肩を掠めたのみに留まる。

 模造天使が距離を取る。リチャードと少尉とで正三角を描く位置関係。

「強くなった――ボウヤ」

「そうかい。お前が弱くなっただけじゃないのか……見てみろよ」

 リチャードがゴスペルで指し示したのは、模造天使の翼。

 二対六枚の左右対称だったはずが、うち片側二枚を損傷している。

「そうか……これが狙いか」

天使アイオーンの偽物とは言え、その構造は戦乙女と基本的に同じ。そして、天使と戦うことに限って俺に知らないことはないと言ってもいい。その翼は周囲のエーテルを収束して力に変換する終端装置、信仰礼装セント・グリームニル。人々が天使と崇め、敬う信心を拾い上げて、その信仰の強さの分だけ力に変える。ならそれをもがれれば、お前の戦力は見た目以上に低下する。今は、さっきまでの半分ってところか?」

「そこまで知っているか……なるほど、この世でただひとり、戦乙女ヴァルキュリアに選ばれた勇者のエインフェリア……伊達ではないようだ」

「お前を殺すために色々と教えてもらったよ。あいつにしてみれば、自分を殺す手段を教えている話だ。その時の心境がどんなものだったか、お前には解らないだろう――模造品イミテーション

 再装填。ここで逃がすつもりはない。確実に仕留め切る。

「ボウヤには解っているのか? 人の魂の選定者たる天使アイオーンの重荷が」

「そこはまあ、全部解ってる、とは言えない。だが俺は、いつかあいつを全てのしがらみから解放する。人に飼い慣らされるような女じゃないが……アンジーだけは、守ると決めている」

 強引に周囲のエーテルを収束し始める模造天使。空間が軋むような歪な音。

「あの女を守る……? あの女こそ全ての元凶だと、まだ解らないのか」

「なんだと?」

 鬼気迫る凄烈な眦が、リチャードを射貫く。

「死神、いや、告死天使と言うべきか。奴が存在するからこそ、歴史の転換期にのみ現れるという〈統制者ドミネイター〉、ボウヤが産み落とされた。今や童話となって語り継がれる、アインファウストの魔法使いもかつてはそうだ。天使によって選ばれた勇者の魂。それは、人の世にあってはならないモノなのだ!」

「あってはならない!? お前、何を言って、」

 ここにきて魔剣の召喚。まずい。距離を取らなければ避けられない。

「お前たちの存在が、いずれ神を呼び覚ます! 機械仕掛けのデウス・エクス・マキナをな!」

 劫火の渦から放たれる死の杭。リチャードは跳躍したが、追い縋って一歩後ろを確実に抉る十字架の群れ。

「天使とはそのための端末装置なのだ! 死者の魂をヴァルハラへと送還し、神への供物とするための!」

「アンジーが、そんなバカな!?」

「天使の生まれを知らずによくも言えたものだ! 魔法という超常の力を与えられた人類は、その力を独占するため互いに互いを滅ぼす魔導大戦を引き起こした! 時に天使もそれを先導したが、生き残ったのは裏切り者の戦乙女ただ一柱。人に混じり、人として生きたところで、神のために動く端末としての運命はなにも変わらぬ!」

『貴君! ここでの戦闘続行は不可能と判断します!』

「……撤退だ!」

 汚染されたエーテルによって、尋常の魔導器は行動を制限される。少しでも不利な交戦は避けるべき相手。

 あと一歩というところで。だが、気になることを言っていた。

「アンジーが……そんなわけがない。そんなわけ……」

 天使アイオーンとしての運命。今までそんなものを考えることはなかった。

 一体、天使とは何なのか。アンジェリーナが何故、リチャードにだけこだわるのか。

 厭な想像だけが頭を過ぎる。

 ラヴィーネを殺すための手段を伝えるということは、自分を殺すためのそれと同義。

 ならばいつか、リチャードの手によって自分が殺されることを願っているのか。

「止めろよ。らしくねえ」

 自嘲する。走りながら背後を振り返れば、やはり模造天使は追ってきている。

 猶予を与えては厄介と判断したか。だがその焦りもこちらの掌の上。

「……そんなもの、どうだっていいんだよ! だったらその神とかいうやつも、倒せば済む話だろうが!」

 照準。

 アンジェリーナに害を及ぼすものは全て排除する。それは、この世にたった二人だけ遺された家族としての愛。そしてリチャードが己に科した十字架。

 いつか彼女が神にひれ伏す運命だというのなら。その神さえ殺して見せよう。

「アンジーは、誰のものでもない!」

 迸る闘志を弾丸に乗せて。彼は自らの決意を形にする。

 積層型の魔法障壁は全て破壊した。今のラヴィーネには通常の弾丸でもダメージを与えられる。とはいえ未だリチャードたちに畏怖の念を抱かせてならない強大さは些かの翳りも見せず。

 翼を二枚失ってなお、あの魔剣とペンデュラムによる迎撃態勢が崩れないとは。

「恐れ入るぜ……!」

 数度の魔法行使にも危なげない対処を見せるラヴィーネ。あの振り子のような武器も魔的な加護を施されているのだろう。リチャードが渾身の魔力を込めたものを変幻自在に叩き落とす。

 残弾も残り少なくなってきている。無駄な魔法は使えない。

 階段を駆け上がり、さらに上階へと向かう。

「貴君。距離を稼いだ後、古代魔法を詠唱して相手が出てきた所を狙っては?」

「いや、無駄だ。エーテルの波長パターンから読まれて先手を打たれるだろう」

 加えてこちらは動けなくなる。そこに魔剣が飛んで来れば、考えるのも恐ろしい。

 故に活路は接近戦にあると見たのだが、追随してくる模造天使は今やそれを警戒して常にペンデュラムを展開している。

「それに、強化されていた黒い十字架がどうも頭に引っかかる。もしかすると、まだ何か隠してるかも知れない」

 人の手によって生み出された人造の天使なら、同じく人の手によってさらなる加工が施されていたとしても、何らおかしくはない。

「だが、魔法の障壁を再構築するのにかかるエーテルの総量と時間はごまかし切れない。今のうちに、やれるだけやっておくか!」

 少尉を先に行かせる。リチャードは待ち伏せて、階段から踊り場を見下ろす形でゴスペルを構えた。

「……解術エーテルドライブ、ショットブラスト!」

 月光が差し込むフロアから階段へと、模造天使の影が見えた時点で魔法を行使。

 瞬く間に降り注ぐ散弾の嵐。だがそれはラヴィーネを直接狙ったわけでなく、照準は上。さらに上階へと昇っていくための階段、その傾いだコンクリート。破壊されて崩れ落ちる瓦礫に、模造天使の姿が押し潰されていく。

 いかに空中を自在に飛び回るとはいえ、真上から崩れる瓦礫の全てに対処は出来まい。

「小癪な……!」

「最初の余裕がもう無いな、ラヴィーネ!」 

「口の減らないボウヤだ!」

 うず高く積まれた瓦礫を押しのけて上半身のみを見せたまま、三度みたびの魔剣。ここまで来ればその現出するタイミングは掴めている。

 出来るかどうか。だが、瓦礫で身動きが取れない今しかない。

「――偽装聖剣コールブランド!」

 三発の魔装弾を消費して、段上から飛び降りる。

 薙ぎ払い。切り下ろし。切り上げ。逆薙さかなぎ。

 いずれの斬撃もあやまたず魔剣が這い出してくる炎の渦を一刀両断に切り捨てる。

 そう、この概念魔法の唯一の欠点。それは膨大な怨念を形とするため、展開にはわずかな猶予時間があるということ。そこを見て取ったリチャードが切り込んだのは窮地における閃きだったが、これが模造天使の心胆を寒からしめる。

 着地はラヴィーネの眼前。古代魔法を近接用にアレンジした、聖剣のガワを被せたゴスペルが眩く辺りを照らす。

 ペンデュラムも埋もれたまま。防ぐ手立てはない。振りかぶる。

「終わりだ!」

 だがふと、ラヴィーネの口元が笑みの形に歪むのを見た。

「――切り札というのは。最後までとっておくものだよ」

 ぞっとする気配。まずい。

 やはり持っていたのだ。懸念は正解、だがもう遅い。

 このタイミングで間に合うわけが――

「〈害為す魔法のレーヴァテイン〉」

 赫奕かくやくたる炎が渦巻く。ラヴィーネの右掌からずるりと現れた、その異様な形象は何なのか。

「まさか! アンジーと同じ……〈神罰武装ジャッジメント・ウェポン〉か!?」

 刹那。まるで、空間が切り裂かれたかのようにズレた。

 リチャードはそれに、場にそぐわぬ奇妙な感慨を抱く。書店で見るコミックスの一コマが、ちょうど中間から真っ二つに分断されたようだ、と。

 頂点から真下へ向けて断ち割られた円筒状の建造物。

 あらかじめ警戒を抱いていたリチャードだからこそ咄嗟に退避を選べた。眼の前を過ぎった輝線の歪みに背筋が寒くなったが、その時にはこのアイゼンシュミット本社が――一刀両断に分かたれている。地響きにも似た、腹の底が震える振動音。建物が断末魔をあげている。

 とんでもない隠し玉を懐に秘めていた。これは、天使アイオーンが神話に語られる現象を再現するための媒介。解放された天使の力は、もはや個人で行える戦闘行為の域に収まらぬ、戦略級の破壊を引き起こす。

 それが使われた。これでは、リチャードがいかに天使に対して優位に立とうとも一撃でひっくり返されてしまいかねない。

 否、現実にそれが起きた。信じられないほどの壊滅的な事象が、眼の前で。

「ああっ!?」

「――少尉さん!」

 叫ばずにはいられなかった。二つに割られた建造物の一方が倒れていくに際して、宙に身を躍らせた少尉の姿。先に行けと言ったのは自分だ。素直にそれを信じて、彼をここまで支援してくれた女性を見捨てるなど、どうあろうと出来はしない。

 激発と同時に飛び出す。風が頬を叩く。唸りをあげて人を拒む高空のあぎと

「手を伸ばせ!」

 持っていた二挺拳銃のひとつを投げ捨てて、差し出された手を掴む少尉。

「貴君! どうして!」

「どうしても何もあるかよ!」

 墜ちていく二人に暴風がまとわりつく。首だけで振り向けば、ようやくといった体で瓦礫から足を抜き、身を起こした模造天使が見て取れる。本来ならば着地を心配する状況。落ちた衝撃で果物のように潰れる自分の姿が眼に浮かぶ。

 それでもリチャードは、ここを勝機と見た。

 やがて、落下した構造体による振動と衝撃が空中にあるリチャードたちを襲う。ぽっかりと開けた視界に星空を仰ぐ姿勢。彼の眼に、ビルが割れたという絶大な破壊の傷跡はどこか空疎に映る。現実味がない。よもやこれほどまで力の差があろうとは。今まで積み上げたものが覆されていく――虚無感。

 振り払う。絶望すらも力に変えろ。諦めるなど、端から頭に入れていない。

「ここで仕留める。お前だけは、なんとしても!」

 蒼い燐光は、夜空の星もかくやとばかり。だが、それは対流を起こして徐々に崩壊を始めたエーテルの消滅現象。

 それはあらゆる全ての魔法を解体するために紡がれる、ひとつの奇蹟――

 今、高らかに謳いあげるは最果ての魔法。人々の心に刻まれた、魔法使いが遺したもの。

 霊障眼ウィザード・アイがその戒めを解かれ、一切の呵責なさで対象を見据える。

「呼び覚まされた血潮はやがて凍てつく火を放ち、戦乱の先を駆けよと唱えた。

 死を告げる天使は地に墜ち、その羽根を自らの血で染め上げ、人に飼い慣らされた。

 戦士は曇り空の下、怒れる眼に戦の灯火を映して行進する」

 美しくも荘厳な調べとなって、ゴスペルは福音を紡ぐ。

「親愛なる我らが聖父よ。どうか迷える子らに征くべき道を指し示し、醒めぬ迷いより解き放ち給え。我は救済の導き手。福音を告げる代行者。善なる悪を世に敷く者」

 崩壊の光を携え、地上の星は叙事詩たる祝詞を伸びやかに謳いあげていく。

「旅路が問う。汝らいずこより来たりて何処へ向かうなりや。

 善悪の彼岸より訪れる物語が、いつか我に追い付くまでと。

 星が紡ぐ光を頼りに、我は悠久の旅路を往く者なりや。

 これは贖罪の道。裏切りの代償。咎を濯ぐ救済の旅。

 やがて全ての魂が救われ聖父の御許に召されん事を。

 く在れかし」

 模造天使はそこで気づく。だが、もう逃れる術はどこにもない。

「ボウヤ――!」

 甘く見たな天使アイオーン。これなるは汝が最後に聞き届ける、死の福音。

「なればここに神韻を告げ、汝の終焉を執行する。

 死に往く者に安息を。生ける者に祝福を」

 激発はとうに全て空。紡がれた祝詞に終止符を打つのは、弾丸の作薬という無機質で狂暴な音ではない。

「――トリガー:オフ。救いをこの手に。迷いし心に安らぎの火は灯り、諸皆もろみなを救いあげる福音の刻を祈らん。

 統制因子解放ドミネイター・アクセス――〈蒼の深淵シエル・ブルー〉よりコード・ヴァルハラ。

 幻日の太陽狼ルナガルム・ハルバード――!」

 弾かれるは、魂の引きトリガー。そうして終焉を告げる光が放たれる。

 名にしおう古代魔法エインシェントが、その背に十三番めの星座〈翼持つ天使〉を従えて。

 これこそ彼が受け継いだ魔法の正体。星という、世界の外側へと至る力を手繰り寄せる魔法の全て。

 あらゆる時代、数多の事柄を見届けてきた神代の御使いより賜った深遠なる秘蹟。

 蒼の深淵、その真なる威名を星座の御印ゾディアック・ルーインと呼ぶ。

 地上に生まれた星の光が夜空へと駆け上がり、やがて収束すると光の粒子を舞い散らせる。

 強大に過ぎるその力のため、彼は今まで古代魔法を〈もっとも小さな規模〉で扱ってきた。

 だがその戒めを解かれ、なんの制限もなく解放された魔法は一歩間違えば地上を薙ぎ払い、殲滅するに足る恐るべき威力。

 これだけの力が野放しにされていいわけがない。

 故に聖天子の御名のもと、使用を制限されて隠されたまま生きてきたのは当然だったろう。

 それも、もう終わる頃合い。

 彼は、もはや単なる学生ではいられない。ワンハンドなどと呼ばれ、蔑まれる時代は過去のものとなる。

 次なる異名〈天使狩り〉を授かり、英雄として生きねばならない時が来たのだ。

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