第7話 蒼の深淵
ひとまず、アイゼンシュミットの本社があるという商業区へと足を踏み入れた。
ここでは歩道橋や並び立つ高層ビル同士を繋ぐ空中回廊、また憩いの場として緑豊かな噴水公園などが特徴的なものとして見て取れる。
コンクリートジャングルとでも言うべきか。首をぐるりと回せば、摩天楼のごとく聳えるビル群が視界を埋め尽くす。行き交う車の数もかなりのもので、さっきまで歩いていた中央区画の人の賑わいと比べれば、こちらは無機質ながらに活気を見せる灰色の街だ。
「こっちのほうは初めて来たな」
時間帯は通勤のラッシュが始まる頃合い。ただそれでも中央区画の混み具合に比べればまだ大人しいほうだろう。
「アイゼンシュミットの本社は……ああ、ここからでも見えます。あの一際大きな建物です」
少尉が指さす場所には円筒状の高層建造物。ガラスが朝日を反射して幻想的ですらあった。
「一応聞いておくけど。あの会社の社員が殺されたってことは、社員は全員あのなかで寝泊まりしているわけじゃないっていうことになるよな」
「肯定です」
「なら質問だ。殺人事件があったのは一般区画の住宅街。帰り道に襲われたのなら、魔法が使われた形跡を洗い出せばいい。もう試したのか?」
「肯定です。ですがそのプロセスにどうにも意図が見えず、加えてエーテルの残留パターンも魔導器のものではありませんでしたね」
「意図が見えないってのは、どういう意味で?」
「単に人を殺すだけなら、それほど強力な魔法を使う必要はありません。ですが大魔法クラスのものを立て続けに使い、周囲のエーテルに自分の痕跡を明確に刻み込むような残留パターンが検出されたのです……あっ」
「おっと」
唐突に吹いた横風が彼女の軍帽をさらっていく。リチャードの反応は早かった。風に舞い上がった軍帽を咄嗟に掴み取り、持ち主へと返す。
「ビル風ってやつかもな。気をつけなよ」
「あ……ありがとう、ございます」
両手で受け取り、口元を隠して小さな照れを見せる少尉。
「なに、お安い御用さ。その帽子、無いほうが可愛いんじゃないか?」
「……それは、口説いているのですか?」
「はは。学生風情が軍人を口説くってのは、生意気だったかな」
「……いえ、そこまでは、言っていないのですが」
「早く行こう。あの本社が狙われる可能性もゼロじゃないしな」
逡巡した後、少尉は躊躇いがちに軍帽を被る。
無いほうが、とは言われても、任務中に軍帽を被らない軍人というのも責任感がない。
そんな体裁ではあったが、内心の葛藤をリチャードが解したかどうか。
案の定、と言うべきだろう。正面入り口には監視員の詰所があり、社内から出入りする人間を厳重に監視する体勢が敷かれている。ひとまず監視員に呼び止められてなんとか聖天子陛下から賜った役目と事情を説明するも、今度はエントランスで怪しまれ、警備責任者に連絡を取って欲しいと返される。
全国民が忠誠を誓う陛下の御名を借り受けてもこれか、と思う一方で、確かに陛下が一市民、しかも学生に命じるような内容ではないと疑われても致し方ないのかも知れない。
終いには警備員が現れ、あわや連れていかれそうになったところで助け舟が出る。
「おおーい、その人たちはボクのお客さんだよ。そのへんにしといて」
間延びした男の声だった。そちらを見れば、くたくたの白衣に身を包んだ中年の男性。痩身で中背、
「あんたは?」
「その話はあっちでしよう。ここは人が多過ぎる」
案内されたのは来客用の応接間らしかった。
「何か飲むかね? 先日、良い豆が入ってね。まあこれでいいか」
「質問、よろしいでしょうか」
少尉が口を挟む。
「ん? ああ、ボクは開発主任を任されてるエドワード。殺されたのは第一開発部門のケイン。幾つか部署があってね、あいつがいなくなった分の穴埋めはまだされてない。おかげで第四世代の開発が遅れてる」
聞きたかったことを、聞いていないことを含めて矢継ぎ早に返されて戸惑いを隠せない二人。
「主任てのは総責任者のことでね。一応全部の開発ラインからあがってきたものを見て、売り物になるかどうかを検査してる立場の人間だ。他になにかある? どうぞ、お茶が入ったよ」
「なかなか強烈な性格だな。人の話を聞いてないってよく言われないか?」
「はっは。君も人のこと言えないんじゃない? リチャード・カルヴァン君?」
「俺の名前まで知ってるとはね。そこまで名が知られるようなことをした覚えはないが」
「それは嘘だ。古代魔法を扱う学生、しかも魔導器はウェンディ・ハンドレッドが生み出した、世界に三機のみ存在する第零世代。ん、いや、あれ? その白いの、もしかして……?」
エドワードが眼に留めたのは、純白の魔導器。
「まさか、幻の〈フライア〉か!?」
「見るのはいいが、こいつには触らないでくれ。アンジーに殺されちまう」
思わずといった様子で手を伸ばしてきたエドワードをそう牽制するも、今度は宙に浮かせた手を撫で回すように動かす。
傍から見れば、単なる変人だ。
「こ、これがウェンディ・ハンドレッドの稀代の傑作……完成された第零世代!」
「ウェンディ・ハンドレッドという方はそんなに有名なのですか?」
「それはもう!」
少尉の質問に、我が意を得たりと頷くエドワード。
「彼女が生きた二〇年のうち、世に出た魔導器はわずかに三基。そのいずれもが銃と剣を合わせたタイプで、三機とも市販されているものとは一線を画する性能を持つ。だが今となっては所在が解らなくなっている。幻と言われる由縁だよ!」
そこで一度言葉を句切り、一際声に張りを持たせた。
「だが! 公開されていない二機があったという記述によって、それは魔導器愛好家たち垂涎の品として今も専門家達が大陸を探し回っているほどのもの! 彼女の作品として特徴的なのは大出力ながら無駄のないコンパクトな機関部
エンジン
、術式の運用に適した刻印銃身に回路配置。加えて特筆すべき固有の技術、
ああ、と納得する。この手のタイプと遭遇するのは初めてではない。
リチャードの友人、フィリップも熱が入ればこのくらいのことは言うだろう。それだけ、自分の道を邁進する人間というのは直線的なのだ。
だが驚いたことに、この話を理解したらしい少尉がまたも反応する。
「等価交換が不文律というのは?」
エドワードが、何を、と言わんばかりに指を振る。
「魔法は一対一ってことだよ。コアひとつ限りで出力係数が第三世代のツイン・コアを超えるなんてのはまず不可能だ。もし無理やりにそれをするなら、コアにかけられたリミッターを外すしかない。しかしその場合は故障と紙一重、使用者にも無視出来ない負荷がかかる。法則を無視するというのは、世界と対峙するのと同義。人はその代償を強いられるのさ」
「第零世代が生まれたのは、いつ頃なのですか?」
「一〇年前だ。そしてその五年後にウェンディ・ハンドレッドはこの世を去っている」
「おい、おっさん。第零世代は三機って言ったな? なら、あと一機はどこにある?」
「それが解ってれば苦労はないさ。だが、そのうちの二機がここにあるなんて、こいつは神がボクに微笑んでくれたのかな?」
涎を垂らしそうな顔で再びリチャードの、いや、フライアへと眼を向けるエドワード。
「変態かよ!」
「科学者には褒め言葉だ。もっとよく……ん?」
今度は背後に回り込み、ゴスペルをしげしげと眺める。
「何だ、これ。中枢機関が相当弱ってるじゃないか。なんでこんなことになってるんだ?」
「あ、いや、これは。ウェンディがいなくなったから、メンテする方法がなくてな……」
「なるほど、確かにワンオフ品はそういう問題があるか。少し見せてみなさい」
やや抵抗はあったが、一見しただけでゴスペルの問題を見抜いたあたり、仕事は出来るのだろうと一応信用することにした。
「……リチャードって言ったっけ、キミ。これ、バラしてもいいかな」
「いいけど。あんまり無茶しないでくれよ。古代魔法はそいつじゃないと使えないから」
「元通りとはいかないまでも、もう少し良い状態にすることは出来るだろうさ」
本題そっちのけで開発室に連れて行かれた二人は、作業台の上に置かれたゴスペルを眺めることしか出来ない。
「なあ、おっさん。解ってると思うけど、これを他の技術者に見せたり、情報流したりするなよな。ウェンディの遺言なんだ」
「全く以てもったいない話だけど、稀代の天才技工士の遺言とあらば約束しよう。でもこれ、よく今まで動いていたね」
ゴスペルを分解していく。パーツが多い上、初見なのもあって手つきが心もとない。
「なるほど、エーテル・バースト部分はブラックボックス化されてる。ここは直せないね」
いかに専門家と言えども、ウェンディが仕込んだであろう異世界の技術には太刀打ち出来ないらしい。それだけ進んだ技術なら、一体ウェンディはどんな世界からやってきたのか気になるところだ。
「素人だろうに、よく持たせていたようだ。さすがは魔導技工士見習い。うん、銃身の内部もよく掃除されてるし、弾倉の部分も問題ない」
「昨夜までのゴスペルの出力は〇・五〇だった。それより上がるなら文句はない」
そこでエドワードがリチャードへと眼を向ける。
「そっちのフライアもバラしていいなら、比較しながらメンテできるんだけどね」
「悪いけどこっちは渡せない。アンジーは自分以外がこれに触るのを絶対に許さないからな」
「キミが持ってるのに?」
「なんでか解らないけど、俺はいいらしい」
「ふうん。ま、ならいいよ」
割合あっさりと引き下がる。科学者とはこういうものなのか。基本姿勢がドライというか、出来るか出来ないか、だけで判断するような印象を受ける。
正直なところ、リチャードにも解らないのだ。何故自分にフライアを預けたのか。アンジェリーナはお守り代わりと言っていたが、本当にそれだけなのだろうか。
「……あー、これだな」
作業を邪魔しないように気を使ってか、少尉が小声で話しかけてくる。
「何故、劣悪な状態の魔導器を今まで放置していたのですか?」
「そう言われたって、なあ。あれじゃないとダメなんだよ、本当に。俺も他の魔導器に触ってみたことあるけど、どれもこれも故障しまくっちゃって。だから困ってたんだ」
「終わったよ」
「早いな!?」
見れば、ゴスペルの中枢機関である法珠に何本ものケーブルが繋げられ、PCのモニターにコア内部に登録されている魔法式がリストのように並んでいた。
「魔法式を起動、展開する事象誘導機関にプログラムのゴミが相当溜まってた。まあ要はデバックだね。こればかりは素人には難しいだろう。プログラムはアルテリアの魔法文字だし。
しかし、こいつは本当に恐ろしいね。推測が混じるけど、一番機〈ゴスペル〉は人間が扱える最大規模の……いや、人間が扱えるかどうかも解らない事象変移を目的として開発された結果、あまりに強大な出力を誇った。だからその仕様には特定条件下でのみ解除される安全装置が設けらているらしい」
「安全装置? リミッターみたいなものか?」
「いや、こいつにリミッターはない。だけど、どうやら使用者の精神に応じてコントロールされるようでね。その強さ、同調率によってポテンシャルが変化するんだ。そこが誤作動してたみたい。上の階に試験場があるから、試してみてくれないかな」
言われるまま、ケーブルを外されたゴスペルを手に取り、その場所へと向かう。
エレベータを乗り継いで上階へ。かなりのフロアを通過したらしく、通り過ぎた際の廊下からは地上の建物が小さく見えた。
そして試験場、ガラスの向こうでマイク伝いにエドワードが説明する。
「じゃ、魔法使ってみてよ。強めでも大丈夫だよ、あれはそう簡単には壊れない」
先に渡されていたゴーグルを装着。中枢機関が仄かに蒼い光を放ち、ゴスペルが起動状態を示す。
「――
突如、ゴスペルが周囲の空間を奇妙に歪ませる。
これは弾丸に纏わり付く過剰な重力が渦となって風を巻き込み、驚異的な加速をもたらし貫通破壊を対象に及ぼす功性魔術だ。
通常、発射された弾丸はその際に計測される初速が最も高いスピードを示すが、彼が放つこれに限っては銃身内に魔法で設定された〈加速点〉を経由することでその速さは倍増しになるという性質を持つ。
風を超えて、音より速く。稲妻に等しい速度でもって飛来する重力の孔。
聞こえた銃声は一発なれど、放たれた弾丸は二発。標的となったサークル、その中心部に過たず穿たれる、貫通の痕跡。エドワードからは何の応答もない。しかし彼が体を震わせているのに気づかず、リチャードは次の魔法行使に移る。
「魔法の展開式がスムーズに動く。変なつっかえもない、感謝するぜ。エドワード」
今までは控えていた分、歓喜が背中を後押しする。ゴスペルは全盛期に近い能力を発揮している。科せられていたブレーキを外され、どれだけの力が発揮出来るか純粋に試したくなった。
「
射出された弾丸が魔法の力を拡散させる。弾頭が幾つもの破片に分かれ、対象に殺到。
今度は粉々に打ち砕く、破壊を主眼とした面制圧攻撃。
このようにゴスペルのような銃型をモデルとした魔導器は、魔法を用いることで様々な種類の弾を打ち分けることが出来る面を持つ。少尉の二挺拳銃が侵攻作戦に耐え得るのも、こうした理由だ。
「……リチャード君。新しい的を用意する。次は本気で頼むよ」
「本気か。じゃあ、こういうのはどうだ」
久々に調子が良いゴスペルの反応に、興が乗ってきたらしい。不敵な笑みが口辺に浮かぶ。
使うのは左手。全力を頼まれたからには、手加減ナシが望ましかろう。
半身に大きく体を開いて構えると、片手で構えたゴスペルに蒼い燐光が集う。集う。集って、輝く。
「
ばきり、と硬質で尖った音がゴスペルから起きる。今まで制限を科せられたまま用いられていた漆黒の魔導器がその枷を解き放たれると、外部パーツが展開。
獰猛に荒れ狂うエーテルが露出した内部フレームに流れ込み始めた。リチャードの左腕から発生した不可思議な幾何学紋様が魔導器へと伸びていく。銃身の事象誘導回路と融合を果たしたそれは、彼の輝きを放ち始めた双眸からもたらされているもの。
左腕部から展開された古代魔法の術式が中枢制御機関を介し、彼だけが為し得る魔法をこの世に具現する。蒼穹を思わせる眩いばかりの蒼色がゴスペルから放たれ、フライアを越える出力を弾き出して過剰なまでに膨れあがる。
刮目して見よ。これなるは全ての魔法を超越した先にある境地。
あらゆる魔法を打ち砕く、彼だけが呼び起こす深淵なる奇蹟。
「――トリガー:オフ。救いをこの手に。迷いし心に安らぎの火は灯り、
神意宿す破壊の
発射された弾丸は既に常理の域にない輝きを宿した。戦艦の艦砲射撃をも凌駕する弩級の光芒がかつてない破壊を為す、それは純然たる死の光だった。解放された純粋な蒼の煌めきが空間を染め上げ、埋め尽くす。
破壊のみに特化された
施設を一直線に貫いて、なお伸びやかに紡がれる蒼の軌跡。
直後のことである。何事かという騒ぎに警報が鳴り響く。重武装した警備員が駆け付けたらしく、エドワードが詰め寄られていた。テロリスト、と思われても仕方ないような破壊の痕跡。
「……やっぱり。やり過ぎた、かな」
眼鏡の奥で、燐光を放っていた蒼い光が徐々に収まっていく。
怪異――この二つの眼は、磁石の双極のように振る舞う、古代魔法と科学魔法の
ただその代わり、全力を出して戦えるのは短い時間に限られる。
それ以上は彼の
症状が進めば他人の思考が頭に流れ込むようになり、自我が曖昧となっていく、不可逆の病。
治る見込みはない、と医者に宣告されたが、特段彼は己の身を恨むようなことはしていない。
まあこの後に続いた事情の説明で、そんなことを考える暇などなかったわけなのだが。
ただ、少尉だけは気づいていた。エドワードが体を震わせ、慄いていた原因。リチャードが全力を出したことで判明した、ゴスペルの正確な出力係数、その瞬間最大計測値。
測定不能――およそ結果とは呼べぬ結果に、少尉だけは冷静な頭で納得する。
これならば、彼だけが天使を打ち破れるという話にひとつの疑問も抱かない。
聖天子陛下が何故この男を選んだのか。何故、戦乙女がこの男に執心するのか。
全てに合点がいった。あの
その重さを隠すために、あんなに調子の軽い言動をするのだ。あの男は。
人類に許された力の領域を超えた魔法。そう、童話の魔法使いのように、天より授けられた奇蹟の力。
たったひとりでそれと向き合い、そして担っていくのは彼女に推し量れる重さではない。
「リチャード・カルヴァン……いつか、貴君は」
予感がある。いずれ必ず、彼はひとりでその重さと向き合うことになるだろう、と。
「人類の、敵になるぞ」
天使という超常の存在、それを打倒し得る唯一の人間。
ならば人は、全てが終わった後に彼を脅威と見做すだろう。それは歴史が証明している。
異物を排する自然現象として。人類もまた、その自浄作用を有するが故に。
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