第6話 陰謀の足音

 買い物を済ませたリチャードは導力トラムを利用して学生寮への道を辿る。

 魔導器によって得られた浮力により車輪から無縁となった乗り物は、はじめの慣れないうちこそ奇妙に感じたものだが今はもうそれもない。

 とりわけがたつきの有無や静粛性などは昔の蒸気機関と比べるべくもなかった。

 誰が乗り、誰が降りたかという料金の関係も魔法と器械の文明が栄華を誇る今では、それら全てが人々の持つエーテルの波長を個別に感知することで解決しており、自動で口座から引き落とされる。

 一時期はこのシステムへ介入し、違法に他人の口座へアクセスするという魔導犯罪もあったが、それも魔導器が第一世代だった初期の話。

 第二世代が普遍的なものとして広まってからはそうした事件も大幅に減少、構造の簡略化を図って安価に求められるようになった。

 これによりタブレット端末や携帯端末もエーテル通信を用いた高速回線となり、いつでもどこでも世界中に繋がるネットワークが実用化されるに至っている。

 これら全て、器械技術が魔法によってブレイクスルーを起こした結果だ。

 歴史書には魔導革命と記されている。

 しかしてその魔法が天使によってもたらされた智慧であり、神を復活させる一因になっていたという真実が、眼に映る魔導都市の煌びやかさを曇らせる。

 人は、まだ利用されたままだ。

 魔法を自分たちの力だと信じて疑わない。

 一〇〇〇年の間に犠牲となった人々の命ですらも、神への供物になっているとも知らずに。


 学生寮に到着したリチャードは自室の検知パネルに手を触れる。と、ドアが開いた。

 ようやく一息つける。

 室内パネルに手をやれば、今度は照明や室温調整器、テレビやPCの電源が点く……はずだったのだが。

「遅かったわね」

 そこにはソファで優雅にくつろぎ、首だけでこちらを見ている金髪碧眼の姿があった。

 あらかじめ検知パネルに登録された人物は鍵の開け閉めも室内の電源も自由のようである。

「アンジー……お前な。ここは男子寮なんだから、あんまり俺の部屋に出入りするのはよくないって何度も言ってるだろ」

「今さらね。それに私はここに住んでるのよ。その言い方は語弊があるわ」

 はいはい、と受け流し、買ってきたものをPCのデスクに置く。

 椅子を引いて座れば、彼らにとってはなじみ深い距離感。

「マギーはどうした?」

 テレビの番組では軍警の特集を流しているらしく、リポーターが最新の第三世代魔導器を軍用に取り入れたと語っている場面。

 それ自体はだいぶ以前の話なのだが、今回はそれを掘り下げた内容のようだ。

「ちゃんと皇宮まで届けたわよ。まあ、とは言っても私は車に乗っているだけだったけれど」

 恐らく、いや確実に張り詰めたであろうその時の空気を思うに、もし自分がいたら針のむしろだったろうな、と想像して頭を振る。

「ならいいさ。どうせあの爺さん以外にも何十人っていたんだろうけど、そんなのを掻い潜る手なんでいくらでもある。けど、お前ならその点、安心だ」

 リチャードは馴染みのガンショップから買い付けてきた包みを開けて、弾薬の箱を開封する。

 いくつかの弾薬を確認すると、それらをローダーという器具に一発ずつ装填していく。

 ゴスペルは回転弾倉リボルバー式なので、六発まとめて同時に装填出来るこの道具はとりわけ戦闘中には命綱となる。

 するとアンジェリーナが眉をひそめた。

「……今日の昼に左手を使ったのよね。あれは負荷が高いから、また調整のし直しよ。ただでさえ出力が落ちてるんだから、無暗に使わないでってあれほど言っておいたのに」

「いや、あれはな、まあその……今の時点でどれだけやれるのか試したかったのもあって」

 彼女の危惧するところは、つまりゴスペルが五年前から開発者の正式な調整を受けていないガタガタの状態、ということだ。むしろよく動いてくれている。

 これでも魔導技工士の卵たるリチャード本人と、ユーゲントのエリートである彼女の力があってこそ出来ているようなもの。

 特に出力というのは魔法の威力に直結する大事な要素。

「にしても。よく初対面でエヴァンジェリンさんとあれだけ仲良くなれるわね。さすがと言うべきかしら」

「どこがだ、どこが。なんかリベンジに燃えてて昼休みの間、ずっと追い回されたぞ」

「……ゴスペルがこんな状態でも、あなたは行くのよね。ラヴィーネのところに」

 魔法を分解することの出来る魔法。

 それがリチャードの切り札である。

 そこには相手がどんな魔導器で、どれほどの出力を誇っていようと関係がなくなる絶対的な優位権が存在する。

 魔法生物とも言える天使にとっては天敵とも言えよう。ゴスペルの威名、対天使兵装エインジェル・アームとはそういう意味を持つ。

「それこそ今さらだな。止めたって俺が聞かないのは知ってるだろ」

「そうね。おバカなのは昔からだったわ」

 溜め息交じりにそう零す彼女にかちんと来たリチャードは、立ち上がって反論する。

「一言多いな! お前だって未だに夜ひとりで寝るのが怖いからって俺の部屋に来てるじゃねえか! 泣き虫アンジー!」

「多いのはどっちよ! 子供の頃のあだ名を持ち出すなんて紳士のすることじゃないわ!」

「じゃあ学院で猫被ってるのは淑女のすることか!? 明日は化けの皮剥いでやろうか!」

「子供みたいなことを言わないで! 貴族たる者は常に余裕と気品をもって行動しなければならないの! あなたには解らないでしょうけどね!」

「ああ知らねえな! そんなしがらみだらけの鬱陶うっとうしい世界なんて知ったことか!」

 唐突に始まった口喧嘩が熱を帯びていく。

 隣室の生徒にしてみればいい迷惑だろうが、壁を叩いたりしてこないあたりは、割と毎度のことで慣れてしまったからか。

「柵に囚われてるのはあなたの方でしょう! 復讐なんてしてもウェンディは喜ばないわ!」

「だから! 調査だけだって言ってるだろうが!」

「信じたいけど、言葉だけじゃ信じられない!」

「どうしろって言うんだよ!?」

「――そうね……」

 唐突に考え込むアンジェリーナ。

 口元に手をやり、瞼を伏せる。 

 何か、嫌な予感がする。

 一緒に連れていけ、だのと言われるのはもううんざりだったので、リチャードは肩を落として溜め息を漏らす。

「……私の言うことを、ひとつだけ聞いてちょうだい」

「なんだよ? 行くな、とかだったら無理だぞ。事実、マギーから話を受けた後なんだし」

「そういうのじゃないわ。明日〈アレ〉を渡すから。持って行きなさい。お守り代わりにね」

「お前……いいのか?」

「ええ。どうせ五年もの間、使わなかったくらいだもの。何かの足しにはなるでしょう」


 翌日の早朝。まだ街が活気を出すには幾ばくか早い、静かな時間帯だというのにブレイダブリクに溢れる人々は建国祭を控えるからか慌ただしく行き交う。

 路上で演奏しているハーモニカの調べが、雑音に消されることなく伸びやかに紡がれる。

 空は突き抜けるような蒼穹。冬季にしては気温も温かい。

リチャードの服装は黒の軍用ジャケットに、同じく軍用のカーゴパンツ。

 聖職者の着ているような白いクレリックシャツが上着の下に覗く。

 利便性と魔法の運用に適した戦闘用の礼装ではあるが、人によってはこれがカソックや、女性ならドレスの形を取ることもある。要は自分が集中しやすい服装ということだ。

 またある程度の抗魔的加護が施されているなどの意味合いをして、礼装と呼ばれる。

 何故こんな早くにそのような恰好で出歩いているかというと、アンジェリーナから受け取ったもの――彼女の魔導器を緊急時の予備として受け取った帰り足だからだ。

 今それは腰の左側に提げられたホルスターへと納まっている。

 純白の第零世代・二番機〈フライア〉は、先日の話にあったとおりゴスペルの姉妹機である。

 だがその様相はリチャードの腰の後ろに携えたものとは大きく異なる。

 ゴスペルと比べると、半分程度の長さしかない小型のブレード、そして何よりも自動装填排莢機能オートマチックという点。

 そしてもっとも驚愕すべきはその高出力。

 というのも、戦乙女のためだけに設計、製作された完全に規格外の魔導器なのだ。

 精霊に等しい彼女の流体素感応能力エーテライト・ポジティブは既に人間の比ではないため、それに耐えるにはウェンディの持つ〈異世界の技術〉を惜しみなく投入するしかなかったという。

 片手短剣でありながらグリップに拳銃のトリガーが来るため、近接格闘と射撃をタイムロス無しに切り替えられる点こそゴスペルと同じ構造ではあるが、最大の問題は、これの起動プロトコル。

 並の魔力ではまず起動しないし、引き金すら弾けない。

 アンジェリーナだけが扱える、専用の特注品。

 まあ疑う余地なくこの世界で最強の武器ではあるが、こんなものを預けられても。

「……本当に、お守りくらいにしかならなそうだ」


 ――そして彼は、その人物と出会った。

 軍属を示す黒軍服。

 少尉の階級章。肩口で短く切り揃えられた金髪の女性が、見事な敬礼をリチャードに送る。

 理知的な光を宿す双眸、綺麗に整った鼻梁、そして色白の肌。

 どれをとっても一級品の美人ではあるが、その眼差しと静謐な佇まいが他者を寄せ付けぬ硬質な色を放つ。

 立ち振る舞いからも生粋のエリートといった様子が見て取れた。

 背丈はリチャードと同じくらい。軍帽を被っているのが特徴的だ。

「初めまして。あなたがリチャード・カルヴァンでありますか?」

 昨夜、彼の携帯端末に着信をくれた人物である。

 ユーフォリア正規軍からの情報提供、及び支援という名目での人選らしいが、これが監視の意味を含めているのは素人でも解る話。

「あんたが、エスペランサ少尉?」

「肯定です。特殊任務におけるコードネームなので、以後そのようにお呼び下さい」

 風に吹かれて金糸のような髪がさらさらと流れる。リチャードがいつまでも敬礼を返さないので、彼女もまたいつまでもそうしている。

 正直、見惚れていた。それほどの美人だった。

「あの……」

 切れ長で鋭かった眦が困惑を滲ませて頼りなく下がる。

「……敬礼を返して欲しいのですが……」

 慌てて返礼。ようやく腕を下げられたからか、それともリチャードに軍式を求めてしまった己の落ち度か。

「失礼。学生にこのような真似をするべきではありませんでしたね。以後は気を付けます」

「ああいえ、俺のほうこそご無礼を……というか、こっちが年下なんですから敬語じゃなくてもいいですよ」

「それは命令ですか? それとも要望ですか?」

「いや、どちらでもないというか」

「それは、対処に困りますね」

 また眦が下がる。

 この女性、恐らく仕事は出来る人なのだろうが多分きっと確実に、想定外のパターンに弱いタイプだ、とリチャードは察する。

「いや、まあ使いたいほうでいいので……」

 そこで、またも敬礼。

「了解。このままでお許し願います。リチャード・カルヴァン、そちらも敬語が使いにくいのであれば、ご自由にされて結構ですので」

 肩の力を抜けるのは助かる話なので、遠慮なくいつもの調子に戻す。

「そりゃありがたい。どうも目上を相手にするのは苦手でね。それといちいちフルネームってのも味気ない。リッチでいいぜ、金はないがな」

 ふっと、エスペランサが柔らかく相好を崩した。

「噂通りの男ですね。安心しました。好きなものは金と女性、でしたか?」

 これには驚きと同時、異を唱えざるを得ない。

「人聞きの悪いことを言うな! 誰から聞いた!? アンジーか!? マギーか!? くそう、確かにどっちも好きだけどそこまで俗物じゃねえよ!」

「失礼。よしなに」

「言葉の意味解って使ってるのか!?」

 折角出会えた金髪碧眼――まあこれはユーフォリア人共通の特徴だが――の美人に浮かれたのは最初の数秒。

 どうにもちょっとポンコツな印象が拭えない女性に、リチャードが先行きに不安を覚えるのも無理からぬ話であろう。


 エスペランサと名乗った少尉とは、目的地へと向かう道中に幾つか言葉を交わした。

「貴君の噂は伺っています。古代魔法を扱える稀有な才能の持ち主。そのために今回の特殊任務に抜擢され、万一の際には模造天使に対抗する対抗因子キラーファクターであると」

「そんな大げさな。魔導器の不調が続いててな。途中で故障したら眼も当てられない。なのにあんたたちはそれを頼りにするしかないってんだから、世も末だよな」

 皮肉にも涼しい顔を崩さない少尉。どうやらこの程度では揺らがないメンタルのようだ。

「遺憾ながら肯定です。今になって天使が出現するなど、誰にも予想が出来なかった異常事態。おかげで急遽、第三世代の魔導器を正規軍に採用させた。一応、対天使用にリミッターを外したモデルのようですが」

「そいつは豪気だ。腰に提げてるのがそれかい?」

 先日のテレビでも確認したが、拳銃サイズにまで小型化されているので持ち運ぶにはそこまで荷物にならないようだ。

「リミッターを外してるってのは違法だよな。使用者への反動リバウンドを無視するために消耗が激しい、短期決戦を主軸としたモデルだ。人間を消耗品とする手段だからな。ただその分、魔法の威力は跳ね上がる」

 どうやら軍といえども、背に腹は代えられないようだ。

 今回はそれほどの緊急事態。この国が滅ぶかどうかという話だからだろう。

 もうひとつ、昨夜のテレビで見た、本装備として正式採用されたという突撃銃型のものはと少尉の装備を眺めるが、今回はその拳銃型のみらしい。

 それが二挺。

「詳しいのですね」

「これでも工学科だからな。で、今向かっているのは一般区で事件があったって場所かい?」

「否定です。混乱を避けるために公にはされておりませんが、企業……アイゼンシュミット・テクノロジーの開発担当者が犠牲になったということで、その本社に向かっています」

「アイゼンシュミット!? ユーフォリアでも随一の魔導器開発会社だぞ、大物じゃねえか!」

 ユーゲントの卒業生のなかでもとりわけ成績優秀者がこぞって就職を望む一流の大企業。

 犠牲になったのが開発担当となると重要人物、ならばこの件、単なる殺人事件とはわけが違う。

 魔導器を生み出すその中枢を叩こうという目論見。

 これはテロに等しい。

「だからこそ、反魔法団体アルジェントは企業に眼をつけたのでしょう。魔導器を制作する大本を叩けば、魔法によって栄えた土台が一気に崩れ落ちる、と」

「だが一企業を叩いたところで、世の中が動くものかね。しょせんは氷山の一角でしかないんじゃないのか」

「いえ、アイゼンシュミットは正規軍に最新モデルを提供しています。第三世代サード・ステージを初めて世に送り出したところですからね。今までに制作されたモデルの性能も、同時期の他社のそれとは大きく水を開けている。レベルが違う、と言うべきでしょうか」

「そこまで重要な会社なら、むしろ俺とかあんたじゃなく、正規軍がその本社を警備すればよかったんじゃ?」

「それがどうも、会社の体質が奇妙というか……関係者以外は一切その内部に踏み込めないのです」

「へえ。内側の企業秘密が人の眼に入らないようにってことかい?」

「ええ。一部では黒い噂も耳にしますし……」

「聞いた覚えもある。企業が、魔法式の加工技術や最新の科学技術を独占しているっていう」

「肯定です。ですので徹底した警備態勢を自社で敷いている。もっとも確実な手は、外部の人間を内側に入れないことですからね。それでも針の穴を通すように、この機に反魔法団体を利用してアイゼンシュミットの秘密を暴こうとする輩もいるとか」

 もしや、それが隣国アルテリアの目論見なのか。

 もしもアイゼンシュミットが最先の技術を独占しているとして、それが他国に漏れるようなことになれば取り返しのつかない損害になる。

 あるいはそれを皮切りに再び戦争になる可能性すら否めない。

 ――現状の平和は綱渡りのバランスで維持されている。

 どちらかの国が体勢を崩せば均衡が崩れ、それをきっかけにして火蓋が切って落とされるのだ。

「ええ……? この話、もしかしてとんでもなく入り組んでるんじゃないの?」

「肯定。今頃お気づきとは、呑気なものですね」

 だからこそ、マーガレットが事件の裏側、つまり模造天使がいかにしてこの件に投入されたか、またはその本当の目的が何であるのかを調べて欲しいと彼に頼んできたのだろう。

 最悪、模造天使と一戦交えることになっても生き延びる可能性があるとして、リチャードが選ばれたのは当然と言えば当然だったのかも知れない。

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