第2話 予兆
器械技術の日進月歩が今も目覚ましい大国ユーフォリア首都、魔導都市ブレイダブリク。
一〇〇〇年前に起きた魔導大戦から長い年月を経て大きな発展を遂げたこの街は、人々の暮らしに密着した魔導器がそこかしこに見受けられる、
街のあちこちに菱形ひしがたの水晶が宙に浮かぶ。これが空気を清浄にしたり、気温を調整したり、野生動物等の侵入を防ぐ役割を担っている。
魔法のレールを敷かれた空中環状線がぐるりと街を一周していたり、建物はと見れば紋章が煌びやかに輝き、様々な彩いろどりを見せる魔導都市。
そしてなによりも、リチャードたちが通う魔導技工士を世に送り出す将生学院、通称ユーゲントは新政府によって設立された教育機関。
ひとかどの研究機関としての役割も持っており、国内外に名を馳せている。
専攻過程によって学科がわけられ、造船や器械工学、そして法律を学ぶ法学科など、人材育成の役割は多岐に渡る。
実のところ、ブレイダブリクを要するこのユーフォリア共和国は〈魔導法学〉に主眼を置いての生徒育成を主軸としている。
器械と魔法の共存が始まってからも法整備はまだまだ議論の余地を残しており、それが近年急増している魔導犯罪の温床となっているのは否めない。
急激な成長がもたらした歪みのようなものだ。
今となっては魔導器を悪用した魔導犯罪も多く見受けられる。
いかな技術発展の聖地といえども法の眼をかい潜る人の悪意からは逃れられない。
必然として生まれた社会の暗部――魔導器を扱える者達が集って新政府打倒を掲げるテロリスト集団の存在もまた、こうした発展が伴う影としてその牙を研いでいた。
時にして大戦から一〇〇〇年後の今。平定された大陸間和平の影で暗躍する者たちを抱えながらも、仮初めの平和は危うい均衡で保たれていた。
ふと、見慣れた後ろ姿に声をかけた。クラスメイトのひとりだ。
「お、フィリップ。この時間ってことは、何だ、また夜更かしか?」
「よう、リチャード。お前も今か。相変わらず朝が弱い」
教室に着くまでの間、リチャードは会話の傍ら、頭の片隅で彼女について考える。
魔導工学科に在籍する自分と違い、アンジェリーナは国内屈指の難関と言われる魔導法学科の試験をトップの成績でパスした経歴を持つ。
加えて学院の理事に名を連ねる四大名門スキーブラズニルの家系――とはいえ、その実体は少し複雑だ。
「俺は考査の結果を含めた復習での夜更かしだからな。教官がたも大目に見てくれるだろ?」
彼女はリチャードと同じ孤児院の出身である。
その特殊な生い立ち故に身元を隠して辺境の孤児院へと預けられ、リチャードと共に生活していく運びとなった経緯。
だがとある事件を機に彼女の特異性は露見し、それによって孤児院の所有権、ひいては国同士の駆け引きにまで発展したのだ。
やがて紆余曲折を経てユーフォリア側の貴族に引き取られ、養子となってからの間もアンジェリーナは折を見て別れたリチャードの元をちょくちょく尋ねて来ていた。
幼馴染みが年々美しくなっていって、自分の中の戸惑いもその度に大きくなっていって。
会えない時間を寂しいと思うようになったのは、いつからだったろうか。
「ところでこの間の、どうなったんだ? リチャード、お前ラブレターもらってたろ。一年の女子生徒に。黙っていればいいものを、お前はすぐ調子に乗って軽口を叩くからな。幻滅した子の多いこと多いこと」
とはいえ、彼女の特異性は世界情勢のレベルから見ても決して無視の出来ないものだった。
彼女こそは世界に名だたる〈
「う、うるせえって! じゃあ何か、俺に喋るなってのか!? そんなの呼吸するなって言ってるのと同じだぞ!」
この世において比肩するもののない強大な存在――かつての魔導大戦を終局に導いたのは、彼女の祖先がいたからこそと言われるほどだ。
アンジェリーナはその血と力を如実に受け継ぎ、今や彼女こそが世界最強の戦乙女。そんな存在が一介の学生に甘んじている理由が、一体どこにあるというのか。
「リチャード。俺が女性の口説き方ってやつを教えてやろうか?」
予鈴が鳴る。物思いもここまでと、リチャードは足を速めた。
「魔導器にしか興味がないお前に言われちゃ、オシマイだろうが!」
その日の三限目には、実技があった。
今の時代において、魔導技工士とは単なる技術屋に収まる役職ではない。
魔法と器械。すなわち、科学技術と魔法技術の混成体系。
どちらがどのような長所を持ち、どのような短所を持つかを学生のうちから基礎知識として叩き込まれるのが、この魔導工学科である。
人命救助、災害支援、社会福祉、そして技術支援、医療関係etc……
はっきり言ってしまえば、魔法は万能ではない。人の手で操る魔法よりも精密器械の方が優れている面はある。場合によってどのような支援体系をとるか判断し、柔軟に対処していく……いわゆる〈便利屋〉だ。
ところで、リチャードがもっとも得意とするのは対人戦闘である。
技術屋風情が何をと思われるかも知れないが、魔導技工士は様々な分野に精通している分、逆説的にトラップや奇襲の知恵も併せ持つ。
国家指定の魔導技工士ともなれば、時には要人護衛を言いつかることもあるという。
さすがに学生ではそんな重要な仕事に就けるわけもないが、この学院がいずれ国を動かす人材を育成しているのは間違いない。
とはいえ工学科だけで一クラス六〇人、それが一八教室もあれば、そこには様々な性格の生徒も多くいるわけで。
「よう、リッチ。お前もまた追試組か?」
そう声をかけてきたのはさっきのクラスメイトだった。
短く逆立った金髪の男子生徒で、入学時から同じクラス、二学年にあがってからも腐れ縁となっている友人。
「気が重くなるような話題はよしてくれ。も……ってことは?」
友人、フィリップ・ハーキュリーズは肩をすくめる。
気取った所作だが、それが妙に様になる。以前に聞いた限りでは、中流貴族の出であるとか。四大名門に名を連ねる〈ヴォルフガング〉家の傍流。
そんな地位なら、なにも便利屋家業の魔導技工士など目指さなくても楽に食っていける道はあっただろうに、彼は魔導器に眼がないメカマニアらしく、その原理を解き明かす道としてこの学院に入ったという。
「器械工学以外てんでダメ。魔術理論とか流体素エーテル原理学とか、頭がいくつあっても足らない」
一見、お調子者としてひょうきんなそぶりだが、切れ長の鷹に似た鋭い眼がその印象を裏切る。本来は洞察力や分析能力に長けた学者肌なのだが、興味の対象外にはとことん無関心。
とはいえその実は友人に対してよく配慮の出来る快男児である。
恐らくリチャードが中間期考査の結果で落ち込んでないか様子を見に来てくれたのだろう。
そういう気配りができる得がたい友人であり、彼のそうした面にはリチャードも感謝の念を抱いている。
さりとてこれも、落ちこぼれ同士が傷のなめ合いをしているくらいの慰めにしかならないのだが。
「まあお前、自分が好きなもの以外目に入らないしな。一応、そのあたりの科目は要所要所押さえておけば単位だけは取れる、らしいぜ?」
「ほお、そうなのか? で、その情報はどこから?」
途端、にんまりと相好を崩す顔に嫌な予感を覚えるリチャード。
「……ほ、法学科のエリート様だよ」
出たよ、と頭に手をやるフィリップ。
もうこの学校でリチャードとアンジェリーナは周知の間柄らしく、からかわれることも最近では少なくなってきたように思う。
思うだけで、完全になくなったわけではない。
「アンジェリーナ嬢ねぇ。二科目だけでも覚えることが多すぎるのに。そういや彼女、次期生徒会長って噂もあるけど、敷かれたレールにあのお姫様がおとなしく従うものかね?」
「さてなぁ。プライドは高いが、融通がきかないってわけでもなし。うまく立ち回るだろ。昔から要領いいしな。そろそろ行こうぜ」
ひとまず教室を移動するために立ち上がる。次の実技科目は屋外、それも学院から離れた浮岩群というエリアで行うため、ここからの移動時間も考えて早いうちから向かっておかなければならない。
廊下に出てしばらく。背中側から居丈高な声がかかった。
「お待ちなさい! 〈ワンハンド〉!」
それはリチャードのあだ名だ。常に片手で魔導器を使うスタイルを揶揄されてのものであり、正直呼ばれてあまり気分の良いものではない。
「おっと。たしか衛生科の」
先に振り向いたフィリップが告げたのは、リチャードも一度は聞いたことのある名前だった。
「これはエヴァンジェリン・オールドレッド・ジェラルダイン嬢。ご機嫌麗しゅう」
恭しく頭を垂れるフィリップ。それだけ身分が高い相手ということか。
学院内とはいえ、やはり身分は身分。特権階級である貴族がその立場で高圧的に振る舞う風習は根深く存在している。
とりわけ周囲よりも成績の劣る者には風当たりが強い。
「オールドレッド……上流貴族の?」
古来より続く習わしとして名だたる貴族のうち、その血統にのみ受け継がれる強大な魔法を意味して〈色〉の名を授けられることがある。
今リチャードの前に立つ少女は〈原初の赤〉――炎を司る精霊の加護を授かった一族の末裔なのだ。
「ご機嫌よう、フィリップ・ハーキュリーズ。でもごめんなさい、今日はそちらのワンハンドに用がありますの!」
腕を組んだ仁王立ち。そのもの威勢は良いのだが、いかんせんリチャードの目にはそこまで大層な人物に映らず。
「……小さいな」
「な、何ですってぇ!? いくらアンジェリーナ姉さまのお気に入りとはいえ、その言葉は聞き捨てなりませんわ!」
そう、背丈が妙に低く見える。取り巻きであろう後ろの二人もそう高いほうではないが、中心に立つエヴァンジェリンは彼から見て頭二つぶんは小さい。
ここは高等部。これだけ背に差があるとなると。
「フィリップ。この子は小等部から迷い込んだのか?」
何気ない疑問を投げたつもりだったが、これが少女の尊厳を酷く傷つけた。
「いや、その……リッチ。あのな」
ぐぐぐ、と握り拳を作ったエヴァンジェリンは次にそれをリチャードに向ける。
「清く麗しいアンジェリーナ姉さまの手前、見逃してきましたがもう我慢なりませんわ!
そもそも、あなたのような下賤の身でありながら姉さまや私たちと同じ空気を吸っていること自体耐えられません! 下民は下民らしく廊下の隅を歩きなさい! あと、ええと……とにかく、頭ずが高いですわよ、ワンハンド!」
「あー、この子そういう……」
察したらしいリチャードにフィリップが追随する。
「まあ貴族の、それも女子の間ではそう珍しくない話だ。尊敬するお姉さまに近付く虫は許せない、とかそういう、な。ご愁傷さま」
顔を赤くしていっぱいいっぱいになりながらリチャードを思いつく限りの言葉で貶しているようだが、その小さな身から放たれるのは小動物のような愛らしさだけだった。
「いや、でもなんで今?」
「合同ですのよ! 次の実技、衛生科と工学科は!」
地団駄を踏むような仕草。貴族らしさを欠片も感じない、とは口に出来ず。
「そうなのか、フィリップ?」
「お前がアルバイト忙しいから彼女は今まで手を出せなかったんだよ……それと、先生の話はよく聞いておくものだ」
胸の紋章の色から同級生のようだが、甲高い声で子犬が鳴いているようにしか見えないリチャードは眼を細めた。
「そうかそうか。それでご挨拶ってわけね。ああ解った、お前さんの活躍がすごかったってことを俺からアンジーに伝えればいいんだな?」
フィリップが頭を抱えた。
これで憤慨の極みに達したエヴァンジェリンが、こうのたまう。
「ふ、ふふ……バカにして……そう、そうですわね。そうしましょう。でも!
私の相手はワンハンド! あなたよ!」
「え、あれ?」
「決闘ですわ! 叩きのめしてさしあげます!」
「ええ……?」
両肩を怒らせてのしのしと立ち去る小柄な少女。横からため息が聞こえた。
「お前、さすがにバカにしすぎだろう。あれでは怒って当然だ。彼女に小さいは禁句だよ」
「いや、そんなつもりはなかったんだが。確かに失言だったな。つい、小動物が頑張ってるように見えたから……」
「相手を罵り慣れていないあたりはかわいらしさもあったけどな。あの子を怒らせると、痛い目を見るぞ?」
友人の言葉にやれやれ、と肩を落とす。
「自分のまいた種、か」
「そういうことだ――まあ。彼女のほうもお前を見下しているようだしな。おあいこだろう」
確かにエヴァンジェリンは階級を傘にきて、こちらを蔑んできていた。
だが、フィリップは確信する。挑む相手が悪かった、と。
「驚かせてやれ。彼女もお前のことを知りたいのだろう、いい機会じゃないか。あれでも何度となくお前の下校時に待ち伏せしていたんだぞ? まあ、全て空振りだったようだがな」
意地の悪そうな笑みを浮かべる友人。顔は合わせず、同じように口辺をつり上げて。
「なんだ、意外と健気じゃないか。それなら、遠慮をするのは失礼だな」
〈ワンハンド〉――その由来は決して蔑みの意味だけに収まらない。
かつて起きた一〇〇〇年前の魔導大戦。そのさなかに生まれ、失われていったひとつの異能があった。
その指先はあらゆる奇蹟を紡ぎ、その腕かいなは天地を引き裂く。
そしてその掌てのひらは、人々を等しく救いあげる――
名を〈
今や童話となって語り継がれる、本物の魔法使いの物語。
偉大なる〈蒼の深淵〉を継承し、この世にたったひとり遺された最後の魔法使いが――ここにいるのだ。
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