第11話

ジャンの狙撃で、先を歩いていた男は銃を取り落とした。

右腕に着弾したらしい。

何が起こったか二人が理解出来ないでいる内に、もう一発、今度は狙いがややずれて、左の肩を貫いた。

男はパニックに陥り、ジャンの方へ銃を乱射する。

狙いを定めない散弾だが、幾らかはジャンの肉を削いでいった。

細かな血飛沫が霧の様に吹き上がる。

ジャンはそれでも更に撃った。

今度は左腕が破壊される。

これで男は暫くの間、余程の気概が無い限りは銃を持つ事さえ出来無くなった。


二人はにわかに慌てだした。

しかし一人は片腕を、もう一人は両腕を使えなくされている。

このまま武装してこの場に留まっていればあとは殺されるのだ、と判断し、男達は銃を拾って逃げ出した。

傷を負った部分は上半身だけなので、腕や肩を押さえるだけで、脱兎の如く走って行った。

去り際に何か言葉を吐き捨てて行ったが、一真には聞き取れなかった。

良い言葉ではない事は予想がつく。


二人が去り、また、砂混じりの風が吹き抜けていく。

廃墟の二階から半身を乗り出したままのジャンは、銃を下ろし窓枠に背中を預けて深く息を吐いていた。

物陰から一真は出る。

それと、風に吹かれる木の葉の様にジャンが態勢を崩し、腰掛けていた窓枠から落下するのは同時だった。


「ジャ、ジャン!」


思わぬ事に、一真はジャンの落下地点まで走る。

しかし到底受け止める事などは出来ず、目の前に、ジャンの肉体が重い砂袋の様な音を立てて落ちてきた。

ずん、と微かな地響きと共に砂煙が舞い上がる。

ジャンが落ちた所は、ちょうど、砂ではなく瓦礫が堆く積まれている場所だった。

ジャンの身体はゴム人形の様に力無く跳ね、ずるずると滑り落ちて、一真の前で止まった。

一真はその姿に言葉を失う。


空洞を穿った腹部の銃創は、肉の間から血と内蔵を露出させていた。

血臭と生臭さの向こうに、微かに糞便の臭いがする。

腹だけでなく、頭部からも出血していた。

左頭部から左顔面にかけては先程の乱射により銃弾で抉り取られたのだろう、骨が砕け肉がごっそり無くなっている。

落下した時に強打した肩は脱臼したらしく、左右で幅と高さが違っている。

腹部からの血は滔々と止まらず、それに比例してジャンの顔が次第に白くなっていく。


ジャンは、自分の元に駆け寄ってきた一真を見て微かに眉を顰めた。


「……逃げろと、言った」


不機嫌な声は途切れがちで小さく、風に消されて上手く聞き取れない。

一真はジャンの傍らに膝を突いた。

ジャンは浅い呼吸を繰り返している。

痛みなど感じていないかの様に静かだ。

それが、死を前にした人間特有のものなのか、それともジャン個人の気質によるものなのか、一真にはどちらとも判別がつかなかった。


胸に下げたカメラを持ち上げる。

顔の前に構え、ファインダー越しにジャンを見て、一真は言う。


「あんたを、撮りたい」

返事も待たずシャッターを切る。

一度だけでは足らず、二度、三度と撮影する。

ジャンの頭の傷。

腹の銃創。

手にしたIMIガリル。

次第にシャッターを切る指が早くなる。

正規軍の装備。

血を吸い変色した衣服。

呼吸と共に早くなっていく。

血の気を亡くした端正な顔。

遠い異国で出会ったのに故郷の友人の様な懐かしさを感じさせた、横顔。

この世の暗闇を凝固させたみたいで、銃器の様な固く無感動な黒い瞳。

一真はジャンの全てを写真に収めたかった。


そんな一真に、ジャンは残った唇の端を少しだけ歪めて、笑った。

それだけだった。

あとはもう何も無かった。


一真は夢中でシャッターを切る。

物言わぬ肉の塊になったジャンを撮りながら、いつしか一真は泣いていた。


ジャン。ジャン。

お前、自分の生命が無意味だなんて言うなよ。

お前に見付けられないなら、俺がお前に、意味を付けてやるよ。

お前の生もお前の死も、価値が無いなんて言わせねえよ。

ジャン。

なあ、だから、ジャン。

お前を撮らせてくれ。

お前の思考を、生き様を、俺に刻み付けさせてくれよ。


溢れる涙を拭う事もせず一真は写真を撮り続ける。

それが死んだ友への餞であり、最後まで自分の意味と価値を否定し続けた男への、唯一の反論だと思った。


ジャン。

確かに生命なんてみんな蝿みたいなものかもしれない。

少なくとも今の俺は間違い無く蝿だ。

お前の死に集り、死肉に集る卑小な蝿だ。

でも。

お前を、そのままには、しておかない。

ジャン。

蝿みたいなお前にも生命があった事、その生命に意味と価値があった事、お前が信じていなくても、俺だけは覚えていてやるから。


シャッターを切る音は風が攫って、そしてどこかに消えていった。

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蝿の生命 アオギリ @aogiri_dhigaya

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