第10話

一真は震える手でカメラを持ち上げる。

こんな事をしている場合ではない、と頭の中で誰かが言うが、今、この時に撮らなければならないと一真はその声を無視した。

ファインダーを覗き込む。

間近に居るジャンの姿が画面いっぱいに映し出される。


ジャンは銃を携えたまま壁越しに敵の動向を窺っている。

無駄な肉の無い端正な横顔、乾燥し砂で色褪せた薄い唇。

ファインダー越しに輪郭を追っていると、ふと、その唇が動いた。


「お前は死ぬなよ、カズマサ」


名前を呼ばれて一真はカメラから顔を離した。

ジャンは一真を見ないまま、続けて言う。


「このまま奴らの弾切れを狙っても良いが、長引くと仲間が来るかもしれない。そうなれば俺とお前の帰還が難しくなる。ここで決着を着けたい。今から俺が奴らを手負いにして無力化してくる。そうしたらお前は逃げろ」

「お前は……?」

「恐らく無傷ではないだろうな」

「何でそんな事言うんだ」

「その可能性が高いからだ。俺がどうなったとしてもお前には関係無い、構わず行け」

「お前が怪我してても置いてけってのかよ」

「俺の事など気にするな」


ジャンは一真に目を向けた。

手にした銃と同じ硬さの、黒い瞳。

必要があれば人を殺す事も厭わない、無機質な鈍い光沢を持つ瞳が、一真を映す。


「どうせ俺の命など、あった所で意味は無い。俺が死んでも代わりは居る。俺の死に何の価値も無い」

「ジャ、ン……」

「……お前はお前の役目を果たせ」


ジャンはそう言って顔を背けた。

銃を構えたまま中腰になり、走るために前傾姿勢を取る。


一真は手を伸ばした。

ジャンが何をしようとしているのかおぼろげに理解し、引き止めなければならないと思った。

けれど言葉が喉から出て来ない。

一真はジャンの裾を掴みかける。


ジャンが壁から飛び出した。

一真の手は空を切った。


突如として姿を現したジャンに、相手の反応が遅れた。

走るジャンを追って銃弾が射出される。

ジャンも走りながら引き金を引き、両者の間に再び銃声が轟く。

ジャンは最も近い場所にある廃墟を目指していた。

空爆を受けて上方が瓦解したビルだ。

入口はとうに破られ、中は昼中でも暗い。


廃墟まであと数歩、という所でジャンが銃弾に捕まった。

血を纏った鉛弾がジャンの身体を貫通して砂の上に着弾したのが、一真の居る場所から見えた。

ジャンは走る勢いそのまま、体勢を崩しながら廃墟に突入する。

ジャンが姿を隠した事で、相手の銃声が止まった。

乾いた風が硝煙と血の臭いを一真の鼻まで運んでくる。

身を隠しながら、一真は誘拐犯達の様子を見る。


腕を撃たれ半ばから千切れていた男は、衣服を脱いで上半身裸になり、着ていたその上着で傷口を縛ってどうにか腕を繋げている状態だった。

服が傷口からの出血を吸い、限界を超過した血液が腕を伝って指先から砂の上に滴り落ちて砂をまぶした様な赤い水溜りを作っている。

元から肌の色は黒かったが、出血の所為で青みがかり、今は土気色に近い。

銃を担いでいた男は、ジャンが突入したビルの入口を凝視していた。

ジャンがこの後、いつ反撃をしてくるかと警戒しているのだろう。

自分の撃った弾がジャンを射抜いた事は見ていたはずだから、もしかするとこのまま止めを刺せるかもしれないと、そう考えているかもしれない。

銃を持ったまま、少し腰を落とした姿勢で、じりじりと遮蔽物から身を乗り出す。


ジャンが消えていった廃墟ビルの入口から、反応は無い。

人が居る気配すら一真には感じられなかった。

まさか銃創が原因で失血死など……一真の脳裏に嫌な予測が過る。

そんなしくじりをする男ではない、と自分に言い聞かせながら、それでもどこにも確信は無い。

一真は焦った。

そうでなければ心配、と言っても良いかもしれなかった。


二人の男は、そっと、そしてゆっくりと、遮蔽物にしていた大きなコンクリ片の陰から出て来た。

銃を構えたままいつでも撃てる状態にし、三歩進む毎に遮蔽物に身を隠しながら、廃墟の入口に近付いて行く。

二人の影が、廃墟の作る大きな影に入って消える。

その時だった。


一真は上方に目を向け、声を上げそうになった。

廃墟の二階の、割れて空洞になった窓から、ジャンが二人を見下ろしていた。

傷を負ったままあそこまで移動したのか、と思っている内に窓から銃身が突き出される。

銃口は何も知らない二人に向けられている。

銃撃戦においては、相手より上方に位置取りをした者の方が有利だとされている。

狙撃にしても狙いやすく、また掃射にしても状況を把握しやすいからだろう。

ジャンは廃墟に突入する事で自ら地の理を生み出した。

二人が日陰に入るのを待っていたのも、己の影の動きで悟らせない為だ。

ジャンは窓から上半身を乗り出し、二人に向けて引き金を引いた。

今度は先程までと違ってセミオートで、ぱん、と乾いた音が弾けた。

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