第3話

一真とジャンを乗せたトラックは一つの建物の裏手で止まった。

市街地にあって崩壊を免れた幸運なビルだ。

反政府組織鎮圧部隊のキャンプを出発する際にジャンから聞いた話では、ここのビルの屋上に、ジャンの仲間が待機しているらしい。

何故こんな場所に待機しているのかと言えば、ここから見える場所に、反政府組織の人間が居るらしき場所を発見した為であるらしい。

らしき、と曖昧な表現をして即座に攻撃を仕掛けないのは、相手が非戦闘状態である所への攻撃を禁止されている事と、万が一にも武装をしただけの民間人の集団であっては困る事の二つの理由が挙げられる。

 

一真とジャンが荷台から降りると、運転手を務めていた兵士も銃を携えて出て来る。ジャンと同じくIMIガリルだ。

スリングを前に回し、左手で手前に付いた銃把を、右手で引き金に付属した銃把を握っている。


「上で監視している奴らと合流する」


ジャンが短く一真に説明し、建物に入っていく。

運転手がそれに続いた。

一真は最後尾で、身を低くして付いて行く。

ビルの中は空だった。

昔は住居として利用されていたのかもしれないが、今は散乱し土埃に塗れた家財道具が転がるだけで、人の姿は無い。

当然だ。

こんな場所でのうのうと生活を営めば半日もせずに命を落とす。

一真は移動しながら写真に収める。


階段を利用して屋上へ上がる。

屋上からは街が見回せた。

ブロックで出来た街を叩き壊せばこんな感じになるのかもしれない。

欠けて崩れた砂色の建造物群はジオラマの様で、現実味が無い。

屋上の塀の下に縮こまって、三人程の男達が居た。

皆、反政府組織鎮圧部隊の兵士、ジャンの仲間だ。

三人は振り向いて手招きをする。

ジャン達も身を低くし遮蔽物の陰を渡り、彼らに近付く。


「状況はどうだ」

「動きが無い」

「居るのは確実なのか」

「入っていくのを見た」


ジャン達が言葉を交わすのを一真は後ろで聞いていた。

戦闘の門外漢の一真は口を挟もうと思わない。

男達も部外者の一真を居ないものとして扱っている。


一真はジャン達の会話を聞きながら、屋上の塀に寄った。

陰に身を隠しながら、なるべく頭を出さない様に、そっと外を見る。

見るべき方向は、塀に取り付けられた狙撃ライフルの銃口が示している。

これもIMIガリルスナイパーだった。

中東の正規軍ではガリル系が流通しているのだろうか。

IMIガリルスナイパーがその口を向けているのは、五〇〇メートル弱離れている建物だった。

そこまでの間には、崩れた建物と瓦礫に塞がれて車両の通れない道が大河の様に横たわっている。


「見えるか」


ジャンが隣に移動してきた。一真は首を横に振る。


「肉眼じゃ見えねえよ」

「貸そうか、双眼鏡」

「いい」


首から下げた軍用双眼鏡――シュタイナー製の、片手に収まる小さいもの――をジャンが渡そうとするが、一真は断った。

顔を引っ込めて、塀の内側で息を吐く。


「あんたらは双眼鏡で目標を補足しなきゃなんないんだろうけど、俺は別にそんなんじゃねえし。それに、今から死ぬかもしれない人間の顔とか見ちゃうと、後々まで引きずりそう」

「そういうものか」

「ジャンは、そういうの、気になったりしないのかよ?」

「全く。敵を知る事に何か不都合があるのか?」


塀から顔の右半分だけを出して双眼鏡で向こうを覗き込みながら言うジャンに、一真は何も言わなかった。

こいつは、こういう男だ。

人情よりも、合理性を。

理想よりも、現実を。

リアリスト。

冷静で状況の把握に努める。

兵士として間違いの無い行動を取る男。


一真は違う。

好奇心と同情心と、よく分からない情熱的な義務感に突き動かされて戦場ジャーナリストになった。

冷静に状況を把握し現実を見据えなければならないが、しかしそれだけでは戦場ジャーナリストは出来ない。

戦地に赴き、心を動かされたものを、最も伝わる様に撮影し、誰かに届ける。

その記録は感情的でなければならない。

そうでなければ、心を動かす戦場の写真など撮れない。

見る者の心にまで届くものを、一真は戦地から切り取って持って帰らなければならないのだ。


よく、マスコミの仕事は恣意的だと言われる。

事実をそのまま持ってくるのではなく、事実の一部分を切り取り、方向性を持たせて開示する。

その方向性には時に悪意が潜んでいる事を、一真は否定出来ない。

しかし、感情の伴わない記録など、誰が目を向けるだろうか?

一真は思う。

だから報道には感情が必要だ。

意思が必要だ。

記録者の意図を記録によって表現しなければならないから。


首に下げていたカメラを、一真は両手で持ち上げた。

その動作に気付いて、外を観察していたジャンが視線を寄越した。

カメラのレンズが自分を向いている事を見て、少しだけ眉を顰める。


「俺を撮る気か」

「うん。そのまま双眼鏡覗いてていいよ」

「止めろ」

 ジャンがあからさまに嫌そうな顔をした。

「お前が何を撮ろうとお前の勝手だ、好きにしろ。だが俺は撮るな」

「何で」

「撮られたくない」

「だから何で」

「顔が記録に残ると、それがどういう経路でどんな人間の手に渡るか分からない。俺は知らないのに向こうは俺の顔を知っている、そんな事態になる」

「それで何か悪い事があんのか?」

「あるかもしれないから言っている。撮るなら顔が入らない様にしろ」


そう言い捨ててジャンは再び双眼鏡で外を見始めた。

そうやって周囲を警戒してる所を撮りたいのに顔が無きゃ何してるか分かんねえだろ、と一真はジャンの言い草に苦笑する。

仕方が無いので、他の場所で周囲を警戒している仲間を撮影する。

砂と埃の混じった風が、屋上を吹き抜けていく。

一真がシャッターを切る音以外は、静かだ。

ふと、一真はそれに不気味なものを感じた。


ぱん、と、乾いた破裂音がする。

それと同時に一真が隠れていた壁の外側が壊れる鈍い音がした。

一真はカメラを抱えたまま身を低くする。隣でジャンも銃を抱えて壁の中に引っ込みながら、各々索敵をしていた周囲の兵士に向かって叫ぶ。


「攻撃されている! 全員、構えろ!」


ジャンの一言で、全員が銃を手にして身を低くした。

場の空気が張り詰める。

その間にも、破裂音は二度、三度と続く。

その度に壁が崩れる音がする。


一真は理解した。監視していた反政府組織にこちらが発見されて、発砲されたのだ。壁から聞こえる鈍い音は、向こうから発砲されたものが着弾して壁にめりこんでいる証拠だ。

一真は這って屋上の隅に移動した。

壁を背にして、カメラを構える。

突如として始まった戦闘に、場の空気が一気に緊張する。

耳を割る様な発砲音を聞きながら、夢中でシャッターを切る。

ジャンを始めとする反政府組織鎮圧部隊の兵士は、全員壁際に移動していた。

壁を遮蔽物とし、IMIガリルの狙いを付けるために顔の半分だけとを出して発砲し返す。

一人は設置してあったIMIガリルスナイパーに飛び付いた。

観測手も居らず、軌道を計算するためのソフトの入ったパソコンも無い。

前時代のまま、自分の目と頭だけで標的に狙いを定める。

腹の底に響く重い音を立てて、IMIガリルスナイパーから弾が射出される。

狙撃手はすぐさま引っ込んで、物陰に隠れて二発目を撃てる様に弾込めをする。

その間、ジャン達が牽制に銃弾をばら撒いて、敵がこちらに狙いを定められない様にする。


IMIガリルスナイパーに弾込めを終えた狙撃手が立ち上がり、再び狙いを定める。

一真もカメラを構えて、狙撃手を撮った。

シャッター音が銃声に掻き消される。

もう一度、と考える間も無く指が動く。

指がシャッターを押し込んだ瞬間、狙撃手の頭部が弾け飛んだ。

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