第2話

一真が行動を共にするこの男は、名前をジャン・タカサキと言った。

日系三世だ。

顔立ちはどことなく日本人の面影があるが、本人の生まれはアメリカだ。

出稼ぎのためにブラジルに渡ってきたジャンの祖父が現地の女性と結婚し、その子供が海を渡ってアメリカで結婚、そして生まれたジャンを連れて中東へ移動してきたと言う事だった。


ジャンの父は傭兵をしていた。

母はアメリカに残っているらしいが、もう何年も連絡を取っていない上に、ジャン自身は家の場所はおろか母の顔も名前も覚えていないという。

父が何故幼いジャンを連れて中東へやって来たかは分からない。

その理由を訊ねる前に、ジャンの父は死んでしまった。

それからジャンは孤児として戦場をさまよい、生きる糧を得るために戦闘に参加する様になったと言う。

ここに属していれば最低限の衣食住と金は手に入るから、と何でも無い事の様に言うジャンの話を初めて聞いた時、一真は目眩がした。

ぬくぬくと大学を卒業するまで日本で暮らしていた自分の生活とは価値観がまるで違った。


反政府組織鎮圧部隊に所属するジャンが、部外者である一真と行動を共にする利点は無い。

一真もそれを分かっていて、ジャンに頼み込んでいる。

ジャンは、命の保証はしないから自分の身は自分で守れ、と言って了承した。

同行する事を許可したと言うより、好きにしろと責任を放棄した様子だった。

一真とて自分の命の責任をジャンに擦り付けようとは思っていない。

ジャンや、他の仲間の邪魔をしないという条件で行動する事になった。


ジャンと初めて会ったのは、一真がこの中東の紛争地帯を取材する様になって、まだ間も無い頃だった。

何度目かの取材で訪れた折に、戦闘に巻き込まれかけた。

危うい所で命は助かったが、足に傷を負って立てなくなった。

そこをジャンが見付けて、ぎこちない日本語で話しかけてきたのだ。

ジャンの最初の一言を、一真は今でも鮮明に思い出す事が出来る。


―――ニホン、コンニチハ、ケガ、ミセロ。


日本人だと見てわざわざ話しかけて手当てまでしてくれたのだと、一真は思った。

そのままジャンの部隊の居るキャンプに付いて行き、ジャンの後ろについて取材を始めた。

それ以降、一真はここを訪れる度にジャンの厄介になっている。


 

ジャンの仲間の反政府組織鎮圧部隊の兵士が運転するトラックの荷台に乗せてもらいながら一真は移動する。

移動しながら、カメラを構えて風景を記録する。

こういう場所を移動するなら荷台ではなくきちんと壁と天井のあるジープの様な車の方が良いのではないかと、一真は始め思った。

ジャンに訊ねたところ、こんな答えが返って来た。

――ジープは高い。

自分の命を乗せて走るのに、問題が金額だった事に一真は愕然とした。

言葉を失くした一真に、それから、とジャンは付け足す。

高いのを買っても安いのを買っても防弾対策や装甲なんかの改造はしなくてはいけないし、荷物の積み下ろしもある、それに敵を早く発見するために視界は開けていた方が良い、素早い乗り降りのためにも壁なんかは無い方が良い……とか何とか。

これで爆弾を投げ込まれたり、機関銃で掃射されたりしたらどうするんだと思わないでもなかったが、乗せてもらっているだけの一真があれこれと口を出せる訳も無かった。

それに、視界が効くという事は、一真にとっても好都合だった。

どこにでもカメラを向けられる。


走るトラックの荷台からシャッターを切りながら、ここはあんまり変わらないな、と思う。

いつ来ても、いつ見ても、同じ様な光景が広がっている。

場所は違う筈なのに、似た印象を受ける。

懐かしいとは思わないが、また来てしまった、そんな感想を抱く。


ファインダー越しに、瓦礫と化した街並みを見る。

空爆で破砕された建物と、その破片で埋め尽くされた白っぽい土埃だらけの道の様子は、震災の直後の様だ。

空爆の被害に遭い、爆風と火災に見舞われたのだろう。

物の大きさが分からなくなる様な光景の中に、小さな人影が見えた。

子供だった。

兄弟なのかもしれない。

汚れてもつれた髪を切り揃える事もしないで、瓦礫の中を歩いている。

まるで公園の遊具で遊ぶかの様な気軽さで瓦礫の山を乗り越え、やがて姿は見えなくなった。


撮影を続行する一真と違い、ジャンはそんな光景に見向きもしない。

スリングを前に直し、そこに釣っていた銃の銃身に歪みが無いか視認している。

ジャンが持っている銃はIMIガリルの型だ。

イスラエル国防軍に支給されたものと同タイプだと言う。


以前に一度、一真はジャンに窘められた事がある。

ジャンと知り合って同行する様になったばかりの頃の話だ。

その時、一真は、街で幼い子供を見かけた。

ちょうど食事――と言うより補給――をしていた時だった。

一真やジャンがものを食べている光景を、その子供はじっと見ていた。

羨みや、妬みや、憤りや、悲しみなど、様々な感情を一緒にまとめて煮込んだ様な、暗い瞳だったのを、一真は今でも覚えている。

一真は、その子供に手持ちの食料を分けてやろうとした。

鞄に突っ込んだ手を、ジャンが強く握って止めた。

一真は止められる理由が分からずジャンを見返したが、ジャンは何も説明する事無く一真を引きずる様に連れてその場を後にした。


その後、反政府組織鎮圧部隊が駐留するキャンプに戻って、ジャンは無感情に言った。

貧困した人間は死肉に集る蝿と同じだ、あそこで何か施せばお前は骨になるまで何もかも毟り取られるぞ、と。

そんな言い方あるかよ、しかもそんな大袈裟に、と一真は思ったが、後日、丸裸の死体を街で見かけて、ジャンの言葉が決して誇張ではない事を知った。

死体の持っていた物も着ていた物も全て、貧しい人間が剥ぎ取って行ったのだ。

言葉も無くその写真を撮る一真に、ジャンは言った。


――たかが人間一人が、誰かを救えると思うな。中途半端な施しは状況の悪化を招く。何もかもを与える覚悟が無いなら手出しをするな。


その言葉を聞きながら、一真は思った。

怪我をした野生動物の子供を人間が保護する時と同じ様なもんだ。

良かれと思って助けたつもりでも、大きくなって手に余る様になって自然に戻した動物は、人間の臭いが染み付いて野生には戻れない。

群れには受け入れてもらえず、餌の取り方も分からず、結局は死ぬ。

保護した動物が死ぬまで面倒を見る覚悟が無いなら、最初から手を出すべきではない。


それから一真は、観測者である様に努めた。

可哀想だと思っても、何もしない。

それが、ボランティアでもない、たかが戦場ジャーナリストの一真に出来る最善の行動だった。

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