蝿の生命

アオギリ

第1話

一人で歩くな、と固く言い含められている。

誘拐される危険性があるからだそうだ。

中東の紛争地域まで来て今時そんな小学生にもしない様な忠告をされるなんて、と今年で二十七歳になる一真は苦笑した。

こんな大の大人の男を攫ってどうすんだよ。


一真に忠告した男は冗談でもない真面目な顔付きそのままに淡々と続けた。

お前の様な日本人、攫った後での使い道は幾らでもある。

日本の家族に向けて身代金の要求。

日本の政府に向けての人質として『極めて高度な政治的取引』での使用。

日本人ジャーナリストを『処刑』する動画を撮影して全世界に配信して自分達の組織を印象付け、ついでに信者を熱狂させる。

そういう事をしたがっている組織に売り飛ばす。

薬漬けにしてどこかのモノ好きに売られる事も、ひょっとしたらあるかもな。


男の言葉はそれこそ冗談の様だったが、それが却って今自分が居る場所の異常性を物語っている様で、一真は背筋が寒くなった。

反政府組織と、政府主導の反政府組織鎮圧部隊、そしてその間を縫う様に勃興して各地を占拠している過激派組織の三つ巴の戦闘が行われているこの中東の地では、そんな人道に悖る行いがまかり通る。


男の忠告に従い、一真は大人しく、トラックの荷台に収まっている。

中東、シリア。

砂の国の真昼の太陽は、真上から直接降り注ぐ。

空気が乾燥しているので、日差しに焼かれた箇所から罅割れて破片になって崩れていく様な錯覚を起こす。


一真と共に荷台に乗っている男は、昼の食事を取っていた。

ペットボトルの水分と、栄養補給のための固形食料を交互に口に運んでいる。

男の食事風景を見ているのも面白く無いので、一真は立て膝に頬杖をついたまま、停車しているトラックの荷台から辺りを眺めた。

景色は全体に砂色がかって、湿度の低い空気は砂と埃と微かに火薬の匂いがする。

立ち並ぶ建物は、罅が走ったり穴が空いたりしているものが多い。

瓦礫になる寸前の建物の方が、無傷の建物より余程多かった。

紛争地帯にはありふれた風景だ。


故郷のある日本の田舎町とは違う景色の中で、一真は、子供達が集まって、何か蹴りあっているのを見付けた。

サッカーボールなどというものは、こんな場所では入手出来ない。

大方、石をボールに見立てて遊んでいるのだろう。そう思って暫く見ていたが、子供達の足の間から見えるそれが何なのかに気付いて、う、と思わず息を飲んだ。

それは人の腕だった。

もう皮膚は剥がれ落ち、肉も削げ、筋繊維や軟骨が辛うじて繋ぎ留めているだけの、肘の半ばから先の、腕。

五本あった指は蹴られている内に取れたのか、今は親指の部分しか残っていない。

持ち主の無い腕は子供達の足の間を回されて、砂色に汚れていく。


「あ、あれ……あれは」

「石蹴り遊びをするには、手頃な石が無かったんだろうな」

「そんな」


一真は、一真の言葉を引き取った男を振り向いた。

食事の最後にジャーキーを噛みながら、一真の傍まで移動して来る。


「半年くらい前、この場所で爆発があった。恐らく反政府組織の自爆テロだ。大勢の市民が爆発に巻き込まれて死んだ。自爆した奴は、爆弾の欠片や火の粉と一緒にバラバラの肉片に千切れて周囲に散らばった。肉と鉄とプラスチックが焼けて溶ける臭いは一週間は濃厚に漂っていた。現場も凄惨を極めた。爆発を中心に炎が広がり、消火した後は黒い煤ばかりだった。あの腕は、その時に自爆した奴の腕だろう。持ち主が居ないものが放置されているんだから、それをどう扱おうと、それは自由だ」

「……」

「どうした、撮らないのか、カズマサ。お前が欲しがってた光景だ。紛争地帯の日常の光景だ」


死体の話をしたその口で平然とジャーキーを噛みながら、男は一真の胸元を指す。


「それは飾りじゃないんだろう?」


一真が首から下げているのは、小型の一眼レフカメラだ。

一真の商売道具であり、一真の目となって風景を記録するための、相棒だった。

男に指摘されて、一真はカメラを両手に持った。

とても、重い。

重みを堪えて顔の前まで持って来て、子供達が遊んでいる様子を撮影する。


シャッター音とフラッシュで気が付いたのか、子供達は腕を蹴るのを止めて、こちらを見た。

一真が構えているのが銃ではなくカメラだと知ると、笑みを浮かべて手を振ってきた。

その光景にも、一真はシャッターを切る。

死体で遊ぶ子供を、残酷と呼ぼうか。

カメラにはしゃぐ子供を、無邪気と呼ぼうか。

飲み下しきれない違和感を押し込んで、一真はカメラを下ろした。


目の前の男はジャーキーを噛み千切って、残りの半分を一真に差し出す。


「現場の、現実を、撮影する。それを、知らない誰かに伝える。その為に実際に戦地に赴く。そういう仕事だ。お前の、その、戦場ジャーナリストという仕事は」

「……うるせえよ」

「事実だろ」


一真がジャーキーを受け取ると、男は両腕を組んだ。

その肩には背負い式のスリングが下がっている。


「お前は真実を切り取って報道する。それがお前の役目だ。俺にも役目があるのと同様に」

「そう言うお前の役目は……」

「前にも言った」


男の背で、スリングに釣られた銃身が、砂の国の太陽を浴びて、鈍く光る。

男は銃と同じ硬さの声で言い切った。


「殺す。反政府組織の人間は殺す。混乱に乗じて土地をぶん獲って支配しようとする過激派組織の人間も殺す。反政府組織鎮圧部隊に所属する俺の役目は、それだけだ」

 

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