第35話 裏切り
「人類は過ちを繰りかえす。そうは思わないかい、クロード君」
コップに入った蒸留酒を揺らしながら愚痴るご主人様。その目はどこか遠くの景色を眺めていて、俺のことは視界に入っているが、見てはいない。簡単に言えば酔っぱらってる。
「そう思うなら俺に言わず、頭に直接言って止めればいい」
俺みたいな何の力もない下っ端に言っても仕方ないことだ。聞いたところでどうしようもないし、どうにかするつもりもない。頭の決定なら俺たちはそれに従う。
「アレに言ったところでどうしようもない。どうせ私の言うことなんて聞きやしない。君たちはいつもそうだ。誰もかれも、私の忠告を無視しては大変なことになって泣きついてくる」
「へいへい。大変すね」
「このコロニー内で完結していればいいものを、欲を出して外に出ていくからだ」
あんたが技術を公開すりゃそれもできるかもしれないのに。というのは黙っておく。酔っ払い相手に何を言っても徒労になるだけだ。それを聞くなら素面の方が、よほどまともな答えが返って来るだろう。
しかし、どうしてこうなった。いや、原因はわかるとも。単純に疲れからきた間違いだ。遊びに来たご主人様に、酒と水を間違えて渡した。そしたらご主人様が昔を懐かしんで一本丸ごと空けてしまい、その結果がこのザマだ。ただでさえめんどくさい奴が、酒に酔ったせいで三割増しでめんどくさくなってしまった。
「それはそうと、よく私に報告してくれた。どうだい、私の側に寝返るつもりはないかな」
「誘いはうれしいが、そのつもりならあんたが素面のときにまた頼む。酔っ払いの呟きほど不確かなものもない」
乗り換えはおれも考えているところだが。乗り換えの途中で「そんなこと言ったっけ」と梯子を外されたら奈落の底へ真っ逆さまだ。そうなるのは恐い。いくら功績を立てていても、裏切はそれを帳消しにして余りある大罪だ。というかアース壊したので大体帳消しだし、寝返る算段を立てていると知られたら弁明の機もなしに殺されるだろう。
「ではそうしよう。いやしかし、マズイ酒でも酔えるものだ」
「マズイなら飲まなきゃよかったのに」
「マズイ方が気楽に飲める。だからこそ酔うのかもしれないね」
「んなこと言うなら返せよ……いややっぱいい」
喉に手を突っ込んで吐き出されても困る。というか汚い。吐いたものはエーヴィヒに掃除させるとしても、目の前で吐かれるとこっちまで気分が悪くなる。いくら毎日ゲロみたいなもん食ってても、本物のゲロを見たくはないね。
「ほんで、結局今日は何をしに来たんだ?」
「んーむ、思い出せないな。エーヴィヒ、私は何をしにここに来たのだっけ」
全く。これだから酔っ払いは。
「私の譲渡に来たのではありませんか」
「ああ。そうだったような気がする。事故で君にあげたエーヴィヒが死んでしまったと聞いたので、補充品を渡しに来たんだ」
「……事故? ああ、まあ事故みたいなもんだな」
言い方に引っかかりを覚えたが、そういうことにしておこう。
それにしても単純に物扱いされるとはかわいそうに。スカベンジャーでも一応一人の人間として扱ってもらえるのに。
「車に轢かれて死ぬなんて不注意にもほどがある。次は気を付けるんだぞ」
「はい。申し訳ありません」
おかしいな。俺が殺したはずなんだけど……いや、本人が言うならそういうことにしておこうか。エーヴィヒが何を考えているのかは知らんが、俺にとっては好都合。反逆ともとられかねない行為だったから、黙っていてくれるのはありがたい。
何考えてるのかわからないのがまた不気味だが。後で聞けば答えてくれるだろうか。
「では、また。不束者ですがよろしくお願いします」
「……よろしく頼む」
片手を差し出す。今の話で、エーヴィヒは少なくともご主人様の側ではないことがわかった。それなら、優しくしておけばこちら側へ引き込めないかという考えだ。甘い考えというのはわかっている、だが自分で危ない橋を渡るより、他人に渡らせた方が安全だろう。
「では、私は帰るとしよう。素面の時にもう一度来るよ。それまでに答えを決めておいてくれ」
「……へいへい」
さて、状況が変わったな。エーヴィヒがこっちに寝返るのなら、俺が寝返るメリットはない。スカベンジャーのまま現状維持だ。ご主人様の側に着けばちょっとした贅沢と、頭から押し付けられる仕事がなくなるのと引き換えに、スカベンジャーが敵になる。昨日までの味方が全員敵に回るのだ。そうなれば、ご主人様の家に匿ってもらわないと絶対に死ぬ。
ご主人様に嫌われれば猟犬を差し向けられるが、その猟犬を手なずけたなら、直接の危機はもうないと見ていいだろう。
「ふむ」
「どうなさるのです」
「いや、その前に。さっきはどうして嘘をついた」
返事によって身の振り方を考えよう。嘘を吐く理由がわからん。
「主人を庇うのは当然のことでしょう」
「……お前のご主人様は、アイツじゃないのか?」
「ここに居る私の主人は、あなたです」
「家政婦を雇った覚えはないんだが。なぜ支配階級を裏切った」
「あの方が私をあなたのものにする。そう言ったので」
「ふむ。じゃあ、お前らはどっちの味方だ?」
単数ではなく、複数形なのは、こいつが個人であって個人でないから。一人の人間だが、一人ではない。言葉にするのは難しいな。今ここにいるエーヴィヒだけが俺の味方なのか。それとも他のエーヴィヒも俺の味方なのか。
「私たちはあなたの味方です。条件付きでですが」
「条件?」
「一つだけ、私の願いを聞くこと。これが条件です」
「願いの内容による」
「その時が来たらお話しします。しかし、今は」
無表情を貫いたままエーヴィヒが首を横に振る。まあ、必要なことは知れたのだし。今日の所は良しとしよう。その時が来たら、状況に応じて考えればいい。
「……まあいいさ。願いを聞くのと、俺が死ぬのとどっちが早いかもわからんしな」
答えは出た。寝返りはなしで現状維持。ご主人様が何かやらかすようなら、頭に助けを求めればいい。最大の脅威であるエーヴィヒもこちら側に取り込むことができたし、ご主人様に殺される心配はないかな。
「先に死んだら、その時は私も諦めます」
「おう。それがいい」
人生諦めが肝心だ。俺の人生も色々あきらめてばかりだからな。
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