第15話 朝の日常
猟犬改め、エーヴィヒと初めて遭遇したとき。あのときは整備不良で命が助かったが、二度も都合のいいタイミングで故障するってことはない。最悪のタイミングで故障して死ぬことのほうがありえそうだ。
そういった事態を回避するために新たに日課と定めた朝のメンテナンス……を、今終えた。
他人に常に監視されながらの作業は、なんというか。非常に集中できないものだったとだけ。
「……ふぅ、終わった」
装甲を外して、内部の人工筋肉の断裂がないか。ギアの劣化はないか。装甲の損傷はないか。それが終わったら動作チェック。その次は武装の整備をして終了。手を洗って、汗と汚れをタオルで拭き取る。
いつもなら一時間もかからないのに、今日は二時間近くかかった。いくらなんでも効率が落ちすぎだろう。おかげでもう昼食の時間だ。昼前には買い物に行く予定だったのに。
「何か?」
エーヴィヒに目を向けると、退屈そうでもなく、興味がありそうでもなく。無表情で問いかけをしてきた。表情が動くといったら、瞬きするときくらいだろう。
「飯だ。上がるぞ」
食事のために階段を上ると、その後ろから彼女もついてくる。餌づけした野良猫だと思えば……だめだな。猫は人の言葉をしゃべらないし、人を殺そうともしない。というか猟犬だから野良犬の方がいいか、あいつらたまに人を襲うし。
ガレージのある地下一階から、居住スペースの地上一階へ。冷蔵庫を開ければ、中身は合成食糧と水しか入ってない。食事セットを二人分取り出して、エーヴィヒにも渡す。先に口を開けて中身を飲み込み、水で口をゆすいで……毒ではないと示してみせる。
それでわかってくれたようで、俺と同じように合成食糧に口をつけて……
「うぇっ! な、なんですかこれはっ」
吐き出しやがった。もったいない、これ一つだって、貴重な資源と金がかかっているというのに。
しかし、この苦しそうな顔。こいつが顔をゆがめるところなんて、初めて見たな。殺される直前になっても、表情一つ変えなかったくせに。
「猟犬様の口に下々の者の食事は合わなかったか。残念ながら、ドッグフードは置いてないぞ」
「……水を」
「ほら。水は無味無臭だから安心しろ」
「ありがとうございます」
ボトルをグイ、と勢いよく煽り、そのまま一本一息に飲みほしてしまった。よほど味が気にくわなかったのだろうな。
「俺の監視を続けるなら、一日三食これになる。覚悟するんだな……ああ、もし人肉を食うなら、家の外で食えよ」
「人肉は……食べませんよ」
「だろうな。壁の向こうの汚染のない場所でいいもん食ってたんだろ?」
それならあえて人肉食に走る理由はないし、合成食糧なんて食えば吐き出すのも当然か。しかしこいつも人肉嫌いとは気が合うな。だからって仲良くしたくはないけども。
「いえ、そういうわけでは」
「じゃあどういうことだ?」
「答える必要のないこと、です」
「そうかい」
詮索されたくないのだろう。少しだけ語気を強めて答えられた。感情がないのか、と疑っていたがそうでもないようだ。
「で、それ食わないならよこせ。俺が食うから」
合成食糧は非常に傷みやすい。開けたらすぐに食べないと傷んでしまう。そうなると捨てなきゃならないが、そんなのはもったいない。いくらまずくても貴重な食料、栄養源なのだから。
「いいえ。他に食べるものはないのですよね」
「鼠に野犬くらいだな。好きなのを食うといい。どっちも食うところなんてほとんどないがな」
おかげで、食っても捕まえるのに消費したカロリーの方が大きいから食事の意味がないけど。ただ、猟犬らしく狩りをしているところも見てみたい。三度も俺を狙った殺し屋が、飯欲しさに必死になって小動物を捕まえようとするなんて、最高のショーじゃないか。さぞ愉快だろうな。
「これを食べてた方がマシです」
「そうか。なら食え。ああ、味わうと苦しいだけだから、思い切って一息で飲み込むといいぞ」
「ええ、そうします……って、どこへ行こうとしてるんですか」
「買い物。お前のせいでブレード二本とシールド一枚が廃棄になったからな。しかもブレード一本は上司のだから弁償しなきゃならん」
借りた物を返さない、なんてことはよくあることだが、相手は選ぶべきだ。担当部門の上司から備品を借りて壊して、挙句弁償しないとなれば、『じゃあお前の命で払え』なんてことになりかねない。さすがにそれは勘弁願いたい。
「では私もついていきます。少し待っていてください」
「さっさと食え」
居候の都合に合わせなきゃならんのは不愉快だが、合わせず脅威と見なされれば殺されるから仕方ない。命は惜しい。急かすだけ急かして、服を着替えてマスクを用意、二、三分ほどで支度を完了する。
さて、エーヴィヒはどうだろう。
「……」
「さっさと食え」
まだ合成食糧と格闘していた。口が小さいから少しずつしか食べられないのか。
「……ぐぅ。今、食べ終わりました……」
「遅い」
「ひどいですね」
「お前が言うな」
三度も人を殺そうとしておいて、どの口が言うのか。彼女の分のマスクとコートを投げ渡して、もう一度ガレージに降りて、バイクを表に出しておく。さて、これで行くとなるとあの猟犬に無防備な背中をさらけ出すことになるが……かといって、奴がバイクを運転できるはずもなく……徒歩で行くには少し距離がある。置いていくわけにもいかん。
運転中に殺すのは簡単だ、速度が乗ったところで転倒させるだけでいい。軽くても重傷を負って、そのままスカベンジャー引退。最悪は死ぬ。その時はあいつも死ぬだろうが、スペアがあるから問題ない。
俺ができるのは、殺すなという念押しだけか。全く、どうしてそんな役回りばかりやらされるのか……そういう運命と受け入れるには、あまりにも理不尽だ。
「お待たせしました」
「おう、後ろに乗れ。変な真似したら振り落とすからな」
ともあれ、悩んでいても仕方がない。バイクにまたがって、エンジンをかける。
「ではお願いします」
猟犬が後ろに乗って、腕を回してくる。何かするならここでやるだろうが、何もされない。心配は杞憂だったらしい。しかし気を緩めはせず、常に警戒しておくに越したことはない。一分後には気が変わるかもしれないのだし。
そんなことを考えながら、バイクを発進させる。今日はついでに、合成食糧の補充もしておこうか。
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