第9話 汝隣人を愛せよ

 家に帰ってやることは特にない。飯を食って、寝て、起きて、体がなまらない程度に動く。あとは機体の整備とか。娯楽なんてぜいたく品は、このコロニーにはありやしない。俺を含めて、誰も彼も、ただ惰性でその日を生きている。


「おかえりなさい。死体じゃないのは意外だったわ」

「勝手に人の家に上がり込んで言うことがそれか。アンジー」


 人の家のソファー兼ベッドで堂々と転がっている不法侵入者は、人食いアンジー。羽の一番手として、スカベンジャー内に名を広めている実力者だ。素手でもアースに乗っていても、殴り合いで彼女に勝てる相手は居ないとまで言われる。

 そんな彼女がなぜ俺の家に居るかといえば……


「酒、どこに隠してんの」


 俺が秘密裏に作っている、貴重な嗜好品を求めてだ。家がすぐ隣で、一人で酔って騒いでいたのが運の尽き。やかましいと殴りこんできた彼女に酒が見つかり、以降定期的に恐喝しにやってくるのだ。腕っぷしが強いだけにつまみ出すことは叶わない。少し前まで支配階級の猟犬を殺してきたのに、生身の女一人に勝てない自分の情けなさに涙が出そうだ。


「冷蔵庫の後ろ」

「開けるよ。文句は?」

「ノー・マム」


 返事がお気に召したか、こちらの心中も知らずニヤリと笑って、ためらいなく言った場所を漁る。そして取り出されたのは一本の瓶。中身は透明な液体。貴重な娯楽、貴重な嗜好品を、この女は小石でも拾うかのように気軽に持っていく。これが彼女にとっての娯楽だとでも言うのか。だとすればあまりに酷い。

 栓を抜き、瓶を傾け、コップに注がれる液体は水ではない。


「あぁ、良い香り」


 酒だ。汚染された土壌で栽培された芋を使って作った蒸留酒。材料費も手間賃もかなりのものを、この女は気軽に開けてくれる。そのくせ対価を支払う素振りもない。これを世間では泥棒と呼ぶのだが、それよりもずっと質が悪い。ただの泥棒なら撃って外に転がしてお終いなんだが、そうはいかない。

 彼女を殺せば、翌日には俺の頭に穴が一つ増える。死ぬなら寿命で死にたい俺にとっては、魅力的じゃない。


「ゲホッ……相変わらずキッツイわねこれ」

「誰が飲んでくれと言った」

「ところで、表でアースを一機引きずってたのはなに? 見たことない型だったけど」


 人の言うことを聞いちゃいない。どいつもこいつも、自分勝手で嫌になる。たまにはこっちのことも考えてくれと頼みたい。

 こんな世界じゃ、そんなことは頼んでも無駄だとわかっている。徒労でしかない。諦めて受け入れるのだ。


「猟犬だよ。中身引きずり出してぶっ殺して、回収した」

「へぇ、あれがそうなの。初めて見た……っていうか、あんたに猟犬を殺すような度胸と腕があったのが意外だわ」

「人間、命がかかってると案外なんでもできるようになるみたいだ」


 俺だって死にたくない。死にたくないから、必死で抵抗したら勝てた。骨董品の性能が良かったのもあるだろうが、とりあえず勝てたからよしとする。

 怖い目を見た自分を慰めるため、アンジーの手の中にある酒をひったくって一口煽る。キツイアルコールが喉を焼き、頭に靄をかけて、怖れを忘れさせてくれる。


「勝利の美酒だな! ははっ!」


 もう何も怖くない。そうだ、酔っている間は何もかも忘れられる。


「もう一杯やるぞ。冷やすともっとうまいんだから」


 愉快になった頭が命じるままに、冷蔵庫から氷を取り出して、アルミのカップに酒と一緒にしてしまう。それも、二杯分。


「一発やらせろ? いいわよぉ」

「もう酔ったのか? 早いぞアンジー!」

「うげっ! 痛いわね!」


 服の裾に手をかけたアンジーの頭を平手で殴って正気に戻す。酔っぱらっていたが今ので覚めた。

 女を抱くのは好きだがそれで死にたくはない。特にこいつは。酔ったのをいいことに手を出したら、素面に戻った瞬間殺される。殺されかねない、ではなく実際に殺される。俺の家で酒を飲んで酔っ払って帰り、他のスカベンジャーを連れ込んで、翌朝には家の前に、顔の原型をなくしたスカベンジャーの死体が転がっていた。

 せっかく拾った命をこんなところで無駄に捨てたくはない。

 だが酒に付き合うだけなら楽しいだけで終わる。死にたくないならヤらなきゃいいだけの話だ。


「ヤる気ないのねー。まあいいわぁ、飲みましょう」

「おう。乾杯!」


 その後酔いつぶれたアンジーは、マスクを付けさせて隣の家に放り込んでおいた。

 一人になった後はベッド代わりのソファに転がり、まどろみが誘うままに眠りについた。




 翌朝。目を覚ましたらまず水道から出るそのままの水で顔を洗った。それからゲロもとい合成食糧で、拷問に等しい朝食。最後に体を濡れ雑巾で拭いたら、一日の始まりだ。

 と言っても今日やらなければならないことは少ない。頭には無事帰還したと伝えてあるし。報酬の受け取りは、直接家に持ってきてくれるそうだ。手間が減ってありがたい。弾薬の備蓄はまだある。他には、昨日猟犬に真っ二つにされたブレードの補充と、鹵獲した機体の売却……今日は市場に行くとしようか。弾もついでに補充してしまおう。


 今日の予定は早くも決まった。早速、防護服を兼ねたコートを着て、グローブとマスクをつけて、バイクを置いてある地下ガレージに降りるのだった。

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