第263話 元の世界の住人
「お前、日本人だろ?」
「いや、違いますけど」
僕は質問に対して咄嗟に嘘を返す。
いや、『嘘を返す』いうよりも、余りにも唐突な質問過ぎて『嘘しか返せなかった』と、いった方が正しいのかも知れない。
「噓吐くなって。美味そうにおにぎりを食ってたじゃん」
「それは、実際に美味しかったからで……」
「インディカ米に塩を振っただけのおにぎりが美味い?
まあ、好みがあるから否定はできねぇけど、俺は美味いとは思わないな。
現に、俺は米を扱う店に行くと、必ずって言っていいほどおにぎりを頼むんだけどよ、真似して頼んだ奴らは揃って渋い顔をしてたぜ?」
「そ、そうなんですか? 僕は美味しいと思いましたよ?」
「それも嘘だね。
観察させてもらったけど、お前は一口目で少しだけ渋い顔をしてたんだぜ?
けど、それも一瞬で、次の瞬間には美味そうにおにぎりを頬張り出したんだ。
要するに、お前は味ではなく、行為自体に美味しさを見出した――日本人であるからこそ、米を頬張るという行為に美味しさを見出すことができたんだ。違うか?」
この人は何者なのだろう?
この人も日本人なのだろうか?
だとしたら嬉しい、けど、正直に答えても良いのだろうか?
答えたら問題にならないだろうか?
幾つもの疑問が頭を過るが、一向に答えは出てこない。
その為、答えを出す時間を稼ごうと考えた僕は、困り顔を浮かべることでお茶を濁そうとする。
「やっぱり、お前は日本人だよ」
が、目の前の人物は、確信するようにしてそのような言葉を呟いた。
「さっきは揃って渋い顔をした。って言ったけど、中には口にあったのか美味そうにおにぎりを食ってた奴も居たんだわ。
で、そいつらにも同じような質問をして来たんだけど……返ってきたのは『日本人?』『おにぎり?』『インディカ米?』ってな答えで、まずは聞き慣れない単語に疑問を抱くのが普通なんだけど――」
「それは……」
「最後まで聞いてくれよ!」
「ご、ごめん……」
鬼気迫るものを感じ、思わず謝罪を口にしてしまう僕。
「だけど! 『日本人だろ?』って質問に対してお前は『違う』って答えたんだよ!
『おにぎり』って単語にも『インディカ米』って単語にも疑問を持つような素振りを見せなかったんだよ!」
そして、目の前の人物がそう言った瞬間、引かれたままだった手のひらにギュッと、強い力が込められ――
「そろそろいいだろ? ガッカリするのはもう飽きたんだ……」
目の前の人物は目を潤ませながら……
「だからさ……日本人だって言ってくれねぇかな?」
まるで、懇願するかのように、僕の手のひらを両方の手で握った。
「えっと……」
僕は、潤んだ瞳で見据えられながら逡巡する。
相変わらず答えは出ていないし、正直に答えた結果どうなるかも想像できていない。ただ――
「君は日本人なの?」
「あ、ああ、そうだ! 俺は日本人だ!」
「そっか……」
勘違いかも知れないけど、その瞳に寂しさを垣間見てしまった。
まるで、捨てられた子猫が雨のなか震えているような、誰かが見つけてくれるのを願いながら雨空を眺め続けているような、そんな寂しさだ。
だからだろう。
「じゃあ、僕と同じだね」
気が付けば、僕は日本人であったことを打ち明けていた。
その瞬間――
「まじか!? まじで言ってる!? 本当に言ってるんだよな!?
じゃあ、じゃあさ! 問題だ! 国民的な海賊アニメと言えば!?」
「〇〇〇〇〇でしょ?」
「うはっ!! じゃあ、じゃあ次だ! 猫型ロボットといえば!?」
「しょうがないな〇〇〇君は~、でしょ?」
「くっそ似てねぇ! なんでそのクオリティで披露しようと思ったのか疑問に思うレベルで似てねぇ!! でも正解だから許す!」
目の前の人物は、日本人であれば答えられるような問題を出し始め、僕が答えていく度に心底嬉しそうな表情を溢す。
その問題は十分、数十分と続き、
「はぁ、はぁ、阿保ほど笑った……本当、こんな楽しいのは久しぶりだわ!
てか、自己紹介がまだだったよな! 俺の名前はユウリ=トモナガ、漢字で書くと……朝日の『朝』に永遠の『永』、悠久の『悠』に故里の『里』、これで朝永悠里って読むから覚えておいてくれよな?」
話の隙をみて、ユウリが自己紹介を挿んだのだが、
「で、お前の名前は?」
「僕の名前は……」
「ん? どうした?」
すんなりと自己紹介を終えたユウリに対し、僕は一瞬だけ口ごもってしまう。
とはいえ、それは僅かな時間でしかなく、
「僕の名前はアルディノ。
仲の良い人たちはアルって呼ぶことが多いかな」
僕は、前世の名前ではなく、この世界で与えられた名前を口にすることにした。
「OK、じゃあアルって呼ぶことにするわ。
ってか、今の名前を教えたってことは……そっか、アルは折り合いを付けてこの世界で生きてるんだな」
「まだまだ未熟な部分はあるし、価値観で悩まされる部分もあるけどね。
ユウリは……どうなの?」
「俺か? 俺は全然だわ。
こういうのはアレかも知れないけど、アルは見た目からして所謂転生をした感じだろ? その点、俺は転移でこの世界に召喚されたからさ……何というか折り合いを付けられないっていうか、折り合いを付けちまったらパ――……ま、まあ、アレだ! 戻れるかも、なんてちょっとだけ考えているから折り合いを付けられないんだわ」
「確かに、僕は死んだことも転生したことも自覚しているから、折り合いを付けるしかないって部分があるかもだけど……ユウリは転移してこの世界に来たの?」
「ああ、ラノベとか漫画でよく見る異世界召喚ってヤツに巻き込まれた訳だ。
本当、運が無いというか何というか……ははっ、最悪だよ」
「ユウリ……」
そう言ったユウリは溜息を吐き、その溜息を聞いた僕は、先程見せた表情の意味を理解する。
要するに、ユウリは独りぼっちだったのだろう。
この世界に無理やり転移させられたことを原因として、この世界を――延いてはこの世界の住人を受け入れたくないと考えている。
恐らく、ユウリが受け入れられるのは自分と同じ人間……地球という場所で時を育んだ人間で、だからこそ、僕を見つけた時に、あのようにして瞳を潤ませたのかも知れない。
そして、そのような結論を出してしまった僕は――
「いや、なんで涙ぐんでんの?」
若干、ほんのちょっとだけ目を潤ませていた。
「だってさ……」
僕は、転生した時の孤独感を痛いほどに覚えている。
家族や友との決別、見知らぬ場所に対する不安、培ってきた常識の外へと放り出された恐れ。
それを痛いほど覚えているのだが、僕にはソレを癒してくれる存在が――メーテやウルフ、家族と呼べる存在があったからこそ、前に進むことができた。
が、ユウリの前にはそういう人が現れなかったのだろう。
その証拠に、ユウリは『折り合いを付けられない』や『最悪』という言葉を口にしていることに加え、『おにぎり』という頼りない糸に縋り、元の世界との繋がりを探し続けていた。
そして……家族と呼べる相手に出会えなかった場合、きっと僕も同じ思いを抱いていたに違いない。
そう考えるからこそ、目を潤ませてしまったのだが……
「もしかして俺のことを想って涙ぐんでくれてんのか?
きひひっ、何ていうか、折り合いを付けてる割には随分と日本人的な感性が残ってるじゃねぇか?」
どうやら、琴線に触れる反応だったようで、ユウリは笑いながら僕の背中をバシバシと叩く。
「いやぁ、初めて会えたのがアルみたいな日本人で良かったよ。
内心、初めて会った日本人が「俺TUEEE」みたいな奴だったら、どうしようかと思ってたからさ。えっと、それでだな……」
そう言うと、僕の顔、路地裏の壁、壁際に落ちていたゴミ屑の順に視線を送り、僕に視線を送った後、再び路地裏の壁へと視線を送ったユウリ。
「それでだな……あの……俺と友達になってくれないかな?」
僅かに震えた声で、そんな言葉を口にする。
勿論、断る理由もない僕は、二つ返事で「うん、こちらこそお願いします」と、返そうとしたのだが――
「なぁに、楽しそうに話してるんだ?
てか……へぇ、それなりの身なりをしてるってことはアレだな、今日の酒代は明日に回せそうだなぁ」
「だってさ。よぉ、お利口そうだし意味はわかるよな?
俺たちは優しいから銀貨一枚で勘弁してやるよ。まあ、足りない場合でも有り金全部で許してやるからさっさと出しな」
本当、何処の都市でもこういう人たちは居るものなのだろう。
僕は胸の内で「はぁ」と、溜息を吐くと、この場を穏便に済ませる方法を模索し始める。
「邪魔すんなよNPC」
「おごっ……おろろろっゅ」
「な!? げっ!? かはっ……」
が、模索し始めるのと同時に発せられた棘を含んだ言葉と、それに追従して聞こえ始めた、吐瀉物が地面を叩く音。
それらの音を聞き、その原因が、二人の鳩尾を捉えたユウリの拳にあることを――いや、目視することができず『拳である』と、予想する事しか出来なかった僕は、呆気に取られてポカンと口を開いてしまう。
「あ……もしかしてやり過ぎだった?
一応、アルに配慮してセーブしたつもりなんだけど……」
対して、僕の心境を知る筈のないユウリは、何処かバツの悪そうな表情を浮かべる。
「そうだよな……こういう荒事には慣れちまったけど、日本人ならまずは話し合いだよな……
こ、これからは気を付けるから、嫌いになったりは……しないよな?」
「荒事は……僕もそれなりに経験しているから嫌いになったりはしないかな」
「じゃ、じゃあ! 友達の件もOKか!?」
「う、うん」
そして、ユウリの不安に対して僕がそう答えると――
「なぁアル?」
「ん? どうしたのユウリ?」
「きひひ、ただ呼んでみただけだ!」
ユウリはつま先を使ってクルリと回り、堂々と腕を組んで笑みを浮かべるのだった。
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