第262話 おにぎりと酢漬け
吟遊都市マディアに存在する特級地区。
そこは、貴族に所縁のある者だけが持家を許される場所であり、貴族未満の者は足を踏み入れることすら許されない特別な場所である。
そんな特級地区に――そのなかでも一等地に区分されている小高い丘には、数邸の屋敷が建ち並んでおり、丘の頂上には、他を圧倒するほどの豪邸がドンと置かれている。
そして、この豪邸なのだが、
「ふぅ……都市の夜景を一望しながら葡萄酒とチーズを嗜む。
ふふっ、この時間があるからこそ日々の煩わしさにも耐えられるというものだ」
他でもない、マディアの領主であるタバス=ネウチカの邸宅であり、二階のテラスにお気に入りを揃えたタバスは、心地良さそうに酒精の含まれた息を夜風に溶かしていた。
「いやぁ、このチーズも実に美味い。
カビたチーズなど如何なものかと思っていたが、すっかりこの癖の虜になってしまったなぁ」
「ん~臭い」と、眉をひそめながらも口角を持ち上げるタバス。
そうして、数日度に設けた息抜きであり、ちょっとした贅沢を楽しんでいると――
「よう、おっさん。おっさんがタバスって奴だよな?」
「ん? だ、誰だ君は!?」
見知らぬ人物がタバスの視界に映り込み、
「だ、誰か――うぐっ!?」
「しぃーーー」
咄嗟に助けを呼ぼうとしたものの、侵入者の手のひらによって阻止されてしまう。
「俺はギャロンに頼まれて手紙を届けに来ただけだ。
怪しい者じゃないから――……って、それは無理があるか? まあ、兎も角、おっさんに危害を加えるつもりはないから安心しろ。分かったか? 分かったなら頷いて返事をしろ」
「……んっ、んっ」
幼さが残る声で指示されたタバスは数度頷き、侵入者は、「大声出したらそのチーズを噛めないようにしてやるからな?」と、念を押してから塞いでいた口を解放する。
「げほっ、かはっ……相変わらず唐突な真似をする人だよ、ギャロンさんは……」
侵入者の指示を守り、声をひそめて独り言ちるタバス。
「君が手紙を届けに来たのは分かったのだが……どうやって結界の中に? それに衛兵だっていた筈なのに……ま、まさか!?」
次いで疑問を口にすると、慌てた様子でテラスから身を乗り出し、衛兵の安否を確かめるかのように周囲の様子を覗い始める。
「無事の……ようだな……ふぅ……」
が、特に異常は見られず、それどころか、衛兵が呑気に欠伸を漏らしている場面を見掛けてしまう。
「無事だとしたら……なおのこと、この場所に辿り着けた理由が分からないな」
従って、タバスは疑問を深める。
「ん? 転移だよ転移」
「転移? って、高位魔法の?」
「そうそう、俺って転移が得意だからさ、目視の範囲内ならピュンピュンって飛べちゃうんだよね」
対して、ヘラヘラと笑いながらそう答える侵入者。
その答えを聞いたタバスは流布されている常識――転移魔法における一般常識と、侵入者の言動を照らし合わせ、『真面目に答える気はないのだろう』と、いった結論へと辿り着く。
「まあ、そういう顔すると思ったよ。
で、話を戻すんだけど……あったあった、これがギャロンから預かった手紙だ」
「あ、ああ、確かに受け取ったよ」
疑問を晴らすことができぬまま、受け取った手紙を懐へとしまうタバス。
「ああ、それと伝言があったんだわ。
確か――『【暴食】は充分に熟れて食べごろを迎えた。【ナナニア運動】同様の惨状に見舞われることを覚悟して下さいね』だってさ」
「な!? そ、それはどういうことだ!?」
「じゃあ、伝えたからな」
「ま、待ってくれ!」
続けて言伝を聞かされたタバスは、隠すこともなく動揺を露わにするのだが……
「き……消えた?」
侵入者はにべもなく、魔力の痕跡を僅かにだけ残して姿をくらますのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
【肉屋】の施設を制圧したあの日、僕たちは夜遅くまで話し合いを続けた。
『今回の一件、もしかしたら言伝だったのかも知れないね』
『言伝?』
『ああ、そもそも【肉屋】を潰したいと考えているのは……まあ、それなりに居るとは思うけど、それを実行して回ってるのは私たちくらいだろ? だとしたら『らしさ』を欠いていることに気付けるのも私たちくらいだと思うんだよね』
『確かに、それに気付けるのは私たちくらいでしょうね……』
『そうなると、今回の一件を偶然で片付ける方が不自然だし、『私たちに対する何らかの言伝である』って、考える方が自然だと思わない?』
『だとしたら……足止めが目的では無かったと?』
『ん~、オークションに関する情報は確かだと思うから、足止めも目的の一つだとは思うんだけど……今回の件に関していえば、やっぱり言伝の線が高いと思うな』
『じゃあ、団長はどんな言伝だと考えてんだ?』
『端的にいうのであれば……『対応を変える』かな?』
『やり方を? 今までの対応をか?』
『今までというよりかは『【暴食】に関する対応を』じゃないかな?』
『つまり……どういうことだ?』
『いや、私も分からないけど?』
『わ、分からねぇのかよ……』
『残念なことにね。
まあ、でも、対応を変えるってことは文字どおり変化が伴っている訳で、何かしらの行動を起こす可能性も高くなるんじゃないかって考えているんだよね。
正直、どんな行動を起こすのかは分からないんだけど……あいつらが対応を変える以上、現状がましになることはまず有り得ないだろうから、何にせよ、今まで以上の警戒が必要になるんじゃないかな?』
夜遅くまで話し合いを続けた結果、とりあえずの結論に至った訳なのだが、
「カウウや自警団の報告を照らし合わせてみたけど……そうだね、今日も目立った動きは確認されていないみたいだね」
数日が経過した現状、幸いなことに【肉屋】関連で大きな変化は訪れていないようだ。
とはいえ――
「さて、被害者の聴取も終えて報告も聞き終えたことだし、次は会員から話を伺うことにしましょうかね……って、アル? あんた大丈夫?」
「だ、大丈夫です……ちょっと風に当たれば落ち着くと思いますので……」
僕の精神には僅かばかりの変化が訪れていた。
「ああ……連日の聴取でまいっちゃったって感じかな?
まあ、切ったり、抉ったり、潰したり、犯したり、そんな話ばかりだったし、耐性の低そうなアルがそうなっちゃうのも仕方なしか」
そう、ロゼリアさんが言うように、連日の聴取がたたっていたのだ。
正直、魔物を殺したり、解体した経験があったので、血生臭いことに関してはもう少し耐性があると思っていたのだが……何というか、聞かされた話は粘度が高いというか、濃度が高いというか、べったりとまとわり付き、蓄積されて行くような不快感に僕の精神は少しだけまいってしまっていた。
「すぐに戻ってきますので、少しだけ待ってて貰えますか?」
が、それは僕個人の事情であり、精神の弱さが招いた落ち度でしかない。
僕は「しっかりしろ」と、言い聞かせると、外の空気を吸うために出入り口へと身体を向ける。
「……あっ、そういや予定があるの忘れてたわ。
ってことで、今日の聴取はおしまいだから、アルは適当に都市をブラブラしてから帰ってらどう?」
しかし、そんな僕に掛けられたのはそのような言葉で、
「……ずるくありませんんか?」
「はて? なんのことやら?」
僕を気遣って掛けてくれた言葉であると察した僕は、ごねて無碍にしてしまうのも違うように思えてしまい、渋い表情で僅かに抗議するものの、素直に厚意を受け取ることにした。
その後、僕は言われたとおりに都市の散策を始める。
大通りや商店街をブラブラと歩き、日当たりの良い広場で野良猫と戯れていたところで、僕のお腹がキュ~っと鳴る。
「そういえば、最近はろくにご飯を食べてなかったな……」
ここ数日、精神的な疲労に伴って食欲も減退しており、食事は小量で済ませることが多くなっていた。
加えて、積極的に食事を取ろうという気持ちも減退していてので、お腹が鳴ったとことに対して、僅かながらに精神の向上を見出してしまう。
「折角の機会だし、何か食べてから帰ろうかな?」
そう考えた僕は、精神の安定を図るために食堂が多く並んでいた商店街へと歩みを進める。
「肉料理は……流石に重いかな?」
軒先に建てられた看板を確認しながら、商店街を進んで行く。
そうして、一軒、また次の一軒と確認しながら進んで行くと――
「これってお米を使った料理……だよね?」
看板に米を使った料理? らしきものが描かれた看板を発見する。
「ピラフとかパエリアみたいな料理かな?」
正直なところ、あまり達者ではない絵で描かれていたので、「米である」と、断言するのは難しい。
が、米である可能性がある以上、この機会を逃す訳にはいかない。
そのように考えた僕は、この店で食事をすることを決めると、扉を押し開いてカウンター席へと腰を下ろす。
「いらっしゃい。何にする?」
「えっと、看板に書いてあった料理をお願いしたいんですが――」
そして、店主に注文を尋ねられた僕は、看板に描かれた料理を注文しようとしたのだが……
「――じゃなくて! と、隣に座っている方と同じものをお願いします!
そ、それと、胡瓜とかカブの糠漬け――はないだろうから、酢漬けがあるならお願いします!」
「あいよ」
僕は急遽注文を変更し、隣に座っていた人物と同じものをお願いする。
そうして、僅かばかりの時間が経過したのち、僕の前に出された料理は――
「塩のおにぎりだ……」
昔懐かしい、塩のおにぎりだった。
「いただきます」
僕は米を――正直、日本米と呼ぶには程遠い米ではあるが、一応は米であり、おにぎりの体を成した物を一心不乱に口へと運ぶ。
本音を言うのであれば、驚くほど美味しいという訳でもない。
でも、僕にとってはこの形を口に運ぶこと自体に美味しいが詰まっており、
「ごちそうさまでした」
ものの数分で、米粒一つ残さず綺麗に平らげていた。
「お会計をお願いします」
「小銅貨五枚だな」
「じゃあ、銅貨一枚でお願いします」
「あいよ、お釣り渡すからちょっと待ってな」
僕はお釣りを受け取ると「また来ます」と言い残して、店を後にする。
ブラブラと散策したことや、懐かしい料理に舌鼓を打ったことが気持ちに変化を与えたのか、心なしか足取りに軽やかさを感じていたのだが――
「ちょっとこっち来い」
「なっ!?」
そんな僕の足取りを奪うかのように手を引かれ、僕は裏路地へと引きずり込まれる。
「お前、さっき美味そうに食ってたよな?」
「あなたは……さっきの食堂に居た……」
そう尋ねたのは、先ほど隣でおにぎりを食べていた人物――前髪を斜めに切り揃えているのが特徴的な同じ歳くらいの人物で、
「なぁ、お前――」
そして、僕の目を真っすぐ見据えると――
「お前、日本人だろ?」
そのような言葉を口にした。
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