第260話 恐らくは


「どう? 説明したとおりに動けそう?」


「は、はい。不安はありますが大丈夫だと思います」


「よし、じゃあ、施設への出入口が開いた瞬間に合図をちょうだい」


「分かりました、合図は背中を叩くとかで大丈夫ですか?」


「うん、それで大丈夫」


 人目を掻い潜りながら二階へと移動した僕たち。

 身を潜ませていた空き部屋で最終確認を――突入から制圧、被害者救出に至るまでの手段や段取り、不測の事態に関する対応の確認を手早く終わらせる。


「ロゼリアさん、会員と思われる男性がもうすぐ牛舎に着きそうです」


「了解、じゃあそろそろ行くとしようか」


 僕たちは周囲の様子を確認してから空き部屋の間仕切りを跨ぐ。

 向かう先は突き当りにある部屋で、自身と牛舎周辺の動向を【魔力感知】で察知しながら一歩、二歩と足を運び、慎重に部屋までの距離を詰めていく。

 

 結果、事務室らしき部屋の前も無事に通過し、突き当りの部屋まであと僅か、と、いった状況まで足を進めることができたのだが……


「……!」


 部屋へと辿り着く前に、出入口が開いたことを感知してしまう。

 

『段取りは覚えてるし……大丈夫、僕ならやれるよ』

 

 察知してしまった僕は、そう言い聞かせることで自らを奮い立たせる。

 続けて、音を出さないように深呼吸をしてから眼前の背中へ視線を送り、覚悟を決めてからその背中へ合図を送る。


 するとその瞬間――

 

「な!? てめぇ、何者――があっ!?」


 即座に駆け出し、駆け出した勢いを殺すことなく男の胸倉を掴むロゼリアさん。


「はろー、【暴食】のロゼリアお姉さんだよぉ?」


 勢いを殺すどころか、さらに加速して窓を突き破ると、男の胸倉を掴んだまま、自分の身体ごと中空に放り出した。


「【三点欠損】!? ぶっ殺してやッ――ぎひっ!?」


「はいはい、そういうのいらないから」


 中空という不安定な場所だというのに、ロゼリアさんの体は崩れない。

 黒鉄の義手を用いて、血飛沫が舞うほどの一撃を顔面へと打ち込む。


「死にたくなかったら全力で【身体強化】を発動させな?」


「お、おみゃえ何するつも――がぁあッ!?」


「なっ!? ちょっ待てッ――あぎぃッ!?」


 更には、器用に身体を操ると、男の胸付近に両足を置き、跳ねるような動作をすることで地面へと――地上に居た男と牛舎の壁を巻き込む形で地面へと叩きつける。


「ふぅ! 流石は私!」


 くるりと身を捻り、まるで猫を思わせる見事な着地を決めたロゼリアさんは、腰に着けていた輪っか状の装飾品――もとい、捕縛用の手錠を右手に持ちながら半壊した牛舎の入口へと向かう。


 対して、僕はというと――


「だ、誰だね君は!? わ、私になにをするつもッ――り?」


「会員の人は眠っていて下さい」


 ただ単に、ロゼリアさんの戦う姿をぼうっと眺めていた訳ではない。

 ガラス片が落下し終わった直後には地面へと降りたっており、戦いを横目で確認しながらも任された仕事は全うしていた。


「一瞬で意識を奪った……魔法か何かか?

それは兎も角として坊ちゃん、ここが何処で、誰を相手にしているのか理解したうえでの行動なんだよな?」


「そうですね」

 

 そして今現在、会員であろう人物の意識を奪うことに成功し、【肉屋】の店員と相対している訳なのだが――


「あ~あ~、大変なことしちゃぅたな?

お前、間違いなく殺されるよ? お前だけじゃない、お前の家族も死ぬより辛――ぃい?」


「いや、僕は兎も角として、あなた程度の実力で僕の家族をどうこう出来る訳ないでしょ?」


 余計な問答をしている時間はないし、普通に腹が立つ。

 僕は手のひらに展開した三重の魔法障壁――それを掌底にのせて顎を穿つことで、相手の脳内を大きく揺さぶり昏倒させた。


「ロゼリアさん! 出入口を抑え、拘束も完了しました!」


 そのことにより、任されていた『出入口の確保』が完了し、次の段取りに移るために状況の報告をする。


「こっちも拘束完了! 段取りどおり私が先行して定員を無力化するから、アルは部屋の確認をしながら私のあとを追って来て!」


「わ、分かりました!」


 続けて、報告を終えた僕は、地下へと続く階段を下りるロゼリアさんの背中を追い、次の段取りへと移り始めるのだが、


「この部屋は問題なし……この部屋も問題はなし……というか、臭いがすごいな……」


 階段から伸びる石造りの廊下、その廊下沿いに設置された扉を開くたびに、下水道や家畜小屋を思わせる強烈な悪臭が襲いかかり、僕の胃が悲鳴をあげそうになってしまう。


「だから、朝食を抜くように言われたのか……教えてくれれば良かったのに……」


 思わず愚痴がこぼれるものの、僕は任された務めを慎重かつ迅速にこなして行く。

 一刻も早く務めを果たし、戦闘音を鳴り響かせ始めたロゼリアさんの元へと駆け付けなければいけない、と、考えたからだ。


「酷い臭いだけど、この部屋にも誰も居ない」


 僕は、三つ目の部屋の確認を終える。

 そして、石造りの廊下を駆け足で進み、四つ目の扉を開いた瞬間――


「ふ~ん、ふふふ~ん、ふ~ん……ああ、いらっしゃい」


「んぐうッ!! い、痛いんです! お願いですからいだいのはやめ――いぎぃっ!?」


「何を……しているんですか?」


 僕は思わず頬を引き攣らせてしまう。


「何って? お楽しみの最中なんだけど見ててわからないかな?」


 今まで見て来た三つの部屋には、どの部屋にも冷たそうな鉄製の椅子と、手術台にも見える鉄製の台座が設置されていた。

 実際、話を聞かされていたので、その椅子に被害者が座らされ――或いは、台座に寝かされて酷い仕打ちを受けるというのは理解していたし、その場面を目撃してしも狼狽えないようにするつもりだったのだが……


「ひぎゅうううッ!! 痛い痛い! そ、そこのあなたッ! たたた、た助けて! 私を助けてッ!」


「ですって? 早く助けてあげたらどうですか?」


 所詮は想像でした理解であり、所詮は『つもり』でしかなかったことを、実際に目にしたソレが容赦なく突き付ける。


「いぎっ!? は、早く助けてよッ! な、何でぼさっとしてッ――ひぎいっ!?」


 目がしみるほどの悪臭のなか、全裸で……肌を赤く濡らしながら交わう男女。

 バツンという音と同時に切り離された女性の人差し指。

 石造りの床を汚している、髪の束や泥のようにも見える糞尿らしき物。


「はぁはぁ……もうすぐです……もうすぐですよ……」


「い、痛いのは嫌……あっ、痛いのは……はぁはぁ、もう指を切らないで……」


 そして、慌てることもなく、誤魔化すこともしないまま、たたただ快楽を貪り続ける男の恍惚とした表情や、痛みのなかに紛れている甘い吐息。

 それら全てが、僕を『つもり』から遠ざけてしまい――


「おえっ……けほっ、かはっ……!」


 気が付けば、氷砂糖の溶けた、甘い吐瀉物を床に打ち付けていた。


「ふぅ……ふぅ……その人から離れろ……」


 が、結果的にはそれが良かった。

 相変わらず、目に映る光景には精神を削られているし、口に残る甘さによって再び吐きそうになってしまうが、吐くことで意識が切り替わり『やるべきこと』を思い出すことが出来たからだ。


「駄目駄目、もう少しなんだか――らっ!? があっ!?」


「離れろって言ってるでしょ?」


 僕は男の髪の毛を掴むと、強引に引っ張って壁へと叩きつける。


「邪魔をするなよぉッ!! 【礫よ 空を転がり 対を弾けッ】!」


 男は壁に背を預け、床に尻をついたまま詠唱を綴るのだが、こんなものは避けるまでもない。


「お前も……少し寝てろ」


「あ……かっ……」


 実に小さく、実に拙い【土球】を手で掴んだ僕は、掴んだその右拳で男の顎先を打ち抜いた。


「……た、倒したの? あ、ありがとう君!

そうしたら早くこの枷を! この枷を外して! お願いだから早く! ねぇ! ねぇってばッ!!」


 僕は、ロゼリアさんから渡された手錠で男を拘束する。

 勿論、この間にも被害女性の声は届いているのだが、彼女の希望に応えることはできそうにない。

 

「すみません……すぐ戻りますので、少しだけ待っていてください……」


「ま、待って! 行かないでよッ!?」


 何故なら、僕はすぐにでも他の部屋を回らなければならないからだ。

 廊下から確認した感じだと、少なくともあと六部屋。

 できることなら直ぐにでも枷を外してあげたいというのが本音だが、先程の光景を目の当たりにしてしまった以上――いや、光景を目の当たりにしてしまったからこそ、急いで他の部屋を回らなければ、と、いった思いが強く、枷を外すための数分間を惜しんでしまう程の焦燥感に駆られてしまっている。


 従って僕は、身に付けていた外套を羽織らせると、罪悪感を抱きながら急いで部屋を飛び出したのだが……


「ようアル、こっちは終わったよ」


 飛び出した瞬間に声を掛けられ、足を止めることになった。


「お、終わった?」


「店員と会員の拘束は終えたし、被害者にはもう安全だって伝えてある感じかな?」


「ほ、本当にもう終わったんですか?」


「ここの施設は、思っていたより規模が小さかったからね。

見張りが二人しか居なかったうえに、実力も大したことなかったから楽勝だったよ。

それに、この施設自体そんなに使われていないのかもね? 奥の方の部屋は最近使用した形跡がなかったし、会員が一人と被害者も二人しか居なかったから手早く終わらせることができたって訳さ」


「そう……だったんですか……」


「で、アルの方は?」


「僕の方は一人ずつで、この部屋に――」


 そこまで口にした僕は慌てて踵を返し、踵を返すとすぐさま台座へと駆け寄り、女性を拘束していた枷を外し始める。


「この部屋か――ああ、こういのもなんだけど『身体的』な被害は少ないみたいだし、お姉さん、いやぁ運がよかったね」


「運が良い? 指が五本も落とされてるし、それに……」


 外しはじめるのだが、軽卒な発言が耳に届いたことで、僕は枷を外す手を思わず止めてしまう。


「これは医療魔法っていう代物で痛みを麻痺させる魔法なんだよね。

治療魔法ほど便利なものじゃないけど、痛みを感じない分、少しは楽になったでしょ?」


「は、はい……」


 対してロゼリアさんは、悪びれる様子もなく、反対側の枷を外し始めると、聞き馴染みのない魔法で痛みを和らげてみせる。


「私の指……もう治りませんよね……?」


「残念だけど諦めちゃおっか? ほら、私と比べたら幾分ましでしょ?」


 続けて、そのような言葉を掛けるのだが、厳しい言葉とは裏腹に、女性を胸に抱く仕草はとても優しく、


「うぐ……ふぅう……」


 頭を撫でられた女性は、安堵するかのように泣き声を漏らし始めることになった。


 そして、そんなロゼリアさんの姿を見ていた僕は、『軽卒』な発言を『軽率』として受け取ったことを恥ずかしく感じてしまう。

 ロゼリアさんが『運が良い』と口にしたり、明るい口調で話しかけたのは、事態を重く受け止めさせたくなかったからで、恐らくは『肉体的』な傷よりも『精神的』な傷を癒そうとした結果であり……要するに、優しさであったことを理解してしまったからだ。


「ほら、肩を貸してあげるよ」


「あ、ありがとうございます」


 ロゼリアさんさんは女性に肩を貸し、ふらつく腰を支えながら歩き始める。

 僕は僕で、開けた扉を手で押さえ、二人が楽に通れるように身をかわすのだが……


「……愉しかったよ、アニアちゃん」


 いつ意識が戻ったのだろうか?

 床に転がっていた男が、下卑た笑みを浮かべながら口を開き、


「ふざけるなッ!! ふざけるなッ!!」


 きっと、それが彼女の名前だったのだろう。

 激高したアニアさんは、ふらふらとした身体を懸命に運び、一度、二度と、踏みつけるような形で男のことを蹴りつける。


「ふざけるなッ!! ふざけ――あっ!?」


「だ、大丈夫ですか?」


 だが、三度蹴りつけようとしたところで体勢を大きく崩し、僕の腕のなかへと収まることになってしまった。


 そんな状況のなか、男の眼前で腰を屈めたロゼリアさんは、男の顔を覗き込みながら笑みを浮かべる。


「愉しかったんだ? いやぁ、でも分かるよ、愉しいもんねぇ?

奇遇なことにさ、私も嫌いじゃないんだよね――」


 ロゼリアさんは、何を言い出しているのだろうか?

 僕はそのような疑問を浮かべるが、そんな僕の疑問はすぐに解消されることになる。


「あがっ!? あぎゃぎいぃいい!?」


「――黒くて、かったいのを突っ込むのはさ」


 ロゼリアさんは、黒鉄の義手――その指先を男の口へと突っ込み、小指から折りたたんで握り拳を作り始める。


「おまけにデカいだろ? あまりにデカいもんだから突っ込まれたヤツはヒィヒィ鳴き出しちゃうんだよ?」


「ひぃいいいいッ!! ひぃぎいいいいッ!!」


 バキッ、ゴキッ。

 男の顎と歯は悲鳴を上げ始め、少なくない量の涎と血を、口の端から垂れ流していく。


「あ~あ~、涎を垂らして喜んじゃって。

どう? 『嫌いじゃない』って言うだけあって上手いもんだろ?」


「あぎぃいいいいい!? ひぃいぎぃいいい!!」


 追い打ちを掛けるように、義手の手首を回すロゼリアさん。

 そのことにより、口角にたまり始めていた泡がピンク色へと染まっていき、それが赤色へと変わったところで、男の精神が限界を迎えてしまったのだろう。男は完全に意識を手放すことになった。


「どうアニアちゃん? 少しは気が晴れたかな?」


「はい……ありがとうございます……」


 そして、ヒューヒューと息を漏らしている男を見下ろしながら、喜びとも悲しみとも違う複雑な笑みを浮かべるアニアさん。

 対して僕は、男に対して同情はしないものの、目の当たりにした暴力が想像以上だったため、どういう表情を浮かべて良いのか迷ってしまう。


「私は他の部屋にいる被害者の救助に向かうから、アルはアニアちゃんを外に連れ出してもらえる? ほら、氷砂糖渡しておくから外に出たら食べさせてあげな」


 しかし、その暴力を行った本人は、微塵も後悔などしていない様子で、


「じゃあ、行ってくるからよろしく」


 堂々と歩く後姿を見た僕は――


「はい! 分かりました!」


 大きく返事を返すと、自分でも気づかないうちに少しだけ頬を緩めていた。

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