第259話 認識不足

 一夜が明けて翌日――


「いやぁ、天気も良いし、風も心地いいねぇ」


「気温も丁度いいし、まさに行楽日和って感じの天候ですよね」


「じゃあ、そこの小川沿いで野草を摘んだり、のんびりと釣り糸を垂らしたり、一とおり楽しんだら拠点に帰るとしようか」


 僕とロゼリアさんは馬車の荷台で揺られながら、のどかな風景を楽しんでいた。


「ロゼリアさん?」


「冗談だよ。

てかアル、あそこの小川――大きな石の横を見てみなよ」


「石の横ですか? あ、アライグマの親子が芋っぽい何かを洗ってますね」


「頑張って前足を動かしているのが可愛いよねぇ。

でも、あれって獲物を捕る時の習慣とかで、別に洗っている訳ではないらしいよ」


「え? 綺麗好きだから洗ってるとかではなく?」


「うん、違うみたい」


「そうなんですね……あまり知りたくなかったです……」


「くっくっ、そいつは悪いことしちゃったねぇ」


 積み荷の干し草にもたれかかり、何とも気の抜けた会話を交わす僕たち。


「朝食は飲み物だけだったからお腹すいただろ?

ほら、氷砂糖をあげるから、コレでも舐めて空腹を紛らわしておきなよ」


「ありがとうございます。いただきますね」


「私も一個舐めておこうかな」


 ゆっくりと遠ざかって行く景色。

 背もたれにしている干し草の匂い。

 口の中でカランと鳴る氷砂糖の甘さ。

 その全てが僕の心を穏やかにし、馬車に揺られている理由を勘違いしてしまいそうになるのだが……


「この調子だと、例の【養豚場】に到着するまであと二、三十分ってところかな?

アル、この時間を利用して、これからの手順についてのおさらいをしておこうか」


 とはいえ、理由を違えるはずはなく、

 

「はい、分かりました」


 僕は表情を引き締めると、これからの手順についてのおさらいをすることにした。

 

「僕たちが向かう施設の表向きな経営形態は農場――搾乳を主にした農場という話ですので、牛たちの餌である干し草を積んだ荷馬車に紛れて農場内へと侵入します」


「だな。で、農場内に侵入したらどうする?」


「【魔力感知】を使用して周囲の状況を把握し、御者が――御者に扮した団員さんが、手続きという形で相手側の気を惹いている隙に荷台から脱出。脱出した後は人目を忍べる場所へと速やかに移動します」


「よし、次だ」


「その後は、身を潜めながら施設へと繋がる出入口を探します。

運が良ければ会員が出入りする瞬間を目撃するのと同時に、施設への出入り口を確認することができますので、出入り口を確認し次第突入。

突入後は【肉屋】の関係者の捕縛――深手を負わせることや昏倒させることで無力化し、無力化してから被害者の救助へと向かいます」


「【肉屋】の対応に関して、一個抜けてる部分があるようだけど?」


「……捕縛が困難で、被害者の救助に支障をきたすような場合は……殺害することで無力化を図ります」


「はい、よく答えられたのでご褒美です」


「むぐ!?」


 ザッとしたおさらいを終えた僕の口に、ロゼリアさんはひと欠片の氷砂糖を押し込む。


「で、滞りなく成功した場合は、被害者たちを連れて一度マディアへ帰還。

被害者たちを信用できる場所に預けてから、ほぼ同時刻に侵入していたであろう他の三組――クジャル、カウウとミエルン、それと二つの施設を任されているハスクの三組の内、一番負担の大きいハスクの補佐へと回る訳だね」


 続けて、そのような説明を付け加えると、見透かすような表情を浮かべて僕の脇腹をツンとつついた。


「てか、わざと省いて答えたでしょ?

察するに、殺しに対して抵抗があるからわざと省いて答えたんだと思うんだけど……理由はアルが童貞だからかな?」


「性的な意味ではなく、「人殺しの」って意味で聞いているんですよね?」


「そうだよ。で、実際はどうなの? 殺したことあるの?」


「……人の命を奪ったという実感はあるのですが、『人をこの手で』と、なると経験はないのかも知れませんね」


「その言い方だと、間接的にはある感じかな?」


「ええ、僕の行いによって捕縛され、その結果処刑されることになった人は居ますし、元々は人である【キメラ】の命も奪ったこともあるのですが……」


「『直に』になると経験はない訳だ」


「はい……そういうことになりますね」


 僕の答えを聞いたロゼリアさんは、上方へ視線を向けると、右手の親指を上唇に置きながらブツブツと呟き始める。


「なるほどねぇ……

人の死にまったく触れてこなかった訳でもなく、死を間近で感じる機会がありながらも、殺すという端的な手段を今までとってこなかった……それを弱さや甘さと判断するべきなのか?

とはいえ、人を殺すことに対して『拒絶』を覚えている様子でもない……だとしたら端的な手段を取らないことを評価し、強さや優しさと判断するのが正解か?」


 逡巡する様子で、独り言を続けるロゼリアさん。


「いや、違うな。どちらも正解で揺れている最中なのか?

だとしたら……いやぁメーテ姉さん、今後の在り方を私なんかに委ねちゃって良いんですかね? あとで恨み言を言われたとしても責任なんてとれませんよ?」


 そして、腑に落ちたような表情を見せると、その表情を苦笑いに変えてから僕へと向けるのだが――


「団長、兄貴、そろそろ到着するので御者席の後ろに隠れて下さい」


「はい、分かりました」


「了解、じゃあ、後は任せたよ?」


「任されました。俺の話術でお二人が侵入する時間を稼いでやりますよ」


 いつの間にやら、僕たちを乗せていた荷馬車は目的地付近へと辿り着いていたようで、慌てて御者席の後ろへと移動した僕は、苦笑いを向けられた理由を尋ねられないまま、干し草の陰で息を潜めることになってしまった。




 それから暫しの時間が経過したところで、


「おい御者、そこで荷馬車をとめろ」


 今まで届いていた蹄と車輪の音がピタリと止まり、代わりに人の声が届き始める。


「お前は見ない顔だが……この荷馬車には覚えがあるな。

馬の名前は確かサンドリアで、荷車の部分は……ああ、そうだ、やっぱりバーズ商店の荷車だ。

ってことは、お前はバーズさんのところの新入りか? ケヨンはどうした?」


「はい、自分はジジィんところの――あっ、やべ、バーズ商店の新人でポトトっていいます! ケヨン先輩は昨日の晩から体調が悪いっていう話なんで、急遽、俺が駆り出されたって感じっすかね!」


「ケヨンが体調不良? 嘘は吐いてないだろうな?」


「俺は嘘なんか吐かないっすよ!」


「俺は? 今『は』って言ったよな?」


「言いましたよ? 正直、こういうことは言いたくないんすけど……俺は嘘を吐きませんけど、ケヨン先輩は嘘を吐いてると思うんすよねぇ~」


「ケヨンが? 嘘を?」


「こだけの話なんすけど……最近ケヨン先輩に彼女ができたんすよ」


「は? 彼女?」


「そうっす! しかもめちゃくちゃ可愛いんっすよ!

だから体調不良っていうのは嘘で、彼女と一緒に居たいから病気のふりをする……アレっすよアレ! やべぇ出てこない!」


「……もしかして仮病か?」


「そう! それっす!

彼女と居たいから仮病を使って仕事を押し付けた、って俺は考えているんすよね! てか、ムカつきません? ムカつきますよね!?」


「あ、ああ……」


 これは即興で作り上げた設定なのだろうか?

 そのような疑問を抱きながらも、僕たちは、馬車から施設内へと移る機会を計り続ける。


「……とりあえず積み荷の確認をするからこっちに馬車をまわせ。

ああ、それと、バーズ商店の従業員であることを証明する札、積み荷について書かれた書類や伝票等、忘れていたりはしないだろうな?」


「馬鹿にしてるんすか? 書類はここに……あれ? ないな?」


「……まさか忘れたのか?」


「そ、そんな筈はないっす! 確かに内側に――外套の内側に入れておいた筈なんすよ!」


「そもそもお前……外套なんか羽織ってないじゃないか」


「へ? あ……今日は温かかったから荷台に放り投げたんだった……い、今すぐ確認しますね!」


「ああ、いいよ。俺が確認するからお前はそこに座って待ってろ」


 そして、そのような会話が交わされるのと同時に、御者席の傍から足音が遠ざかり始め――


「外套、外套っと……ああ、これか。

確かに、外套の内側に書類が入っているようだな」


「でしょ? ケヨン先輩と違って俺は嘘なんか吐きませんよ~」


 僕とロゼリアさんは、その会話を施設内から聞くことに成功する。


「どうだかな? とりあえず書類も確認できたことだし、積み荷を運んでくれ」


「どこに運べば良いんすか?」


「どこにって、積み荷は干し草なんだからサイロに――って、お前は新人だったな。案内してやるから俺の後についてこい」


「了解っす!」


 段々と遠ざかって行く二人の会話。

 その会話を聞きながら、僕とロゼリアさんは「ふぅ」と息を吐く。


「な、なんか、演技派の団員さんでしたね?」


「元劇団員なのは知ってたけど……正直驚かされたよね?

ともあれ、無事に施設内への侵入に成功した訳で……アル、【魔力感知】で得た情報を共有しておこうか」


「はい、分かりました」


 続けて、情報の共有を始めた僕たち。


「反応から察するに、私たちが居るこの場所は安全だ。

施設全体を確認することはできなかったけど、右の方に一人、左の方に二人といったところかな?」


「ん?」


「ん? 『ん?』ってなに?」


 が、共有を始めたところで齟齬が発生してしまう。


「いや、確かにそれは同意見なのですが……」


「なに? 私が間違ったことでも言ってた?」


「そういう訳では……」


「? 時間がもったいないからハッキリ言いなよ」


「……ロゼリアさんの【魔力感知】だと足りない情報が多いです」


「足りない? なら、足りない部分を補足してみてよ?」


「わ、分かりました……えー、この場所を中央として考えた場合……一階、右から二番目の部屋に二人、街道側にある左端の部屋に一人。

二階、事務室と思われる右から三番目の部屋に二人、その先にある角部屋で牛舎を監視するかのような動きをする者が一人の、合計五人。

施設の外には合計で四人、団員さんを案内した人、放牧場で牛の世話をしている人、牛舎内で仕事をしている人、牛舎の外でただウロウロしている人を感知することができた。と、いった感じですね」


「へ?」


「ちなみにですが……従業員のなかには一般の方が交じっていたりしますか?」


「う、うん……判断が難しいから、余計な油断を生まないように説明はしないでおいたんだけど……」


「やはりそうでしたか。

二階で監視するような動きをしている人と、牛舎の前でウロウロしている人、それに団員さんを案内した人と比べ、他の人は随分と素人じみた魔力の輪郭をしていましたので、もしかしたらと思って聞いてみました」


「……もしかしてだけど、一般人とそれ以外の判断が出来ちゃう感じなの?」


「断言はできませんが……玄人然としている? と、言えば良いんでしょうか?

ある程度の実力者であれば、判断することは可能かと」


 僕がそう答えると、「まじでか」と溢したロゼリアさん。


「いやぁ、【魔力感知】に関してはそれなりに自信があったんだけど、こんな意味不明な精度で、訳の分からないことを言われちゃうと自信無くしちゃうなぁ? ねぇ、どうしてくれんのさ?」


 呆れるような表情を浮かべながら、僕の太ももを両指でビシビシとつつく。


「ともあれ、それだけの精度があることを把握していなかったのは私の失態であり、嬉しい誤算でもあるね。

正直、何も知らずに働いている一般人はある意味『枷』だったから、アルの言う実力者――要するに【肉屋】の関係者を狙い打てるのは大きな益になるよ」


 更には、僕の頭に手を置き、褒められているのか判断し辛い、乱暴な手つきで頭を撫でまわすのだが――


「おっと、二階から監視されてる上に、意味もなくウロウロしている奴がいる牛舎に、小綺麗な旦那様が案内されるみたいだよ?

って、いうことは、どういうことだか分かるよね?」


 そのような質問をするのと同時に、撫でまわしていた手をピタリと止めた。 

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