第252話 僕の意思で

 

「【魔石事変】以上の闇……ですか?」


「そう、アルは想像できる?」


「想像できるとか以前に……あまり想像したくないというのが本音かもしれません」


 僕がそう答えると、ロゼリアさんは「なるほどねぇ」と、呟く。


「まあ、あの事件も相当闇の濃い事件だったからね。

アルがそれ以上の闇を想像したくない。って思っちゃう気持ちも充分理解することができるよ。けど――」


 続けて、ロゼリアさんはそのような言葉を口にすると……


「ちょ、ちょっとロゼリアさん! 何やってるんですか!?」


「ん? ミルクを混ぜてるんだけど?」

 

 いったい何を考えているのだろうか?

 木製のジョッキに白い指を沈め、注がれたミルクが零れるほどの勢いで掻き回し始めた。


「や、やめて下さいよ!」


「嫌なんだけど?」


 ロゼリアさんは制止を跳ねのけ、グルグルとミルクを掻き回し続ける。

 そして、ジョッキから半分ほどのミルクが零れ、テーブルの上が悲惨な状態になってしまったところで満足そうに息を吐き――


「はぁ。あ~楽しかった。っと」


 続けて、指先のミルクを舐めとると、唾液で濡れた指先を僕の頬に擦り付けた。


「ちょっ!? な、なにするんですか!?」


 僕は、洋服の袖で頬を拭いながら尋ねる。

 ロゼリアさんが奇行に走った理由も、その意図も、まったく理解することができなかったからだ。


「どうしてこんなことをすると思う?」


「へ? どうしてって……」


 が、ロゼリアさんから返ってきたのは質問に対する質問で、皆目見当がつかなかった僕は、間の抜けた声を漏らしてしまう。


「……どうしてでしょうか?」


「どうしてだろうね?」


「……意地悪しないで下さいよ」


 恐らく、そう言った僕の表情には「混乱」が多く含まれていたのかも知れない。

 ロゼリアさんは、そんな僕の表情を見ると「悪い、悪い」と口にして肩をポンポンと叩くのだが……


「要するに、こんな理不尽が【魔石事変】以上の闇さ。

ミルクを掻き混ぜたいと思ったから掻き混ぜる。それが人のものだろうと関係ない。ミルクがある。掻き混ぜたいと思った。だから奴らは躊躇することなく掻き混ぜるのさ」


 続けられたのはそのような言葉で、僕は一層の「混乱」を表情に出してしまう。

 

「意味が分からないよな? 理解できないよな? 

だからアッチ側の思考を完璧に理解する必要はない。染まらないように、侵されないように、上澄みだけを掬って上手に理解した気になるんだ。

それで受け入れろ。このミルクが突然の理不尽に襲われたように――躊躇うことなくソレをやっちまう人間が存在していることをね」


 そして、話をそう締め括ったロゼリアさんは、僕のジョッキに手を掛けると――


「まあ、ここで詳しい話をするのもなんだし、続きは他所ですることにしようか。

そこで今後の予定を――これからアルとミエルにやって貰いたいことを説明してあげるよ」


 グイっとジョッキを傾け、口元に付いたミルクをペロリと舐め取った。





 その後、酒場を後にした僕たちは宿屋へと案内される。

 どうやら他人に聞かせたくない内容が「説明」のなかには多く含まれているようで、ソレを防ぐという名目の元、ロゼリアさんが宿泊している宿屋へと案内されたという訳なのだが――

 

「いらっしゃ~い。

ちょっと用意するものがあるから、適当に寛ぎながら待っててね」


「「お、おじゃまします……」」


 案内された宿屋――その一室を見渡した僕は、思わず声を上擦らせてしまう。

 何故なら、壁には豪奢な額縁に収まった絵画。天井には装飾が施された照明器具。床には幾何学模様が織り込まれた絨毯が敷かれており、絨毯の上には見るからに高級そうな家具たちが並べられていたからだ。


「な、なんかすごい部屋ですね……」


「受付を通った際に料金案内をチラッと見たのですが……一泊で金貨一枚とか恐ろしい情報が書いてありましたよ……」


「一泊で金貨一枚……」


 ミエルさんから値段を聞いた僕は、少しだけ眩暈を覚えてしまう。

 とはいえ、いくら高かろうが僕には関係のない話だし、縁もない話だ。

 そのように考えた僕は気持ちを切り替えると、その豪奢さを見ることで味わい、触れることで堪能し始めていく。


「あ、凄い……ここのティーセット、シュワラの白磁で揃えてある……

うわ……しかも剣の模様とか入っちゃってるし……」


「こちらの絨毯なんかも……独特な模様から察するに、恐らくはエデニゴ絨毯ではないかと」


「エデニゴ絨毯って……凄くお高い絨毯ですよね?」


「はい。この出来でしたら……最低でも金貨四枚ほどの価値があるのではないでしょうか」


「金貨四枚……」


 そうして部屋の豪奢さを堪能し、少しだけ怖気づいていると――


「ああ、そうだそうだ。

まだ宿屋は決まってないんでしょ? ここで予約を取ってあるから寝床の心配はしなくても大丈夫だからね」


 聞き間違いだろうか? 恐ろしい言葉が耳へと届く。


「へ? ここで予約をですか?」


「そうそう」


「そ、そうそうって……ミ、ミエルさん……さっき料金案内を見たと言っていましたが、他の部屋が幾らぐらいするのかを覚えていたりします?」


「確か……一番質が低くても銀貨十枚だったかと……」


「おっふ……」


 先程よりも強い眩暈と、腰から力が抜けていくような感覚が僕の身体を襲う。

 流石に、一泊で銀貨十枚を費やす訳にはいかないし、金貨一枚だとしたら財布事情的にも払えない。


 そう考えた僕は、親切心を無下にしてしまうのは気が引けるものの、予約を取り消して貰うために口を開きかけるのだが……


「心配するなって、金は掛からないから」


 僕よりも先に、ロゼリアさんがそのような言葉を口にした。


「お金が掛からない? と、いうのは?」


「私の見た目って結構特殊だろ?

だから冒険者界隈の情報に疎くても、私のことは知っているって人が割と居るんだよね。で、そういう人たち――特に商売人なんかは逞しくてさ、【三点欠損のロゼリア】って名前を上手に使おうとするんだわ」


「あ……そういうことですか」


「気付いたみたいだね?

要するに『Sランク冒険者が使用した宿屋』――ってな触れ込みを手に入れたい宿屋が対価を支払った結果、私の口から『金は掛からないから』って言葉を引き出した訳さ」


 僕はなるほどと頷く。

 とはいえ、それは宿屋がロゼリアさんに支払った対価であり、僕に支払った訳ではない。

 従って、ロゼリアさんの提案に甘えるのも違うように感じてしまった僕は、やはり予約を取り消してもらおうと考えるのだが……もしかしたら内心を見透かされてしまったのかも知れない。


「余計なことは考えずに素直に甘えておけばいいんだって。

まあ、それでも納得できないんだったら……借りや報酬の前払い。そんなふうに考えてもらえれば私としては助かるかな?」


 ロゼリアさんはそう言うと――


「いや、前払いにもなりゃしないか……」


 何処か皮肉げな声で、少し悲しげに笑った。




 それから一息吐いたところで説明が始められた。


「――と、いう訳だな」


 始められたのだが、 ロゼリアさんから話を聞き終えた僕は言葉を失ってしまった。


  ロゼリアさんの説明を要約すると、ただ自分の快楽のために人を殺す者がいる。

 人の死を商品として扱い、誰かを不幸にすることを生業としている者が居る。

 それを許せないロゼリアさんは、【幸せを運ぶ肉屋】、【陽気な仕立て屋】【軽快な靴屋】――それを統括する【楽しい商店街】を潰そうと考えており、ロゼリアさんと行動するということは、多くの「死」を傍らに置くのと同義と知ったのだから言葉の一つも失いもする。


 それに加えてだ。


「どうした? もしかして同情しちゃった?」


 どこか飄々とし、人を食ったようなロゼリアさんに、目を瞑りたくなるような過去があることを知ってしまったのだから尚更だ。


「ロゼリアさん……」


「ああ、そんな顔するなって。

自分で説明しておいてなんだけど、やりにくくなるからさぁ」


 ロゼリアさんはそう言うと、バツが悪そうに頭を掻く。


「まあ、メーテ姉さんたちがアルを託しただの、私の目的を知って了承しただの言ったけど結局はアル次第だ。

私の事情や目的を説明したのは、私が主導で面倒を見た場合、この二年間で腐るほど嫌な思いや、吐き気を催すほど辛い思いをすることを知って貰いたかった訳だ。

だからこそ無理強いはしない。アル主導でこの二年間を過ごす。と、いった選択肢を選ぶことも全然間違いじゃない。

勿論、メーテ姉さんとの約束だから二年間面倒は見るつもりだから安心してくれ」


 僕は思わず言葉を詰まらせる。

 が、それは言葉選びが上手くできなかたからで、答えに迷っていたからではない。


 僕のなかで答えは決まっていた。

 当然、メーテが選んだのが他ならぬロゼリアさんだから――そのロゼリアさんに主導を委ねるべき。と、いった考えもある。


 しかし、話を聞いた僕は【幸せを運ぶ肉屋】――延いては【楽しい商店街】という組織がこの世に存在することを許したくなかった。


 だからこそ僕は――


「僕は、ロゼリアさんの目的を叶える手助けをしたいです」


 僕自身の意思で、ロゼリアさんの主導に置かれることを望む。


「……そっか。それでミエルは?」


「私はアル君がどのような選択しようと行動を共にするつもりですので。

――とはいえ、このような選択をしたアル君を誇らしく思っております」


「くっくっ、なるほどねぇ」


 ロゼリアさんは馬鹿を見るような、それでいてどこか嬉しそうな視線を僕たちに送る。


「よし! それじゃあ、今日はここまでだ!

今日は旨い飯でも食いながらゆっくり過ごして、明日からに備えるとするか!」


 そして、ロゼリアさんがそう言って立ち上がるのを見た僕は、退席の合図だと考え、ソファから腰を浮かせると出入り口に向かおうとするのだが……


「ん? どこ行くの?」


「え?」


 何故かロゼリアさんは、キョトンとした表情を僕に向ける。


「えっと退席というか解散というか……非常に厚かましいのですが、予約していただいた部屋へ向かうおうかと……」


「へ?」


「え?」


 なんだか話が噛み合わない。

 それを不思議に思っていると。


「ん? いやいや、ここで予約したって言っただろ?」


「ここ?」


「そうだよ。だからここだよ。こーこ」


「……ここの宿屋って意味ではなく? この部屋ってことでしょうか?」


「そう言ってんじゃん。

つーか、流石に只とはいえ、何部屋も借りるのは図々しいだろ?  常識で考えろよ」


「……」


 まあ、 言いたいことはある。

 が、ど正論なので反論できない。


「ミ、ミエルさん! ミエルさんは男女で同室になるのは――」


 僕はこの状況を打破すべく、ミエルさんに助けを求めようとする。


「これからロゼリア姉さんと呼ばせて頂こうと思います」


「ロゼ姉さんとかでもいいよぉ?」


 しかし、思い返してみれば、ミエルさんは宿屋にて同衾を企てるような輩だ。

 加えて、変に打ち解け合っている会話を聞いてしまった僕は……


「今回だけ……だよね?」


 色々と諦め、一抹の不安に苛まされるのであった。

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