第250話 いってきます

 朝露を葉の先から落とし、ピンと跳ね上がる若葉。

 その様子を横目で見ながらすぅーと息を吸えば、早朝の冷めたい空気と新緑の匂いが肺を満たして行く。

 

 耳へと意識を移せば、聞こえてくるのは草木が揺れる音と野鳥たちの囀り。

 それに加え、遊歩道を走っている人が何人かいるのだろう。

 調子の良い軽快な靴音が、遊歩道の方から届けられる。


 実に穏やかな早朝の風景。

 そんな風景を感じることができる公園の一角――小さな池を望むことができるベンチに腰を下ろしながら、僕とソフィアは他愛もない雑談に興じていた。



「どう? 荷造りの方は順調に進んでる?」


「全然よ……部屋を片付けてると思い出の品とかが出てきちゃってさ。

これも懐かしい、あれも懐かしいとかやっている内に、いつの間にか真夜中になってる。っていうのが最近のお決まりだもん……」


「ああ~、分かる分かる。

片付けをしていると、懐かしい物が出てきたりするもんね。

それと、好きだった小説とかが出てきちゃうと大変じゃない?」


「凄く分かる……この小説の冒頭ってどういう感じだっけ?

そう思って頁をめくったら最後で、黙々と読み続けることになるのよね……」


「そうそう。だから反省して、次こそは絶対――なんて意気込んだりするんだけど、何故か同じ失敗を繰り返して後悔する羽目になるんだから不思議というか何というか……」


「むしろ、後悔するまでが一組になっているような気がしない?」


「ははっ、確かにそうかもね」


「ふふっ、でしょ?」



 そのような会話を交わすと、くつくつと笑い合う僕たち。

 早朝であることを考慮して、できるだけ声を抑えて笑うのだが、公園内の音が少ないということもあってか、想像していたよりも大きく響いてしまう。


 

「あっ……もしかして驚かせちゃったかしら?」


「水浴びの邪魔をしちゃったかな?」



 その結果、水辺から飛び立ってしまう数羽の野鳥。

 僕は、そんな野鳥たちの姿を見て、悪いことしたなと思うのだが――


  

「驚かせちゃってごめんね」


「ごめんね。もう少し静かに話すから戻っておいで」



 どうやら、そう思っていたのは僕だけではなかったようで、僕たちは揃って「ごめんね」と口にする。



「あっ、伝わったのかしら?」


「もしかしたら、伝わったのかもしれないね」



 すると、木の枝に避難していた野鳥たちは、水辺へと戻って行水を始める。

 その姿を見た僕たちは、あからさまにホッとした表情を浮かべると、先ほどよりも一段ほど声を抑え、会話を再開させることにした。



「それで、荷造りの方は……順調じゃないんだよね?

五日後の出発までには間に合いそうなの?」


「まあ、順調じゃないけど出発までには間に合うんじゃないかしら?

なんだかんだ言ったけど、私物の整理は前々から進めてたし、私物の一部や大きめの家具なんかは、そのまま後輩が使ってくれるって話だからね」


「ああ~、私物や家具を処分する手間が省けたのは大きいね。

処分するとなると、結構な手間が掛かっちゃうだろうから」


「本当、処分する手間が省けたのは大きいわよね。

だから、荷造りといってもやること自体は少ない筈なんだけど……ついつい別のことに気を取られちゃってさ……」


「思ったように荷造りが進まない。って訳だね」


「そういうこと。というかアル。

アルの方は――まあ、今こうして私と会ってるんだから聞くまでもないか……」


「……うん。荷造りなら終えているよ」


「……そっか」



 僕がそう答えると、ソフィアは寂しそうな横顔を見せる。

 しかし、それも一瞬のことで、すぐさま表情を戻すと明るい声で尋ねた。



「そ、そういえば、アルも私物や家具を処分せずに済んだんでしょ?

たしか、アルが借りてた部屋をメーテさんが借りることにしたのよね?」


「そうだね。そのおかげで私物を処分せずに済んだ訳なんだけど……

正確には「借りた」ではなく、「買い取った」みたいだよ」


「へ? 買い取った? 正直、買い取る意味が分からないんだけど……」


「だよね? 僕もそう思った。

まあ、メーテとウルフも学園都市で暮らし始めてから三年だし、私物も増えてきて、二人で暮らすには手狭になってきたのも分かるんだけどさ……」


「そうは言っても、家のなかに「家と庭」があるようなものよね?」


「そう。森の家と繋がってることを考えれば、手狭と言うのは無理があるし、手狭を理由にして部屋を買い取る意味が分からないでしょ?

だから、まとまったお金も掛かるだろうし「せめて借りるって形にしたら?」って、伝えてみることにしたんだよね」


「そうしたら?」


「――少し照れくさそうにしながら、窮屈というのは建前だって教えてくれたよ」


「建前?」


「うん。窮屈いうのは建前で、本当の理由は「根を張る為」なんだってさ」


「根を張る? なんとなく言わんとしていることは分かるけど……」


「分かりにくいよね?

言うなれば、教師として生きていく覚悟の現れ――とでも言えばいいのかな?

学園都市で教師として生きていくからには、しっかりと根を張り、この場所で物事を完結させる必要があるとメーテは考えているみたいなんだ。

だから、その覚悟を薄れさせない為にも「借りる」という形ではなく、「買い取る」という形で覚悟を表明した。と、いう話なんだけど……」


「でも、フィデルやノアと合宿の約束をしてたわよね?」


「……まあ、極力完結させるという話で、絶対ではないのかもしれないね。

だけど、教師として生きていこうとしているのは本当だし、学園都市に根を張ろうとしているのも本心なんだと思うよ?」


「教師として……か。

前々から教師を続けるとは聞いてたけど、本当に続けるつもりなんだ」


「意外だった?」


「ええ、なんてたって超がつくほど過保護な二人なんだもの。

アルを追いかけて迷宮都市に向かうのかも? なんて考えちゃうのも仕方がないことだとは思わない?」


「た、確かに仕方がないとは思うけど……それはしないって言ってたからね」


「そっか……二人もそうだし、アルも寂し――な、なんでもない!」



 ソフィアは途中で言葉を途切れさせると、慌てるようにパタパタと手を振る。

 対して、そんな姿を見た僕は、ソフィアの優しさを感じて思わず笑みを溢してしまう。


 恐らくだが、ソフィアは分かっているのだろう。

 もし、「アルも寂しいよね?」と続けてしまった場合、僕が「寂しい」と答えてしまうことも。

 口にしたことで後ろ髪を引かれてしまい、僕の決意が揺らいでしまうことも。


 だからこそ、ソフィアは慌てて「なんでもない」と口にした。

 卒業式の翌日。今日というこの日に旅立つことを決めた僕を――寂しさに囚われてしまわぬように、急いで出発を決めた格好悪い僕のことを思って。


 だからこそ僕は――

 


「寂しいよ」


「アル……」



 ソフィアがしようとした質問に対して「寂しい」とは答えない。

 僕は、僕のことばかり優先するソフィアを想って「寂しい」と口にした。



「私も……寂しいな」



 僕がそう伝えると、ソフィアはポツリと呟く。

 同時に、言葉にしたことで塞き止めていたいたものが溢れてしまったのだろう。

 ソフィアの頬をつーと滴が伝う。



「まったく……泣かせないでよね?」



 それでも、ソフィアは多くを口にしようとしない。

 もしかしたら――いや、もしかしなくても言いたいことは沢山あるのだろう。

 だというのに、多くを口にしなかったのは、僕の後ろ髪が余りにも掴みやすいからで――



「手、繋ごうか」

 

「ん……」



 僕とソフィアは、時間が許すまで手のひらの温度を確かめ合った。






 時刻は正午を過ぎ、昼休憩を終えた人々が仕事へと戻り始めている。

 そんななか、早目の昼食を取り終えた僕とソフィアは、馬車の停留場へと向かい歩みを進めていた。



「もうすぐ着いちゃうわね」


「うん。そうだね」



 僕たちはそのような会話を交わすと、お互いに口を噤んでしまう。

 が、それは気まずい沈黙ではない。

 何故なら、僕たちの手は繋がれており、会話をするように手を握り、または握り返していたからだ。


 

「もうすぐ着いちゃうわね」


「うん。そうだね」



 そして、昼食を終えてから何度目かになる短い会話。

 そのような短い会話を終え、お互いにギュッと手を握ったところで停留所へと到着してしまう。


 

「着いちゃったわね……」


「うん……そうだね」

 

 

 僕たちの声は自然とか細くなる。

 停留場に着いたことにより、一緒に居られる時間も残り僅かだと理解させられてしまったからだ。


 だからだろう。

 僕たちは顔を見合わせると、なんとも情けない表情を浮かべ合ってしまうのだが……



「ようお二人さん、デートは楽しかったか?」



 そんな僕たちに対し、快活な声が掛けられる。



「ダンテ、野暮なことを聞くんじゃない。で、どうだったんだ?」


「にゃはは! 注意したくせに興味深々じゃにゃい……んにゃ!?

ふ、二人とも手を見るんだにゃ! 仲良くおててなんか繋いでるにゃ!」


「まじか!? おいおい、ちっとは進展したって訳か!」


「何故だろうな……妙に感慨深いものがあるんだが?」


「にゃんだベルト? もしかしてにゃくのか? にゃくのか?」


「泣く訳ないだろうが……泣く訳が……」


「その割には目が赤くにゃってにゃいか?」


「なってない!」



 そのような会話を交わすのはダンテとベルト、それにラトラで、毎日のように顔を合わせていた友人たちだ。



「みんな……」



 正直、急に声を掛けられたことに関しては驚きはしたが、友人たちがこの場に居ることに関しては驚いてはいない。

 事前に見送りに来ることは聞かされていたし、来ると言った以上は約束を違えないと確信していたからだ。


 だが……



「おうおう、俺に対する当てつけか?

それとも、女っけの欠片もない俺に対する自慢なのか? いや自慢だな。自慢なんだろ!?

いいぜ、やってやるよ! アルがそのつもりなら相手してやるから掛かって来いよッ!!」


「オ―フ……子供に八つ当たりするとかみっともないわよ?

それに女っけないとか言ってるけど……わ、私が居るじゃない?」



 拗らせた中年ことオーフレイムさんと、カリナさんまで居るのは予想外だ。



「あ!? 今何か言ったか!?」

 

「……本当、この馬鹿は」



 うん。拗らせた中年の難聴芸に少しだけイラッとしたことは兎も角。

 そんな二人や、友人たちの後方へと視線を向ければ、見知った顔が多く揃っていることに気付く。



「入学から卒業まで、本当にあっという間だったね。

まあ、これからは顔を合わせることが少なくなっちまうと思うけど……

学園都市に寄った際には、ウチのお店にも顔を出しておくれよ?」


「その時は、腕によりをかけた食事を提供すると約束するよ」


「アルさん! これ、持っていって下さい!

アルさんが好きだった杏のジャムなどが入っていますので!」



 そのような優しい言葉と笑顔を掛けてくれたのは、入学当時に世話になっていた【篝火亭】の女将さんと旦那さん。二人の娘であるアイシャで、アイシャは杏のジャムが入っているという布袋を僕に手渡してくれる。


「あ、ありがとう。女将さんと旦那さんもありがとうございます」


「礼なんていらないよ。

ああ、それと、ウチの味を再現できるようにレシピも入れておいたからね」


「あら、良かったじゃないアル。

それでサーシャ。私の分のジャムは用意してないの?」


「用意してる訳ないだろ? 欲しけりゃ買いに来なよ大家さん――いや、マリベル先生って呼んだ方が良いかい?」


「やめてよ……サーシャに先生とか言われるとむずむずする……」



 女将さんとじゃれあいを演じるのは、僕に部屋を貸してくれた大家さんであり、転移魔法の師匠でもあり、教師として赴任することが決まったマリベルさん。

 そんなマリベルさんは、僕の元へと歩み寄ると、僕の鳩尾に拳をドンと置く。

 

 

「まあ、私は教師として頑張るから、アンタも頑張りなさいよ?」


「げふっ、ごほっ……が、頑張ります」


「素直でよろしい」


「ちなみにですが……」


「ん?」



 そのことにより僕は咳き込んでしまい、同時に、この機会に教師を目指した理由を聞こうかとも考える。



「――いや、なんでもないです」


「なによ歯切れが悪いわね?」



 が、僕は考えを改めると、続ける筈の疑問をゴクリと飲み込む。

 何故なら、「組織に属していないと緊急時に連携が取れない」、「教師のなかには頭の固い奴が多すぎる」、「私ならもっと被害を抑えられた」と、いった愚痴をマリベルさんから何度か聞かされていたからだ。


 つまりは学園都市に暮らす住民の為で、それを説明させてしまうのは些か野暮なのだろう。

 などと考え、一人で納得していると――


 

「子供が成長するのは早いものじゃな」



 テオ爺が歩み寄り、僕の二の腕をポンポンと叩く。

 僕は、多忙であるテオ爺が来ていることにも驚いてしまうのだが、今更ながら、テオ爺の背を抜かしていたことに気付いて驚いてしまう。



「本当に、本当に大きくなったのう」



 そう言うと、寂しそうな、それでいて嬉しそうな表情を浮かべるテオ爺。

 僕は僕で、成長を嬉しく思う一方、少しだけ縮んだように感じるテオ爺の姿を見て、嬉しさと寂しさが入り混じった複雑な笑みを浮かべてしまう。


 そして、そんな僕に対して、テオ爺はもう一度笑い掛けると――



「アルの活躍を祈っておるよ」


「ありがとう。テオ爺」



 少し窮屈そうな姿勢で僕の頭をポンと撫で、そっと次の人に順番を譲った。



「ア、アル兄さん」


「ア、アルお兄ちゃん」



 テオ爺に腰を押される形で、僕の前へと足を運んだのはフィデルとノア。

 僕にとっては可愛い後輩であり、突然できた大切な家族でもある。 



「ぼ、僕もアル兄さんのように多くの努力をします!

そ、それで今年こそは! 今年こそは席位を勝ち取ってみせます!」


「わ、私もいっぱい頑張る!

わ、私も席位を……で、できることならアルお兄ちゃんとお揃いになれるように頑張ります!」



 二人はこれからの目標を口にすると、僕に対して上目遣いを送る。

 どうやら何かを求めているようなのだが、何を求めているのかを直ぐに理解することが適わなかった。



「うん頑張ってね。

近くで見守ってあげることはできないけど、二人を思って応援し続けるよ」



 従って、僕は偽りのない本音を伝えると、衝動のままに二人の頭を撫でる。



「は、はい! が、頑張ります!」

 

「ノ、ノアも頑張る!」



 すると、それが二人の求めているものだったようで、二人は目を細めると、涙目になりながらも可愛らしい笑顔を浮かべた。



「アルお兄ちゃんの匂いが消えるまで、頭洗わないでおくからね」



 ……うん。なるほど。

 そして、そのようなやり取りが交わされた後方では――



「は、離せウルフ! わ、私は見送らんぞ!」


「なに言ってるのよ! メーテが見送らなくてどうするのよ!」


「い、嫌だ! 見送ったらアルと別れることになるだろうが!」


「ほ、本当になに言ってるの!? 見送らなくても暫く会えなくなるんだから見送らなきゃ駄目でしょ!?」


「い や だぁ!」


 

 僕の家族には様子がおかしい人しか居ないのだろうか?

 路地裏へ逃げようとするメーテに対し、逃がすまいと腕を引っ張るウルフ。

 路地裏に消えたと思ったら大通りに姿を見せる。と、いった謎の攻防を繰り広げる。


 そのような喜劇を見せつけられてしまったのだから、頬も自然と引き攣ってしまうし、大きく溜息を吐きたくもなってしまう。

 

 だがまあ……そのような二人は一先ず置いておくことにして。

 こうして大勢の人が集まり、僕の旅立ちを見送ろうとしてくれているのだから、喜びもするし、嬉しく感じるというのが僕の本音だ。


 しかし、そう感じる一方で……これは自信過剰なのかもしれないのだが、見送りに来てくれそうな人がこの場に居ないことを寂しく感じてしまう。



「ミエルさんは……来ていないんですよね?」



 その為、僕はこの場に居ない人の名前を口にしてしまうのだが――



「こ、ここに居ますよ?」



 僕が口にした疑問の答えは後方――僕が乗車する予定の馬車から返ってくる。



「へ?」



 僕が馬車内へと視線を向けると、そこに居たのは外套を羽織ったミエルさん。

 その足元へと視線を落とせば、荷物で膨らんだバックパックが置かれていることが分かる。

 

 まるで、これから旅をするかのような出で立ち。

 そんなミエルさんの姿を見た僕は、その意味を理解することが適わず呆けた声を漏らしてしまう。



「それがミエルさんの答えですか……」



 が、そんな僕とは対称的に、全てを理解しているかのような口調で問い掛けるソフィア。


 

「はい、これが私の答えです」



 対してミエルさんも、理解されていることを前提として話を進める。



「要するに、蓋をしないと決めたんですね?」


「そうですね。

テオドール様の後押しされた。と、いうのもありますが、誰かさんに発破を掛けられた所為で、蓋と、蓋をする器が合わなくなってしまいましたから」


「自業自得、って訳ですね……」


「ええ、自業自得です」



 困惑する僕を他所に、会話を成立させるソフィアとミエルさん。

 その会話の真意を分からずにいると、ミエルさんは説明する必要があると考えたのだろう。



「私はアル君のことが好きです。

ですので、アル君の旅路に同行させてはもらえないでしょうか?」


「へ?」



 実に端的で、実に衝撃的な説明を――いや、僕に想いを伝えた。



「す、好き……ですか……」



 だが……僕はその想いに応えることができない。

 それもそうだろう。

 僕にはソフィアという相手がおり、悲しませるような真似はしたくないと考えているのだから当然だ。

 

 正直、色恋抜きで考えればミエルさんのことが好きだというのが本音だ。

 が、好きだからこそ「告白」も「同行」についても、はっきりと断らないといけないような気がした。

 中途半端な答えは誰も幸せにしてくれない。そんな気がしたからだ。


 従って、僕は胸の痛みに耐えながらも覚悟を決める。

 そして、口を開きかけた瞬間――

 


「断らないで」


「はぇ?」



 予想外の言葉がソフィアから届き、僕は開きかけた口から間の抜けた声を漏らしてしまう。

 

 

「ソフィアさん……どうして……」


「正直に言うとすご~く嫌です。嫌だけどミエルさの気持ちが分かるから。

だから私は、アルとミエルさんの間に「私」という存在を挟んで欲しくないんです」


「ソフィアさんという存在を? ですか?」


「ええ、きっとアルのことだから――か、彼女が居るから断らなきゃいけない。なんてことを、少なからず考えているんだと思うんです」


「それは……当然なのでは?」


「確かに当然なのかもしれませんが……

それが嬉しくもあり、嫌でもあるんです」


「状況をややこしくした私が言うのもなんですが……難儀な性格をしていますね」


「そうかも知れませんね。

ですが、これだけは言っておきますけど、ミエルさんだからそう思うんですよ?

これがどこぞの女であった場合、私はひとつも譲渡しません。

ミエルさんの気持ちが分かり、ミエルさんが好きだからこそ、アルが出す結論のなかに「私」を挟んで欲しくないんです」



 そう言ったソフィアは僕へと視線を向ける。



「だからアル。ミエルさんとしっかり向き合ってから答えを出して欲しい」


「ソフィア……」


「そんなに難しそうな顔しないでよ?

これはそんなに難しい話じゃなく、一緒に旅をして好きになるかならないかの単純な話なの」


「だけど……」


「それで気持ちが動いちゃうかも知れないわよね?

でも、好きになったら好きになったで別に構わないの。だって――」



 そして、ソフィアは自信ありげな、傲慢ともとれる表情を浮かべると――



「そしたら奪い返せば良いだけの話なんだもん」



 胸の前で腕を組み、不敵にも笑ってみせた。



「くくっ、くっくっく――流石はソフィアさんですね」



 瞬間、ミエルさんが声を出して大きく笑う。



「でも、本当に良いんですか?」


「ええ、構いません。

というか、駄目だと言っても素直に身を引きませんよね?」


「はい。断られたとしても無理に同行するつもりでしたね」


「……そんな気がしていましたよ」



 そのようなやり取りを交わすと、ソフィアは苦笑いを浮かべ、ミエルさんは飄々とした笑みを浮かべる。



「とはいえ、ソフィアさんには敵う気がしませんからね……

保険でも掛けておくことにしましょうか」


「保険?」


「ええ、【農民と貴族の娘】という本はご存じで?」


「それって確か……もしかしてアルを押し上げるつもりですか?」


「まあ、無理強いはするつもりはありませんが、この旅で土台だけは作り上げるつもりです」


「た、頼もしいというか強かというか……」



 更にはそのような会話を交わす二人。

 そんな二人のやり取りを聞いていた僕は、ミエルさんの同行が確定していたことを知り、思わず苦笑いを浮かべてしまう。



「おい、こいつ殺しても良いんじゃねぇか?」


「オーフ! だからみっともないこと言わないの!」

 

「ほっほっ、もてもてじゃのう」


「くっくっく、楽しくなりそうだなアル!」


「楽しそうか? ただの修羅場にしか見えないのだが?」


「にゃはは! ほんと、退屈しなやつだにゃ~!

まあ、ウチは絶対にアルだけは嫌だけどにゃ!」


「すっごく分かる。ラトラは男を見る目があるわね~。

っていうか、サーシャのところのアイシャも一時期はアルにお熱だったんでしょ?」


「一時期はね。今はそこにいるベルト君にお熱なんだよね?」


「ちょっ!? ママ!」


「父親としては複雑だが……ベルト君は良い子だからな……」


「ねぇ、お兄ちゃん?

アルお兄ちゃんは女性に振り回されそうだから、私が面倒見なきゃ駄目だと思うの。そう思うでしょ? 思うよね? 思わないの?」


「……ノア? 僕は少しばかり引いているぞ?」



 そして、周囲の会話を聞きながら苦笑いを一層深めていると――

 


「ほら! しっかりなさい!」


「おわっ! とっと」



 ウルフに背中を押され、不規則な歩幅でメーテが歩み寄った。



「メーテ……」


「アル……」



 僕たちが顔を合わせると、周囲の会話が徐々に小さくなっていく。



「えっと……」



 僕は、なんて声を掛ければ良いのか分からず、言葉を詰まらせる。

 掛ける言葉がないのではなく、掛けたい言葉が多すぎた所為だ。


 従って、僕は掛ける言葉を頭のなかで整理し始める。

 始めるのだが……



「うぐっ……」


 

 そうしている内に、喉の奥にツンとした痛みを覚えてしまう。

 

 

「ひぐっ……えっと……」



 恐らく、僕の反応は大袈裟なものとしてみんなの目に映っているに違いない。

 事実、この別れは暫しの別れでしかないのだ。

 みんなが大袈裟に思うのも致し方ないことだと思う。


 が、それでもだ。

 僕には赤子の頃からの記憶があり、メーテとウルフがどのようにして育ててくれたのかを鮮明に覚えている。

 

 たどたどしい手つきでおしめを変えてくれたことや、詰まった鼻を啜ってくれたこと。 

 苦いミルクを作ってしまったことや、湯船に僕を落としてしまったこと。

 夜泣きの多かった僕を、嫌な顔せずにあやしてくれたことも。


 だからこそ分かってしまう。

 慣れない子育てに翻弄されながらも二人なりの愛情を注いでくれたことも。

 何に苦労し、何に喜び、何に悲しみ、何に幸せを感じていたのかも。


 その全てを知っており、その場面を鮮明に覚えているからこそ。

 この巣立ちの瞬間――どうしようもないほどの感謝の思いで、痛いくらいに胸が締め付けられるのだ。


 

「うぐっ……えっと……ひぐっ」



 僕はどうにかして言葉を捻りだそうとすのだが、やはりどうにもならない。

 すると、そんな僕を見兼ねてしまったのだろう。 



「アル、ソフィアとのデートは楽しかったか?」



 僕の頭にポンと手を置き、メーテが話しかけた。


「うん……」


「荷物は、ウルフが馬車に積んでくれたから心配しなくて良いぞ?」


「ありがとう……」


「それと、以前の合宿で剣が折れてしまっただろ?

握りや柄はそのままに、ソフィアに贈った剣と同じ素材で拵えたんだ。

勿論、受け取ってくれるだろ?」


「うん、うん……」



 メーテは剣を手渡し、僕の頭をワシャワシャと撫でる。



「泣かないでくれアル。これは暫しの別れで今生の別れではない。

そうだよな? ウルフ」


「そうよ。ちょっとだけ違う道を歩くだけなんだから」



 その言葉と同時に歩み寄り、僕の肩にポンと手のひらをのせたウルフ。

 そのことにより、涙腺が崩壊した僕は、年甲斐もなくボロボロと涙を溢してしまう。



「泣くなと言っただろ? そのように泣かれたら私だって……ひぐっ」


「本当よ……」


 

 ボロボロと泣く僕を見て、涙を溢すメーテと、目頭を拭い始めるウルフ。 

 そんな二人を見た僕は、男である僕がしっかりしなきゃと考える。

 だから僕は、洋服の袖でゴシゴシと涙を拭うと――

 


「心配させちゃったね……大丈夫、もう大丈夫だから」



 二人を胸に抱き寄せ、その頭を優しく撫でた。



「阿呆が……こんなことをされてはこっちが大丈夫じゃないわい……」


「やめてよアル……ずるいわよ……」



 右の耳にメーテの涙声が、左の耳にウルフのくぐもった声が届く。

 僕は、そんな二人の声と体温を感じながら伝える。



「僕のことなら心配しないで。

だって……だってさ、僕を育ててくれたのはお伽話の登場人物なんだから。

僕の家族で、憧れで、愛してやまないメーテとウルフなんだから」



 今まで育ててくれた二人に対して愛情と感謝を。

 そして、頬が痛くなるほどの満面の笑みを浮かべる。



「だから、笑って見送って欲しいな」


「――ああ、行ってこいアル」


「――行ってらっしゃいアル」


「うん。行ってくるね」

 


 そう言った僕は馬車へと乗り込み、乗り込むとほぼ同時に御者から出発を告げられる。

 どうやら、出発時刻を過ぎるなか、お別れを終えるのを待っていてくれたようだ。


 ガラゴロと石畳の上をころがり始める車輪。

 徐々に皆との距離が離れていく。



「【叩け叩け大地を叩け 起こせ起こせ草木を起こせ】

【導は鶏頭 導は月花 千里を跨ぐ懐古の香】



 そんななか、聞こえてきたのはメーテの詠唱。

 僕は聞いたことのない詠唱だと思いながらも、その鈴の音のような声に耳を傾ける。



「【橙に溶ける燕尾 枝を噛む雀 燕尾は切れても雀は切らぬ】

【禁忌経典八章八項――門出ガ陰デ彼ガ掲グ】



 そして詠唱を終えた瞬間――



「す、凄いですね……」


「凄いでしょ? これが僕の家族なんです」



 馬車を導くようにして、色とりどりの花が咲き乱れていく。

 それは僕を送りだす為の花道のようであり、郷愁を覚える風景でもある。


 僕は、そんな風景を送ってくれたメーテやウルフ、見送りに来てくれた皆に笑顔を向けると――



「行ってきます!!」



 再会の想いを込めて、大きく声を響かせるのだった。

 そして~~――~―






 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






「……こら、シルワ。

大人しくしてるって約束しただろ? シルワが引っ張るからミミズみたいになっちゃったじゃないか」


「だって……パパとあそびたかったんだもん……」


「パパだって遊びたいけど……

よし! 今日はこれくらいにしてパパと遊ぼうか?」


「ほんと! ……で、でもママがおしごとじゃましちゃめって」


「まあ、お仕事といえばお仕事かも知れないけど……

お手紙を書いている。って言った方が正しいのかもしれないね」


「おてがみ? しうわしってるよ! ゆーびんやさんがもってくるやつだ!」


「良く知ってるね。偉いぞシルワ」


「ひひひ。パパはだれにおてがみかいてるの?」


「とっても、とーっても大切な人に書いてるんだよ」


「そっか! じゃあ、ゆーびんやさんにおねがいしますしなきゃだね!」


「うん。お願いしなきゃだね」


「はやくとどくといーね! あっ、お母さんが帰ってきた!」



 そう言ったシルワはトテトテと足音を立てて書斎を後にし、玄関から聞き慣れた声が届き始める。

 僕は、そんな会話を聞きながら書きかけの本をパタンと閉じると――



「早く届くといーね。……か。……うん、届くと良いな」



 そう呟き、聞き慣れた声の元へと向かうのだった。






==========


ここまで読んで頂き本当にありがとうございます。

今回の投稿で十章を締めさせていただいた訳なのですが、当初の予定とは異なり、随分と長い章になってしまいました。申し訳ございません。


そして次の章なのですが、どの話をやろうか悩んでいるというのが現状です。

とはいえ、どちらも書きたいと思っていますので、本編として投稿するか、番外編で投稿するかの違いしかないのですが……


ともあれ、ここまで読んで頂き本当にありがとうございます。

投稿間隔が安定しないお話ではありますが、更新は続けていく予定なので、これからもお付き合い頂けると幸いです。


加えて、「世界と異界の教典喰らい」という現代ファンタジー×サバイバルのお話も投稿しておりますので、投稿をお待ち頂いている間に読んで頂けると嬉しいです。


2020・05・06 クボタロウ

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