第245話 階段に座って

 私は卑怯者だ。

 何故かって?

 酒に酔った勢いを利用して――「あれは事故だった」「泥酔していたから仕方ない」と、言ってもらえるような状況を利用して、アル君の唇を奪ってしまったからだ。


 

「私は……何をしているのでしょう……」



 実際、あの時の私は間違いなく泥酔状態にあった。

 会話の記憶も曖昧だし、どうやって自室に戻ったのかすら覚えていない。

 だが、あの瞬間の私には僅かな意識が残っており、混濁する意識のなかから、明確な意識を拾い上げて唇を奪ったことは確かだった。



「これが自己嫌悪……と、いうやつなのでしょうね……」



 私は、枕元に置いてあった人形に顔を埋める。

 合宿の際、無理を言って譲って頂いた古着――アル君が幼少期に着用していた服で作成したアル君人形だ。



「はぁ……アル君の匂いがします」



 幾つかの薬草が混ざったような優しい香り。

 そんなアル君の香りで鼻孔と肺を満たしたことによって、自然と、心が落ち着いていくのが分かる。



「私の所為でアル君とソフィアさんの関係が……」



 しかし、落ち着くと同時に考える余裕が生まれてしまったからだろう。

 私は、自分の行いが如何に軽率で、如何に愚かな行為であったのかを再確認してしまう。

 


「二人がギクシャクしてしまったのは私の所為ですよね……」



 実際、「ミエルの所為だ」と誰かに責められた訳ではない。

 それどころか、あの場に居合わせた方々は、私が責任を感じないように、詳しい経緯が私の耳に入らないよう配慮して下さっている。

 が、私にはあの瞬間の記憶が残っており、ギクシャクの原因と責任が、私の軽率な行いにあることを重々理解していた。


 

「謝るべき……なのでしょうね……」



 従って、二人の関係を修復したいと考えるのであれば、謝罪の言葉を伝え、二人の仲を取り持つべきだと私は考えるのだが……



「あまり……したくないですね……」



 正直、したくないというのが私の本音だった。

 


「それも意味がないんですけどね……」



 とはいえ、「したくない」という行為がなんの意味もなさないことは十分に理解していた。

 何故なら、私が「し」ても「しなく」ても、二人の関係が大きく揺らぐことはないからだ。

 

 まあ、少しばかり揺らいでいるのもまた事実ではあるものの――



「ほんの……ほんの少し揺らいだだけで終わるのでしょうね」



 所詮は少しばかり揺らいだだけ。

 私が唇を重ねた事実など些事でしかなく、あの二人ならば、この状況すら糧にしてしまう未来が容易に想像できてしまっていたからだ。

 

  

「……まるで道化ですよね? そう思いませんか? アル君?」



 私は、アル君人形の鼻を優しく押す。

 すると生地が引っ張られ、アル君人形は可愛らしい笑顔を形作る。

 本来の私であれば、そんな笑顔を見て、頬を緩めている場面に違いない。



「道化だって分かってます……分かっていますので笑わないで下さいよ……」



 しかし、今の私からすれば、その笑顔は少しだけ意地悪げに映り――



「はぁ……このような心境じゃ寝れそうにありませんね……」



 私は、少しだけ夜風にあたることを決めた。






 場所は席位争奪戦会場――その舞台。

 夜の帳が下りても尚、会場外には活気に満ちた声が溢れている。   

 どうやら、明日の決勝戦を観戦する為、日を跨がない内から多くの人々によって行列が形成されているようだ。



「このような状況は学園史上初めてのことでしょうね」



 私が学生の頃、決勝に進んだ際にも長い行列ができた記憶がある。

 が、徹夜は勿論のこと、商店街まで伸びる行列など皆無で、精々、学園から尻尾が伸びた程度の可愛らしい行列であった。



「とはいえ、それが学園史上で最長の行列だったんですけどね……

今年の席位争奪戦に関しては……昨年が未開催であったという要因も勿論ありますが、きっとそれだけではないのでしょうね」

 


 事実、昨年の席位争奪戦が未開催であったことは、異常な行列を成すこととなった大きな要因の一つなのだろう。


 しかし、恐らくではあるのだが、それが一番の要因ではない。

 今年の席位争奪戦は――いや、アル君達が入学してからの席位争奪戦は「学生の試合」という枠を明らかに逸脱しており、下位、もしくは中位の冒険者でさえ圧倒してしまいそうな試合展開が繰り広げられている。


 そのような刺激的な試合内容であることに加え――



「生き証人……もしかしたら、そんな存在になりたいのかもしれませんね」



 恐らく、観客達は予感めいたものを抱き始めているのだ。

 今年の席位争奪戦は――行われた試合の数々や、翌日行われる決勝戦は、後世に語り継がれる一戦になるかもしれないという漠然とした予感を。

 

 だからこそ、後世に語り継がれるであろう一頁を目に焼き付けておきたい。

 だからこそ、観客達は日を跨がない内から、眠い眼を擦りながら、活気に満ちた声を響かせて行列を成しているのだろう。

 

 そして、そう考えているのは観客達だけではなく――



「歴史の一頁……ふふっ、大仰ではありますが、アル君達なら実現させてしまいそうで怖いですね」



 などと考え、頬を緩めていると――



「ミエルさん? こんな場所でどうしたんですか?」


「ソ、ソフィアさん? 貴女こそどうしてここに?」



 突然、ソフィアさんの声が耳へと届き、私は胸を跳ねさせてしまう。



「えっと……明日は決勝戦じゃないですか? 少し緊張しちゃって……」


「緊張? ああ、それで夜風に当たりに来たという訳ですか?」


「夜風に当たるというか……舞台に立てば少しは緊張が和らぐかと思って来た感じでしょうか?」


「成程、そういうことでしたか」


「はい。まあ、あまり効果があるとも思えないのですが、少しでも緊張が和らぐならと思って……

ところで、ミエルさんはどうしてここに?」


「わ、私ですか?」



 ソフィアさんの質問を受け、喉の奥がギュッと締まる感覚を覚える。



「わ、私はですね……」


「? ミエルさん?」



 言葉を詰まらせる私を見て、不思議そうに首を傾げるソフィアさん。

 私は私で、続ける言葉を吐き出そうとするのだが、なかなか言葉にすることができない。


 それもそうだろう。

 私がこの場に――夜風に当たりに来た理由を端的に述べるのであれば、道化でしかない自分を慰める為だ。

 その事実を伝えるだけでも情けなくあるというのに、相手がソフィアさんであり、道化としておどける相手であるのだから尚更だ。



「ミエルさん? どうされたんですか?」


「わ、私は……」



 私は頭を悩ませる。

 ソフィアさんの質問にどのような言葉を返せば良いのか?

 この機会に唇を奪った件を謝罪するべきなのか?

 それとも、夜風に当たりに来た理由を適当にはぐらかすべきなのか?

 どの選択肢が正解なのかが分からなかったからだ。

 


「私がここに来た理由は……」



 しかし、そのように考えるものの、嘘だけは吐きたくないとも考えていた。

 ここで嘘を吐いてしまった場合、道化は道化でも三流以下の道化に――余りにも惨めな自分に成り下がってしまうように思えてしまったからだ。

 だからこそ、嘘だけは吐きたくないと私は考えるのだが……



「えっとですね……」



 そのように考えるのと同時に、私の頭のなかを巡っていたのは、アル君の唇を奪ってしまったことに対する謝罪の言葉。

 加えて、アル君に対する想いや、アル君に想いを寄せつつもソフィアさんを応援したいという、相反する複雑な感情で、発する言葉を整理できなかった私はちょっとした混乱状態に陥ってしまう。


 その為、やはり言葉を詰まらせてしまい、不自然に視線を泳がしてしまっていると――



「ミエルさんと二人で話す機会ってあまりなかったですよね? 良かったら少し話しませんか?」


「えっ? あっ……は、はい」



 舞台へと続く階段に腰を降ろしたソフィアさん。

 私は、気の抜けた返事を返すと、ソフィアさんの隣へと腰を降ろす。



「話……というのは?」



 先程の話題が逸れたことにより、私は、情けなくも嘆息する。

 


「ミエルさんは、どうしてアルのことを好きになったんですか?」


「ごっふっ!? ごほっ! げほっ!」



 が、予期せぬ言葉を浴びせらたことに動揺してしまい、変に息を吸い込んでしまった私は大きく何度も咽ることになってしまった。



「だ、大丈夫ですか!?」


「だ、大丈夫です! え、えっと何の話でしょうか?」


「な、何の話って……どうしてアルのことを好きになったのか? って話ですけど……」


「わ、私がアル君をですか?」


「は、はい。聞かせていただけると嬉しいのですが……」


「と、というか……バ、バレているのでしょうか?」


「……む、むしろバレていないと思っているんですか?」


「す、少しだけ」



 私がそう言うと、ソフィアさんは信じられないものを見るような視線を私に向ける。



「あ、あれだけ愛情表現をしていたら流石に分かりますよ?

合宿ではアルの枕に顔をうずめていたし、正直理解し難いのですが……アルが捨てたゴミとかを拾ったりしているじゃないですか?

それに先日のアレ……あんなことしておいて好きじゃないって言う方が無理がありますよ?」



 正直、私としては多少なりに隠しているつもりだった。

 その上で、私なりの距離感をもって好意を伝えているつもりだったのだが……今まで恋愛経験というもの――それどころか恋愛小説の一冊すら読んでこなかった弊害だろうか?

 


「ですので、誤魔化そうとしても無駄ですよ?」



 どうやら、私の想いは筒抜けだったようで、ソフィアさんはそう言うと呆れが含まれた笑顔を浮かべた。



「そうですか……バレバレでしたか……」


「バレバレですよ? まあ私も、少し前に同じような指摘をされたばかりなので、偉そうなことは言えないんですけどね……」


「確かに、ソフィアさんもバレバレですからね」


「そ、そうですか? おかしいな……」



 私達はそのような会話を交わすと、顔を合わせてクスクスと笑い合う。



「それで……どうしてアル君を好きになったか? ですよね?」


「はい。聞かせて頂けますか?」


「構いませんが……そのかわり、ソフィアさんも教えて下さいね?」


「わ、私もですか? わ、分かりました! ミエルさんが教えてくれたら私も話します!」


「約束ですよ?」



 そうして私達は――私は、人生で初めての恋愛話に花を咲かせることになった。







「自分より強い男じゃなきゃ恋愛対象にならないって……それでアルに負けたからアルのことを好きになったって感じなんですか?」


「そうですね。

まあ、負けたからというのが一番の理由ではありますが……実力があるのに驕らない部分も好感が持てますし、顔なんかも可愛らしくて、実力と見た目の差にやられてしまったというのもありますかね?」


「分かります! しかもあの可愛らしい顔で! ニコーって笑うのがまたずるいんですよね!」


「ああ~分かります分かります。ニコーって笑いながら「書類運びですか? 手伝いますよ」などと言って、さりげなく優しさをみせてくるのが厄介なんですよね……」


「ちょう分かるぅ……分かり過ぎて吐きそう」


「は、吐きそうって……というか、私に幻滅しませんでしたか?

私にはソフィアさんとアル君のような思い出も、好きになるきっかけとなる劇的な出来事もありません。だというのに……」


「そんなの関係ありませんよ! 好きになるっていうのは理屈ではないので!」


「……そう言って頂けるとと救われます」



 話し始めて一時間以上は経過しただろうか?

 初めての恋愛話はとても楽しいもので、好きな人についての想いを伝えるという行為は、とても幸福感を得られる行為であることを私は学んでいた。


 それが共通の相手とあれば尚更で、話題が尽きることもなく、自然と笑みを溢しながら、満たされた時間を享受していたのだが……



「そうですか――ソフィアさんとアル君の間には、様々な思い出が築かれているのですね」

  


 楽しい時間であり、お互いの想いを吐き出し合ったからこそ、私の想いはソフィアさんに劣っていることを理解してしまう。

 加えてだ。

 


「少し妬けてしまいますね?」



 こうして吐き出し合ったからこそ、より一層ソフィアさんいう人物を好きになってしまい――より一層、この少女を応援してあげたいという気持ちが強くなってしまっていた。



「というか……随分と話し込んでしまったみたいですね?

名残惜しいですが、時間も時間ですし、そろそろ解散することにしましょうか? 宜しければ寮まで送らせて頂きますよ?」


「だ、大丈夫ですよ! 第二席に悪さを働こうとするやつなんていませんから!」


「ふふっ、そう言われればそうかもしれませんね」



 だからこそ、私はこの想いに蓋をすることを決めた。

 それが最善の選択であり、ソフィアさんにとっても最良の選択であると考えたからだ。



「本当に、今日は本当に楽しい時間を過ごさせて頂きました。

それでは失礼させて――ああ、それと、明日は応援させて頂きますので頑張って下さいね」



 私は、そう言って階段から腰を浮かせる。

 そして、「おやすみなさい」と告げると、この場から離れようとしたのだが――



「ミエルさん!」



 ソフィアさんに引き止められてしまう。

 


「はい? どうされました?」


「わ、私! 明日の試合でアルに告白します!」


「へ? きゅ、急にどうされたのですか?」


「きゅ、急ではないです! 今日の試合で! ダンテと試合した後に決めたことです!」


「そうでしたか……でも、どうしてそのことを?」


「だ、だって……ミエルさん……苦しそうな顔しているから」


「苦しそう? 私が……ですか?」 

 


 ソフィアさんに言われた私は、自分の表情に意識を集中する。

 すると分かったのは、痛いほどに頬に力を入れているということで、無理やり笑顔を作っているということだった。


 そして、そんな歪な笑顔を浮かべていた私に対してソフィアさんは言葉を続ける。



「ま、前からミエルさんの想いには気付いていました!

ほ、本当は少しだけ嫌だったんです! だって! アルを一人占めしたいし、誰にも渡したくないというのが本音でしたから!」


「ソフィアさん?」


「で、ですので! いつかミエルさんの本音を聞いてみたいと思っていました!

ミエルさんの本音を聞いて、適当な気持ちなら――そんな資格なんて私にはないのに、適当な気持ちで好きでいるなら遠慮なんてしてやるもんか! って考えていました!」


「……」


「でも! ミエルさんと話をして分かっちゃったから!

同じ人のことが好きで! 同じ仕草を見て嬉しくなって! 同じ表情を見て苦しく感じちゃうことを!」



 ああ、そうかと。

 この子は聡い少女だと私は思う。



「だ、だから尚更遠慮はしません!

む、無責任なこと言っているのは分かっています! 

わ、分かっていますし! 絶対に! 絶対に譲りたくはありませんけど!

ミエルさんの……ミエルさんの気持ちも痛いほど分かっちゃうから! だから!」



 加えて、優しい子であることを改めて理解する。

 

 要するに、私の浅はかな考えなど見透かされてしまったのだ。

 だからこそソフィアさんは閉じかけた蓋に手をかけてくれている。

 無責任であると理解して尚、発破をかけ、私の想いに寄り添い、蓋をしようとした想いをどうにかして昇華したいと考えてくれているのだ。



「……ソフィアさん」



 ……だからこそ、私は蓋をする決意を尚更固くする。

 想いを昇華させてあげたいと思うのは――優しい少女の想いを昇華させてあげたいと思うのは、私もまた同様であったからだ。



「ソフィアさん……おやすみなさい」



 私は再び踵を返すと、この場から離れようとする。

 そうして、逃げ出すかのような私の背中を――



「私は明日告白しますよ!! ミエルさん! ミエルさんはどうするんですか!?」



 優しい少女の声がドンと叩くのであった。

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