第242話 つるつる

 ロゼリアさんが詠唱を綴り終えた瞬間――



「【きゃはきゃははは、ぎゃははははははははははは!】」



 この世のものとは思えない、実に不快な笑い声が僕の耳へと届く。

 その為、僕は思わず眉根に力を込めると、一歩だけ後ずさってしまう。



「こ、この笑い声は……この魔法はいったい……」



 とはいえ、実に不快ではあるものの、これといった影響を身体に及ぼしている訳でもない。

 それはメーテも同様のようで、舞台上のメーテは僅かに眉を顰めるだけで、変わらない姿勢を保ち続けていたのだが――



「あら、あの子凄いわね。魘魅呪言をちゃんと制御しきれているじゃない」


「そうですのう。笑い声だけは漏れているものの、そこに魔力が含まれていないといことは制御し切れているという証拠ですからのう」


「まあ、呪言を扱いこなすロゼリアもロゼリアだけど……

本当にメーテって奴は規格外さね……精神が犯されちまうような魔法だっていうのに、眉を顰めるだけで済ませちまうんだから……」



 そんなメーテの様子を見て、呆れたような表情を浮かべる周囲の大人達。

 会話の内容から察するに、精神を汚染する魔法が使用されたのだと理解するのだが、その魔法の詳細を知らない僕からすれば、会話を聞いてもいまいちピンとこないと言うのが本音だ。


 従って、二人の凄さを理解することができないまま、周囲の会話に耳を傾けてしまっていると、そんな僕の様子から理解していなことを察してしまったのだろう。



「確かアルって言ったさね? ロゼリアが使用した魔法は広域精神汚染魔法と呼ばれる魔法で、本来であれば、この会場全体を効果範囲にした魔法なんさね」


「うむ、試合中に使用したのであれば、観客全員の精神を汚染してしまうような魔法なんじゃよ」


「だから、そんな魔法を制御しきって、周囲に影響を及ぼさない腕前を私は凄いって褒めた訳ね」


「で、そこまで収束された呪言を、眉を顰めるだけで済ませているメーテに対して、私は驚きを通り越して呆れちまった。という訳さね」


「な、なるほど。せ、説明ありがとうございます」



 エイミーさんと、ウルフとテオ爺が説明を付け足してくれる。

 そのことにより、不発とも思えた魔法に高度な技量が含まれていることを知った僕は、及ばない知識を反省しながら舞台上へと視線を向けた。



「……もしかして、人間やめてる感じの人?」


「さあ、どうだろうな? 私としては人間でいるつもりだがな」


「つもりって……てか、今の無し。今の言葉は忘れてくんない?」


「ん? どうしてだ?」


「私が目的を果たす過程で、人間やめてる奴は幾つも見てきたけどさ……」


「見てきたけど?」



 ロゼリアさんは笑う。



「ああいうのが人間をやめているんであって、子供達の為にSランク冒険者を監視役に――護衛役に付けようとする糞過保護な奴は、どう足掻いたって人間だよ」



 対してメーテも――



「ロゼリア。私はお前のことを好きになれそうだよ」



 そう言うと、くつくつと笑った。

 そして、そこからの応戦は一つの出し物のようであった。



「では、こちらも魔法を使用させて貰おう。【水槍瀑布】」


「ちッ! 【炎陣壁壁】!!」



 メーテが水の槍を降らせれば、ロゼリアさんが炎の壁で蒸気を作りだす。



「目くらましのつもりか? 【帆折り風壁】」


「な!? 目くらましくらいさせて欲しいねぇ! 【炎槍】【炎槍】【炎槍】!」


「ふむ、【炎槍】の三連か……ちと芸がないんじゃないか?」


「これを見てから判断しなッ!!」



 中に浮かせた炎の槍を、ロゼリアさんは義手で、義足で、メーテへと向けて殴り、蹴り出す。



「くっくっ、魔法を殴り、蹴るか! 面白い! なかなかに面白いな!」


「魔力を乗せた拳で打ち出してるから――って……掴んじまうのかよ!?」


「返すぞ?」


「ざっ!? ざけんなッ!?」



 舞台上に突き立てられた炎の槍は、爆散すると同時に漂っていた霧を弾き、周囲に居た僕達の顔を、温い水気で僅かに濡らしていく。



「は、ははっ! 無茶苦茶な姉さんだなッ!」


「魔法を蹴るヤツに言われたくないな?」


「それを掴む姉さんが言っても説得力がないぜ! 【五色葬送】!!」



 中空に幾つもの魔法陣が浮かび、五大属性を象徴した色へと染まる。 

 


「前もこんな言葉を口にした気がするな? せめて【七色】を使用しろと。【七色葬送】」


「な、七色ぃ!? かはっ!?」 



 中空で、色が爆ぜる。爆ぜる。爆ぜる。

 それはまるで花火のようで、舞台上に幾つもの色を花咲かせた。


 そして、この応酬によってロゼリアさんは観念することになったのだろう。

 


「はぁ、はぁ……こりゃあ、どう足掻いても勝てないわ」



 ロゼリアさんは、舞台上で大の字になり降参の言葉を漏らす。



「まあ、こう言うと嫌味っぽく聞こえるかもしれないが、ロゼリアの魔法も技もなかなかに良いものだったぞ?」


「嫌味に聞こえる方が良かったすけどね……

これだけ実力差があると、嫌味にすら感じないっすよ」



 そのような会話を交わすと、メーテはロゼリアさんへと手を差し伸べ、ロゼリアさんはその手を取ってゆっくりと立ち上がる。


 それは、お互いがお互いを理解し、認め合った瞬間として映り、二人の間にあった隔たりが無くなった、感動的な瞬間として僕の目に映っていたのだが……



「わ、私をメーテ姉さんの女にして貰っても良いっすか?」


「は?」



 ロゼリアさんは、急に訳の分からないことをのたまい始める。



「な、何を言ってるんだ?」


「そ、そのままの意味っす! 私はメーテ姉さんの強さに濡れ――惚れたんすよ!」



 この人は何を言っているのだろうか?

 そんな僕の疑問を他所に、ロゼリアさんは訳の分からない会話を続ける。



「私って男嫌いじゃないですか?」


「い、いや知らんが?」


「そうか、言って無かったすね!

まあ、端的に説明すると、幼い頃に【肉屋】の会員から虐待を受けた所為で、男が嫌いなんすよ!

とはいえ、性的な虐待は受けてないんで、そこんところは心配しないで下さい!」


「お、重い話をいきなり突っ込んでくるな……」


「重かったすよね! でも気にしないで下さい!

で、そんな過去があった所為で、女性しか愛せなくなった――というと語弊があるんすけど、女性とか童顔の男しか愛せなくなっちゃったんすよね……」


「そ、そうなのか?」


「はい! で、どうでしょうか? 姉さんの女にして貰えますか?」



 本当に、この人は何を言っているのだろうか?

 恐らく、メーテも同じようなことを考えているのだろう。

 訳の分からない者を見る目をロゼリアさんに向けている。



「まあ、メーテ姉さんほどの女性の女にして貰うには、実績というか功績が必要っすよね?」



 そんなメーテを他所に、舞台からぴょんと降りると僕の元へと歩みよったロゼリアさん。



「えっと、確か名前はアルディノ――メーテ姉さんに倣って、これからアルって呼ばせて貰うわ。

で、二年でしたっけ? 私が二年間アルの面倒を見るという功績を作ったらメーテ姉さんの女にして貰えます?」



 僕の肩を叩くと、妖艶な笑みを浮かべる。



「へぇ――」



 加えて、ペロリと舌なめずりすると――



「良く見ると可愛い顔してるじゃん? お姉さんがそっちの面倒も見てやろうか?」



 ロゼリアさんは、僕の下腹部をギュッと握った。

 

 瞬間――



「不必要よ?」


「ちょっ!? あぶなっ!?」



 ウルフの右拳が――殺意の込められた右拳がロゼリアさんの頬を掠める。



「ロゼリア……ウルフの言うようにそれは不必要だと断言しよう」



 舞台上から、魔力の込められた殺気を放つメーテ。



「ちょっ!? 冗談ですって! 冗談!」



 そんな二人の殺気にあてられてしまったようで、ロゼリアさんは殺気から身を隠すようにして、僕の腰へとしがみ付くのだが――



「アルから離れなさい?」


「それ死ぬヤツだから!?」



 ロゼリアさんはウルフが放った蹴りを避けながらも腰から――いや、正確にはパンツごと下着も握っていたからだろう。



「――つ、つるつるだな」


「つ、つるつるね」


「つ、つるつるじゃのう」


「つ、つるつるさね」


「コフー……でも、モノはえぐい。まるで魔剣」


「あ、ああ、男として自信を無くす領域だな……」


「天晴れ! 流石はウルフ様の家族殿よ!」



 僕はパンツごと下着を下げられ、下半身を露わにしてしまう。

 そして、こういった境地に立たされた場合、人は慌てるどころか冷静に振る舞おうとする生き物なのだろう。



「なにか問題でも?」



 僕はスッとパンツと下着を戻すと、ここ数年で一番の笑みを浮かべるのだった。

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