第238話 溺れる魚
ベルトとラトラの試合を観戦し終えた僕達は、控室に集まり、雑談に興じていた。
「本当に良い試合だったよ! まさかの混合魔法で決着だもんね!
正直、ラトラの気持ちを思うと喜んで良いのか少し複雑だけど……と、ともあれ! 本当に良い試合だったよ! うん!」
「確かにラトラは残念だったよな~。
でもまあ、ラトラのことだから美味い飯でも食わせてやれば一発だろ?
元気づける為に、後で飯でも驕ってやろうぜ?」
「ああ、そうだな。その時の食事代は僕が受け持たせて貰うよ」
「いやいや、食事代は俺とアルが支払うからベルトは気にすんなって。
逆にベルトが支払っちまうと、勝者から施しを受けてるみたいで、ラトラも素直に食事を楽しめないんじゃねぇかな? なぁ、アルもそう思うだろ?」
「う、うん! 僕達に任せてよ!」
僕が胸を張ってドンと叩くと、ベルトは僅かに口角を上げ、「それじゃあ、お願いするよ」と口にする。
その様子を見ていたダンテは――「言質を取った」もしくは「お金の話題など長々とするものではない」。とでも考えたのだろうか?
「そういやベルト、何時の間に混合魔法なんて覚えたんだよ?」
僅かに眉を顰めると、話題を変えるようにして疑問を投げ掛けた。
「ん? まあ、混合魔法を覚えたのは今年の初め、といったところだろうな」
「今年の初めって事は……覚えてから結構な時間が経ってるんだな?
そうなると、覚えた混合魔法は一つじゃない、と考える方が普通だよな?
なぁベルト、そこんとこはどうなんだよ?」
「さあ、どうだろうな?」
ダンテの疑問を受けたベルトは、肝心な部分をぼやかして返す。
まあ、疑問に答えるということは、手の内を明かす事と同様であると言える。
明日の試合相手である僕や、試合をする可能性があるダンテを警戒するのは当然のことで、疑問に答えないベルトが正解だと、僕は納得するのだが……
「へぇ~答えないってのか? 面倒くさい状態のアルを俺に押し付けたのに?
ベルトも知ってるよな~? 拗ねたアルのうざったさをよ~」
ダンテは納得していないようで、ベルトを責めるような言葉――いや、僕に対して毒を吐き始めた。
「あ~あ、本当に大変だったな~。
何処かの誰かさんは、アルの面倒を放棄しちゃうんだもんな~」
「そ、それは悪いと思っているが……し、試合だったんだから仕方ないだろ!」
「まあ、それはそうだけどよ?
そうだとしても、「ダンテ、一緒にベルトの試合見ようよ? ダンテは逃げないよね? 逃げないように服摘んどくね?」とか言われた俺の気持ちが分かるのか!?
半端ないぞ!? 悪寒というか怖気が半端ねーんだぞ!?」
「ぐぬっ!? そ、それは想像するだけで怖気が走るが……
そ、そもそもだ! 僕だって被害者なんだ! 本来なら加害者であるアルディノを責めるべきじゃないのか!」
「嫌だよ! これ以上拗ねられたら意味分かんねぇことになりそうだもん!
つーことで、俺の精神を擦り減らした代価として混合魔法について教えろよ!
俺だって混合魔法を使えるようになりてぇんだよ!
「だ、だったらアルディノに聞け! さ、【三尺蓮華】とかも混合魔法だろ!」
「今のアルには聞きたくねぇ!」
ふむ、散々な言われようである。
挙句の果てには加害者扱いされているのだから笑えない。
とはいえ、それを笑って受け流してこその大人の対応というヤツなのだろう。
そのように考えた僕は笑みを浮かべ、二人を諭すことにしたのだが――
「まあまあ、そんなカリカリしないでお茶でも飲んで落ち着こうよ?」
「お前の所為でカリカリしてんだろうがッ!」
「なぁ、もしかして煽ってるのか?」
額に青筋を浮かべた二人に睨まれてしまい、僕は手に持った紅茶瓶をそっと戻すことになった。
そうして、その後もなんやかんやと雑談を交わしていると――コンコンッ。
扉が叩かれたことで、試合会場に向かう時間が来たのだと判断する。
「それじゃあ、行ってくるね」
「おう、行ってこい」
「まあ、応援の必要もないとは思うが……一応は応援しておくよ」
僕は二人に笑顔を返すと扉へと向かい、ドアノブをカチャリと鳴らして押し開くのだが……
「あっアル……えっと、少し話したいことがあるんだけど良いかな?」
「……」
そこに居たのは、会場に向かうよう指示する職員ではなくソフィアとラトラで、焦った僕は笑顔を浮かべたまま無言で扉を閉めてしまう。
「ちょっ!? な、何で閉めるのよ!?」
「し、締めてませんけど!?」
「はぁ!? 閉めてるじゃない!? ちょっと開けなさいよ!」
「んにゃ! 早く開けるにゃ!」
扉越しにソフィアの声を聞きながら、僕は頭のなかを整理し始める。
どのような表情を作れば良いのか? どのように会話をすれば良いのか?
ガチャガチャとなるドアノブを必死に押さえながら必死に頭のなかを整理していると――
「ソフィア、さっき言い忘れたんだが……何してるんだ?」
「ヒュ、ヒューマ先生!? えっと、これは……」
「もしかして取り込み中か? ん? 君は確か……ラトラちゃんだったかな?
さっきの試合を見させて貰ったけど、この歳であそこまで【獣化】を扱いこなすとはね。素直に驚かされたよ」
「にゃんだお前? 馴れ馴れしいヤツだにゃ?」
「ちょっ!? ヒューマ先生になんてこと言うのよ!」
「は、はははっ……」
何処か気だるそうで、ヤケに胸を締め付ける声が届く。
「この声って……さっきの……」
そして、その声を聞いた僕は思わず苦笑いを溢してしまったのだが……僕の反応を見たダンテとベルトは色々と察してしまったのだろう。
「さてと、面倒の元凶を拝んでやるとするか」
「文句の一つでも言ってやることにするか?」
ダンテとベルトは、僕を扉前から退かすと扉を開く。
すると、そこに居たのはソフィアとラトラ、そして灰色髪の男性で――
「へ? 【剣聖】?」
その男性の顔を見たダンテは魂が抜けたような声を漏らした。
「けけけ、【剣聖】! 【剣聖】ヒューマ=サイフォンさんですよね!?」
「あ、ああ、一応はそう呼ばれているな」
「やっぱりだ! やっぱり本物の【剣聖】だ!
や、やべぇッ! アル! ベルト! 本物の! まじで本物の【剣聖】が居るぞ!」
ダンテは歓喜の声を上げるが、僕とベルトの反応は宜しくない。
勿論、冒険者ギルドに登録している以上、【剣聖】に限らず、Sランク冒険者の二つ名は何度も耳にしたことがある。
しかし、写真技術が発達していないこの世界では、二つ名と名前と顔、それらを合致させるのが困難な為、目の前の人物がSランク冒険者の【剣聖】である確信が持てなかったからだ。
それでもダンテが【剣聖】と認識しているのは、根っからの冒険者マニアで、情報量の差があるからなのだろう。
「ちょっとダンテ! ヒューマ先生に対して失礼な言い方しないでよ!」
「わ、悪りぃ……つーか、先生ってなんだよ!?」
「へっ? 前に【魔法剣】を教わった先生がいるって言わなかったっけ? それがヒューマ先生の事なんだけど」
「それは聞いたことがある。
聞いたことがあるけどよ……それが【剣聖】だってことは聞いてねぇよ!?」
「あ、あれ? そ、そうだっけ?」
そのような会話を交わしている内に、ベルトも目の前の人物が【剣聖】であることを理解し始めたのだろう。
「ほ、本当に【剣聖】だぁ……」
普段大人びているベルトが、まるで英雄を目の当たりにした子供のように、瞳をキラキラと輝かせ始める。
そして、そんなダンテとベルトの反応を受けたソフィア――
「ベルトがそんな反応するなんて珍しいわよね? 流石はヒューマ先生ってところかしら?」
先生に向けられ視線が嬉しかったようで、自慢げにふふんと鼻を鳴らす。
僕はそんなソフィアの表情を見た瞬間、ギュッと胸を締め付けるような痛みを覚えてしまい――
「そ、そろそろ試合が始まりそうだし、僕はお先に失礼するね」
「えっ? ちょっと! アル!?」
自覚できるほどに下手な笑顔を浮かべると、その場から逃げるようにして試合会場へと向かうことになった。
――相変わらず、試合会場は異様な盛り上がりを見せている。
黄色い歓声や怒号に似た歓声、そんな歓声を向けられる立場であり、これから試合を行うというのに、僕は心此処に非ずという心境だった。
とはいえ、そのような心境で試合に臨むというのは、対戦相手にも失礼だし、足を運んでくれた観客達にも失礼だろう。
そのように考えた僕は、どうにかして気持ちを切り替えようとしたのだが……
「知ってるか? ソフィアさんが年上の男と親しげにしてたらしいぞ?」
「へ、へぇ~。そ、そうなんだ?」
対戦相手である、モア=チャールトンがそれを阻もうとする。
「惚けるなよ? ソフィアさんの噂はお前にも届いてるだろ?」
「ど、どうだろうね~?」
僕がそう返すと、ニヤリと悪い笑みを浮かべたモア。
「じゃあこれは知ってるか? ソフィアさんはその男と唇を重ねていたらしいぞ?」
「へ?」
僕を小馬鹿にするような表情を浮かべながら、モアは意地悪気にくつくつと笑う。
まあ、僕は僕で思わず間の抜けた声を漏らしてしまったが……恐らく、これはモアの仕掛けた心理戦なのだろう。
実際、ソフィアがヒューマさんと親しげに話していたのは事実だ。
その情報を何処からか入手し、普段から親しくしている僕に対して「嘘」の情報を伝えれば、僕の精神を揺さぶれるとモアは考えたに違いない。
だが、僕はその情報を鵜呑みにするほど馬鹿ではない。
従って僕は――
「ああアレね? 欧米的なスキンシップだよね?
分かる~凄く分かる~普通は勘違いしちゃうよね?
でも、あるあるっていうか、むしろ欧米ではそれがスタンダードな愛情表現で、むしろ変に意識しちゃう方が恥ずかしいっていうか?
というか、モア君はハグなんかも変に意識しちゃう感じ?
まあ、結局はアレだよね? 要するに欧米スタイルって感じだし、結局はTHE欧米って結論に辿り着くよね?」
「欧米? 何言ってんだお前?」
実に冷静かつ論理的な対応をとると、両の掌を見せながら肩をすくめる。
しかし、そのようにして論破していると――
『……私語はそこまでだ。そろそろ試合を始めさせて貰っても構わないね?』
「「す、すみませんでした……」」
審判員に注意されてしまい――
『――これより、アルディノ選手対モア=チャールトンの試合を始めます!
それでは両者位置についてッ――試合開始ッ!!』
幾つかの確認をされた後、試合開始を告げられることになった。
「動揺してんのがバレバレなんだよ!
どうだ間抜け! ソフィアさんを――彼女を取られちまった気分はよ!?」
瞬間、そう言ったモアは後方へ飛んで詠唱を始める。
正直、僕とソフィアはそういった関係ではないし、大きな誤解だと言えるだろう。
「【――給え! 風牙ッ!!】
とはいえ……
「……【風牙】」
「へ? 消えた? 余波もなく? まさか……相殺……された?」
とはいえ――だ!
正直、誤解を解くべきだと考える自分も居るし、誤解を解きたくないと考える自分も居ることは確かだ。
分かってる。随分と前から揺れ動いているのだ。
本音と偽りの間で……だからだろう。
「少し気分転換に付き合って下さい」
「は?」
僕は、淀んだ何かを吐きだすように詠唱を綴り始める。
「【落葉の日は近い 緑の葉は色づき始め 新たな色彩と遂げる】
【はら はらはらと舞う 一枚 また一枚と重なっていく】
【ああ美しい そう思うのは舞う時だけ 積もった紅葉は屍の色に染まる】」
「詠唱!? やらせるかよッ!!」
僕は、放たれた【風牙】を避けながら綴る。
「【ああ 紅葉よ腐葉土へ生るのか 育み 大地の糧と生るのか】
【私の骸はそうは生らぬ 焼かれ 灰になり 撒かれた骨は海をも蝕む】」
僕は、鬱憤を晴らすように唱える。
「【禁忌経典八章 五項 溺れる魚】」
瞬間、会場を覆うようにして水の膜が張り、色とりどり幻影の魚達が泳ぐ。
そして、それを見届けた僕は魔力が底を着いてしまったようで――
「やりすぎたかも……」
意識を途絶えさせることとなった。
「まったく……何時の間に禁忌経典を盗み見したんだ?」
意識を取り戻した僕の耳に、呆れるような、それでいて誇らしいような声が届く。
「ごめん……合宿の時にちょっと……メーテ、怒ってる?」
「怒ってはいないさ、【溺れる魚】は禁忌経典のなかでも非殺傷の――ある意味で願いとは違う皮肉な魔法だからな。
むしろ、扱う者に配慮し、禁忌経典に収められた魔法だとアルは知ってるからこそ【溺れる魚】を使用したんだろう?」
「うん、そうだね……思いっきり魔力を放出したくなっちゃってさ……
それで……僕は負けちゃったのかな?」
「いや、モアという生徒はそれなりに優秀だったんだろうな。
アルが【溺れる魚】を発動した瞬間に、魔力の奔流を感じ取って自滅――気絶してしまったよ」
「そっか……勝てたなら良かった……それで、メーテ……ここは?」
僕は、自分の愚かさと、メーテの膝の温かさを感じなら尋ねる。
「ここはだな……」
「久し振りじゃのうアル?」
メーテの後に聞こえてきたのはテオ爺の声。
加えて――
「なぁ、爺様よ? この子闇属性の素養を持ってるさねぇ?」
大きな女性が言う。
「ふむ、闇属性か……テオドール殿の意見を聞きたいところだな」
獅子のような男が言う。
「コフッー、面倒だから殺せば……」
髑髏の仮面を被った人物が言う。
「この子がソフィアの言っていたアルか君か……しかし、闇属性とは……」
灰色髪の男――いや、ヒューマが言う。
「ねぇ、テオドールの爺様?
この子、闇属性の素養持ってるんでしょ? 何で殺さないの?」
義手、義足、眼帯の女性が言う。
そして――
「やってみたらどうだ? 塵芥になる覚悟があるならな?」
「ねぇメーテ? そこの髑髏と眼帯を殺して良い?」
メーテとウルフが静かに吠えるのだった。
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