第236話 つまりは嫉妬したと
本戦二日目。
宛がわれた個室――選手控室に置かれたソファに腰下ろすと、僕は大きく溜息を吐いた。
「こんな良い部屋を用意して貰ってんのに、いきなり溜息かよ?
溜息の原因はやっぱり昨日のアレか?」
「まあ、アルディノが謝りたくない気持ちも理解できなくはないが……
仲直りしたいのであれば、やはりアルディノが折れるしかないんじゃないか?」
ダンテとベルトの会話からも分かるように、溜息を吐いた理由は、ソフィアと仲直りできなかったことにある。
「ベルトの言っていることは分かるし、それが最善だとも思うんだけど……
っていうか、二人の試合をちゃんと見てあげられなくてごめんね……」
「気にすんなよ。見ても面白い試合じゃなかったしな」
「ああ、特に苦戦することもなく、盛り上がりに欠けた試合だったからな」
「ほ、本当にごめんね」
「気にするな。
で、話を戻すが、最善だと分かってるなら謝ってしまえば良いじゃないか」
ベルトの意見は実に尤もなもので、仲直りしたいのであれば、僕が折れて謝ってしまうのが正解なのだろう。
しかし、ミエルさんとの「アレ」は、僕にとっては事故のようなものだったのだ。
……だというのに、「女の敵」だの「性獣」だの「誰でも良いんだ」などと言われてしまっては、素直に謝る気も失せてしまう。
従って、意地を張ってしまった僕は謝ることができず、当然ソフィアと仲直りすることも適わなかった、という訳なのだが……
「そうだね……穏便に済ますには僕が謝るしかないか……」
こうして溜息を吐くくらいなら、謝ってしまい仲直りするべきなのだろう。
それに、ミエルさんは昨日の「アレ」を覚えていないようだが、僕達がいがみ合っていては、事情を知った時に責任を感じてしまうに違いない。
そのように考えた僕は――
「うん。ソフィアの試合が終わったら、会いに行くことにするよ」
ソフィアに謝ることを決めるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
宛がわれた個室――選手控室に置かれたソファに腰下ろすと、私は大きく溜息を吐いた。
「なんで謝らないのよ……アルが謝ってくれれば……」
溜息を吐いた理由は、アルと仲直りできなかったことにあった。
……正直、私に非があることは分かっている。
昨日はカッとなって酷いことを言ってしまったけど、冷静に考えればアルにとって「アレ」は事故のようなもので、アルが悪くないことに途中から気付いていたんだ。
だけど、それで素直に謝れたら良かったんだけど……
あれだけ酷いことを言ってしまった以上、拳の振り下ろし所が分からなくなっちゃって……
だから、アルが謝ってくれれば、私もすぐに謝ろうと考えていたのに……
「気まずいままなのは嫌だな……」
私はそう口にすると、もう一度大きな溜息を吐いた。
そうして溜息を吐き、自分の我儘さに呆れていると――
「言い過ぎたって自覚してるにゃら、素直に謝れば良いにょに」
何処か呆れた表情でラトラが助言をくれる。
「そ、それは分かってるんだけど……で、でも何て謝ればいいのか……
っていうか、ラトラの試合をちゃんと見てあげられなくてごめんね?」
「気にしなくて大丈夫にゃ!
一瞬で試合が終わらせてやったから見所なんてなかったしにゃ!
それで、にゃんて謝ればいいか、だったかにゃ? そんにゃの素直に「ごめんなさい」するのが一番にゃ」
「素直にごめんなさいか……」
そして、そう呟いたのと同時に控室の扉がノックされた。
「ソフィア選手、そろそろお時間です」
「んにゃ、そろそろ試合が始まるみたいだにゃ」
「そうみたいね。それじゃあ、私は行くけど……ラトラ、話を聞いてくれてありがとう」
「構わないにゃ。ちゃんと「ごめんなさい」が言えると良いにゃ~」
「……少し不安だけど……努力してみるわ」
私は下手くそな笑顔を返すと、控室の扉を開き――
「試合が終わったら……アルに会いに行こう」
そんな風に考えると、試合会場へと向かうことにした。
――『勝者! ソフィア=フェルマー選手です!』
試合を終えた私は、声援を送る観客達に手を振って応えていく。
でも、それも僅かばかりの時間で、早々に切り上げると、アルの控室へ向かう為に歩幅を広げる。
そうして、試合で使用していた剣を帯剣したままに、私の控室前を通り過ぎようとするのだけど――
ガチャリ。
私の進路を阻むようにして控室の扉が開いた。
「何で私の控室から……まさか物取り?
だとしたら運がなかったわね? 職員に突き出してあげるから観念しなさい?」
控室から出てきたのは、灰色の撫でつけ髪と、口ひげが特徴的な背の高い男性。
原則として、選手控室には学園関係者しか入ってはいけない筈なので、見覚えのない男性を物取りの類であると私は判断する。
だけど――
「まさか忘れてしまったのか? だとしたら悲しいな」
物取りと思わしき男性から発せられたのは、聞き覚えのある懐かしい声。
「へ? も、もしかして……」
「おや、思い出してくれたのかな?」
「ヒュ、ヒューマ先生ですか?」
「ああ、どうやら思い出してくれたようだね」
瞬間、私は満面の笑みを浮かべていた。
「ヒューマ先生! ご無沙汰してます!
というか、見た目が変わり過ぎていて、全然気づきませんでしたよ!
昔はもっとだらしない感じだったし、髪なんかぼさぼさで、髭だって蓄えてなかったじゃないですか!」
「確かにそういう時もあったが……この格好は似合ってないか?」
「ふふっ、全然似合ってませんよ? ついでに言うと、その口調も似合ってませんからね?」
私が指摘すると、ヒューマ先生は少し不機嫌そうな表情を浮かべ――
「まったく……普通、恩師に向かって似合わないとか言わなくないか?
こんな格好でも、威厳を出そうとして頑張った結果なんだぞ?」
私の記憶にある、どこか抜けた口調で話し掛けた。
「なんで威厳を?」
「まあ、これでも一応は剣聖でありSランク冒険者だからな~。
昔みたいな身なりじゃ威厳も貫録もないってことで、身なりを整えて威厳を出すようにって頼まれたんだよ」
「その結果が、撫でつけ髪に口髭ですか?
だとしたら、ふふっ、やっぱりヒューマ先生ってどこかズレてますよね?」
「ズレてるのか? ……で、本当に似合ってないんだよな?」
「ええ、似合ってません。
ヒューマ先生は、何処か気だるげでだらしない感じが似合うんですから。
ということで、えいっ!」
「お、おい!? ちょっ!?」
ヒューマ先生の頭に手を置いた私は、撫でつけられた髪を無造作なものへと変えていく。
「あ~あ~。折角整えたのにぐしゃぐしゃだよ……
まったく、ソフィアは相変わらずだな……はあ、じゃあコレも必要なさそうだな」
呆れ顔を浮かべると、口髭をつまむみ、ピリピリと音を立てながら口髭を剥がしていくヒューマ先生。
「もしかして、ソレって付け髭だったんですか? ――ぷっ、なんか可愛いですね」
「もしかしなくても付け髭だよ。人の涙ぐましい努力を笑わないで欲しいな?」
「ご、ごめんなさい――で、でも、ふふふっ」
ヒューマ先生は気恥ずかしそうに頬をかくと――
「ともあれ、会えて嬉しいよソフィア」
私の頭を優しく撫で、私は抵抗することなくそれを受け入れるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ソフィアの試合を見届けた僕は、見届けるのと同時にソフィアの控室へと向かう。
歩幅を広げて足早に歩き、そこの角を曲がればソフィアの控室まであと僅か――と、いった場所に差し掛かったところで、ソフィアの楽しそうな笑い声が耳に届いた。
「先客がいるのかな?」
先客が居るのであれば、話が終わるまで待つべきだろう。
そのように考えた僕は、曲がり角で足を止め、壁に背中を預ける。
そうして、話が終わるまで待つことに決めたのは良いのだが……
「ヒューマ先生は、何処か気だるげでだらしない感じが似合うんですから。
ということで、えいっ!」
「もしかして、ソレって付け髭だったんですか? ――ぷっ、なんか可愛いですね」
「ご、ごめんなさい――で、でも、ふふふっ」
聞こえて来るのは実に楽しげな。
それでいて何処か甘えているようなソフィアの声で、その声を聞いた僕は何故か苛立ちを覚えてしまう。
だからだろう。
ソフィアが誰と話し、誰に対して甘えるような声を掛けているのか。
それが気になってしまった僕は、覗き見するよう真似はするべきではないと自覚しながらも、角から少しだけ身を乗り出して様子を覗ってしまう。
すると、僕の目に映ったのは――
「ともあれ、会えて嬉しいよソフィア」
ニ十代後半と思わしき灰色髪の男性と――
「もう……頭を撫でられて喜ぶほど子供じゃないんですからね?」
その男性に頭を撫でられ、文句を言いながらも頬を緩めるソフィアの姿だった。
「……」
そんなソフィアの表情を見た瞬間、僕は無言のまま踵を返す。
そして、無言のまま歩幅を広げると、駆け足で控室へと戻ることにした。
「おかえり。どうだったんだ? ソフィアとは仲直りできたか?」
控室に戻るとベルトが尋ねる。
ダンテの姿が見えないのは、恐らく、試合を行う為の準備に向かったからだろう。
ともあれ、僕はベルトの質問に対して背中越しに返答を返す。
「ん? してないけど?」
「仲直りしてない? ということは許して貰えなかったのか?
それとも謝らなかったのか?」
「うん、謝ってないけど?」
「な、なんで謝らなかったんだ? 謝る為にソフィアの控室に向かったんだろ?」
「そうだけど?」
「けど、けど、けど、と腹立たしいな……おいアルディノ!
人と話す時は相手の目を見て話せと教わらなかったのか? こっちを向け!」
「なっ!? ちょっ!?」
ベルトは僕の肩に手を置くと、力づくで自分の方へと向かせる。
そして、僕の目を覗き込むと――
「おっ……お前……まさか泣いてるのか?」
訳の分からないことをのたまった。
ゆえに、僕は反論する。
「全然! 全然泣いてませんけどぉ!?」
「泣いてないって……目を赤くしてるじゃないか?
ど、どうしたんだ? 向こうでいったい何があったんだ?」
「何もありませんけどぉ!?」
「取り敢えず、その「けど」って言うのをやめろ。
何故か分からんが無性に腹が立つ。で、いったい何があったんだ?」
「や、やめませんけ――」
「やめろ」
「あっ、はい……で、でも何もなかったっていうのは本当だよ!
ま、まあ、謝りに行こうとしたら、ソフィアが背の高い男の人と楽しそうに話してたし? なんか甘えた感じの声を出してたし? 頭を撫でられて嬉しそうにしてたけど、ただそれだけだからさ」
僕が先程見た光景を説明すると、ベルトは呆れるかのように眉間を押さえる。
「よ、要するに……ソフィアが他の男と仲良くしている場面を見てしまい、泣きながら逃げ帰ってきたということか? つまりは嫉妬したと?」
「だ、だから泣いてないし、嫉妬もしてないよ! こ、これは目にゴミが入っただけで!」
「な、なんてベタな言い訳を……
ま、まあアレだ……ぼ、僕もそろそろ試合の準備に向かわないと行けないから……と、取り敢えずまた後でな」
そしてベルトは、僕を置きざりにして控室を出ようとするのだが――
「い、今は一人になりたくないからもう少し一緒に居てよ!」
「は、離せ! 試合の準備があるって言ってるだろうが!」
「は、離さないし! だったら僕がベルトの控室に行くよ!」
「く、来るな! 今のアルディノは面倒臭そうだから関わりたくないんだよ!」
「何でそういうこと言うのさ! 僕達友達でしょ!?」
「だとしてもだ! は、離せ!」
「離さない! 絶対に離さないよ!」
「そういう言葉は僕じゃなくてソフィアに言え!
ダ、ダンテ! お願いだから! お願いだから早く試合を終わらせてくれ!」
僕はベルトの足にしがみつき、ベルトは助けを呼ぶように声を張り上げるのだった。
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