第231話 物語に続く物語

 ある晴れた日の昼下がり。

 シャリファ達は自家用の馬車を走らせ、グルセル領にあるヴェルニクス教会へと訪れていた。


 二人――いや、三人が教会を訪れた理由は、教会に置かれている素養班別の水晶球を理由する為。

 世間一般では、子供が幼い内に、素養の有無を確認してあげるのが親の務めとされており、シャリファとグレイスもご多分に漏れることなく親の務めを果たしに来たという訳だ。



「どうやら、一番乗りという訳にはいかなかったようだな」


「ええ、先を越されちゃったみたいね」



 教会の扉をくぐった先にあったのは、数名の修道士と二組の男女の姿。

 男女の腕へと視線を送ってみれば、可愛らしい赤子を抱いている事に気付く。



「あの夫婦達も素養の確認をしに来た……という訳か。

ところでグレイス? ……アルにも素養が備わっていると思うか?」


「ん~……素養があるに越したことはないとは思うんだけど……」



 続けてそのような会話を交わした二人は、グレイスの腕の中ですやすやと寝息を立てるアルへと視線を送るのだが……



「だけど?」


「アルが素養を持ってる確率は引くそうよね……」


「まあ、私もグレイスも素養を持ち合せていないからな……」



 僅かに方を落とすと共に、「はあ」と息を漏らすこととなる。

 何故なら、俗説ではあるものの、素養の有無というものは親からの遺伝に依るところが大きいとされており、二人もその認識を持ち合せていたからだ。



「でも、一般的には素養を持ち合せていない方が普通ですものね?」


「そう考えると……過度な期待はしない方が無難なんだろうな」


「それが一番なのかもしれないわね。あっ、次は私達の番みたいよ?」



 従って、何処か楽観的な心持で、二人は水晶球の置かれた部屋へと案内されるのだが……



「こ、この反応は……」


「え……嘘? な、なんで!?」



 アルの手が水晶球に触れた瞬間。

 水晶球は黒く発光することで、受け入れ難い素養を示す。



「どうやら……この子には闇属性魔法の素養があるようですね」



 加えて、糸目の神父が素養を告げたことにより、楽観的な思考は欠片も残さず砕け散ってしまった。



「そ、そんなまさか!?」


「な、何かの間違いでは!?」


「残念ながら間違いではありません。

この子には間違いなく闇属性の素養が備わっています。所謂【忌子】というヤツですね」



 神父の言葉を聞き、二人の表情から一気に血の気が引いていく。

 グルセル領は王都の北部に位置しているのだが、王都から然程離れていないこともあってか闇属性の素養持ちに対する風当たりが強く、未だ忌避の対象である事を理解していたからだ。


 しかしその一方で、二人は僅かではあるが安堵を覚えていた。

 事実、闇属性の素養持ちというのは忌避の対象とされ、生き難い思いをする事も確かなのだが、それはかろうじて差別の範疇に収めることが出来る。


 だが、王都であったならそうはいかない。

 王都では闇属性の素養があると分かった時点で監禁――或いは処刑から逃れることが出来ないからだ。

 シャリファとグレイスは、王都での現状を知っているからこそ、動揺を覚えながらも此処がグルセル領であることに「ほう」と息を漏らしたのだが……



「狡いなぁ……私には無いというのに……狡いなぁ」


「神父様? な、なにかおっしゃいましたか?」


「――ああ申し訳ありません。少し考え事をしておりました。

それはさて置き。その赤ん坊をこちらに渡し頂けますか?」


「アルを……な、何故ですか?」


「何故って? その赤ん坊を処刑しなければいけませんので」


「は?」



 糸目の神父の言葉に、シャリファとグレイスは安堵の息を飲み込むことになった。



「我がヴェルニクス教では、闇属性の素養持ちを【忌子】と呼び悪と断じております。

敬虔な信徒である私が、悪を見逃さない事に何の疑問がおありでしょうか?」


「し、神父様は何をおっしゃってるんですか?

此処はグルセル領で、王都ではないんですよ?」


「それは理解していますよ? 理解した上で赤ん坊を渡してくれとお願いしているのです」


「し、神父――お、お前は何を言ってるんだ!?

此処はグルセル領だ! お前に従う必要は無いし、従わせる権限も無いだろうが!?」


「王国法十二条――」


「……は?」


「――国教たるヴェルニクス教の教皇、又は大司教は王都の法律を元に行動し、与えられた権限を使用する事を認めるものとする。という法律を知っていますか?」


「そ、それは知っているが……ま、まさか!?」


「そのまさかです。若輩ではありますが、こう見えて大司教を務めさせていただいておりますので」



 糸目の神父はそう言って微笑むと同時に、二本の指を前に倒すことで後方に控えていた修道士達へと指示を出す。



「さあ! その【忌子】を早く渡しなさい!」


「いくらサイオン家といえど、抵抗するようであれば異端者扱いされることになりますよ!」



 四名の修道士達がシャリファ達を囲み、その距離をじりじりと詰めていく。

 そしてその中の一人が、グレイスと、胸に抱いていたアルへと手を伸ばそうとした瞬間――



「私の子供に触るなッ!!」


「が、があっ!? ひ、ひゃあぅ!?」



 シャリファは腰に差していた剣を抜き放ち、修道士の腕を斬り落とした。



「グレイス!! 逃げるぞッ!!」


「あ、あなた!? くっ!? 【灯よ 空を照らし 対を弾けッ】!!」



 シャリファに腕を掴まれたグレイスは、天井へと【火球】を放ち、天井の一部を崩落させる。

 それは、逃走の時間を稼ぐ為に行った突発的な行為ではあったのだが……恐らく運が味方をしたのだろう。



「さ、下がれ下がれ!!」


「がはっ! ごほっごほっ!」



 威力の割には天井が大きく崩れ、舞い上がる粉塵のかげで修道士達の足を止める事に成功する。

 しかし、所詮は時間稼ぎで、修道士達の足を僅かに止めたにしか過ぎない。



「何をしてるんですか? 早くあの人達を追って貰えますか?」


「か、畏まりました!」


「お、追え! 追うんだ!」



 逃走する二人の耳には、糸目の神父の温度を感じられない声と、修道士達の足音が届いていた。






 教会から飛び出した二人は、自家用の馬車に乗り込むと手綱を握って逃走を始める。

 突発的な逃走であった為、行くあても無ければ計画性も無かったが、それでもアルの命を守る為に必死で馬車を走らせた。 


 その逃走は陽が傾き、陽が完全に落ちても続けられるのだが……

 馬車を引いているのが生き物である以上、体力に限界があり、一昼夜走り続ける事は適わないだろう。



「もう少しだけ頑張ってくれ……此処を抜けたら休ませてあげるからな」



 シャリファもその事を理解し、馬に無理をさせていると理解しているからこそ、申し訳ない思いで手綱を握り続けていた訳なのだが……



「ヒヒィーン!」



 シャリファが想定していたよりも早く、馬の脚に限界が訪れてしまう。



「ま、まずい!! グレイス!! 何かに掴まれ!」


「えっ!? きゃっ――きゃあ!?」



 馬は嘶きを上げると共に転倒し、それと同時に馬車までもが転倒することになってしまった。



「ぐっ……があっ……グ、グレイス!? グレイスは無事か!? アルは!?」


「だ、大丈夫よあなた……

木片で少し足を切っちゃったみたいだけど……私もアルも無事だから」



 転倒した馬車から抜け出した三人。 

 派手に転倒した割に、軽傷で済んだことは幸いであったといえるのだが……状況は喜ばしく無い。



「くっ……【魔の森】は抜けられると踏んでいたんだが……」


「し、仕方ないわよ……そ、それより! こんな場所で立ち止まってたら危険だわ!」



 三人が放り出された場所は、危険な魔物が多く生息すると言われている【魔の森】を抜ける街道。

 近年こそ目立った被害は報告されていないものの、一昔前の【魔の森】を知るものなら、決して近づこうとしない危険な場所であり、追手を撒く為に敢えて危険な道を選んだことが裏目に出たようだ。


 そのような危険な場所に放り出されたことに加え……



「シャリファ! い、急いでここを――ッ!?」


「ど、どうしたグレイス!?」


「足を切っただけかと思ってたんだけど……折れてるみたい……」


「あ、足が!?」



 軽傷かと思われたグレイスの足首を見れば、赤く腫れあがっているのだから、やはり状況は喜ばしくない。

 そして、不運というものは重なり、連鎖するものなのだろう。



「フゴォオオオオオオオオオオ!!」



 馬車の転倒音を聞きつけたのか、一体のオークが茂みから姿を現す。



「オ、オークだと……クソッ! こんな時に!」



 シャリファは腰の剣を抜くと、オークへ向けて構える。



「私達の! 私達の邪魔をするなぁあああああッ!!」



 そして咆哮を上げると、斬り上げるようにして剣を振るうのだが――



「フゴォオオオ!!」


「――がはっ!?」



 剣は容易に弾かれてしまい、振るわれたオークの拳によってシャリファの身体が「く」の字になってしまう。



「ぐふッ……ぐふぅ……」



 剣を支えにしてよろよろと立ち上がるシャリファ。

 口の端からツーと流れた血を手の甲で拭い、オークを睨みつける。



「邪魔を! 邪魔をしないでくれよぉおおおおおおおお!!」



 シャリファは再び斬りかかる――



「げはっッ!?」



 ――が。結果は先程と同じだった。

 再び身体を「く」の字にしたシャリファは、ガクリと地面に膝を着く。


 だが、それも仕方ないことなのだろう。

 魔物との戦闘経験など無いに等しい上、元々はただの庭師なのだ。

 魔物の討伐を専門にする冒険者でさえ、油断をすれば命を落とす相手なのだから勝てる道理がない。

 加えて、灯りの乏しい夜間の戦闘ともなれば尚更なのだろう。


 従って、シャリファは弄ばれる。



「がはっ!?」

「おごっ!?」

「ごえっ!?」



 時に殴り、時に蹴り、まるで玩具で遊ぶかのように、オークはシャリファの身体を弄ぶ。

 その感、グレイスとアルに手を出そうとしなかったのはメインディッシュ――或いはデーザトと考えていたからだろう。



「【灯よ 空を照らし 対を弾けッ】!!」



 しかし、それはオークにとっての慢心であり過ちでもあった。



「フゴォオオオオオ!? フゴオオオオッ!!」



 視界外からの【火球】を背中に受け、あまりの痛みに苦痛の声を漏らすオーク。

 続けて、【火球】が飛んできた後方へと身体を向けると、そこに居たグレイスを睨みつけるのだが……

 その行為もオークにとっての過ちであった。



「グレイスとアルに手を出すんじゃねぇええええええッ!!」



 オークが、グレイスとアルに身体を向けるとほぼ同時。

 シャリファはオークの背中へと飛び付き首に腕をまわすと、【火球】で抉れた背中へと剣を突き立てる。



「フゴォオオオオオッ!?」



 痛みに耐えかねたオークは、背中に貼りついたシャリファ振り払うようにして身を捩るが、シャリファの腕は一向に緩まない。

 それどころか、首にまわした腕に一層の力を込めると。



「死ね! 死ね! 死ねッ! 死んでくれッ!!」



 突き刺した剣を前後左右に――まるで、内臓を掻きまわすかのように剣を動かし続けた。

 そして、その結果――



「……フゴッ……ゴボッ」



 程なくして、オークは大量の喀血をすると同時に、地面へと突っ伏すこととなった。



「はぁ、はぁ……だ、大丈夫か?」


「え、ええ……わ、私もアルも大丈夫よ」


「そ、そうか……よ、良かった……」



 そう言うと、腰を抜かすようにして地面に尻を着いたシャリファ。

 続けて「ほう」と安堵の息を漏らすのだが、すぐに安堵している場合では無いことに気付かされる。



「くっ……近いな……」



 何故なら、追手の馬車の音が、地面を転がる車輪の音が、先程よりも距離を詰めていることに気付いたからだ。



「玉砕覚悟で……追手を殺すしかないか」



 従って、シャリファの口から物騒な言葉が漏れる。

 逃走する為の馬車が大破しているという状況に加え、グレイスは足を骨折してる為に歩行すら困難だ。

 更には、オークとの戦闘によってシャリファの身体も随分とガタが来ている。


 いうなれば、詰みとも呼べる状況。

 そのような状況下に置かれ、アルを見殺しにするくらいなら――と、考えたシャリファは物騒な言葉を漏らした訳なのだが……



「待てよ……

壊れた馬車に……血塗れの姿……それにオークの死体……」



 周囲の状況を改めて確認したシャリファは、一つの物語を構成し始める。



「……グレイス。アルを隠すぞ」


「アルを……隠す?」


「ああ……玉砕覚悟でヴェルニクスのヤツらと一戦交えてやろうとも思ったが……

満身創痍といった状況では、容易に殺されてしまうのがオチだろう。

そしてそうなった場合……アルも間違いなく殺されることになる」


「そう……ね」


「だからアルを隠すんだ。

壊れた馬車に、血塗れの姿、そしてオークの死体……これだけの状況が揃えば、オークに襲われてアルが殺された言ったとしても疑われる可能性は低いだろう」


「た、確かにそうかもしれないけど……だけど……」


「グレイス。迷ってる暇は無いんだ。君にもこの音が聞こえるだろう」



 シャリファにそう言われたことで、グレイスは耳を澄ます。

 すると、車輪の転がる音が耳へと届き、あまり猶予が残されていないことを理解してしまう。



「それしか道は無い……のよね?」


「ああ、アルを生かす為にはこうするしか無いんだ……」



 そして、短い会話を交わすと頷きあう二人。

 シャリファは左腕にアルを抱き、右腕でグレイスの肩を支えると【魔の森】へと踏み込むことになった。






 それから暫し歩いたところで、シャリファとグレイスは茂みに隠れた木の洞を見つける。

 シャリファは左腕に抱いていたアルをそっと洞に下ろすと、その頭を優しく撫でた。 



「ごめんなさい……アル。これしか、これしか方法が無いの」



 端整な顔を、涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながらアルに話しかけるグレイス。



「憎んでくれていい……だからどうか……この子に加護を」



 そう言ったシャリファは、己の不甲斐なさを恥じながら、血が滲む程に唇を噛みしめている。


 本当なら一時も手放したくないのだろう。その腕にずっと抱いていたいのだろう。

 愛しい我が子を手放さなければいけないという決断を下した二人の心中は察するに余る。


 しかし、現実というものは残酷だ。

 車輪の転がる音は着実に距離を詰めており、三人が共に過ごす時間が残されていないことを告げている。


 二人はその事を理解しているからこそ、一刻も早く馬車へと戻り、息子を魔物に殺された両親を演じる事を決めるのだが……



「あーあーうー」


「アル……」


「ア、アルゥ……」



 アルがぐずるような声をあげた事により、一瞬にして気持ちが揺らいでしまう。



「私には無理よ! この子を――アルを置いていくことなんて出来ない!」


「私だって! 私だって置いていきたくないに決まっている!

……だが、今はこうするしか方法が……」



 二人は再びアルを抱きかかえると、悲痛な声を漏らす。

 離したくない。だが離さなければいけないという思いで揺れ動くのだが……

 そうして葛藤する時間すら許されてはいないのだろう。



「――――――!」


「――――――!?」



 車輪が転がる音どころか、追手の声までもが耳に届き始める。



「アル……本当に、本当にすまない……

私は無理かもしれないが……絶対に迎えに来て貰うからな」


「ええ……必ず」



 そして、アルにそのような言葉をかけて再び洞へと戻すと――



「行こうグレイス」


「ええ、あなた」



 敢えて振り返る事をせずに、来た道を戻るのだった。







 馬車に戻ったシャリファとグレイスを待ち構えていたのは、四名の修道士と――



「おやおや、酷い格好ですね? どちらに行かれてたのですか?」



 金色の長髪を撫でつけた、糸目の神父の姿であった。



「「……」」



 シャリファとグレイスは、その質問には答えない。



「もしかして、嫌われてしまいましたかね?

ところで【忌子】の姿が見えないようですが……あの【忌子】はどうなされたんですか?」


「死んだよ……」



 代わりに次の質問には答えると、糸目の神父を睨みつけた。



「死んだ?」


「オークに殺されてね!! これで満足なんでしょ!?

あなた達はアルを殺したかったんだものね!? 返してよ! アルを返してよ!!」



 実際、これはグレイスの演技であった。

 だが、愛しい我が子を手放さなければいけないという状況。そのような状況に追い込んだ元凶を前にしたことにより、グレイスの言葉に迫真に迫る説得力を持たせていた。



「成程成程。何となくですが状況が見えて来ましたよ。

これは私の推測なのですが……馬車を走らせて逃走している最中に、そこで死体となっているオークに襲われてしまった。

恐らくは二体以上のオークに襲われたのでしょうね。

一体はかろうじて仕留めることが出来たものの、残りのオークに【忌子】を攫われてしまった。

そして、【忌子】を攫ったオークを追ったは良いものの、そこで死体になった我が子を見つけてしまい戻ってきた……といった感じでしょうか?」


「……まるで見ていたかのような口振りだな」


「ということは、当たってるという事でしょうか?」 


「もういい……俺が斬りかかる前にその口を閉じろ」



 そう言うと、糸目の神父を睨みつけるに留めたシャリファであったが……

 頭の中では何度も何度も、糸目の神父に剣を突き立てていた。


 当たり前だ。

 まるでアルが死んだことがどうでも良い事のように、出題された問題を楽しむかのように、ベラベラと自分の推測を並べたてるのだ。

 シャリファが剣を突き立てる想像をしてしまう気持ちも、理解するに難くない。


 だが、シャリファは実行に移さなかった。

 殺したいほど憎い相手であることは確かだが、自分が思い描いていた物語どおりの推測を披露してくれからに他ならない。

 故にシャリファは、物語どおりに事が進んだことに対して、僅かに胸を撫で下ろしたのだが……



「それでは、亡骸の回収に向かいましょうか?」



 糸目の神父は、予想外の言葉を口にした。



「回収……だと?」


「ええ、亡骸を見つけたんですよね? でしたら回収してあげなければ可哀想ではないですか?」


「ど、どの口が可哀想だなんて言ってるのよ!?」


「何故怒っているのでしょうか?

親であれば、我が子の亡骸を回収してあげたいだろうと思い、ご提案させていただいたのですが?

それにです。本当に可哀想だと思っているのですよ?

亡骸となってしまえば神の前に平等であり、【忌子】という括りから外れた一つの迷える魂ですからね。

聖職者として供養してあげたいと思うのは当然のことで、そうしてあげるのが私の役目ですから」




 そして、そう言った糸目の神父は――



「それとも――何か不都合でもおありですか?」



 糸目の奥に、光を感じさせない瞳を覗かせた。


 その瞬間。シャリファとグレイスは理解してしまう。

 この男は、物語の構成を全て理解した上で、自分達を泳がせるような推測を口にしたのだと。



「ヴェ、ヴェルニクスゥウウウウウッ!!」



 故にシャリファは剣を抜く。

 このままではアルを見つけられてしまい、命が摘まれてしまうと判断したからだ。



「お静かに」 


「……なっ!?」



 しかし、裂帛の気合と共に抜かれた剣は、糸目の神父の人差し指――

 まるで「しー」と言わんばかりに立てられた人差し指によって止められてしまう。



「【お座り】」


「なっ!?」


「きゃっ!?」



 続いて、魔力を込めた一言によって二人は地面に膝を着くと、後方に控えていた修道士たちによって取り押さえられることになった。



「その反応だとやはり赤ん坊は生きてるようですね?」


「離して! 離しなさいよ!」


「グレイスから手を離せ! き、貴様……殺してやるッ!!」


「随分と物騒ですね……」



 シャリファは射殺すように強い視線を向けるが、糸目の神父は微塵も表情を崩さない。

 だが、表情は崩さないものの、こうも騒がれては業務に支障をきたす上、少しだけ鬱陶しくも感じたのだろう。



「まったく困った人達ですね? まあ、この状況でどうこう出来るとは思いませんが……

騒がれても面倒ですからね。順序を入れ替えて、先にあなた達を処刑してしまいましょうか?」



 従って、処刑という言葉を口にすることで、脅しを掛けてみることにしたのだが。



「やれるものなら! やれるものならやってみろッ!」


「ええ! だとしても只では殺されないわよ!」



 シャリファとグレイスにとって、処刑という言葉は脅しにもならなかった。

 何故なら、処刑されるであろうことは既に予想出来ていた事だからだ。


 実際、シャリファは教会から脱出する際に、修道士の腕を斬り落としている。

 加えてグレイスも、脱出する際に【火球】を放ち、教会の天井を崩落させていた。

 更には、我が子とはいえ闇属性の素養を持つ【忌子】に対して行った逃走の幇助。


 それらの行為は、ヴェルニクス教に対する反逆行為であり、立派な異端行為であった。


 そして、それらの行為を許すほどヴェルニクス教――いや、この糸目の神父は優しい人物ではない。

 シャリファとグレイスはそう認識していたからこそ、処刑されることを覚悟の上で捕まり、処刑の手続きが終わるまでに、信頼のおける人物にアルを託そうと考えていた。


 だからこそアルとの別れ際に、まるで自分達が迎えに行くことが出来ないといったような。

 別れの言葉として受け取れるような言葉をアルに掛けた訳なのだが……


 ……このような状況になってしまった以上は、想いも覚悟も全てが水の泡だ。


 大人しくしていてもアルは殺されてしまう。

 抗ったとしてもアルは殺されてしまうのだ。



「離せッ! 殺してやる! 殺してやるッ!」


「離しなさい!!【灯よ 空を照ら――ふぐっうぐっ!?」


「詠唱!? この女の口を塞げ!」


「――ッ!? こ、この女噛みやがった!!」



 だったら、少しでも希望が残っている方――いや、現状を打破するには抗う道しか残されておらず、従ってシャリファとグレイスは、残された力を絞り出すようにして抗って見せるのだが……



「大人しくして頂けませんか? 抗ったところでどうにもならない事は分かっていますよね?」



 糸目の神父が言うように、抗ったところで実力差は明白だ。

 所詮は無意味な抵抗であり、逃れられない運命に対して無駄な足掻きしているのと変わらない。



「離せッ! この手を離せッ!!」



 だが、そんな我が子を思う心が。

 無駄で無意味にも思える足掻きが。

 活路を引き寄せたのだろう。



「暴れるなッ!! 大人しくしてろッ!!」



 修道院に押さえられていたシャリファの首元からプツリという音が鳴り、首に下げていた簡素なネックレスがポトリと地面へと落ちる。



「おや、サイオン家ともあろうお方が随分と簡素なネックレスを身につけていらっしゃるんですね?」



 そして、そのネックレスを拾い上げた糸目の神父はそのような言葉を口にすると――



「もっと良質な物を買えば――……」



 続けた言葉を不自然に途切れさせた。



「これは何処で手に入れのですか?」


「……答える必要は無いな」


「そう言うと思っていましたよ。まあ、大体の推測は出来るので聞くまでも無いんですけどね?」



 そう言った糸目の神父は、黒いコイン――黒いコインに赤と銀色の縦線が入ったようなネックレスを、振り子のように揺らしながら推測を口にし始める。



「貴族の方がこんな簡素なネックレスを身に着けているということは……

単純に気にいっているか、誰かからの贈り物であるか、余程思い入れがあるかのいずれか――もしくは全てです。

加えてあなたの境遇。孤児から貴族まで成りあがったという話ではありませんか?

それらの情報から推測するに……このネックレスは誰かからの贈り物――例えば、あなたを捨てた親からの贈り物だったりするんじゃないですか?」


「――ッ」


「おや、その反応から察するに、どうやら当たりだったようですね?」



 事実、糸目の神父の推測は当たっていた。

 それは孤児院に捨てられたシャリファに――捨てられたシャリファの首にさげられていたネックレスであった。

 それを一目見ただけで、僅かな反応を見ただけで看破されてしまったのだから、シャリファはそら恐ろしいものを感じてしまうのだが……


 事態はここから一気に好転する。



「成程成程……そういうことでしたら余計な真似はしない方が面白そうですね。

それでは修道士の皆さん、手荒な真似はせず、丁重に扱って馬車に乗せてあげて下さい。それが済んだらグルセルの街に帰りましょう」


「なっ!?」


「えっ!?」



 その言葉に一番驚いたのはシャリファとグレイスだった。



「今度は素直に従って下さいね? 従って貰えたならこのまま帰ることを約束しますから」


「……し、信用しろとでも?」


「し、信用できる訳ないじゃない!」


「まあ、信用できない気持ちは分からなくもないのですが……これ以上は言いませんよ?

素直に従ってくれたらこのまま帰ることを約束しましょう。

まあ、【忌子】に関しては教義に反することになりますので連れて帰ることは出来ませんが、これ以上詮索しないことを約束しますよ。

それでも抵抗するというのであれば――」



 そう言うと僅かな間を作った糸目の神父。



「洞のなかでも探してきましょうかね?」



 神父として違わない、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。



「――ッ!?」


「なっ!?」



 そして、その言葉が決定的だった。

 要は、糸目の神父は魔力感知を広く展開することで、アルの居場所などとっくに押さえていたのだ。 

 だというのに、アルの身柄を押さえずに余計な問答を繰り返してたのは、どうとでもなるという自信の現れなのだろう。


 いや、もしかしたら……

 教義を振りかざしてはいたが、【忌子】の――アルの生死になど始めから興味が無く、このような状況を楽しむことが目的だったのかもしれない。


 そのように理解したシャリファとグレイスは。



「……約束は守ってくれよ」


「……お願いだから約束だけは守ってね」



 修道士達の肩をかり、馬車へと向かい歩みを進める。

 これ以上この男を。頭のおかしなこの神父の。ご機嫌を損ねては取り返しがつかなくなると判断したからだ。


 そして、馬車へと乗り込もうとしたその瞬間。



「予定通りとはいかないものの、ほぼほぼ構成したとおりに物語が進んだのではないですか?

まあ、そのような話はさて置き、時間も時間ですし急いで帰りましょうか?」



 全てを見透かした神父の言葉に、シャリファとグレイスは肌が粟立つのを感じるのだった。






 その翌日、シャリファとグレイスは何事もなかったかのように解放される。

 幾つかの質疑応答を行い調書こそ取られはしたが、それを終えると糸目の神父は約束を反故することもなく二人を解放した。


 実際、解放されたシャリファとグレイスの頭の中では――


 何故、グレイスの足まで治療してくれたのか?

 何故、何事もなく解放されたのか?

 何故、処刑を免れることが出来たのか?


 といった疑問が渦巻いてはいたのだが、そのような疑問の数々よりも、一刻も早くアルを迎えに行くことの方が重要だった。


 故にシャリファとグレイスは馬車――もとい竜車を走らせる。

 休む暇など無いと考えた二人は、馬よりも体力と速さのある走竜という二足歩行するトカゲのような生き物に、かごを引かせることにしたという訳だ。


 その結果、昨日よりも随分と時間を短縮する形で、昨晩馬車を転倒させた場所へと到着する。



「……お前には申し訳ないことをしたな」


「ごめんなさい…レウジフ……」



 到着した二人の目にまず映ったものは、馬車の残骸。

 次に目に映ったものは……恐らく魔物によって捕食されてしまったのだろう。

 無残に喰い散らかされてしまった、馬の死骸であった。


 二人は僅かな時間、祈るように手を合わせると、急いで【魔の森】へと足を踏み入れる。

 そうして暫しの間、脚を止めることなく森の中を歩いていると――



「シャリファ! あの木! あの木じゃないかしら!」



 足に違和感が残っているようで、杖をついていたグレイスが声を上げる。



「た、確かにあの木だ! あの木の根元に洞があった筈だ!」



 続いてシャリファも声を上げるのだが、その声は驚くほどに弾んでいる。


 それもそうだろう。

 一度は処刑される覚悟を決めていたのだ。もう会えないだろうと諦めていたのだ。

 思わず声を弾ませてしまう気持ちも、充分に理解することが出来る。


 加えてだ。

 周囲を見渡してみても草木が折れている様子も無く、地面には魔物が踏み均したような痕跡もない。

 つまりは昨晩と同様の状況であり、そこにアルが居るという確信を持ったシャリファが声を弾ませてしまうのは当然のことで――



「アル! 迎えに――」


「ア、アル! 良い子に――」



 一層に声を弾ませると、茂みを掻き分けて洞のなかを覗くのだが……



「来た……ぞ?」


「良い子に……して……た?」



 二人の目に映ったのは受け入れがたい現実。

 木の根元には、獣を思わせる数本の黒い体毛と足跡。

 誰も居ない洞が、ぽっかりと口を開けているだけであった。



「ア、アル!? アルは何処に行ったんだ!?」


「ア、アル!? 何処!? アルは何処に消えたの!?」



 そのような現実を目の当たりにし、シャリファとグレイスは狼狽え始めてしまう。

 誰も居ない洞を何度も何度も覗きこみ、身体を地面に伏せては藪の中を覗き見る。


 しかし、そんな場所を探したところで、アルが見つかる筈も無く――



「違う……違うだろシャリファ! そんな場所を探しても意味は無い。現実を見るんだ!」


「あ、あなた……やっぱりこの足跡って……」



 どうにかして心を落ち着けると、手掛かりになるのであろう獣の足跡へと視線を向けた。



「こ、この足跡追っていけばきっとアルが……」


「そ、そうね……きっとこの先にあの子が……アルが居るのよね?」


「あ、ああ……きっと元気な姿を見せてくれる筈さ」



 二人は励まし合うようにして言葉を交わす。

 頭の中にある「死」という言葉を、隅へ隅へと追いやりながら。


 そして、アルに繋がる手がかりである獣の足跡を追おうとしたその時だった。



「ゲギャ! ゲギャギャギャ!」



 茂みの影から一匹のゴブリンが飛びかかる。



「チッ!! 昨日から邪魔ばかりが入るッ!!」


「ゲギャ!?」



 飛びかかるゴブリンに対して剣を薙いだシャリファ。

 その一閃は見事にゴブリンの喉を裂き、一瞬にして絶命へと至らせるのだが……



「そうだ……ここは【魔の森】だったな……」


「え、ええ……」



 ゴブリンが現れたことで、改めてここが何処であるのか――どれだけ危険な場所であるのかを再確認する。

 しかし、危険であることを再確認したところで、二人が歩みを止めることは無い。



「周囲に警戒しながら、慎重に進むぞ」


「わ、分かった……後方の警戒は私に任せて」



 二人は森の奥へと踏み込み、捜索を続けることになる。

 そして捜索はその日だけに限らず、翌日、翌々日と続き――






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 






 シャリファさんは、冷めきった最後の一口をすすると、ソーサーの上にカップを戻す。



「それからは義父や義母、親しい友人に助力を頼んだり、冒険者に依頼してアルを捜索する日々を続けたよ。

そのおかげといってはなんだが……あれだけ苦戦したオークも今では一撃で屠れるようになってしまったからな。

しかし、そのような生活を続けている内に、何処かで心が折れてしまったのだろうな……

私もグレイスも憔悴してたということもあり、一年が経過した頃には、周囲の「諦めろ」という声に耳を傾けるようになってしまったよ」



 そしてシャリファさんは――



「情けないお父さんでごめんな」



 そう言うと、泣きそうな笑顔を僕に向けるのだった。

 

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