第230話 物語の前の物語
「わ、私の名前はシャリファ=サイオン。グ、グルセル領の領主を務めさせて頂いております」
「そ、その妻であるグレイス=サイオンと申します……」
「メーティーだ」
「ヴェルフよ」
場所は、噴水広場から移動して僕の部屋。
簡潔ながらも丁寧な挨拶をするシャリファさん達に対し、素っ気ない挨拶を返すメーテとウルフ。
テーブルを挟んで向かい合っている四人の間には、紅茶の湯気とピリピリとした緊張感が漂っていた。
「え、えっと……上手く淹れられたと思うので、良かったら飲んでみてください」
僕はそんな緊張感を少しでも和らげようと思い、上座――所謂お誕生日席に座りながら声を掛ける。
「あ、ああ……いただかせて貰うよ」
「あ、ありがとう。いただかせて貰うわね」
僕が紅茶を勧めると、紅茶のカップを口へと運ぶシャリファさんとグレイスさん。
「い、如何でしょうか?」
「ほ、ほう――これは美味しいな。
私は紅茶に詳しい訳ではないんだが、この紅茶は香りは鮮烈で、味に深みがあるように感じられる」
「え、ええ。それに淹れ方が丁寧だし上手なんでしょうね。
茶葉のえぐみが少しも感じられないし、とても綺麗に紅茶の色が出ているわ」
そして、二人がそう言って笑みを零すと、張り詰めた空気が少しだけ緩みかけるのだが……
「折角の二番摘みを淹れてやることも無かっただろうに? こいつらには白湯で充分だろ白湯で?」
「むしろ水で充分だったんじゃない?」
メーテとウルフが棘のある言葉を口にした事により、場の空気は再び張り詰めてしまう。
「「……」」
「「……」」
気まずい沈黙の中、秒針が進む音と、メーテが紅茶を混ぜる音だけがカチャカチャと響く。
その時間は数秒、数十秒と経過し、まるで時間が止まったかのような。この時間が永遠に続いてしまうかのような錯覚を覚えてしまう。
しかし、そのようなことを考えていると――
「ふぅ……」
メーテが溜息を漏らした事により、馬鹿げた錯覚から現実へと引き戻される。
「こうしていても埒が開かんか……」
続けてメーテが漏らしたのはそんな言葉で、黙ったままでは話が進まないと考えたのだろう。
「いくら嫌味を言っても言い足りないところではあるが……
お前達をこの場に呼んだのは嫌味を聞かせる為でも、ましてや美味い紅茶を飲ませてやる為でも無いからな。
余計な問答は抜きにして、そろそろ本題に入ることにしようじゃないか?」
メーテはティースプーンをソーサーの上へと置き、本題を切り出した。
「本題……ですか……」
「ああ、本題だ。
まさか、話さずに済むという選択肢が残っているなどとは考えていないよな?」
「そ、そのような事は欠片も考えていませんし、今更隠し立てようとも考えてはいません!
で、ですが本題を……全てを話すとなると、長い時間を頂くことになると思いますので……」
メーテが強い視線を向けると、シャリファさんは慌てた様子でメーテの言葉を否定する。
どうやら、長い時間、話に付き合わせてしまう事に対して懸念を抱いているようなのだが……
「それなら何ら問題ない。話が長くなるであろうことは始めから予想していた事だからな。
だからこそフィデルとノアを、マリベルに預かって貰ったんだろうが?」
メーテが言ったように、話が長くなることに関しては何ら問題が無かった。
話が長くなるであろうことは予想出来ていた事で、日を跨いでも話が終わらないようなら、フィデルとノアをマリベルさんの家に泊めて貰えるようにお願いしていたからだ。
――まあ、実際のところは。
「それに……これから聞くであろう話は二人にとって受け入れ難い話かもしれんしな。
お前達も、二人が居るよりかは居ない方が話しやすいだろ?」
フィデルとノアを下手に傷つけない為にも、席を外して貰ったというのが本音ではある訳なのだが。
ともあれ、メーテが問題無いと許可を出し、本題に入る条件は既に整っているという状況。
そのような状況に置かれてシャリファさん達の覚悟も決まった――というよりかは、この場に呼ばれた時点で全てを話す覚悟は決まっていたのだろう。
「私達家族に対するご配慮……痛み入ります」
「お気遣い頂き……本当にありがとうございます」
二人は揃って頭を下げると――
「どうして私達がアルディノ君を……アルを手放す必要があったのか」
「その全てを話したいと思います」
過去の記憶を探るかのように、視線を宙へと飛ばすのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
パチリ、パチン。
赤や白、色とりどりの薔薇が咲き誇るサイオン家の庭に、剪定の音が静かに響き渡る。
更に耳を澄ませば小鳥たちのさえずり。
午後の暖かな日差しは木漏れ日となって降り注いでおり、食後という事も相俟ってか、庭師の少年は不意な眠気に襲われてしまう。
「――ッ駄目だ駄目だ! こんな事では旦那様に怒られてしまう!」
しかし、庭師の少年は頬を手のひらで叩くと無理やりに眠気を覚まし、剪定ばさみを器用に動かし始める。
そして、再び小鳥たちのさえずりに耳を傾けると、穏やかな午後を感じながらも庭師としての仕事に勤しみ始めるのだが……
そんな穏やかな午後は、一人の少女が声を掛けたことによって騒々しいものへと変わっていく。
「ねぇシャリファ? 私も庭仕事やってみたいんだけど?」
「ははっ。折角の綺麗な指先が傷だらけになってしまいますよ?
……って!? グ、グレイスお嬢様!? このような場所で何をなさってるんですか!?」
庭師の少年を親しみを込めてシャリファと呼んだのは、サイオン家の息女であるグレイス=サイオン。
庭師であるシャリファとは幼馴染みでもあり、主従関係の「主」にあたる人物であった。
「何って、シャリファが剪定しているのを見掛けたから手伝おうと思ったんだけど……駄目だった?」
「だ、駄目に決まっています! そ、それにグレイス様はサイオン家のご息女なのですから、しがない庭師なんかに気安く話し掛けてはいけません!」
「シャリファって頭堅いって言うか……ちょっと面倒臭い所があるわよね?
昔みたいにグレイスって呼んでくれたら良いのに」
「そ、そのような真似は出来ませんよ!」
「なんでよ? 孤児院に居た時はグレイスって呼んでくれてたじゃない?」
「た、炊き出しのお手伝いをされていた時には、確かにそう呼ばさせて頂いておりましたが……
で、ですが! 旦那様に庭師として雇って頂き、主従関係となった以上は、以前のように振る舞うことは出来ません!」
「むー……グレイスって呼んでくれないの?」
「うぐっ!? そそそ、そんな上目遣いでお願いされても駄目なものは駄目なんです!」
「どうしても?」
「だだだ、駄目と言ったら駄目です!」
「お願い?」
「だだ、だから――っと!? うわっ!?」
グレイスの上目遣いを受けて、動揺に動揺を重ねてしまったシャリファ。
あまりに動揺を重ねてしまった所為で、脚立から足を滑らせ地面へと落下してしまう。
その結果、ドスンという音と脚立が倒れる音が周囲へと響き渡り、音に呼ばれるようにしてサイオン家の使用人達が集まりだすのだが……
「なんの音かと思って駆けつけてみれば……グレイス様とシャリファがじゃれあってただけか」
「グレイス様? シャリファは初心なんですからあまりからかっては駄目ですよ?」
「はいはい、解散解散! 皆仕事に戻れ~!」
音の原因がシャリファとグレイスにあることを知ると、瞬く間に興味を失い、使用人達は各々の業務へと戻ることになった。
しかし、使用人達がそのような反応を見せるのも仕方がないことなのだろう。
何故なら、グレイスがシャリファにちょっかいを掛けるというのはサイオン家の日常で、動揺したシャリファが醜態を晒すというのは見飽きた光景であったからだ。
まあ、見飽きた光景であるならば使用人達も野次馬根性など出さなければいいとは思うのだが……
「ご、ごめんなさいシャリファ……あっ、肘から血が……」
「へ? ああ、こんな傷は唾でもつけておけば治りますのでお気になさらないで下さい」
「き、気にするわよ! シャリファ肘出して! 今チーフを巻いてあげるから!」
使用人達は二人の間に芽生える恋心に気付いており――
「ほ、本当に大丈夫ですから! グレイスお嬢様のチーフを汚してしまうなど恐れ多い――」
「良いからじっとしてるの! これは御主人様の命令よ!」
「は、はい……わ、分かったよグレイス」
「あっ、今グレイスって呼んでくれた」
「へ? あっ……も、申し訳ありませんでした!」
「別に謝らなくても良いのに……えへへ」
その不器用で幼い愛情表現に、ちょっとした癒しを求めていたのかもしれない。
ともあれ、そのような日常を送っている間にも、少年少女の身体は、そして心は成長していく。
それに伴い、幼かった恋心は知らず知らずの内に愛情へと形を変えていくのだが……
そのことにシャリファが気付いたのは、間もなく十五の成人を迎えようとしていた頃だった。
「ねぇ、シャリファ。私、結婚することになったみたい」
「ん……んぐ!? け、結婚……ですか?」
白で統一されたガゼボの下。
昼食のパンをかじっていたシャリファは、驚きのあまりパンを喉に詰まらせそうになってしまう。
「そ、それはいつ頃のお話ですか?」
「ん~約二年後かな? 私が成人したらサンジェ家に嫁ぐことになるみたい」
「サ、サンジェ家……ですか?
サンジェ家といえばここ数年で頭角を現した新興貴族のことですよね?」
「そう。そのサンジェ家で間違いないわ」
「た、確かにサンジェ家の治める領地は好景気であると聞きますが……」
「悪い噂も多く聞くわよね?」
「は、はい……旦那様はそれを理解したうえで、グレイスお嬢様に嫁げと仰っているのでしょうか?」
「うん。パパとママに「ごめん」って謝られちゃった」
「――ッ」
グレイスの言葉を聞いたシャリファは、思わず奥歯を噛む。
グレイスの言葉から、この結婚が戦略結婚であることを理解してしまったからだ。
「金銭的な支援をするかわりに……ということでしょうか……」
「そんな感じかしら? シャリファもグレイス領の現状は理解しているわよね?」
「ええ……海向かいのホレスの街から多くの難民を受け入れた事で、色々と無理が生じているとは聞いています」
「うん。本当なら、難民を受け入れたとしてもどうにか乗り切ることが出来た筈なんだけど……
今年は潮の流れがおかしかった所為で魚が獲れなかったみたいだし、雨が長く続いた所為で農作物もあまり収穫できなかったみたいなのよ。
だから、今のグルセル領は食料問題や金銭問題でちょっとした危機に陥っちゃってる感じなのよね」
「で、でしたら、難民を他の領で受け入れて貰えるようにお願いすれば……」
「頼んだらしいんだけど駄目だったみたい」
「し、親交の厚いフェンブ様も受け入れを拒否されたのですか?」
「うん。でも仕方無いわよね。
難民を受け入れる環境を整えるだけでも相当な労力とお金が掛かるみたいだし、受け入れた後も色々と大変らしいからね。
大抵の貴族は難民を受け入れること対して否定的で、そう考える方が普通みたいなの。
それなのにうちのパパは……優しいっていうか、甘いっていうか、お人よしっていうか……」
「た、確かに旦那様には、人が良すぎる部分がある事も確かですが……
そ、それは旦那様の美徳であって……そんな優しさや甘さに、私や孤児院の子供達が救われたことも確かで……」
「それは私も分かってる。
パパがあんな性格じゃなければ、こうしてシャリファと出会う事も無かった訳だしね」
「グ、グレイスお嬢様……」
シャリファは思わず眉を顰める。
そうすると同時に、自分の事だというのに何処か他人事のように話すグレイスに僅かな苛立ちを覚えていた。
「グレイスお嬢様は……グレイスお嬢様はそれで良いのですか!?」
故に、シャリファは声を荒げたのだが……
「どうして……どうしてそんな意地悪なことを聞くかなぁ~」
返ってきたのは、僅かに震えた声。
困った表情を浮かべながらも、無理やり笑おうとするグレイスの姿だった。
そして、その瞬間。
シャリファは胸の内にあった感情――本当に今更ではあるが、胸の内にあった感情の名前に気付く。
加えて、シャリファが気付いたのはグレイスの想い。
自分が我慢すれば全て丸く収まる――だけど、本当は助けてほしい。
そのような想いに気付いてしまったのだ。
その翌日。
シャリファは無礼であることを承知で、ムンステッド=サイオンの元を訪ねる。
「旦那様! 旦那様の元で領地運営について学ばせて頂けないでしょうか!」
ムンステッド――グレイスの父の元を訪ねた理由は、領地運営についてのノウハウを学ぶ為。
実に拙く浅い考えではあるが、領地運営を学ぶことでグルセル領を建て直し、延いてはグレイスの結婚を阻止することができると考えたからだ。
だが、そんなシャリファの内心などムンステッドは知る由もない。
「シャリファもグルセル領の状況は理解出来てるだろ?
頼って貰えたことは嬉しいんだが……シャリファの面倒を見てあげられる余裕が無いんだよ」
従って、実に尤もな答えが返ってきてしまう。
「な、何でもします! 庭師としての仕事も怠りません! どうかお願いします!」
しかし、それでも諦める訳にはいかなかった。
只の庭師でしかないシャリファが現状を変えるには――最短で現状を変えるにはムンステッドに頼るしか道がないと理解していたからだ。
「シャリファ……」
ムンステッドは、真剣な眼差しを受けて僅かに困惑する。
それと同時に、一つの疑問が頭を過るのだが……
「……ああ、そういうことか」
ムンステッドは助言を求める事も無く、自力で疑問の答えと辿り着く。
実際、ムンステッドはシャリファという少年をよく理解している。
孤児院にいる時から目を掛け、庭師として雇ったのがムンステッドなのだから当然だ。
加えてその性格もよく理解していた。
シャリファという少年は真面目すぎるほどに真面目で。
真面目な割には何処か抜けている部分がある子で。
境遇の所為か何処か壁を作りがちで。
それなのに人に優しく出来る子で……
そんなシャリファが――今まで頼み事などしたことの無かったシャリファが「お願い」を口にしているのだ。
それはきっと誰かの為であり、誰かの幸せを願ってのことだろう。
そして、その「誰か」に痛いほど心当たりがあったムンステッドは――
「シャリファ……今、この時をもって君を解雇させて貰う」
「なっ!? ま、待って下さい!」
「いいや、待たない――領地運営を学ぶのであれば時間を無駄にすることは出来ないからな」
「へ?」
「何をぼさっとしてる?
まずはグルセル領の主な収益と支出について教えてやるからこっちに来い」
「――ッ はいッ!!」
領地運営のノウハウを、シャリファに詰め込むことを決めるのだった。
そうして、シャリファが領地運営について学び始めてから一年という時間が流れる。
この頃のシャリファは領地運営学ぶ一方で、ムンステッドはの側仕えとして同行し、その見聞を広めることに尽力していた。
そのような甲斐もあってか――
「おうシャリファ! でっけぇカブが取れたから持ってけよ!」
「宜しいんですか? とっ!? こいつは随分と立派なカブですね」
「シャリファさん! また今度球蹴りしようぜ!」
「分かった。今度こそ勝ってみせるから覚悟しておいてよ?」
「シャリファく~ん! 今日こそウチの店に寄って行ってくれるわよね?」
「は、ははっ……か、考えておきますね」
領地内では広く知られる顔となり、親しみを込めてシャリファの名前を呼ぶ者も少なくはない。
「私も居るというのに、声を掛けられるのはシャリファばかりか……
これでは、どちらが領主なのか分からないな……私の代わりに領主をやってみるか?」
「だ、旦那様!? な、何をおっしゃっているんですか!?」
その認知度はムンステッドが愚痴を漏らすほどで、思わず拗ねてしまうほどなのだが……
正直なところ、ただの側仕えに対する評価としては、領民にしてもムンステッドにしても過分な評価を与えているように思える。
だがしかし――
「割と本気だぞ? 何せ一年足らずでグルセル領を建て直してしまったんだからな」
そのような実績があると知れば、周囲の評価にも頷けるというものだ。
「た、建て直しただなんて……私は殆ど何もしていませんよ……」
実際、シャリファの言葉は謙遜ではく事実に近いものだった。
シャリファが功労者であることは確かなのだが、グルセル領を立て直す為の画期的な案を出した訳ではない。
不作だったから育ちの早い作物を育てようとか。
潮の流れが変わったなら漁の場所を変えようとか。ごくごく当たり前の提案をしただけだった。
ただ、シャリファには一つだけ逸脱している部分があった。
その逸脱している部分とは――
「謙遜するな。あれだけの難民をまとめ上げることなど、誰にでも出来ることではないんだからな」
人を惹きつけ、まとめあげてしまう魅力にあった。
正直、何処に魅力を感じるかと問われれば、多くの者はすぐに答えることは出来ないのだろう。
だが、間違いなく人を惹きつける何かをシャリファは内包しており、衆目に立つことでその魅力を遺憾なく発揮して見せたのだ。
そして、この人を惹きつける魅力というのは時に恐ろしいほどの効果を生む。
例えば宗教や革命。
一人の魅力ある者――所謂指導者が現れたことによって、国を揺るがすような事態にまで発展したというのは時代の中で何度もあったことだ。
まあ、シャリファに指導者たる資質が備わっているかどうかは不明ではあるのだが、それに近しい資質が備わっている事は確かであった。
故にシャリファはまとめ上げた。
その魅力を持って、難民達を統率することに成功してしまったのだ。
その後もシャリファは、難民達に寄り添い、環境の改善に尽力した。
衣食住の問題から雇用問題、更には故郷を追われた難民達の心の介護まで。
とはいえ、若輩である若輩であるシャリファに出来ることは多くはない。
シャリファもそれを分かってるからこそ、自分を飾ることなく人に助力を求めた。
一人では無理だと分かればムンステッドに助力を求め、それでも無理だと分かればグルセル領に暮らす領民達に助力を求めた。
そんな泥臭くも実直で飾らないシャリファの行動が、難民だけではなくグルセル領の領民まで魅了することになったのだろう。
領民、難民の隔てなく、グルセル領は一丸して同じ方向。
グルセル領の建て直しへと向くことになるのだが――その結果といえば想像に難くない。
「あっ! パパ、シャリファ、おかえりなさい!」
「ただいまグレイス」
「グレイスお嬢様、ただいま戻りました」
色とりどりのバラが咲き誇る庭で、満面の笑みを浮かべるグレイス。
シャリファはグルセル領を建て直すと共に、この笑顔を守りきってみせたのだ。
そして――
「グ、グレイスお嬢――い、いや、グレイス。
君が良かったらなんだけど……僕と結婚してくれないかな?」
更に一年ほどの月日が流れ、グレイスが成人したその日にシャリファは求婚する。
実際、その求婚は男らしさの欠片も無く、成人の祝いの席だった為にムードの欠片もなかった。
そのうえ――
「き、君に似合うと思って用意したん――とっ!? あっ!? ちょっ!?」
大切な婚約指輪をお手玉してしまうのだから、格好悪いの一言に尽きる。
だが、それはあくまで一般的な意見であり、外野の意見でしか無いのだろう。
「すぐ動揺するのは、昔から変わらないわね……」
当のグレイスからすれば、それはシャリファの「らしさ」であり――
「薬指にはめて貰ってもいい? ――あ な た」
どうしようもない程に愛おしい格好悪さでしかなかった。
そうして二人は夫婦となる。
身分差のある婚約の為、多少は揉めるであろう事を予想していたシャリファなのだが……
いざ蓋を開けて見れば、反対されるどころか婿養子という形での婚約をムンステッドに頼みこまれるほどであった。
それから更に三年の月日が流れ、シャリファが二十歳。グレイスが十八の時だった。
おぎゃああああ――
サイオン家の屋敷に産声が響き渡る。
「シャリファ様! 生まれました! 生まれましたよ!」
「グ、グレイスは無事か!? 赤ん坊は!?」
扉越しに産婆の言葉を聞いたシャリファは、荒々しく扉を開いてグレイスと赤子の元へと駆け寄る。
「本当に心配性なんだから……私は大丈夫だし、赤ちゃんも元気に泣いてるじゃない?」
「そ、そうか! うん! 良く頑張った! 良く頑張ったなグレイス!」
「もう……そんな風に泣いてたら赤ちゃんに笑われちゃうわよ?
それよりあなた。赤ちゃんを抱いてあげて」
「あ、ああ……わ、分かった」
シャリファは袖で涙を拭うと、産婆から赤子を受け取り胸に抱く。
「ははっ……小さい小さいな……少し力を入れたら壊れてしまいそうなぐらいに……」
「ええ、だから私達がこの子を守ってあげなくちゃ……そうでしょ?」
「ああ。そのとおりだ……本当にその通りだ」
そのような会話を交わすと、慈しむような笑顔を浮かべる二人。
「ところで……ちゃんと名前は決めてくれたのよね?」
「あ、ああ。ちゃんと決めてきたよ」
「どんな名前にしたの?」
「名前は――名前はアルディノ。それが僕達の子供の名前だ」
「アルディノ――アルディノ=サイオン……ふふっ、きっとアルって呼ぶことになるんでしょうね」
そして二人は笑い合う。
今感じている幸せを。この暖かくて幸せな時間をめいいっぱい噛みしめながら。
その幸せな時間が、二ヶ月ほどで終わりを告げることも知らずに……
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