第229話 気付きと独白


「アル! アル! アル!

会いたかった! ずっと! ずっとずっとずっと会いたかった! 会いたかった!」



 そう言ったグレイスさんは、痛みを感じるほどの強さで僕の事を抱きしめた。



「こうしたかった! こうしてあなたを抱きしめたかった!」



 抱きしめた腕に、指に、より一層の力が込められる。

 背中へと回された右腕は容赦なく僕のあばらを締めあげ、ギュッと握った指先は、背中に刺すような痛みを与えていた。



「アル! アルゥ……」



 後頭部を抱く指先が、余計な髪まで巻き込んでしまったようで、頭皮にビリビリとした痛みが走る。

 加えて、豊満な胸への中へと抱き寄せられれている為に、上手く呼吸をする事が出来ず、酷く息苦しい。


 普段の僕であれば――


『グ、グレイスさん? す、少し苦しいです……』


 そんな言葉を口にし、どうにかして力を緩めて貰おうとする場面なのだろう。



「うぐっ……アルゥ……アルゥ……」


「グレイスさん……」



 しかし、僕にはそうする事が出来なかった。

 何故なら、締めあげるような痛みも、背中を刺すような痛みも、頭皮に感じる痛みも、酷い息苦しさも――

 全てはグレイスさの想いの表れで、他の誰でも無い、僕自身が受け止めてあげなければいけない想いのように感じてしまったからだ。


 それにだ。

 確かに色々な場所が痛いし、酷く息苦しい事も確かではあるのだが、何故か心地良く感じる事も確かで――



「――――」



 僕は無言のまま背中へと手をまわすと、返事をするかのように抱きしめ返すのだった。






 どれくらいの時間そうしていたのだろうか?



「か、母様? ……い、一体どうなされたんですか?」


「マ、ママ? だ、大丈夫?」


「ご、ごめんなさい……お、お母さん少し酔っちゃったみたい……」



 フィデルとノアから心配する声が漏れた事により、グレイスさんは慌てるようにして僕を胸から解放した。



「ご、ごめんなさいねアルディノ君……酔った勢いで困らせるような真似しちゃって……」



 濡れた目や頬を拭うと、そのような言葉を口にするグレイスさん。

 どうやら、酔った上での粗相ということで片付けたいようなのだが……

 流石にそれは無理があるように思えた。


 実際、会食の席で葡萄酒を嗜んでいた事は確かではあるが、嗜んだといってもグラス一杯程度でしかない。

 まあ、ダンテみたいにグラス一杯で泥酔してしまう人もいるにはいるが、先程まで酔った素振りなど欠片も見せていなかったのだから、酒に酔った上での粗相として片付けるには無理があるだろう。


 加えてだ……



「おばさんもちょっと恥ずかしいし……さっきの事は忘れて貰えると嬉しいかな」



 真っ赤に目を腫らしながら無理に笑おうとする姿を見せられては、粗相で片付けたくても片付けられる筈が無い。



「忘れてあげたいとは思うのですが……先程のグレイスさんは明らかに様子が――」



 従って、僕はグレイスさんの真意を尋ねることにしたのだが……



「グ、グレイスはお酒に弱くてな!

お、お酒を飲むと泣き上戸になってしまい、こうして迷惑を掛けてしまう時が時々あるんだよ!

ア、アルディノ君。ほ、本当にすまなかったな!」



 僕の言葉はシャリファさんによって遮られてしまう。



「泣き上戸……ですか?」


「そ、そうなんだよ。グレイスが迷惑を掛けてしまって申し訳ない」


「え、ええ。いい歳して恥ずかしいったらないわよね? ほ、本当にごめんなさいね」



 僕が尋ねると、苦笑いを浮かべながら頭を下げたシャリファさんとグレイスさん。



「さ、さて。先程も言ったが、これ以上拘束してしまってはご家族に怒られてしまうだろうし、そろそろ解散することにしようか?

アルディノ君。今日は本当に楽しい時間を過ごさせて貰ったよ」


「さ、最後の最後で変な雰囲気にしちゃってごめんなさいね?

アルディノ君のおかげで、とても楽しい夜を過ごすことが出来たわ」



 会話を終わらせるようにして、別れの挨拶を切り出した。



「【さようなら】アルディノ君。気を付けて帰るんだぞ?」


「【さようなら】アルディノ君。気を付けて帰ってね?」



 そして、別れの挨拶を口にすると、優しげな微笑みを浮かべる二人なのだが……



「またね……ではなく【さようなら】なんですね?」



 僕がそう尋ねると、驚くようにしてハッと目を見開いた後、クシャリと表情を歪ませた。


 僕はそんな二人の悲しそうな。それでいて悔しそうな表情を見て、酷い罪悪感を覚えてしまう。

 何故なら、二人が「また」会うつもりが無い事を理解している上で、そのような質問を口にしてしまったからだ。


 だが、それでも――



「本当に……本当に【さようなら】で良いんですか?」



 酷い罪悪感を憶えながらも、僕は再び尋ねた。



「……」


「……」



 その質問に答えは返って来ることはなく、僕達の間に沈黙が流れる。

 しかし、その沈黙は僅かなもので、シャリファさんとグレイスさんは恐る恐るといった様子で口を開いた。 



「ア、アルディノ君……君は……気付いているのか?」


「あなた……アルディノ君はきっと気付いているわ。

あんな醜態みせたんだもの……気付かないと思う方がどうかしてたのよ……」



 二人は、僕の視線から逃れるよう少しだけ顔を伏せると、返答ですらなく、主語すらもない言葉を返す。



「……はい。気付いていました」



 だが、何を差して「気付いている」と言ってるのかを、僕は充分に理解することが出来ていた。



「いつから……というのは聞くまでもなく、私の所為よね……」


「そう……ですね。

初めからちょっとした違和感は感じていましたが、確信を持ったのはグレイスさんの言葉を聞いた時です」



 僕自身が口にしたように、初めはちょっとした違和感でしかなかった。


 何故、シャリファさんとグレイスさんの声から懐かしさを感じるんだろう?

 何故、サイオン一家と居ると、やけに居心地が良く感じるんだろう?

 何故、初対面である僕に対して、こんなにも優しい笑顔を向けるのだろう? 


 そんな些細な疑問でしか無く、単なる思い過ごしや偶然で片付ける事ができるような違和感だ。


 しかし、そのような違和感が確信へと変わったのは、「ずっと会いたかった」という言葉を聞いた瞬間。

 その瞬間に、点として存在していた違和感に一本の線が通ってしまい、全ての点が結びついてしまったのだ。


 そして、その事により僕は理解してしまう。

 フィデルとノアが僕に似ていると言われる訳も。

 シャリファさんとグレイスさんが優しい笑顔を向ける理由も。

 涙を流しながら、僕の事を強く抱きしめたグレイスさんの想いも――


 要するに、僕とサイオン一家は血の繋がった家族――この世界での実の家族という事を理解してしまったのだ。



「そっか……気付いてくれたんだ」



 グレイスさんは、温かな声色でボソリと独りごちる。



「は、はい。ですから――」



 しかし、僕が言葉を続けようとした瞬間。



「気付かれちゃったら仕方無いか……はぁ、面倒なことになちゃったわね」


「へ?」



 途端にグレイスさんの声から温度が消える。



「こうなった以上は何もしないって訳にもいかないし……謝礼として幾らか包まなきゃいけないわよね?」


「お、おいグレイス……君は何を言ってるんだ?」


「何って、アルディノ君のご家族にお金を包まなきゃって話だけど?

というか、学園の入学金だけでも相当な額を建て替えなきゃいけないだろうし、手痛い出費よね〜。

それに、今後に掛かるであろうお金もとなると……はぁ、考えるだけで頭が痛くなりそう」



 狼狽えるシャリファさんに対して、こめかみを押さえながら気だるそうに話を続けるグレイスさん。

 その振る舞いや言葉は冷めたもので、先程まで感じていた温かみを感じる事が出来ない。


 恐らく、グレイスさんがこのような言動を取るのを初めて見ることになったのだろう。



「か、母様?」


「マ、ママ?」



 フィデルとノアは、状況に着いていけないという事も相俟ってか、不安そうに身を寄せ合っている。



「お金の話は兎も角として、アルディノ君はどうしたいの?

まあ、どうしたいの? と聞いたところで、私達ができる事はお金での援助しか出来ないんだけどね?

それに今更……今更迷惑なのよね?」



 グレイスさんは話を続ける。



「正直、アルディノ君に会おうと思ったのは只の興味本位なのよね。

会ったところで、どうするつもりもなかったし、まさか気付かれるなんて思ってなかったんだもの。

なのに……アルディノ君たら気付いちゃうんだから、本当に困ったものよね?」



 グレイスさんは僕の返事も待たずに言葉を続ける。



「だから分かるでしょ? アルディノ君がどうしたいかは分からないけど、お金で解決してこれ以上会わない方が良いのよ?

アルディノ君にも大切な家族がいるんでしょ? だからそれくらい分かって貰えるわよね?」



 言葉を続けるのだが……それは全部嘘だ。


 正直、グレイスさんと出会ったから過ごした時間はほんの僅かでしかない。

 その為、どういった人物であるのか完全に理解出来ていないというのが本音だ。


 しかし、短い時間であったとしても分かった事はある。

 それは、お皿いっぱいにサラダをよそうようなお節介焼きで。

 魚の食べ方が上手で。

 僕の話に笑顔で頷いてくれる人で。

 大人なのに、苦い野菜は少し苦手で。

 そして、フィデルとノアにとって優しい母親であることくらいは分かっていた。


 だからこそ……グレイスさんは優しい人だからこそ、想いを吐きだして尚、他人の振りを装う事に決めたのだろう。

 恐らくではあるが、そうすることが僕にとっての一番であると考え、これ以上会わない事が最善であると考えた結果、そうしなければいけないと考えたに違いない。


 だから僕は、そんな想いを理解しつつも、それではあまりにも寂しいと思い引き止めるような真似をした。

 「また」会うつもりはないという覚悟――その覚悟を踏みにじっている事を理解した上で、罪悪感を憶えながらも引き止めるような真似をしたのだ。


 そして、今。

 グレイスさんはまた同じような真似を繰り返そうとしている。

 思ってもない言葉を口にし、思ってもいない想いを並べ立て、悪者になることで身を引こうとしている。


 その証拠に――



「グレイスさん?」


「ん? 何かしらアルディノ君?」


「そんなに無理しないで下さい」


「無理? 無理なんかして――」


「だったら……だったら、そんな辛そうな顔しないで下さい」



 グレイスさんの表情は、泣くのを我慢する子供のように。

 突けば崩れてしまいそうな程に、脆く、拙い表情を浮かべていた。



「つ、辛そう? 何を言ってるのかしら?」


「グレイスさんの想いは分かっているつもりです。だから自分を追いこむような真似はやめましょ?」


「お、追い込むような真似なんてしてないわ……わ、私は思ったことを口にしただけで!」


「グレイスさんは思っていませんよ」


「思ってるわ! 私は! 私はあなたの事なんか! あなたの事なんか!」



 グレイスさんは声を張り上げる。

 しかし、僕はそんなグレイスさんへと手を伸ばすと――



「大丈夫。大丈夫ですよ」



 グレイスさんの白くて細い手のひらと指先を、僕の両手で包みこんだ。



「ひぐっ……うぐっ……」



 その瞬間、グレイスさんの表情はクシャリと歪み、ボロボロと涙があふれ始める。

 そして、グレイスさんは涙を拭う事もせずに、言葉に詰まりながらも独白を始めた。



「本当は……本当は泣くづもりなんで無かっだ……

アルの……アルの成長を見届けて、それで満足するづもりだったの……」


「でも泣いちゃて……余計な言葉まで口走っちゃっで……」


「でも、アルに「さようならなんですか?」って聞かれて……アルが気付いてくれたことが嬉しくて……」


「それで欲張っちゃったの……もしかしたらって……

だけど欲張っちゃ駄目だってことも分かってだの……」


「だってアルには素敵な家族がいるから……今更名乗りだたところで迷惑にしかならないと思っだから……」



 僕は合い間合い間に頷き、グレイスさんは涙を流しながら独白を続ける。



「だから……嫌われようと思っだの……

馬鹿で浅はかで今更だってことも分かってるのに……

嫌われちゃえば……嫌われてしまえば、私達のことなんかすぐに忘れちゃって、変わらない毎日を過ごせると思ったから……」


「分からなくなっちゃったの……どうして良いのか分からなくなっちゃたの……

こんな真似をすればアルを傷つけるかもしれない――そんなことは分かっている筈なのに、どうして良いのか――何が正解なのか分からなくなっちゃって……」



 そう言うと、崩れる様にして地面に膝を着いたグレイスさん。

 僕は、そんなグレイスさんの目線に合わせるようにして地面に膝を着く。


 そして――



「正直、僕もどうすれば良いか分からないし、何が正解なのかは分かりません。

ですから……今後のことはゆっくり話し合いましょうよ? ね? ――母さん」


「アルゥ……アルゥ……」



 僕は微笑みかけ、グレイスさんは僕の胸に顔を埋めると、子供のように泣きじゃくるのであった。






 それから暫しの時間が流れた。



「ご、ごめんなさい……なんか情けない姿を見せてばかりで……」


「い、いえいえ! お気になさらないで下さい!」



 時間が経過すると共に、少しは気持ちを整理し、落ち着くことが出来たのだろう。

 目こそ真っ赤にしているものの、グレイスさんの表情は何処か晴れやかだ。


 しかし、そんな中。



「え、えっと……一体どういう事なんでしょか?」


「ア、アル先輩がママのことを母さんて呼んでたような……」



 状況を理解出来ていないようで、フィデルとノアが呆けた表情で疑問を漏らす。



「い、いや。そ、それはだな……」


「え、えっと……ど、どう説明したら良いのかしら……」



 恐らく僕の情報――行き別れの兄がいたという事実を伝えていなかったのだろう。

 シャリファさんとグレイスさんは、どう説明して良いのか困ってしまったようで、狼狽え始めてしまう。


 そして、そんな時だった。



「お、おやー? そこに居るのはアルではないかー? こんな所で会うなんてキグウだなー」



 大根役者が台本を読みあげてるような声が耳へと届く。



「帰ってくるのが遅いから探してたって言えば良いのに……メーテは捻くれてるわよね?」


「ひ、捻くれてるとはなんだ! せめて素直じゃないと言え!」


「……自覚してる分、たちが悪い事を分かってるのかしら?」



 続いて届いたのはそのような会話で、僕は声の主がメーテとウルフである事を知る。



「ま、まあ、それは兎も角だ! アル! 学生の身分で夜遊びとは感心しないな!」


「そうよ? 食事に出かけるのは聞いてたけど、あまり帰りが遅いと心配するじゃない?」



 そう続けた二人は僕へと視線を送るのだが、すぐさまサイオン一家が居ることに気付いたのだろう。



「お、おっと失礼。先程の言葉は貴方方を責めてる訳ではないので、誤解が無いようにお願いしたい」



 シャリファさんとグレイスさんに対して、謝罪の言葉を口にし。



「い、いえ……こちらこそ早く帰してあげることが出来なくて申し訳ない」


「アルディノ君のご家族の方ですよね? 夜分に連れまわしてしまい、申し訳ありませんでした」



 シャリファさんとグレイスさんも、謝罪の言葉を口にすると頭を下げる。


 下げるのだが……



「いやいや、こちらこそうちのアルがお世話になった。お二方が頭を下げる必要なんて一つもないさ。

それよりも……そちらの女性はどうしたんだ? 随分と目を腫らしているようだが――」



 メーテはそう言い掛けたところで、僅かに眉根に皺を寄せる。

 そして、瞬く間に険呑な表情へと変化させると、僕、フィデル、ノアの順に視線を送った後、再び二人へと視線を戻した。


 その事により、メーテは様々なことを察してしまったのだろう。



「ああ、そういことか……

確かに、こうして並んでいるところを見れば、良く似ている事が分かるよ……

――おい、お前等。話したいことがあるから着いて来い。よもや拒否するとは言わん――いや、言えんよな?」



 メーテはそう言うと踵を返し、掌を扇ぐことで着いて来るように指示を出すのであった。

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