第228話 ダムが決壊するように


「そういえば自己紹介がまだだったね。

私の名前はシャリファ=サイオン。フィデルとノアの父であり、グルセル領を治めさせて頂いている者だ」


「その妻であるグレイス=サイオンよ。よろしくね? アルディノ君」


「ご、ご存じかとは思いますがアルディノと申します! よ、宜しくお願いします!」



 畏まった口調で自己紹介をする僕の眼前には、テーブルいっぱいに並べられた幾つもの料理。

 パプリカが散りばめられている色鮮やかなサラダから始まり、揚げられた川魚や、鶏肉の煮込み料理。

 テーブルの中央にはこんがりと焼かれた牛肉の塊がドンと置かれており、香ばしく刺激的な匂いを運んでいる。


 加えて耳に意識を集中させてみれば、聞こえてくるのは楽しげな喧騒。

 木製のジョッキを重ね合わせる音や、カチャカチャというカトラリーが食器を叩く音。

 老若男女の笑い声や会話が、騒々しくも賑やかに響いてた。


 正直、貴族との会食といえば、もっと静かな場所で、畏まった雰囲気のなか行われる印象があったのだが――



「本当は格式の高い店でコース料理を。とも考えてはいたんだが……

アルディノ君くらいの歳だと、そういった場所での食事会など窮屈なだけだろ?」


「お礼を兼ねた食事会で、窮屈な思いをさせちゃったら申し訳ないものね。

フィデルに聞いたら、このお店だったらアルディノ君も窮屈な思いをしなくて済むんじゃないか? って事で此処に決めさせて貰ったんだけど……もしかしてコース料理の方が良かったかしら?」


「い、いえ! さ、作法には疎いので、こういったお店で助かりました! はい!」



 どうやら、僕に窮屈な思いをさせないように、会食の場として大衆食堂を選んでくれたようだ。

 まあ、大衆食堂といっても、学生では気軽に足を運ぶことの出来ない高級店である訳なのだが……


 などと考えていると、はたと気付く。



「と、ところで領を治めているとおっしゃっていましたが……もしかして領主様なのですか?」


「ああ。若輩ではあるし、まだまだ未熟な身ではあるがな」


「あら? フィデルとノアから聞かされてなかったのかしら?」


「は、はい。貴族の出であることは聞かされていたのですが……」



 そのような会話を交わした僕は、一層畏まってしまう。

 フィデル達が貴族であることは当然知っていたが、父親が領主を務めているという情報は初耳だったからだ。


 しかもグルセル領といえば、王都の北に位置し、自然の恵みに富んだ場所だと聞く。

 加えて、その中心であるグルセルの街というのは、港町として大いに栄えているとも聞いていた。


 そんなグルセル領を、シャリファさんは治めているのだ。

 貴族の中でも上級――相応の権力を持っているであろう事は確かで――



「ほ、本日は食事会に御招き頂き、ほ、本当にありがとうございましゅ――ます!」



 従って、貴族慣れしていない僕はより一層畏まってしまい、思わず言葉を噛んでしまったのだが……



「く、くくっ――おっ、おっと、こ、これは失礼した」


「ふふふっ」



 シャリファさんとグレイスさんは、馬鹿にした感じではなく、微笑ましいものを見たときのように笑う。



「アルディノ君、そんなに畏まらなくても大丈夫だぞ?

礼儀として領主であることを伝えはしたが、今日はフィデルとノアの両親として会っている訳だからな。

面倒な肩書は抜きにして、気安く接してくれるとこちらとしてもありがたい」


「そうよ? 近所のおばちゃんと話す感じで接してくれたら嬉しいわ」



 そして、二人はそのような言葉を続けると――



「ともあれ、こうしてては折角の料理が冷めてしまう。

まずは、テーブルいっぱいに並べられた料理に舌鼓を打とうじゃないか」


「さぁさぁ、育ち盛りでしょうし、遠慮なく召し上がってね?」



 会食の始まりを告げるのだった。






 そうして始められたサイオン一家との会食なのだが……

 やはり緊張しているという事もあってか、食事の手をあまり進める事が出来ずにいた。


 しかし、そうして手を進められずにいると――



「アル先輩! このお肉は美味しので是非食べてみてください!」


「ア、アル先輩! こ、この煮込み料理も美味しかったのでよそってあげますね!」


「二人とも、そんなに急かしたらアルディノ君に迷惑でしょ?

あっ、アルディノ君もサラダは食べるわよね? 食べられないお野菜とかあったりする?」


「グレイス……注意した君が急かしたら駄目だろ?

ところでアルディノ君、この魚料理は中々に絶品だぞ? 食べてみてはどうだ?」


「……あなた? なにさらっと抜け駆けしようとしているの?」


「じ、冗談だよグレイス! うん! 急かしちゃいけないからな! うん!」



 まるで接待でもあるかのように、あれやこれやと料理を進めてくるサイオン一家。

 そのような気遣いがあったことに加え、サイオン一家から感じる空気――温かな雰囲気とでもいえば良いのだろうか?

 それが妙に心地良く、気が付けば緊張がほどけ、穏やな笑みを浮かべながら会食は進められることとなった。


 そして、会食が始まってから一時間程が経過した現在。



「――それでですね! アルディノ先輩は貴重な時間を割いてまで、僕達の稽古に付き合って下さったんです!」


「うん! 何度も何度も稽古付けて貰ったんだよ!」


「ほう、それはまた随分とお世話になったみたいだな」


「本当、随分とお世話になったのね。ありがとうアルディノ君」


「い、いえいえ! 僕自身学ぶことが多く在りましたので、お気になさらないでください!」



 食事にひと段落が付き、紅茶を啜りながら雑談に興じていた。

 まあ、雑談の内容の殆どが僕のことで、少し気恥ずかしくもあるのだが……


 などと考えていると、シャリファさんから声が掛かる。



「お世話になってる事もそうだが……アルディノ君は随分と優秀なようだね?」


「優秀……ですか?」


「ええ、なにせ学園第一席だし、冒険者としても認められてるって話を聞いたわ。

若くしてCランク冒険者なんて、凄い事だと思うし凄く優秀なんだと思うわよ?」


「そう言われたらそうなのかもしれませんが……」



 僕は優秀だと言われたことに思わず首を傾げそうになる。

 実際、成績だけ見れば優秀と評される部類なのだろう。

 しかし、なんというか……幼い頃から規格外の家族と暮らしている為に、どうしても二人と比べてしまう。


 正直、優秀だと褒められるのは嬉しく思うし、素直に喜ぶべきだとも思うのだが……

 まだまだ二人には遠く及ばないという現状では、称賛の言葉を素直に受け入れ難いというのが本音だった。



「僕なんて、僕の家族と比べたらまだまだですよ」



 従って、僕の口からこぼれたのは謙遜とも取れる言葉だったのだが……



「か、家族か……アルディノ君にそこまで言わせるんだから素晴らしい方達なんだろうな! うん!」 


「そ、そうね……ど、どのような方達なのかしら?」



 シャリファさんとグレイスさんは、何故か慌てた様子で言葉を並べ立てた。

 だからだろう。



「す、素晴らしいかは分かりませんが……僕にとってはとても大切だということは確かですね。

どのような方達かと言われますと、基本は過保護なんですけど……」


「か、過保護か。まあ、過保護も過ぎれば問題ではあるが……ど、どうやら優しい方達のようだな」


「ま、まあ優しい事も確かなのですが……時々というよりか、正気を疑う事も間々ありますね」



 僕は二人の様子に気圧されてしまい、言う必要のない情報まで口にしてしまう。



「ん? しょ、正気を疑うと言ったか?」


「あっ、はい」


「し、正気を疑うだなんて……すこ〜し厳しい部分があるとかではなくて?」


「いえ、厳しいとかの次元ではなく、僕の家族は時々正気が迷子になるんですよ」


「し、正気が迷子になると言うのはあまり聞かない表現だが……な、何があったのか伺っても構わないか?」


「はい。全然構いませんよ。

えっとですね……まず初めて正気を疑ったのは、二歳頃に魔力枯渇を毎日行うよう命じられた事でしょうか?

始めの内は魔力枯渇する度に頭が割れそうなほど痛くなるし、気持ち悪くなるし、動けなくなるしで、これを毎日続けるように言われた時は心が折れるかと思いましたね」


「大人でもきつい魔力枯渇を毎日? ……しかも幼少の頃から?」


「ええ、ちなみにですが、今でも魔力枯渇は日課となっていますね。

それで、次に正気を疑ったのは、身体を縛りあげられて川に投げ入れられた事でしょうか?

まあ、今となれば【循環する身体強化】を身につける為に必要な行為であると理解できるのですが、あの時はただただ正気を疑いましたね」


「……それ、なんていう体罰なのかしら?」


「その他にも、五歳になる頃にはゴブリンの巣の壊滅を実行させられましたし、迷宮都市で暮らしていたころは何度か死ぬような思いもさせられましたね。

中でもきつかったのは、ゴーレムを切断できるようになるまでダンジョンに軟禁されたことでしょうか?

毎日毎日毎日毎日……ゴーレムを切断する為の毎日は、正気を疑う以前に、僕の正気が失われそうでしたよ……

お、おっと、思い出したら手に震えが……」



 そこまで話すと、目に見えて表情を引き攣らせるシャリファさんとグレイスさん。

 僕はそんな二人の表情を見て話すのをやめようとも考えるのだが、話の途中で切り上げるのも失礼だと考え話を続行する。


 続行するのだが……



「迷宮都市を出た後も色々とありましたね。

例えば、敢えて過酷な道――というか道なき道を踏破させられたり、怪鳥が飛ぶ岸壁で野営を行ったり。

善意という圧力から逃れられず、毒草や毒虫を口にした事が何度もありました。それに――」


「はぁ……ふぅ……」


「グレイス!? お、おいグレイス! 大丈夫か!?」



 グレイスさんにとっては刺激の強い話だったようで、脱力するようにしてシャリファさんへとしな垂れ掛かってしまう。



「だ、大丈夫よあなた……す、少し目眩がしただけだから」



 しかし、そう言うとすぐさま姿勢を正したグレイスさん。

 僕の顔を覗きこみ、不安そうな表情を浮かべながら尋ねた。



「よ、他所の家庭に口を出すのは失礼だと分かってるんだけど……アルディノ君は大丈夫なの?」


「大丈夫なの? とは?」


「き、聞く限りだと常人では考えられないような苦行というか……随分と辛い目に遭ってるみたいだから」


「は、ははっ……た、確かに、両指では足らないほど辛い目には遭いましたね」


「だ、だったら――……ご、ごめんなさい。何でもないわ……」



 グレイスさんは何かを言いかけた後に謝罪を口にすると、途端に口を噤んでしまう。

 その為、僅かな沈黙が生まれしまったのだが――



「ま、まあ、確かに辛い目に遭ったことも確かですし、たまには愚痴りたくなる時があるのも確かなんですけど……

なんだかんだ言いながらも、僕はこの生活に幸せを感じているんですよね」



 その沈黙は僕自身が破ることにした。



「幸せ……を?」


「はい。先程は愚痴っぽい言い方をしてしまいましたが、僕の将来を案じた上での苦行である事は理解していますし、愛情ゆえだという事も充分に理解していますからね。

正直、人から見れば首を傾げたくなるような教育方針でしょうし、不器用な愛情表現なのかもしれませんが……

家族の無茶な注文に対して、僕が乗り越える事で答えるというのがひとつの愛情の形で、そのあり方に幸せを感じているんです」


「アルディノ君を信用してるからからこそ無茶な注文をする。

家族を信頼しているからこそ乗り越えられる――ということ……なのかしら?」


「そんな感じなんだと思います。

それに、先程も言ったように基本は過保護ですからね。

自分で無茶を言うわりには、何処かはらはらした様子で見守ってくれたり、無事に乗り越えた時なんかは自分の事のように喜んでくれて、満面の笑みを見せてくれるんですよ。

そんな家族の笑顔を見ると――抽象的かもしれませんが、やはり幸せだと感じてしまうんですよね」


「幸せか……さっきの話が衝撃的だったから心配しちゃったけど……

辛い事も幸せだと思えるような――そんな素敵な家族に育てられてきたのね」


「そ、そうですね。誤解させるような話ばかりして申し訳ありませんでした」


「こちらこそごめんなさい……アルディノ君の家族を疑う様な真似をしちゃって」



 そう言ったグレイスさんは頭を下げる。

 すると、それとほぼ同時に――


 ボーン、ボーン、ボーン。


 食堂の壁に掛けられていた時計が、九つほど鳴った。



「ふむ、もうこんな時間か……

遅くまで連れまわしていたらアルディノ君のご家族に怒られてしまうだろうし、名残惜しいが……この辺でお開きする事にしようか」



 時計の音を聞いたようで、会食を終える事を告げたシャリファさん。

 その事により、僕達は特に急ぐ訳でも無く、半分ほど残った紅茶をゆっくりと飲み干すと、身支度を整えてから席を立つことになった。






「料理も美味しかったですしとても楽しい時間を過ごさせていただきました。本当にありがとうございます」 


「お礼を言いたいのはこっちの方なんだがな……ともあれ、そう言って貰えるなら嬉しいよ」


「急なお誘いを受けてくれてありがとうね。

本当は迷惑かな? とも思ったんだけど、そう言って貰えて安心したわ」



 大衆食堂を後にした僕達は、そのような会話を交わしながら魔石灯に照らされた通りを歩く。

 どうやら途中まで帰り路が同じだったようで、それならばという事で並んで歩いているという訳だ。


 そうして、石畳をコツコツと鳴らしながら歩いていると。



「わっ!? きゃっ!?」



 魔石灯に照らされているとはいえ、夜道というものは充分に暗く、加えて石畳には多少のおうとつがあるからだろう。

 ノアが足元を取られてしまい、転びそうになってしまう。



「危なかったね? 大丈夫?」



 しかし、寸前のところで手を取る事に成功し――



「転んだら大変だし、このまま手を引いてあげようか?」


「うぇ!? えっと……その……お、お願いします!」



 僕はそのような提案をすると、ノアと手を繋ぎ、並んで歩くことになった。


 なったのだが……



「オ、オットー! ヨミチハアシモトガフアンダナ! コレハマイッタナー!」



 何故かフィデルが、メーテと同レベルの大根演技を披露し始める。



「ウワー! ツマヅイター!」



 更には、躓く素振りまで見せるのだが、実にわざとらしい。

 そんなフィデルの姿を見た僕は、いったい何を見せられているのだろうと考えるのだが……



「よ、夜道は足元が不安だよね? フィデルも手を繋ごうか?」


「べべべ、別にそういう意味で言ったんじゃないんですけど……お、お願いしても良いですか?」



 恐らくは、ノアだけ手を繋ぐというのがのけものみたいで嫌だったのだろう。

 僕が手を伸ばすと、恐る恐るといった感じで僕の手を握り返した。


 その事により、三人で並んで歩くことになった僕達。

 チラリと後方へと視線をやれば、シャリファさんとグレイスさんが微笑ましいものを見る様に目を細め、頬を緩めている。


 そんな状況だからだろう。

 僕はふと前世の家族の事を――こうして手を繋ぎ、親に見守られながら妹と夜道を歩いたことを思い出してしまい、思わず笑みを零してしまう。



「アル先輩? どうしてニコニコしてるんですか?」


「ん? こうやって二人と、手を繋いで歩けることが嬉しいからかな?」


「そ、そうなんですか!? で、でしたら! 手を繋ぎたい時はいつでもお声掛け下さい!」


「ず、ずるいお兄ちゃん! わ、私も! 私にも声掛けて下さい!」


「は、ははっ……そ、その時はお願いしようかな?」



 僕がそう返すと、繋いだ手にギュッと力を込めるフィデルとノア。

 僕は僕で、ささやかな感傷に浸りながらも、返事を返すように二人の手を握り返す。


 しかし、そうしている間にも着実に歩を進めていたようで――



「さて、私達はこの噴水広場を直進する訳だが……アルディノ君は右折するんだったか?」


「そうですね。僕の家はあっちなので」



 どうやら、お別れの時間が来てしまったようだ。



「アルディノ君。今日は本当にありがとう」


「私達も楽しかったし、二人がお世話になってるアルディノ君に会えて本当に嬉しかったわ。

図々しいお願いかもしれないけど、これからもフィデルとノアと仲良くして貰えるかしら?」


「い、いえいえ! こちらこそ本当にありがとうございました!

フィデルとノアは後輩ですし……図々しいかもしれませんが弟や妹のようなものです。

今後も仲良くできればと思っていますので、こちらこそよろしくお願いします!」



 そのような会話を交わすと、シャリファさんとグレイスさんは優しく笑みを零す。



「さて、噴水の元で話すというのもおつなものだが、これ以上拘束しては本当にご家族に怒れれそうだからな」


「そうね。ご家族が帰りを待っているでしょうし、早く帰してあげなくちゃね」



 そして、そう続けると――



「【さようなら】アルディノ君」



 グレイスさんはそっと僕を胸に抱いた。


 それは、僕の暮らしていた前世ではあまり馴染みの無い挨拶であったが、この世界ではごくごく普通の挨拶だった。

 流石に照れくささはあるものの、やはりごくごく当たり前の挨拶でしかなく、僕は慣れないながらもそっと抱きかえしたのだが――



「グレイスさん?」



 何故だろう?

 僕を抱きしめる腕は力強く、それでいてとても優しい。

 それは、まるで慈しむような、別れの挨拶には向かない慈愛に満ちた抱擁であり――僕が良く知る抱擁でもあった。


 正直、どうしてなのかは分からない。

 しかし、グレイスさんは僕の家族――メーテやウルフのように、前世での母親がそうしたように、抱きしめられている感じがした。


 ただ、それはあくまで僕の主観であり、勘違いしている可能性だってある。

 本来なら気には留めるものの、そういう人も居るのだろう。で片付けてしまったのかもしれない。


 だが、何処か落ち着くようなグレイスさん匂いや、背中越しに伝わる手のひらの熱。

 加えて、フィデルやノアと手を繋いだ時に感じた懐かしさ。


 そういった要素が相俟った結果なのだろう。



「―――――」



 気が付けばそんな言葉を口にしていた。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 一目見た瞬間、シャリファとグレイスは理解してしまった。

 この子は私の――私達のアルだという事実を本能で理解してしまったのだ。


 本当なら、この喜びを叫び、身体を使い表現したいところなのだろう。


 しかし、シャリファとグレイスは耐えた。

 抱きしめてやりたい。頭を撫でてやりたい。

 そんな思いをそっと胸に収めることで耐えてみせたのだ。


 何故なら、事前に自分達の正体を明かさないと決めていたから。

 たとえアル本人であろうと、今更親である事を名乗り出たところでアルにとっての弊害にしかならない。

 アルの事を考えた結果、フィデルとノアの両親として接することが、アルにとっての最善であるという決断を下したからに他ならない。



「そういえば自己紹介がまだだったね。

私の名前はシャリファ=サイオン。フィデルとノアの父であり、グルセル領を治めさせて頂いている者だ」


「その妻であるグレイス=サイオンよ。

よろしくね? アルディノ君」



 故に、シャリファとグレイスは平然を装いアルと接する。

 狼狽えそうになるのをグッと堪え、変わらない態度で接するように努めた。


 そうして、耐えるようにして平然を装い、会食を進めたシャリファとグレイスなのだが……

 目に映る全てに、涙が零れそうになる思いだった。


 こうして喋るんだ。

 こうして笑うんだ。

 こうしてフォークを持つんだ。

 魚の食べ方は少し下手なんだ。

 こうして、こうして、こうして――


 そのような思いを胸に抱きながら、平然を装っていた訳なのだが――

 流石に平然を装えない場面というのもある。



「迷宮都市を出た後も色々とありましたね。

例えば、敢えて過酷な道――というか道なき道を踏破させられたり、怪鳥が飛ぶ岸壁で野営を行ったり。

善意という圧力から逃れられず、毒草や毒虫を口にした事が何度もありました。それに――」


「はぁ……ふぅ……」


「グレイス!? お、おいグレイス! 大丈夫か!?」



 アルから聞かされた話があまりに衝撃的だった為、グレイスは一瞬だけ意識を失いかけそうになってしまう。


 しかし、それも仕方のないことなのだろう。

 愛しい我が子が、常人では想像し難い人生を送っていたのだ。

 自分にとやかく言う資格はないと自覚はしているものの、やはり衝撃的なもの衝撃的だ。



「よ、他所の家庭に口を出すのは失礼だと分かってるんだけど……アルディノ君は大丈夫なの?」



 従って、案ずるような言葉をグレイスは口にしてしまう。

 しかし、そんなグレイスの思いを他所に、返ってきた言葉といえば――



「――そんな家族の笑顔を見ると――抽象的かもしれませんが、やはり幸せだと感じてしまうんですよね」



 家族に対して信頼を置いている言葉で、グレイスは自分の浅ましさを嘆くことになった。


 実際、グレイスは理解していた。

 例え常人では理解できないような苦行だとしても、その裏側には確かに愛情がある事を。

 そうでなければ、こうも屈託なく笑えないし、そもそもに他人に愚痴を聞かせる――いや、愚痴と見せかけた家族自慢をする訳が無いのだ。


 だというのに、案じている事を隠れ蓑にして口にしかけてしまった。



「だったら――……『うちの子にならない?』」



 実際は「何でもないわ」という言葉で締めくくったが、本当はそう言いたかったのだろう。

 そう言わなかったのは、自分の浅ましさに気付いたからで、家庭に問題があるなら――という、大義名分があればと考えていた自分を嫌悪したからだ。


 グレイスは胸の内で嘆息する。



『シャリファに偉そうなことを言った割には、全然駄目じゃない』



 だが、誰が責められようか?

 一度は手放したことも事実だが、好き好んで手放した訳ではない。

 どうしようもない状況にあって、どうしても手放さなければいけない事情があったからだ。


 何度も行方を探し、何度も生きてはいないという事実を突きつけられたグレイスに対し、浅ましいからその思考を放棄しろという方が酷であるように思える。


 だが、グレイスはそれを自ら気付き自制してみせたのだ。

 それはきっと――アルを大切に思い、愛情があるからこそ自制出来たに違いない。


 ともあれ、その後も会食は続き、時計が九つ鳴ったところでお開きとなる。


 そうして会食を終え、大衆食堂を後にすると、サイオン一家とアルは魔石灯に照らされながら石畳を叩く。


 その際にも幾つかの雑談を交わした。

「試合を見に行くよ」だとか「応援してるわ」といった他愛もない雑談だ。


 しかしそうしていると、ノアが転びそうになるのをアルが寸前で阻止し、その流れからアルを真ん中にして、我が子たちが仲睦まじく手を繋ぐ形となる。



「あなた、この姿を見れただけで私は幸せだわ」


「僕もだよグレイス」



 その姿を見て、二人だけの間に聞こえる声で会話を交わすシャリファとグレイス。

 いつまでも眺めていたい。そのような気持ちにかられるのだが……


 何事も終わりが訪れるというのはこの世の理なのだろう。

 気が付けば、お別れを告げる予定の噴水広場へと到着することとなった。


 魔石灯の光を反射し、水飛沫がキラキラと光る噴水の前でシャリファとグレイスは話し掛ける。



「アルディノ君。今日は本当にありがとう」


「私達も楽しかったし、二人がお世話になってるアルディノ君に会えて本当に嬉しかったわ。

図々しいお願いかもしれないけど……これからもフィデルとノアと仲良くして貰えるかしら?」


「い、いえいえ! こちらこそ本当にありがとうございました!

フィデルとノアは後輩ですし……図々しいかもしれませんが弟や妹のようなものです。

今後も仲良くできればと思っていますので、こちらこそよろしくお願いします!」



 アルから返ってきた言葉は図らずも事実で、シャリファとグレイスはグッと息を飲むが、慌てるような表情は表に出さない。



「さて、噴水の元で話すというのもおつなものだが、これ以上拘束しては本当にご家族に怒れれそうだからな」


「そうね。ご家族が帰りを待っているでしょうし、早く帰してあげなくちゃね」



 そして、相変わらず平然を装うと、別れを切り出すのだが――

 シャリファとグレイスは、アルと会うのはこれが最後だと心に決めていた。


 実際、これからもフィデルとノアが仲良くして貰えるのであれば、会う機会はあるのかもしれない。

 しかし、会う機会を設ける事で、自分達が本当の両親である事がばれる可能性がある。


 そうなった場合、アルに迷惑を掛けてしまう事は確かで、二人はそれを是としなかった。

 正直、金銭面に関わらず様々な形で支援したいというのが本音ではあったのだが……

 素晴らしい家族が既にいる以上は、その考えすら自己満足でしか無く、自分達の存在など無にする事が一番であり、これ以上は会わない方が良いだろうと考えていたのだ。


 故にグレイスは口にする。



「【さようなら】アルディノ君」



 と。


 加えて抱きしめる。

 これが最後であると、自分に言い聞かせながら。


 グレイスは最後の抱擁を、体に、そして心に刻みつける。


 あんなに小さかったのにこんなに逞しくなって。

 私が知らない間に、すっかり男の子の身体になってたのね。

 どんな子を好きになって、どんな子と共に歩むのかしら?

 私は、それを見届ける事が出来ないけど逞しく育ってね。


 ――愛しているわアル。


 グレイスは、伝えるつもりの無い想いを――伝わる筈のない想いを抱擁に込めた。 

 それは自己満足の範疇に収まる我儘であったが、グレイスはそれで充分に満足していた。


 それと同時に、自分を褒めてもいた。

 多少狼狽える場面もあったが、今日という一日が、今後のアルにとって負担にならない事を確信していたからだ。


 だから微笑む。

 後は簡単なお仕事だ。


 アルを胸から解き放ち、「気を付けて帰るのよ?」といえばお終いだからだ。

 笑って十文字を口にすればいい、時間にしたって瞬きをするまでの時間でしか無いからだ。


 グレイスはそう思っていた。


 思っていたのだが――運命の悪戯か? それとも神様の思し召しかは分からないが……

 そういったものは時に厳しく、時に残酷で、そして慈悲深いのだろう。


 胸に抱いたアルの口から――



「――母さんみたいだ」



 欲しくて欲しくて堪らなかった言葉を引き出してしまう。


 瞬間――



「あ、あれ? な、泣かないって決めてたのに」



 ダムが決壊するかのように、グレイスの頬を涙が伝う。

 そして――ダムに貯まった水も、感情も、決壊した以上は吐き出すまで止まらないものなのだろう。



「アル! アル! アル!

会いたかった! ずっと! ずっとずっとずっと会いたかった! 会いたかった!」



 グレイスは事前にしていた誓いも。

 そして、恥も醜聞も関係無しに泣を流し、強く、ただただ強くアルを抱きしめるのだった。

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