第224話 転禍為福

 迎えた合宿最終日。



「アル! 昼飯も食ったことだし海に行こうぜ!」


「ちょ、ちょっと待って貰っても良いかな? もう少しで飲み終わるからさ」


「早く飲み干すにゃ! 今すぐ飲み干すにゃ!」



 食後に冷たい紅茶を楽しんでいると、ダンテとラトラに急かされてしまう。



「紅茶くらいゆっくり飲ませてやったらどうなんだ?」


「そうよ。そんなに急がなくてもアルは逃げないでしょ?」


「アルは逃げなくても時間は逃げるんだよ!」


「んにゃ! 合宿最終日だし我々に残された時間は少ないんだにゃ!」


「ってことだから、ちゃっちゃと飲み干して海で遊ぶぞ!」


「んにゃ! 海で遊ぶにゃ!」


「す、すぐ飲み干すからそんなに急かさないでよ」



 ベルトとソフィアからの援護はあったものの、結局はダンテとラトラに押し切られてしまい。

 僕は慌てて紅茶を飲み干すと、急かされるままに海へと向かうことになった。


 そうして海――正確には海沿いの岩場へと到着することになった訳なのだが……



「アル! ラトラに【重解】を使ってくれよ!」


「……【解放せよ】」


「おっ、軽くなったにゃ! じゃあ、今度はウチの技を見せてやるにゃ!」


「お手並み拝見と行こうかじゃねぇか」


「よ~く見とけよ~。んにゃにゃにゃにゃー!」



 僕が【重解】を使用すると、岩場から助走をつけて海へと飛び込むラトラ。

 中空で四回転ほど回転し、更に捻りを加えると、ドボンという音と共に水飛沫を舞い上がらせる。



「へっ、中々やるじゃねぇか……

アル! 次は俺に【重解】を掛けてくれ!」


「……【解放せよ】」


「うっし、軽くなったな! 次は五回転――いや、六回転の大技を見せてやるぜ!」



 そう言ったダンテは、ラトラと同じようにして海へと飛び込むのだが、【重解】が使用されているからだろう。

 驚くほどの跳躍をみせると中空で五回ほど回転し、着水と同時に水柱を上げた。


 ……どうやら、この遊びをしたいが為に、僕は急かされる羽目になったようだ。



「逞しいというか、何というか……」



 僕は、プカプカと海面に浮かぶダンテとラトラを眺めながら独りごちる。

 すると、そんな独り言を聞いていたようで、ソフィアが首を傾げながら尋ねた。



「逞しいってなにが?」


「えっと、世間的には闇属性魔法って忌避の対象でしょ?

それに、あまり知らない魔法を使用されるのって抵抗があると思うんだ。

それなのに、二人はそんな素振りを見せるどころか闇属性魔法を遊びに利用しちゃうんだから、なんだか逞しいと思っちゃってさ」


「ああ、そういうことね。

まあ、確かに多少の抵抗はあるのかもしれないけど――」


「けど?」


「ア、アルだから、抵抗なく受け入れてるんだと思うわよ?」


「僕だから……?」


「う、うん。私だってこの国で育ったんだから、闇属性魔法に対して多少の抵抗があるわ。

でも、風評は風評でアルはアルでしょ?

今までアルと接してきて、人となりを良く知っているからこそ、抵抗なく受け入れることが出来るんじゃないかしら?」



 そのような会話を交わすと、僅かに頬を染めるソフィア。



「……そ、それは私も同じだけどね」



 そう付け加えた後、プイッと顔を逸らした。



「そっか、ありがとうソフィア」


「べ、別にお礼を言う必要なんてないわよ」 



 ソフィアの話を聞いた僕は、お礼を伝えると共に頬を緩めさせてしまう。

 友人達に受け入れられた事を再確認し、変わらない態度で接してくれている事を実感したからだ。


 だからだろう。



「――よし、僕もダンテ達に参加ししてこようかな! ソフィアはどうする?」


「参加ってあの飛び込むヤツに? 確かに楽しそうではあるけど……」


「じゃあ、一緒に参加しようよ」


「んきゃ!? ちょ、ちょっと! 急に手を握らないでよ!」


「ご、ごめん。だ、駄目だったかな?」


「ベ、別にそういう訳じゃないけど……」


「い、今離すから――」


「だ、大丈夫! そのまま握ってて!」


「は、はい!」



 僕はついつい嬉しくなってしまい、その勢いでソフィアの手を引いてしまったのだが……



「仲睦まじいの良いことだとは思うが……僕が居ることを忘れちゃいないか?」


「へ?」


「あっ」 



 呆れ顔のベルトに指摘されたことで顔が熱くなるのを感じると、僕達は慌てて手を離すことになってしまった。






 その後も【重解】や【重槌】を利用した遊びは続けられた。


 まあ、【重槌】を利用した遊びに関しては、最後まで膝を着かなかった者が勝ちという遊びだったので、訓練と変わらないように思えてしまったのだが……

 当の本人達にとっては遊びの範疇だったようで、勝ち残ったダンテは嬉しそうにはしゃいでいた。


 しかし、そのようにして遊んでいると。



「つーかよ。【重槌】を使用されたらどう対応する?」


「そうだな……身体強化を使用すれば、ある程度は耐えられるようだが……」


「耐えたとしても動きは制限されるからにゃ~……

範囲を見極めて、避けるようにするのが一番にゃんだろうけど……」


「それが問題よね……大抵の攻撃魔法なら確認して避けることも出来るけど、【重解】や【重槌】はそれができないから厄介よね」



 気が付けば、闇属性魔法に対する対応方法を模索し始めていた友人達。

 木の枝を握り、砂浜に図を書きながら、真剣な表情を浮かべている。


 その姿は学生の本分を思い出させるもので、遊びと学びを両立する姿には尊敬の念を抱いたのだが……

 そう思う反面で、僕を負かす為の話し合いのようにも思えてしまい、なんとも複雑な気分になってしまう。


 しかし、だからといって一つの助言もしないというのは間違いなのだろう。



「闇属性魔法を相手にする場合があるかもしれないし、一応の対応策は教えておくべきかな?」



 僕はそのように考えると、友人達に対応策を伝えることにした。



「身体強化の要領で、目に魔力を留めて貰えるかな?」


「目に魔力を? こんな感じか?」


「出来たかな? じゃあ、あの流木があるところ良く見ててね?

じゃあ、いくよ――【押し潰せ】」



 僕が【重槌】を使用した瞬間、浜辺に転がっていた流木がグシャリと潰れる。



「んにゃ! なんかモヤモヤっとした輪郭が見えたにゃ!」


「ああ、陽炎のような輪郭が見えた後に流木が潰れたみたいだな……」


「見えたみたいだね?

【重槌】や【重解】なんかは発動前にちょっとした揺らぎが起きるんだ。

だから、そういった空間の揺らぎを避ける事で魔法自体も避ける事ができると思うよ?」


「揺らぎって……そんなん見極められる気がしねぇんだけど……」



 僕が対応策を伝えると、「無理言うな」と言わんばかりに顔を顰めるダンテ。

 実際、慣れが必要ではあるものの不可能なことではないので、そう伝えようとしたのだが――



「まあ、慣れるまで時間は掛かるかもしれんが、慣れてしまえば容易いことだ。

それに、大概の者は詠唱を用いる筈だからな。

詠唱を終える瞬間を見計らって注視すれば、更に難易度は下がるだろう。

【大地よ海よ あれは裁かれる者だ 彼の者に慈悲の槌を鳴らし給え】が【重槌】の詠唱となるから憶えておくんだぞ?」



 いつの間にか傍にいたメーテが、話を引き継ぐようにして対応策を伝えることになった。



「今言おうと思ってたのに……」


「ん? そいつは悪かったな。

だが、アルは無詠唱で使用するから詠唱までは頭に入ってなかっただろ?」


「ぐぬっ……た、確かにそうだけど……」


「だろ? それでは説明不足になると思って話に割りこませて貰った訳だ」



 メーテは「そう不貞腐れるな」と付け加えると、僕の頭をポンポンと撫でる。

 しかし、そのようなやり取りを交わす一方で、友人達はなんだか渋い表情を浮かべていた。



「理屈は分かるんすけど、慣れっすか……」


「慣れか……合宿が終わってしまえばアルディノも気軽に闇属性魔法を使えないだろうし、機会は限られてくるだろうな」


「そうにゃると、慣れるのは無理なんじゃにゃいか?」


「確かにそうかもね。でも、対応策が分かっただけでも十分な収穫じゃ無い?」



 どうやら、【慣れる】という部分に引っ掛かりを覚えているようで、友人達の反応には諦めが含まれている。


 そして、友人達の反応を受けたメーテはというと。



「確かにそうだな……そうなると、せめてもの手土産が必要か?」



 なにやら考え込むようにして呟き――



「慣れろと伝えておいて、何もしてやらんのは申し訳ないからな。

闇属性魔法を用いた手合わせ――アルの卒業試験を手土産にでもして貰うか」


「へ、へ?」



 僕に視線を送ると、ニヤリと笑みを浮かべた。








「……本当にやるんだよね?」



 太陽の照りつける砂浜で、眼前に立つメーテへと問いかける。



「ああ。遠慮なく掛かってくるといい」



 対して、簡潔な答えを出すと、不敵な笑みを浮かべながら手招きをするメーテ。 



「……はぁ。どうしてこうなったんだろう?」



 その姿を見た僕は、思わず気圧されてしまい、弱気な言葉を漏らしてしまう。

 しかし、そんな僕の心情など他所に、盛り上がりをみせる友人達。 



「アルとメーテさんの手合わせか……やべぇ、なんだかワクワクして来たわ」


「どのような手合わせになるのか? それを想像すると少しばかり興奮してしまうな」


「んにゃ! アルの本気も気になるし、メーテさんがどう捌くのかも気になるにゃ!」


「確かにそれは気になるけど……大きな怪我だけは避けて貰いたいところよね」



 遠巻きに聞こえる友人達の声は、随分と弾んでいるようだった。 



「まあ、メーテっちもその辺りは配慮するでしょ?

それよりも闇属性魔法を使用した手合わせを見る機会なんて稀なんだから、しっかり見て勉強しなさいよ?」


「確かに稀な機会ですからね……私も勉強させて頂こうと考えております」


「勉強熱心なのは良いことよね~。

メーテとアルが本気の手合わせをするのも久しぶりだし、呆気にとられて見逃さないようにしてね?」


「呆気にとられるって……どれだけ高度な手合わせをするつもりなのよ?

……っていうかウルフっち。なんだか美味しそうなのを持ってるわね?」


「これ? お魚とお芋を揚げたヤツなんだけどマリベルも食べる?」


「良いの? じゃあ、一つ頂こうかしら」


「はいどうぞ。あっ、皆の分もあるからお魚でもつまみながら手合わせを観戦しましょうか」



 更にはマリベルさんとミエルさんが会話へと加わり、ウルフがファストフードを配り始めたことで、何処か気の抜けた観戦ムードが出来上がってしまう。



「この雰囲気じゃ断る訳にもいかないか……」



 その様子を見た僕は、置かれた現状から逃れられないことを理解し、深い溜息を吐いてしまう。


 加えて――



「先程も伝えたが、これはアルにとっての卒業試験だ。

もし、私を納得させるような一撃を与えられなかった場合は――冒険者活動を認めるつもりはないから心して掛かるんだぞ?」



 そんな条件まで提示されてしまったのだから、溜息も深くなるというものだ。

 まあ、メーテの表情や声色から察するに、冒険者活動を認めないというのは取ってつけた条件のような感じもするのだが……


 ともあれ。

 状況が整ってしまった以上は手合わせをしないという選択肢は無いのだろう。

 僕はそのような結論を出すと、腰の剣に手を添えた。



「ふむ、どうやらやる気になったようだな?」


「それしか選択肢がなかったからね」


「成程な。だが、気付いているのか?」


「気付いてる? 何に?」


「自分の表情にだよ?」


「自分の表情?」



 メーテに指摘されたことで、僕は顔に手を当てる。

 すると、僅かに口角が上がっている事に気付いた。



「も、もしかして笑ってた?」


「ああ、楽しそうな表情をしていたぞ?」


「楽しそう……楽しそうか……」



 僕は、メーテに言われた言葉を口に出して繰り返す。

 しかし、口にしたところで楽しいという言葉は僕の中でピンとくる事は無かった。


 それも当然だろう。

 今までの手合わせで、メーテにまともな一撃を与えたことが無いのだ。

 だというのに、友人達に見守られる中、メーテに納得して貰う一撃を与える必要があるのだから楽しい訳が無い。


 楽しい訳が無いのだが……

 それはきっと本音でもあり、建前でもある。


 恐らく、僕は楽しさを感じ始めているのだ。

 久しぶりにメーテと手合わせを行うからか?

 それとも武者震い的ななにかか?

 正直答えは分からないが、その分からない何かが僕の口角を持ち上げさせたのだろう。



「これじゃあ……コーデリア先輩やオーフレイムさんの事をとやかく言えないな……」



 僕は、好戦的な一面があることに気付いて苦笑いを浮かべる。


 そして――



「いくよメーテ?」


「掛かって来いアル」



 本能のままに笑みをつくると、メーテの手招きを合図に砂を蹴った。



「まずは剣技から披露してくれるということか?」


「そういうことだね! ――ふっ!」



 僕はメーテとの間合いを詰めると、抜剣の勢いのままに剣を薙ぐ。

 メーテは無手であったが、それでも遠慮することなく全力で斬りつけた。

 何故なら――



「どうした? これでは蝿も殺せんぞ?」


「ぐっ……相変わらず無茶苦茶だよね……」



 親指と人差指で、剣の腹をつまみながらそう言ったメーテ。

 このような結果になると、半ば予想出来ていたからだ。



「この剣は五歳の誕生日に私が贈ったものだったな。

流石に十年近く使用しているとなれば痛みも目立つか」


「この子とは長い付き合いだし、色々あったからね! ――ふっ!」



 僕は力づくで剣を引き抜くと、引き抜いた勢いを利用して、裏拳を放つ要領で剣を振るう。



「そう来ると思っていたよ」


「がっ!?」



 しかし、僕の行動は読まれていたようで、正面を向いた瞬間に、顔を手の甲ではたかれてしまう。



「つッ! だったら――」



 僕は剣を左手に持ち替えて斜めに斬りあげる。

 これは布石であり、本命は無手である右手にこそあったのだが――



「これ見よがしに剣を持ち替えるんじゃない。

それでは右手が本命――【魔力付与】による無手の斬撃であることがバレバレだろうが?」


「い、いたっ!?」


 

 容易に見破られたうえに、指で額を弾かれてしまう。



「それなら――がはっ!? ぐっ!」


「次の行動に移るまでが遅い」


 

 更には、おまけといわんばかりに鳩尾に蹴りを喰らってしまい、その所為で砂浜に転がる事になってしまった。



「ほらほら、どうした? もう終わりか?」


「……終わる訳ないでしょ」


「だったら立って掛かって来るといい」


「い、言われなくてもそうさせて貰うよ!」



 僕は立ち上がると、剣を鞘に納める。

 別に諦めた訳ではない、戦い方を魔法主体に切り替える為だ。



「【押し潰せ!】」



 後方に跳ぶことでメーテから距離を取ると【重槌】を放つ。



「ふむ。そういえば闇属性魔法を用いた手合わせを見せるのも目的だったな。

では、闇属性魔法の応酬をするとしようか――【押し潰せ】」


「ぐっ!? 同じ魔法だっていうのに……」 



 実際、年季が違えば威力も違うのだろう。

 メーテの動きを【重槌】で鈍らせるつもりだったのが、逆に動きを鈍らされてしまう。



「【重解!】」



 ならばと考え、【重解】で重力を相殺しようとするのだが……



「逃がさんよ? 【押し潰せ】」


「う、嘘でしょ!? まだ重くなるの!?」



 相殺しようとするも、【重槌】の威力が増したことで膝を着く羽目になった。



「さてさて、アルはどう対応するつもりだ?」


「どう対応するって……こうなった場合、力づくしか……ないでしょ!」


「果たしてそれができるかな? できたら拍手してやろうか?」



 そう言ったメーテはニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべる。

 だが、結果的にはそれが僕の闘争心を煽ったのだろう。



「……絶対、拍手させてやる」



 僕はそう呟くと、身体強化の重ね掛けを限界まで施す。



「ぐっ……本当に無茶苦茶な威力だよ……」



 加えてそのような愚痴を溢しながらも負荷に耐え、一歩、また一歩と足を進める。



「はぁはぁ……どうだ!!」



 その結果、額に汗を浮かべながらも、どうにかこうにか【重槌】の範囲外へと出ることに成功した。



「ほう。やるじゃないか」



 僕が【重槌】の範囲外へと脱出すると、拍手を打ちながら短い言葉を漏らしたメーテ。

 恐らく、僕が脱出できるかできないか、ギリギリの威力だったのだろう。

 その言葉には感嘆が含まれているようだった。 


 だが、素直に喜んでもいられない。

 今だメーテを納得させるような一撃は与えられていないのだから、気を抜くような真似は出来ないだろう。

 僕は、そう自分に言い聞かせると、とっておきを披露することに決める。



「この魔法は見せた事がなかったよね? ――【黒雨石穿ッ!】」



 瞬間、僕達の頭上に小さな黒い球体が無数に浮かぶ。



「【穿てッ!】」



 僕が手を振り下ろすと、無数の球体は一筋の線となり地面へと降り注ぐ。

 その光景は、まるで雨が降っているようにも映るのだが……実際はそんな生易しいものじゃない。


 この【黒雨石穿】という魔法は【重槌】の応用で、重力がかかる範囲を雨粒大に圧縮したものだ。

 その威力は一粒一粒が岩を穿つほどで、言わば重力でできた槍のようなものである。

 しかも、それが無数に展開されているのだから、防ぐのも避けるのも容易なことでは――



「面白い魔法だが相手が悪かったようだな。【解放せよ】」


「はえ?」



 ……などと考えていたのだが、僕は間の抜けた声を漏らすことになった。



「何を呆けてるんだ?」


「えっ? だ、だって魔法が消えたから」


「当り前だろう? 結局は闇属性魔法であり、重さを操る魔法なんだ。

要は【重槌】を相殺するのとなんら変わらん。単純に重さを消してやれば無効化できるという訳だ」


「嘘でしょ?」


「嘘ではない。アルも見ていただろうが?」


「は、ははっ……」



 僕は思わず頬を引き攣らせてしまう。

 一目見て【重槌】の応用であると看破したこともさることながら、広範囲に展開された【黒雨石穿】を……相当な魔力を込めた魔法を容易に無効化されてしまったからに他ならない。


 加えて、メーテは当然のことであるかのように言っているが、そもそもそれが間違っている。

 広範囲に展開された【黒雨石穿】を完璧に把握した上に、それを上回る膨大な魔力を精密に扱かわなければ無効化することなど出来ないだろう。

 だというのに、メーテはさも当然のように言うのだから、頬の一つや二つくらい引き攣らせたくもなる。


 しかし、そんな歴然とした実力差をみせつけられてしまったからだろう。



「出し惜しみしている場合じゃないか……」



 雛型であり、不安は残るものの、取り敢えずの完成をみた魔法の使用を決断する。



「マリベルさん! アレをお願いします!」


「アレ? は!? まさか使う気なの!?」


「ええ! このままではメーテを納得させることができませんから!」


「た、確かにアレなら納得させられるかもしれないけど……今の魔力量で使えるの?」


「恐らくギリギリ……下手したら倒れますね!」


「倒れるってあんた……はぁ……

ああ、もう! ぶっ倒れたとしても看病しないからね!」



 マリベルさんは呆れるように溜息を吐くと、ポーチから皮の手袋を取り出して投げ渡した。



「ありがとうございます! ……というか待っててくれるんだね?」


「ああ、マリベルと何かやってたのは知ってたからな。所謂興味本位というヤツだ」


「後悔しないでよ?」


「ほう。随分と期待させてくれるじゃないか?」


「成功すれば……期待には答えられると思うよ?」


「成功? 失敗もあるということか?」


「今のところ、成功率は六割程度といったところかな」


「……本当に大丈夫なのか?」



 成功率が六割であると伝えると、不安そうな視線を向けるメーテ。

 そんなメーテの視線を受けた僕は、皮の手袋をはめると、ギュッと鳴らしてから剣の柄を握る。



「おや、剣を使うのか?」


「そうなるかな。――よし、これで大丈夫な筈」


「そうか。こちらも準備は整っているぞ」


「無防備だけど良いの?」


「構わんよ。私の【重槌】から脱出し、新たな魔法を見せてくれた事に対する褒美というヤツだ」


「そういう事なら……遠慮なくいかせて貰うよ?」


「ああ、どんな魔法であろうと受け止めてやる。安心して全力を出すといい」



 メーテはそう言うと、半身の姿勢で緩く構える。

 対して僕は深く腰を落とすと、手袋を通して剣に魔力を送り始める。



「ぐっ……」



 すると、一気に魔力が抜けていくような感覚に襲われ、僅かに膝が落ちてしまう。

 僕は足に力を入れることでどうにか耐えると、柄を握る手に意識を集中し、ありったけの魔力を剣へと送り込んだ。


 そして――



「名を断ち、名を転がせ――【転禍為福】」



 僕がそう口にした瞬間、メーテの前方に銀閃が走り、パキィンという音と共に剣が砕ける。



「失敗か? ――いや、これは!?」



 一瞬だけ眉を顰めたメーテ。

 しかし、すぐさま僕が何を行ったのかを理解したのだろう。



「ぐっ!? 無茶苦茶な真似をしおって! だが――【絶度氷壁ッ】」



 メーテは慌てた様子で魔法を構築すると、前方に氷の塊を生み出す。



「ちいっ! やはり防ぎきれんか!」



 しかし、氷塊は音も無く斜めに斬り裂かれ、ズシンという鈍い音と共に崩れ落ちた。

 その事により、後方へと跳んで大きく距離を取ったメーテ。



「ならば――【一人消え 二人消え 三人消えた】

【酒を汲み交わした友 殴り合った友 夢を語り合った友も消えた】

【私は穴を掘る 墓場に 公園に 大通りに】

【私は建て続ける 誰も居ないこの場所で 帰らないと知り 思い出に縛られながらッ!】

【禁忌経典一章五項ッ! 廃要塞の墓守主ッ!】」



 詠唱を口にすると、墓石のようなものをずらりと召還するのだが……



「なっ!? 禁忌までを斬ってみせるのか!?」



 墓石のようなものは一つ二つと斜めに斬り裂かれていき――



「ふぅ……まさか、これほどとは……」



 その数を半分ほど減らしたところで、メーテは安堵の息を漏らすことになった。



「アル……お前は斬ったのか?」



 メーテは主語の無い疑問を口にする。

 しかし、主語が無くても何を尋ねているのかは理解できていた。

 その為、主語の無い疑問に対して僕は答えを返す。



「斬ったよ……空間をね」


「やはりか……マリベルと転移について調べているのは知っていたが……

まさか、このような転用をしてみせるとはな……」


「ははっ……まあ、偶然の産物なんだけどね……」



 そう。僕が使用した魔法――【転禍為福】という魔法は空間を斬る魔法であった。



「本当は……【カシオス式短距離転移理論】の発想を元に、多くの物を収納できるような袋を作りたかったんだけど……

僕の魔力量じゃ空間を固定するのも無理だし……そもそもに固定できなかったからね……

でもその研究を進めている内に……一対の転移魔法陣を重ねて描いて発動すれば空間が歪むことがあってさ……

だから……それからはそれを研究の対象にしてたんだ……

それで、漸く最近完成したのが……さっきの魔法……って感じかな?」


「……成程な。察するに、その手袋が媒体という訳か……

というかアル? なんだかフラフラしていないか?」


「そうだ……ね。

今の僕では……使ったら魔力が空になるし……集中する所為か体力もごっそり削られちゃうからね……

だから……もう限界かも?」



 説明を終えると、どうやら限界を迎えてしまったようで、瞼が落ちると共に前のめりに身体が傾いていく。



「お、おいアル! だ、大丈夫か!?」


「だい……じょう……ぶ……寝れば……回復……するから」



 しかし、倒れる寸前でメーテに抱き抱えらたのだろう。

 石鹸と薬草が混じったメーテの匂いが僕を優しく包んだ。


 僕は、そんな優しい匂いに包まれながら最後の気力を振り絞って口を開く。



「ごめん……剣……壊しちゃった」


「……そうだな。

だが、十年も大切に使っていたんだ。あの剣も本望だろうよ」


「そうだと……いいな……」


「……おいアル? 寝てしまったのか?」



 そして、完全に意識が沈んでいく直前――



「それでメーテ、アルは卒業試験に合格したのかしら?」


「……愚問だな。一撃こそ与えられなかったものの、禁忌魔法を斬れる者がこの世に何人居ると思ってるんだ?

……うぐっ」


「確かに愚問だったわね。……っていうか泣いてるの?」


「な、泣いでなんがないわい!」


「な、泣いてるじゃない……でも、合格ってことは巣立ちを認めるようなものだしね。

そっか……あと半年もしたら静かになっちゃうのよね……」


「うるふ!! そういうごどをいうな! ……うぐっ」



 僕は頬に落ちる冷たさと、優しい匂いに包まれながら完全に意識を手放すのだった。

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