第218話 最後の合宿

 ――カラン。


 グラスに冷えた紅茶を注ぐと、グラスの中で氷が転がり涼しげな音を運ぶ。

 僕はその音に心地よさを感じると、もう一度氷を転がし、涼しげな音で耳を癒した。



「少し前までは過ごしやすい陽気だったのにな〜」



 僕はそう独りごちると、窓辺へと移動する。


 窓から空を見上げれば、眩しいほどに染められた青空。

 太陽はギラギラと輝いており、背の高い入道雲が稜線から伸びている。



「はぁ、今日も嫌になるくらいの快晴だな〜」



 窓辺に立っていると、照りつける日差しがじりじりと肌を焼き、額にうっすらと汗が滲み始める。

 僕は、首に掛けていたタオルで額の汗を拭うと、同じように汗をかいているグラスを口へと運んだ。


 ゴクリ、またゴクリと喉が鳴る。


 あと一口、あと一口飲んだらグラスを置こう。


 そうは考えるものの、冷えた紅茶が喉奥へと落ちていく爽快感。

 喉を鳴らす度に感じる、身体から余分な熱が奪われていくような清涼感。

 なんともいえない心地よさを憶えた僕は、それらの感覚に抗うことが出来ず。



「――ふぅ」



 結局は一息で飲み干してしまい、気の抜けた息を吐くことになった。


 そうして、空になったグラスで氷が転がる音を楽しんでいると――



「お前達、しっかりと荷物の確認はしたか?

今年で合宿も最後なんだから、忘れ物などして出だしから躓くような真似はするんじゃないぞ?」



 パンパンと手のひらを叩く音と共に、メーテの声が耳へと届く。


 その事により室内へと視線を移してみれば、メーテは勿論のこと、バックパックを担いだ友人達の姿が映る。

 更に室内を見渡してみれば、ウルフとマリベルさん。それにミエルさんの姿まで確認することが出来た。


 ――そう。メーテの言葉やこの面子からも分かるように本日は合宿当日。

 気が付けば暖かな季節は過ぎ去っており、日差しが厳しさを増していくなか前期休暇を迎えていた。

 そして、前期休暇を迎えればあっという間で、本日、学生生活最後となる合宿当日を迎えたという訳だ。


 迎えた訳なのだが……


 

「ちょっとメーテさん。ガキじゃないんだから忘れ物なんてしないっすよ?」


「家を出る時にしっかり確認をしましたからね。問題は無い筈です」


「んにゃ! 準備は万端にゃ!」


「えっと……歯ブラシも持ったし、着替えも用意したし……うん。忘れ物は無いと思います」



 最後の合宿とはいえ、三年目ともなれば気持ちにもゆとりが生まれるのだろう。

 友人達の言葉や表情からは、何処か余裕が感じられる。



「今年もあの地獄の日々が始まるのですね……

今年は参加しなくても良いって言っていたのに……テオドール様の嘘吐き……」


「さ、早速暗い顔してるわね……

このマリベルちゃんが、毎日美味しい料理を作ってあげるから元気出しなさいよ?」


 

 まあ、中にはこの世の終わりのような顔をしている人もいる訳なのだが……


 それは兎も角。

 メーテからすれば、そんな友人達――特にダンテの反応が面白くなかったようで。



「ほう。ダンテは随分と自信があるようだな。

では、忘れ物をしていた場合、一段と厳しい課題を用意することになるが構わんよな?」


「あら、それは良いわね。

合宿も今年で最後だし、忘れ物するような子には特別な課題を用意してあげなきゃね」



 ウルフとそのような会話を交わすと、二人揃って意地の悪い笑みを浮かべる。

 すると、その笑みを見たことによって、嫌な未来を想像してしまったのだろう。



「か、確認は大切っすよね! しっかり確認するっす!」


「そ、そうだな! 念の為にもう一度確認しておこう!」


「ん、んにゃ! そ、それが良いにゃ!」


「だ、大丈夫だとは思うけど……もう一回確認した方が間違いないわよね! うん!」



 友人達はバックパックを床に置くと、座り込んで荷物の確認を始めるのだった。






 それから少しばかりの時間が経過した頃。



「うし、忘れ物は無いな……い、いや、もう一度確認しとこう」



 余程【厳しい課題】を回避したいらしく、しつこいくらいに荷物の確認を行うダンテ。

 それは友人達も同様のようで、入念過ぎるほどに荷物の確認をしている。


 そして、そんな皆の様子を見ながら、注ぎ足した紅茶で喉を潤していると。



「うん。やっぱり忘れ物は無さそうね。

……というか、出発前なのに、何でこんなに疲れてるんだろ?」



 荷物の確認を終えたソフィアが、げんなりとした表情で呟く。



「はは、何度も荷物の確認してたし、加えてこの陽気だからね。

喉も渇いたでしょ? 冷えた紅茶を用意しといたよ」


「んっ、ありがと。ちょうど喉が渇いてたから助かるわ。

ああ〜、冷たくて気持ちいい」



 僕がグラスを手渡すと、頬にグラスをあてるソフィア。

 続いて口へと運ぶと、コクコクと喉を鳴らして半分ほど飲み干し。



「――はぁ、おいし」



 満足気に息を漏らすと、濡れた口元を指先で拭った。



「良い飲みっぷりだね?」


「そう? でも、さっきのアルの方が美味しそうに飲んでたわよ?」


「さっきのって……ああ、一気に飲み干したのを見てたんだ?」


「み、見てた訳じゃないし! た、たまたま窓辺を見たら目に入っただけよ!」


「そ、そうなんだ」


「え、ええ、偶然よ!

そ、それよりも本当に暑いわよね! こう暑いと汗でべたついて嫌になっちゃうわよね!?」



 ソフィアは偶然である事を主張すると、違う話題へと変えようとする。



「はぁ〜、暑い暑い」  



 更には僕から視線を逸らすと服の首元を引っ張り、風を送り込むようにしてパタパタと手で扇ぎ始めるのだが……



「ちょっ!? ソフィア!?」



 僕はその行動を見て、思わず大きな声を上げてしまう。



「き、急に何よ? 大声出されたらビックリするじゃない」


「ご、ごめん……そ、それよりも、そういう行動は控えた方が良いんじゃないかな?」


「そういう行動? 控えるって何をよ?」


「え、えっと……そ、そのパタパタするヤツをかな?」



 やんわりと伝えてみるものの、どうやら気付いていない様子のソフィア。

 しかし、そんなハッキリとしない返答がソフィアを苛立たせてしまったのだろう。



「パタパタ? ハッキリ言いなさいよ?」



 ソフィアの声に苛立たしさが含まれていくのだが……



「だからその……扇ぐと胸元が……」 


「胸元? ……あっ」



 僕が胸元と伝えると漸く気付いたようで、慌てて胸元を抑えると、上目遣いで睨みつけた。


 そう。僕が大きな声を上げてしまった理由。

 それは、ソフィアが服を引っ張った際に、胸元や赤い下着が見えてしまったからに他ならない。

 その為、僕は大きな声を上げると共に、やんわりと注意することにした訳だ。



「み、見たの?」


「ご、ごめん……僕の位置からだと少し見えちゃいました……」


「へ、へぇ……見たんだ?」


「す、すみません……反省してます……」


「べ、別にアルが謝る事じゃないわよ。私の注意が足りなかっただけだし……

でも、何でわざわざ教えてくれたの? 黙ってれば気まずい思いをしなくても済んだのに」


「へ? そ、それはそうかもしれないけど……ソフィアだって皆に見られたら嫌でしょ?」


「ま、まあ、それはそうだけど……っていうか、今なんて言ったの?」


「え? ソフィアだって皆に見られたら嫌でしょ? って言ったんだけど……」



 僕が故意に見た訳ではないことを伝えると、僅かに驚きの表情を浮かべるソフィア。



「ふ、ふぅ〜ん。ソフィア『だって』か〜」



 なにやら小声で呟くと、途端にニヤニヤとした表情を浮かべる。

 そして、いったい何がどうなったらそのような行動に繋がるのだろうか?



「ほ、本当に、汗でべたついて嫌になっちゃうわよね〜?」



 注意したばかりだというのに、首元を引っ張るとパタパタと扇ぎ始めた。



「ちょっ!? だ、だからそれはやめようよ!?」


「ななな、なんで? 私は皆に見られても恥ずかしくにゃい――な、ないわよ?」



 更には、そのような言葉を口にするのだが……それは間違いなく嘘だ。

 その証拠に、声なんかは上擦っているし、顔を見れば驚くほど赤くなっている。


 だというのに、パタパタと扇ぎ続けるソフィア。

 僕は慌てて目を逸らすのだが、パタパタと扇ぐ音が聞こえる所為で、先程見た光景をついつい思いだしてしまう。


 だからだろう。

 頬が次第に熱くなっていくのが分かり、少しでも熱を冷ます為に氷を口に含むのだが……



「そ、それで、何色だった?」


「げふっ!? ごふっごほっ!?」



 不意の質問に驚いてしまい、変に氷を飲み込んでしまった所為で大きくむせてしまう。


 そして、そんな僕の反応が面白かったのだろう。

 クスクスという小さな笑い声が耳へと届き――



「ほ、本当。熱くて嫌になっちゃうわよね?」



 微かに上擦った声は、何処か悪戯気に弾むのだった。






 ……その後。



「さて、荷物の確認も済んだようだな。それでは、そろそろ出発するとしようか。

……ところでアル? 随分と顔が赤いようだが?」


「な、何でもないから、気にしないで貰えたら嬉しいかも?」


「とはいってもかなり顔が赤いぞ? 本当に大丈夫か?」


「ほ、本当に大丈夫だから!」


「怪しいな……はっ!? ま、まさか風邪でも引いているんじゃないだろうな?

ど、どれ! 熱を計ってやるからおでこを貸してみろ!」


「季節の変わり目は風邪を引きやすいものね〜。

風邪だとしたら今日の夜は添い寝が必要かもしれないわね?」


「!? お、お利口! お利口だなウルフ!」


「……何故かしら? 褒められている筈なのに馬鹿にされている気がするわね……」


「ほ、本当に何でもないから! 早く出発しようよ!?」



 などというやり取りの所為で、尚更、頬を熱くする羽目になってしまった。

 ……際先の悪い出だしある。

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