第212話 メアレス=ファレス

 メーテの話を聞いて、僕は下唇を噛む。


 何故メーテが長い時間を生きることになったのか?

 その原因が【賢者の石】であり、切っ掛けが母親の病を治す為だと知って理不尽に感じたからだ。


 メーテはただ単純に、病床の母親を救いたかっただけなのだろう。

 確かにメーテの求めた物は、人の手に余る、人の理から逸脱した物だったのかもしれない。

 しかし、根本にあったのは母親への愛情。大切な人を救いたいという優しさだったのだ。


 だというのに、メーテに残されたのは母親の死という現実と、悠久とも呼べる時間。

 メーテという人物に育てられ、その人柄を理解している僕からすれば、酷い皮肉のように思えてしまった。


 救いたい命を救うことが出来ず、自分だけが悠久の時を生きる。

 それは、親しい人を見送り続ける人生――酷く寂しく、辛い人生でもあったのだろう。


 だから――それでもメーテは人との繋がりを求めた。  

 しかし、そんなメーテを待ち受けていたのは、やはり辛い現実。


 優しさゆえに、【禍事を歌う魔女】という不名誉を被ることになり。

 優しさゆえに、安息地ともいえる居場所と【始まりの魔法使い】という誉れを捨ててしまった。


 そして、メーテが選択したのはひっそりと生きるという事。

 まるで、世界から隔絶するようにして始めた【魔の森】での生活。


 もしウルフに出会わなければ――

 もし僕があの森に捨てられなければ――


 メーテは生きる為に最低限の人との関わりだけを持ち、悠久の時を生きていたのかもしれない。


 ……これはあくまで僕の想像でしかない。

 しかし、大きく外れてはいない想像なのだろう。


 そして、そんなメーテの人生に思いを馳せると、どうしても胸が苦しくなった。



「メーテ……」



 僕は力無く言葉を漏らす。



「アル。そんな悲しそうな顔をするな?

確かに虚しく感じる時も多々あったが、それなりに充実もしてたんだぞ?

なにせ時間だけは無駄に与えられていたからな。

好きな魔法について探究できたし、それなりの人付き合いもしてきた。

まあ、やはり親しい友人を見送るのは寂しいものがあったが……それにも慣れてしまったしな」



 メーテは僕の表情を見て、その内心まで察したのだろう。

 普段と変わらない様子でそう言ったメーテだったのだが……

 『慣れてしまった』。その言葉が、僕の心を深く抉ることになった。



「メーテ……」



 僕は再度、力無く言葉を漏らす。

 メーテには幸せになって貰いたい。

 そう考えるものの、メーテにとってなにが幸せであるのか答えが出せなかったからだ。


 そして、そのように考え、自分の不甲斐なさを悔いている時だった。



「【賢者の石】……それぎゃあれば……ぞれをッ! ぼぐによごぜッ!!」



 仮面を被っていることにより、息苦しさでも感じたのだろうか?

 【落書き】は鬱陶しそうな様子で仮面を外すと、地面へと叩きつける。



「ほう、そのようなツラをしてたのか?

人当たりの良さそうな顔立ちをしているようだが……見た目では判断できないという良い事例なのかもしれないな」



 メーテの言葉は的確だった。

 目こそ血走ってはいるが、それを除けば好青年といっても差し支えのない顔立ち。

 どことなく爬虫類のような印象は受けるものの、とても悪事を働くような人物には見えなかった。


 しかし、現実は違う。

 この男はエイブン達を……学園都市に生きる多くの人達の命を奪ったのだ。

 メーテが言うように、見た目だけで判断できないという典型的な事例なのだろう。



「ふむ、素顔を晒すとは形振り構っていられない――余程【キメラ化】に怯えているようだな?」


「うるざいッ!! それをッ! それをはやぐよごぜッ!」



 メーテが尋ねると、声を荒げる【落書き】。

 それと同時に地面を蹴り、メーテへと襲いかかろうとする。


 だがしかし――



「やらせる訳ないでしょ?」


「ぐげっ!?」



 僕は二人の間へと割って入ると、【落書き】の腹部へと蹴りを放つことで、その動きを止める。



「邪魔をッ!! 邪魔をずるなッ!!」



 【落書きは】更に声を荒げると、大振りな動きで殴りかかる。


 しかし、大振りであることに加え、元から体術が得意では無いのだろう。

 体術における【理】が備わっていない拳など避けることは容易で、大きく空振った【落書き】の拳は、僕の髪を僅かに揺らすだけに終わった。



「なら魔法ぎゃあるッ! 魔法ぎゃ……詠唱ぎゃ……あれ?」



 【キメラ化】が進行した影響だろうか?

 どうやら、詠唱の一文が抜け落ちてしまったようで、困惑した様子の【落書き】。


 その姿を見た僕は、哀れだと思う一方で。

 このまま【キメラ】と化すのであれば――そう考えると一つの決断を下した。



「貴方はお終いです……

どれ程の猶予があるかは分かりませんが、遠くない未来に【キメラ】になるのだと思います」


「ぼぐは……キメラになんでならないッ! 【賢者の石】ざえ奪えればッ!!」


「それを僕が許すとでも?

それは在り得ませんし、僕をどうこう出来たとしても、貴方の実力ではメーテから何ひとつ奪うことは叶いません」


「うるざいッ! ぼぐは……ぼぐには……まだまだやりだい実験があるんだッ!!」



 落書きは再び襲い掛かるつもりなのだろう。

 腰を僅かに落とし、前方へと身体を傾けるのだが……僕はそれを許さない。



「【泥沼】」


「ふぎゃっ!?」



 【落書き】の足元へと瞬時に【泥沼】を展開すると、襲い掛かる機会を奪った。



「なんでッ!? 邪魔をするんぎゃ!?」



 左足の自由を奪われた形で疑問を口にする【落書き】。


 僕からすれば、メーテを守ろうとする事は当然のことだし、見過ごすなんていう選択肢など皆無だ。

 その疑問には答える価値は無く、答える必要性すらも感じられなかった。


 従って、僕は代わりの言葉を――先程した決意を疑問の答えとして返すことにした。



「――僕は今から貴方を殺します。

正直【キメラ化】したら貴方の意識がどういった状態になるのかは分かりませんが、詠唱を忘れた事を考えれば、記憶さえ失ってしまう可能性が高いのでしょう。

ですが……僕はそれを是としません。

貴方は悔いるべきだ。エイブン達を。子供達や学園都市の命を無碍に奪ったことを。

だから――僕は貴方を殺します。まだ、人の意識がある内に」


「ぼぐを……ごろず? 嫌だッ! ぼぐはまだ死ねないッ!」



 悲痛な訴えを無視して僕は剣の柄を握る。


 そして――



「最後の瞬間――悔いてくれることを願いますよ」



 僕は【落書き】の胸に狙いを定めて剣を抜いた。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 白刃が迫る中、【落書き】ことメアレス=ファレスは凝縮した時間を体感していた。



『嫌だ! 死にたくない!』


『僕はまだ終われない!』


『まだまだやりたい実験があるんだ!』


『あの女が持つ石さえ奪えれば!』


『なにか! なにか現状を打破する為の案がある筈だ!』



 白刃が胸へと届く時間を考えれば、そのような思考をする猶予すら無い筈だ。


 しかし、現にメアレスはそのように思考を巡らせており、加えて、脳内を駆け巡っていたのは幼少期からの記憶であった。






 ――メアレスは農夫の父と、専業主婦の母の子として生を授かった。

 ごくごく一般的な家庭でメアレスは育つことになったのだが、少しだけ他の家庭とは違う部分もあった。


 それは、メアレスを出産した際、両親の年齢が三十を超えていたということ。

 二十代前半ですら行き遅れと揶揄されるこの世界では、三十を過ぎての出産は稀な事であった。


 だからだろう。

 誰よりも不妊に悩み、周囲の視線に耐えてきたメアレスの両親は、懐妊を知った際には狂ったように喜び、メアレスが生まれた際には泣き崩れ、過呼吸に陥ったほどだ。


 故に、メアレスは両親の溺愛される形で幼少期を過ごす事になるのだが……それも長くは続かなかった。


 

「あなた、二人目が出来たみたい」


「ほ、本当か!? でかしたぞ!」



 メアレスが性を授かってから三年後。

 メアレスは兄となるのだが、それと同時に両親の関心はメアレスから薄れていく。

 そして、それは弟が成長していくにつれ、それは顕著になっていった。


 何故なら、メアレスという少年は生まれながらに病弱であったからだ。

 そんなメアレスに対して、弟は健康的に実にすくすくと成長し、両親の関心は弟へと移っていく。


 これが、別の家庭であればそうはならなかったのだろう。

 メアレスにとって不幸だったのは、身体が資本となる農家に生まれたという事。

 病弱なメアレスより、健康な弟に目を掛け、跡取りとして育てようと両親が考えたのも仕方が無いことだったのかもしれない。


 そんな生活を送る中、気付かない内にメアレスは不満を募らせていた。

 お気に入りの絵本も、使いなれたクッションも、両親から注がれる愛情すらも。

 それは僕のもので、僕の居場所だったんだ。


 弟さえいなければ……


 メアレスは暗い感情を抱くと共に、劣等感を憶えながら幼少期を過ごすことになった。


 そんなメアレスに転機が訪れたのは、八回目の誕生日を迎えてすぐのことだった。

 メアレスが育った場所では、碌な教育施設が存在していなかったが、有志が集まり近所の教会で子供達に簡単な勉強を教えることをしていた。


 勿論、メアレスも参加しており、同年代の少年少女と週に二回の勉学に励んでいた訳なのだが……

 とある日を境にして、メアレスの非凡さが衆目へと伝わることになる。



「今日はいつもの森で動物さん達の観察をしましょうね〜。

お絵かきでもいいし、気付いたことでもいいから、次の勉強会で発表して貰いますからね~」


「「「「は〜い」」」」



 訪れたのは、木の実や薬草が豊富に育つ村はずれの森。

 豊富な実りを目当てに様々な動物が訪れ、動物達と触れあえるその森は憩いの場でもあった。



「わ〜うさちゃんだ! かわいいね〜」 


「リスが団栗食べてるよ! ほっぺがぱんぱんだ!」



 年齢に見合った反応をする友人達。

 友人達が動物達の姿に頬を緩ませている中、メアレスだけは違う思考を持ち合わせていた。



『なんでウサギの耳は長いんだろう?』


『なんでウサギの目は赤いんだろう?』


『なんで鼻をひくひくさせているんだろう?』



 兎にも角にも、メアレスの頭の中に浮かんでいたのは疑問、疑問、疑問。

 そして、疑問に思うことがメアレスの非凡さであり、それを疑問のままにしておけないのがメアレスの逸脱した部分でもあった。


 後日、友人達が動物の絵を発表したり、この動物は何が好物であるかなどを発表するなか、メアレスだけは視点の違う発表をした。



「ウサギの耳は物音を聞き逃さない為に大きく成長したんだと思います。

それに、ウサギはあまり体温調節が得意じゃないようなので、大きな耳を外気に当てることで、血を冷やし、体温の調節しているんだと考えられます」



 それは発表というよりかは、ウサギという生き物に対する研究報告。

 あまりにも大人びた報告に、友人を含め大人達も呆気にとられてしまったのだが……



「す、凄い! メアレス君はまるで研究者のようだね!」



 メアレスの研究報告に対して、大人達は惜しみない賛辞の言葉を送った。


 加えて、お世辞にも大きいとはいえないような村だ。

 その噂は瞬く間に広がっていき、その日の内には両親にまで伝わることになる。


 その結果、両親がメアレスに投げかけた言葉はというと――



「農夫の俺からこんなできの良い子が生まれるとはな! 俺はお前が誇らしいよ!」


「本当ね。もしかして種が違ったのかしら?」


「はぁ? お前冗談でも言って良い事と悪いことがあるだろ!?」


「冗談よ冗談。昔も今も愛しているのは貴方だけよ」


「ったく……焦らせるなよ……」


「ふふっ、ごめんなさい。

でも、本当に誇らしいわ。無理してでも学校に入れてあげるべきかしら?」



 メアレスを讃える言葉と、最近では向けられることも少なくなっていた両親の笑顔。

 そして、その笑顔はメアレスに多大な多幸感を齎し――褒められる。又は認められるという快感を深く植え付けた。


 ……実際、メアレスは研究報告をする為に何匹ものウサギで実験を行い、犠牲にした。

 それは非難されるべき事実であったが、それに気付かなかった両親や大人達は手放しで褒めてしまったのだ。


 故に、メアレスは理解する。



『ああ、こうすれば認めて貰えるんだ。皆に褒めて貰えるんだ』



 と。


 以後、メアレスは研究というものに快楽を見い出し、傾倒していくのだが……

 その対象がより大きく、身近な生き物へと辿り着くのに対して時間は掛からなかった。



「メ、メアレス……お、お前なにしてるんだ?」


「へ? なにって研究ですよ? マルスが病気だっていうから、同じ症状の子を調べてるんですよ」


「マ、マルスの為だっていうのか……」


「そうですよ?」


「は……ははっ……」



 場所はメアレスの実家にある納屋。

 マルスというのは弟の名前。

 そして、父親の目に映っていたのは、近所に住む男の子の腹部が無残にも切り開かれている光景だった。


 我が子の鬼畜ともいえる所業。

 良識のある者であれば自首をし、罰を受けるという選択肢を選んだのろう。

 しかし、メアレスの父親はソレをしなかった。

 小さな村だ。我が子が鬼畜のような所業をしたとなれば村八分は免れない。

 だから周囲に悟られないように子供の亡骸を解体し、養育していた豚に、餌として与えることで隠蔽したのだ。


 それと同時に、父親はメアレスを王都へと送ることを決意する。

 村人達からは優秀な子供として評価されていたのだ。

 金銭的に厳しいものがあるのは確かだが、王都にある研究機関の年少部に送ったとしても、親の贔屓目からメアレスを送りだしたのだと判断し、村人達も疑わないと考えたからだ。


 それは、我が子に対する恐怖であったのか?

 それとも我が子を守ろうとする親心かは分からないが……メアレスは王都へと送られることになった。


 その後、メアレスは王都の研究機関の年少部に所属し、暫くの間王都での生活を送ることになる。


 しかし、元来の気質ゆえだろう。

 疑問を疑問のままにしておけない性格と、同年代でも逸脱した思考の持ち主であったメアレスは、徐々に孤立していく。


 その際にメアレスの胸を占めたのは承認欲求。

 なんで僕の言うことが分からない? なんで僕の研究を理解しようとしない?


 だが、それも仕方が無いことなのだろう。

 メアレスが唱えたのは、研究の為なら犠牲はやむなしといったもので、倫理から外れたものが多くあった。


 それは時代が時代であったのなら重宝された考え方なのかもしれないが……

 この時代は戦争なども無く、平和な時代であったことに加え、メアレスが所属していたのは研究機関という名の育成機関でもあった。


 それでも、一部の大人達はメアレスを評価した。

 しかし、育成という側面から見れば、メアレスの考えは到底受け入れられるものでは無く、ゆえにメアレスは孤立していく羽目になった訳だ。


 そして、そんな周囲の反応を受けてメアレスは不満に感じていた。


 ウサギの研究報告をした時のような大人達の反応。

 その際に送られた、両親からの称賛と笑顔。

 あの時のような多幸感を、この場所では得られないだろうと理解したからだ。


 だからだろう。メアレスは袂を分かつ。


 それからは己の望むままに研究に没頭した。

 その中でも特に精を出したのは【賢者の石】という存在。


 【賢者の石】を生成できたのであれば、嫌でも皆が自分を認める。

 あの日感じた多幸感を、再び味わうことができる。


 そう考えたから【賢者の石】の生成にこだわったのだ。

 自分という存在が認められる。その快感に酔いしれたいが為に――






 白刃が迫る中、メアレスは切に思う。

 死にたくないと。


 だが、同時に理解もしていた。

 自分の意識が書き変わっていく感覚。

 近い未来、自分の意識が消失すると共に【キメラ】へと成り下がってしまうのだと。


 それを理解していたからだろう。



『どうせ【キメラ】に成るのであれば、このまま殺され方がマシだ。

捕縛されたた場合、誰かの実験に利用される可能性がある。

ならば、誰かが僕を踏み台にして称賛されるのならば、死んだ方が何倍もマシだ』



 死にたくは無い。

 その考えは根底にあるものの、利用される可能性を考えれば、死というものを否とはしなかった。


 加えてメアレスは思い浮かべる。



『懺悔なんて欠片ほどしてやるものか。

僕の命を奪えるものなら奪ってみるがいい?

今の僕にとって、それは罰では無い。ある意味で救済でしか無い!』



 懺悔どころか、反省の余地もない言葉を。


 そして、そんな思考へと辿り着いたからだろうか?

 安堵の表情を浮かべると、白刃が迫る中、ほくそ笑むようにして――



『ざまぁみろ』



 胸の内でそう呟くのだが。



「――今、ホッとしましたよね?」



 メアレスの目に映った少年は、そう言うと共に白刃を止めた。 






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆





 僕が胸を突こうとした瞬間、【落書き】は安堵するかのように口角を上げる。


 僕はその表情を見た瞬間、剣の軌道を逸らして【落書き】の肩を突いた。



「ひぎっ!?」



 苦悶の声を漏らす【落書き】。

 僕は剣から手を離すと、思いっきり【落書き】の顔面を殴りつけた。



「ぎゃふっ!?」



 手がビリビリと痺れる。

 砕いた前歯が拳に食い込んだのだろう。

 拳にズキリとした痛みを憶えるが、僕はそれを無視して、もう一度【落書き】の顔を殴りつける。


 ゴキッ。


「ひぎゃ!?」


 バキッ。


「げぶッ!?」


 ガキンッ。


「ひうっ!?」



 拳を振るう度に、痛みと気持ちの悪い感触を憶えるが、それでも僕は手を止めない。


 何故なら――



「なんでッ!? なんでそんな安心した顔が出来るんだよッ!?

ふざけるなッ! エイブンの! ビッケスの! シータの命を奪っておいて、何でそんな顔が出来るんだッ!!」



 【落書きは】悔いるどころか、こともあろうに安堵するような表情を浮かべたからだ。



「ひぐっ!? ひゃぐっ!?」



 拳を振るう度に、周囲に血を撒き散らす【落書き】。

 それでも僕は、拳を振るうことを止めなかった。



「みんな良い子だった! 知ってるか!? いや! 知らないんだろうね!

だったら教えてやるッ! エイブンは騎士になりたかったんだ! 故郷は魔物の被害が多い場所だから、自分が偉くなって近くに駐屯地を作るのが夢だったんだ! 夢の為に頑張ってたんだ!」



 僕は転倒した【落書き】に跨り、拳を振り下ろす。



「ビッケスは自分の家が落ち目だって言ってた!

その所為で両親は喧嘩が多くて……だから、ビッケスが宮廷魔術師になることで家督の復興――家族が笑いあえるようにしたいって言ってたんだ!」



 感情のままに殴っていたからだろう。

 身体強化も忘れていた為に、中指が折れた感触が伝わる。



「シータだってそうだ!

『普通の恋愛だってしたいし、もっと自由に生きられたらな〜』って言ってた!

だけど、あの子は戦略結婚を受け入れてた!

自由に生きたいけど、やっぱり家族は大事だし――そう言ったシータの優しさがお前に分かるかッ!?」



 僕は身体強化を拳に施す。

 コレを振りおろしたら間違いなく【落書き】の命を絶つことになるのだろう。



「ア、アル!!」


「ソフィア、黙って見届けるんだ」



 焦るソフィアの声。ソレを止めるメーテの声。

 そんな声が聞こえる中、僕は拳を振り下ろした。


 バキン。


 何かが割れるような音が響き――



「も、もう……やめでぇ……」



 次いで、【落書き】の声が響いた。


 僕が砕いたのは【落書き】の顔面では無く、渇いた地面だった。  

 僕は荒ぶる心を落ち着けるように息を吐くと、跨っていた【落書き】の上から身体をどける。



「……僕は貴方を殺しません。

死の際まで、悔いや懺悔を感じることができなかったからです」



 正直、殺してやろうかとも思った。

 だが、僕はソレをせずに、それよりも残酷な決断を下す。



「だから――貴方を捕縛します。

きっと、その方が貴方にとっての罰になる筈だから」



 【落書き】は目を見開く。



「ひゃだ!! こ、ごろずならごろぜッ!!

ひどおもいにごろじでくでッ!!」


「駄目です」



 このまま捕縛した場合、尋問に拷問。

 そのまま極刑に処されるなら良い方で、下手したら研究対象として扱われるかもしれない。

 それはとても非人道的で、前世での理念を持ち出すのであれば、許し難いことなのだろう。


 だが、僕はそれを選択する。

 これは感情論だ。

 残酷な選択だと理解していても、今際の際にみせた表情を、どうしても許すことができなかったのだ。



「アル、それで良いのか?」


「……ここで殺したとしても、それは【落書き】にとっての慈悲でしか無いんだと思う。

今回の件に関しては、慈悲を与えられるほど穏やかではいられないし、広い心じゃいられないよ」


「そうか。アルがそう言うのであれば文句は言わないが……

あまり背負い込むような真似だけはするなよ?」



 その言葉に少しだけドキリとしてしまうが、それを表に出さないようにして返事を返す。



「ありがとう。大丈夫だよ」


「そうか」



 【落書き】の死を背負うつもりはない。

 しかし、残酷な決断をした事は少なからず、しこりとして心に残るのだろう。


 そのような事を考えながらも――



「【紫電】」


「ひぎゃっ!?」



 それを受け入れると共に、【落書き】の意識を奪った。







「前後関係は不確かではあるが……これで一応の終息を迎えることができそうだな」


「うん……そうだね」



 僕はベルトを利用して、意識を失った【落書き】を拘束していく。そうしていると――



「アル。後輩の死は辛かったか?」



 メーテが当然の質問をする。



「辛かったよ……ヤーがいなければ精神が駄目になるほどにね……

というか、その質問ってちょっと意地悪じゃない?」



 そう。意地悪だ。

 そんなこと言わなくても分かる筈だし、敢えて尋ねることではない。

 そう考えると、少しだけ機嫌を悪くしてしまう。


 すると。



「ちゃんと泣いてないんじゃないか?」



 そんな言葉をメーテから投げかけられる。


 それで気付いたのは、エイブン達の亡骸を目撃してから泣いていないという事。



「……泣かないよ。僕は先輩だしね。

格好良いところ見せないと、エイブン達も安心できないでしょ?」



 だけど、僕は涙を見せない。

 僕が口にした様に、情けない姿を見せてはエイブン、ビッケス、シータが安心出来ないと思ったからだ。


 しかしメーテとウルフは言う。



「無理をするな。悲しい時は泣く。それも一つの弔い方だ」


「アルは泣き虫だものね? 無理はしなくていいのよ?」


「泣かないよ? さっきも言ったでしょ?

格好良いところ見せないとエイブン達が――あ、あれ?」



 二人の言葉を否定した筈なのに、何故か頬に水滴が走った。



「あれ? おかしいな? なんでだろ?」



 袖を頬を拭うのだが、それは一向に止まる気配は無い。



「無理に感情に蓋をするな。

泣きたい時は声を出して泣けば良い。ここにはそれを笑う者も居ないからな」


「そうよ。それにソフィアも。

色々と気を張って大変だったでしょ?」


「ベ、別に私は……」


「じゃあ、私からのお願いだ。

こう長く生きていると、泣きたいと思った時に上手く泣くことができないんだ。

だから、私の代わりに泣いてくれないか?」


「そう言われても……あ、あれ?」



 メーテの言葉が切っ掛けだったのか?

 それとも、張り詰めていた糸が切れてしまったのだろうか?



「うぐっ……ひぐっ……うわぁああああああん」



 声を出して泣きじゃくるソフィア。

 そして、そんなソフィアに感化された――いや、それ以前に感情という器が満ち満ちていたのだろう。


 僕とソフィアは、満ちた器を溢れさせるようにして声を上げて泣いた。






 こうして、後に【魔石事変】と呼ばれる事件は終息へと向かう。

 多くの悲しみと、多くの惨劇を呼んだこの事件は、主犯格であるメアレス=ファレスの捕縛と、ウディ=ボーンとジュリエット=ボーンの死をもって終息を迎えるのであった。

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