第211話 メーティー=メルワ―ル
「そ、そうだ! お前達! 僕の仲間になれ!
そうしたら永遠の命をくれてやるぞ!? この【賢者の石】でな!」
そう言ったのは【落書き】。
その手には赤く染まった魔石――まるで血を煮詰めたような、どす黒い赤の魔石が握られている。
「どうだい? 永遠の命を欲しいとは思いませんか!?」
更にそう続ける【落書き】だったのだが……
「誰かがこちらに向かってるのは分かっていたが、やはりヤーだったか」
「それに、ソフィアも一緒なのね? 二人も抜けちゃって向こうは大丈夫なの?」
メーテとウルフは【落書き】の言葉を受け流し、姿を見せた僕達に対して声を掛けた。
「うん、向こうは大丈夫そうだよ。
っていうか……メーテとウルフにも迷惑かけちゃったね……ごめん」
僕が謝罪を述べると、それで全てを理解してくれたのだろう。
「そうか、戻ることができたんだな。ヤーには感謝を伝えたか?」
「心配はしたけど、アルなら乗り越えてくれると信じてたわ。
それと……一皮剥けた感じもするわね? 【キメラ】に止めを刺すことができたって事かしら?」
二人は見透かすような言葉を並べると、僅かに笑みを溢す。
「うん……止めを刺してきたよ。
正直、後味は悪いし、出来ることなら命を奪いたくないっていうのが本音だけど。
だけど……この世界に生きるって決めた以上は、その時が訪れたのなら僕は迷わないよ」
そして、僕がそのように伝えると、二人は懐かしむように目を細めた。
「そうか……時の流れとは早いものだな。
幼く、泣き虫だったアルも、難しい決断をできるような年齢になったのだな」
「そうね。出生が出生なだけに心配だったけど……人の成長は早いものよね?」
「ああ、早すぎるくらいだよ……」
「……本当ね」
懐かしさ。それと共に何処か物悲しさを感じさせるメ二人。
その所為か、何処かしんみりとした雰囲気になってしまうのだが――
「というか……そろそろ下ろして欲しいんだけど?」
小脇に抱えられたソフィアの一言で、場の雰囲気が変わっていく。
「ご、ごめんソフィア?」
僕は慌ててソフィアの腰から手を離す。
「ちょっ!? 急に離さないでよ!? ふなっ!?」
しかし、それが良くなかったのだろう。
ソフィアは体勢を崩してしまい、僕の腰に抱きつくような形になってしまう。
「ソ、ソフィア!?」
「わ、わざとじゃないからね!? アルが急に手を離すからいけないのよ!」
とは言いつつも、何故か腰に手を回したままに硬直するソフィア。
そんなソフィアの頬は赤く染まっており、釣られるようにして僕の頬も熱を帯びていくのが分かる。
そして、そんな僕達の様子を眺めていたのだろう。
「おやおやおや? これはどういった事だろうな? なぁウルフ?」
「あらあらあら? なんだか甘酸っぱい香りがするわね?」
わざとらしい態度を取った二人は、ニヤニヤとした悪戯気な笑みを僕達へと向けた。
「な、なにさ!? その顔は!?」
「そ、そうですよ! こ、これは事故であって……」
悪戯気な笑みを浮かべる二人に対して、僕とソフィアは抗議の声を上げる。
しかし、そんな抗議の声も空しくニヤニヤを加速させていくメーテとウルフ。
場の雰囲気は一転して、何処か緩んだものになってしまう。
だが、その時であった。
「ぼ、僕を無視するんじゃない! この愚劣な低能共がッ!!」
【落書き】が声を上げた事で、緩んだ雰囲気が又も一転する。
「そういえばお前も居たな。低脳ゆえに忘れてしまってたよ」
「詰んだ勝負に興味は湧かないのよね。すっかり忘れちゃってたわ」
「き、興味が無いだと!? ぼ、僕を馬鹿にするなッ! 僕を無視するんじゃないッ!」
メーテとウルフは煽る様な真似をし、【落書き】は声を荒げると更に言葉を続けた。
「あいつらもそうだった! あいつらも僕を無視したんだッ!
僕という才能を恐れ、羨み、妬み! それでも僕という才能が理解できないから無視したッ!!
非人道的だ! 狂気の沙汰だ! そんな言葉で括って僕を追いだしたんだッ!!」
ウルフが言った詰みという言葉。
その言葉と状況がそうさせたのだろうか?
それとも、二人の煽りが余程効いたのだろうか?
聞いてもいないというのに、勝手に独白を始めた【落書き】。
「だから示してやったんだッ! 僕の研究が正しかったってことをね!
何が非人道的だ! なにが狂気の沙汰だ! 僕の考えは間違ってなんかいないッ!
現にだ! あいつらが辿りつけなかった場所に僕は立っている!
あいつらが成し遂げられなかった偉業を成し遂げているんだ!
ねぇ? 君達も見たでしょ? あの【キメラ】という実験成果を!?
君達ならもう理解しているんでしょ? 子供達を媒介にすれば【属性魔石】も容易に生成できるって事をさ!?」
自然と眉間に皺が寄り、ぐらぐらと腸が煮えかえっていく。
要はコイツの――【落書き】の承認欲求を満たす為に学園都市の人間……エイブン達は犠牲になったのだろう。
僕は自然と拳を握り込んでおり、手のひらの皮膚を、爪でプツリと裂く感覚を憶える。
だが、【落書き】の言葉は止まらない。
「それにコレを見て下さい! 僕は頂きへと登りつめたんだッ!」
【落書き】は、どす黒い赤の魔石を天へと掲げる。
「陽の光さえ飲み込む程の高密度の魔石! これこそ伝承にある【賢者の石】に他ならない!
未だかつて【賢者の石】の生成に至った者はいたか!? いや! いない!
これは革命だ! 人の世を理を覆すほどの偉業だ!
僕の研究成果を世界が知れば、僕の名前は歴史に刻まれることになるだろう!」
己を賛美するかのような言葉を並べる【落書き】。
次いで、利己的で身勝手な――とても理解できないような言葉を口にした。
「だから逃がせッ! 僕のことを逃がすんですよッ!
僕という存在の損失は世界にとって多大な損失であるといえます!
だから貴方達は、この場から僕を見逃すのが正しいんですよ! それくらい分かるでしょ!?」
呆れて何も言えないというのはこの事をいうのだろう。
言葉は理解出来ているのに理解できないという、不思議に感覚に支配されてしまう。
それは、【落書き】以外の全員が同様のようで、揃って呆けた表情を浮かることになったのだが……
「は、ははっ……感銘を受けたって顔ですね?
人は高尚な考えに触れた時、己の考えを根底から覆されたことにより放心してしまうものです。
今の君達はまさにそれ! 閉鎖された思考から羽化をする瞬間を迎えているんですよ!
それが理解できたのなら僕を逃がす理由も理解できるでしょ?
まあ、感銘を受けて仲間になりたいと考えるのであれば【賢者の石】の恩恵を与えてやってもいいですよ? どうです?」
【落書き】は思い違いをしているようで、饒舌に語ると笑みまで浮かべて見せた。
「コイツ……殺した方が良いんじゃないですか?」
ソフィアが物騒な言葉を口にするのだが、僕は否定しない。
本来であればこのまま捕縛し、前後関係を洗うべきなのだろう。
しかし、あまりにも身勝手な言い分を聞いた今――
コイツの所為で……そんな目的の為に……エイブン達が犠牲にならなければいけなかったのか?
そう考えると、否定することができなかった。
しかし、そのように考えた時だった。
「ソフィア、その必要は無い。
もうコイツは死んでるようなものだ」
メーテがそんな言葉を口にする。
「どういうこと?」
「要はだな――」
その言葉の意味が分からず僕が尋ねると、メーテは【落書き】に向き合った。
「なぁお前? 自分自身にソレを埋め込んでいるだろ?」
「……ほう」
胸の中央を指で叩きながらメーテが尋ねると、【落書き】は感心するかのように声を漏らす。
「中々に鋭い人もいるようですね? 御明察ですよ。
僕の胸にはコレと同様の物――【賢者の石】が埋め込まれているのは確かです」
知識欲を刺激されたのだろう。
メーテの指摘を認めた【落書き】は話を続ける。
「貴方達も見ましたよね? 本来僕の魔力というのはそれ程高くはありません。
だというのに、宮廷魔術師が数名で行うような【五色黒牢】を使用できたのは【賢者の石】の力です!
まあ……そこの獣人に破壊されてしまったのは遺憾ではありますが……それに――」
そのような言葉を並べる【落書き】。
左腕をこちらへと向けると、手首にナイフを差し肘付近まで深く傷つけた。
「――つッ」
噴き出した血を見て顔を顰めるソフィア。
そんなソフィアの表情を見て、満足したのだろう。
「驚きました!? ですが、このような傷さえ瞬く間に治癒されて行くんですよ!
コレが! これこそが【賢者の石】の力です! どうです? 心惹かれるでしょう!?」
悦に入った笑みを浮かべる【落書き】。
「まるで子供だな。物の真偽というものがまったく理解できていない。
お前が手にしているソレは【賢者の石】と呼べるものでは到底ないよ」
しかし、そんな【落書き】に対してメーテの反応は冷ややかであった。
「これだから低脳は……学が無い癖に虚勢だけは張りたがるんですよね」
【落書き】はあからさまに機嫌を損ねるが、メーテはそれを無視して話を続ける。
「考えてみろ? どうせお前がやったことといえば文献に少しの要素を加えただけだろ?
そんなことで【賢者の石】に辿り着くのであれば、当に先人達が到達している筈だ。
人間とは残酷な生き物だからな。文献に残すことは無いにしろ人の道から外れたようなことは間違いなく行われているだろう。
それでも【賢者の石】の生成というのは一種の偉業だ。
人の道から外れていたとしても、生成に成功したのであれば【成功した】という話くらい伝え聞く筈だ。
では何故? 生成に成功した話を聞かないかというと、単純に成功例が無い。或いは完全に秘匿されているからだ」
「成功例が無い!? ここに! ここにあるだろうがッ!
それに秘匿だって!? それこそ否だ! 偉業を成して秘匿する馬鹿などいるものか!!」
「お前の持論はどうでもいいが、どう足掻いてもソレは紛い物だよ。
私は【賢者の石】の失敗作というのを何度か見る機会があったからな。
ソレは間違いなく粗悪品。少し魔力や治癒力を高めるだけの紛い物であると断言できる」
「う、嘘を吐くなッ!!」
メーテの話を聞いて、【落書き】は声を荒げる。
「何が紛い物だ! これこじょが賢者の石! これこじょが世界の理を覆す石ぎゃ!
適当な事を言うんぎゃない!」
メーテは無表情で答える。
「いいや、紛い物だよ。
ご愁傷さま。晴れて【キメラ】の仲間入りだ」
「は? キメラ?」
「ああ、紛い物だといっただろ?
ソレに【賢者の石】のような効力は無いよ。お前は貧民街の住民のように【キメラ】へと成り下がるんだ」
「僕が……キメラ?
う、嘘をづくな! 僕はキメラににゃんがならない! にゃらないんぎゃ!!」
「気付いているか? 先程から呂律がまわって無いぞ?」
「ちぎゃう……ぼくはぼぐは……」
メーテの言うとおりなのだろう。
【落書き】の呂律は回っておらず、その瞳からは徐々に理性が失われているようだった。
要するに【落書き】の【キメラ化】。それをメーテは死んでいると例えたのだろう。
「ぼぐはッ!! お前のはなじなんかみどめない! ぼぐは、いぎょーをなじたんだッ!!」
悲痛な表情を浮かべて声を荒げる【落書き】。
そんな【落書き】の姿を見て、なにか思うところがあったのだろう。
メーテは、僕でさえ知らなかった言葉を口にする。
「成していないよ。何故なら【賢者の石】とはこういうものだからだ」
そう言ったメーテは手のひらを上へと向ける。
すると、手のひらを裂くようにして現れたのは紅い石――メーテの瞳を思わせる紅い石であった。
そして――
「冥途の土産だ。少しだけ話をしてやろう」
メーテはそう告げるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
王都に一人の男性が居た。
新人の衛兵であった男性は、東門を預かる一人として実直に業務に勤しんでいた。
古い時代だ。失敗すれば上司は容赦なく頭に拳骨を落とすし、厳しい言葉を投げかけることなど間々あった。
実際には人の命に携わる仕事ということもあり、上司としても必要以上に厳しく接していた訳なのだが……
そういった理由を理解するまでに見切りをつけ、退職する者も多いというのが現状であった。
しかし、その男性は心折れること無く耐え抜いてみせた。
加えて、元来の実直さや人当たりの良さ。そういった姿が同僚――延いては上司にも伝わったのだろう。
男性は、衛兵という集団の中で徐々に認められていく。
――そんなある日のことだった。
男性は上司に連れられ、とある酒場へと訪れる。
なんてことは無い。衛兵の安月給に優しい安酒場だ。
しかし、男性にとっては人生の転機となる場所であった。
「あら? 見ない顔ですね? 新人さんかしら?」
「おう。なかなかに根性のあるヤツだからよ。良くしてやってくれや」
「……」
「ボケっとしてんじゃねぇ! お前も挨拶しろよ!」
「いたっ!? あっ、はい! よ、宜しくお願いします!」
「くふふっ。あなた面白い人ね」
一目惚れだった。
その後、男性は足しげく安酒場へと通う。
男性はお酒がそこまで得意では無かったが、それでも毎日のように通った。
安酒場といっても毎日のように通うとなると、それなりの金銭が必要になる。
だから、仕事にも精を出した。
一目惚れした女性の笑顔が見たかったから、仕事に精を出し、得意でも無いお酒を嗜んだのだ。
しかし、そんな男性の隠された好意は容易に見抜かれてしまう。
とある従業員は気持ち悪がったし、とある従業員は酒もたいして飲まない男性のことを煙たがった。
だが、好意を向けられた当の本人はというと――
「えっと……エールとおススメをお願いします」
「おススメですね。今日は良い鹿肉が手に入ったので、こちらがおススメですよ?」
「じ、じゃあ! これを下さい!」
少し言葉を詰まらせながらも、エールと自分がおススメする料理を注文する姿に愛らしさを感じていた。
だからだろう。
「こ、このたび昇進することになりました!
正直、不自由をさせない程の給金ではありませんが……
ですが、絶対に貴方を悲しませるような真似だけはしません!
だだだ、だから! 僕と結婚して下さい!」
「ええ、幸せにして下さいね?」
「え? へ?」
「聞こえなかったんですか?」
「きき、聞こえてました! ぜ、絶対に幸せにしてみせます!」
「くふふっ、約束ですよ?」
女性は周囲の懸念の声さえも無視して、男性と結ばれる事を誓った。
そして、そんな二人が愛し合った結果生まれたのは可愛らしい女の子だった。
見た目は金髪碧眼。やけに顔立ちが整った女の子。
両親の特徴を色濃く継いではいたが、お互いの良い部分を選んで継いだような美しい少女だった。
その所為もあってか、幼少期は同性の妬みを買い、威勢からは幾度ものアプローチを受けることになるのだが……
少女にとっては興味の無いことだった。
なによりも興味があったのは、魔法という存在。
とある日、両親に連れられて見た魔法を用いた大衆演劇。
その夢のようなキラキラと光る光景に惹かれ、魔法という存在に心を奪われてしまったのだ。
少女は魔法に傾倒した。
時には――
「ねぇ? 魔法ばっかりじゃなくてお母さんと編み物しない?」
「編み物〜? 私は魔法の勉強してる方が楽しいんだけど~……」
「ええ~もっとお母さんに構ってよ~」
「じゃあ、ここまで読み終わったらね?」
「……んもう。誰に似たのかしらね?」
母親を呆れさせていたが、少女の魔法に対する好奇心は尽きる事が無かった。
そのような生活を物心ついた頃から続けていたからだろう。
九歳を迎える時には、王都の魔法研究機関の年少部へと召集され、その後も順調に経歴を重ねた結果、成人すると共に魔法研究機関の【第五研究班】。
機関内では下部に位置するものの、最年少責任者に任命されることになる。
その後は順調だった。
歳を重ねるごとに役職と責任は大きくなっていったし、寝る間を惜しんで研究に没頭する必要もあったが、少女――いや、女性にとって魔法に携われるというのは、何よりも充実した時間であった。
しかし、それは突然訪れた。
「パパが……パパがぁぁぁ……」
泣き崩れる女性の母親。
泣き崩れる母親からどうにか話を聞きだしたところ、父親が暴漢の刃で命を奪われたことを知る。
女の子を暴漢から救おうとして、逆上した暴漢にわき腹を刺されてしまったらしい。
女性は泣いた。涙が枯れるほどに泣いた。
悲しいという感情は知っていたが、本当に悲しい時は言葉で形容できないと理解する程に。
しかし、悲劇はこれで終わらなかった。
「貴女のお母様は原因不明の病に掛かっております」
父親を亡くしたことで元気を失っていた母親だったのだが……
あまりの衰弱ぶりに病院へと連れていったところ、医師から告げられたのはそんな言葉だった。
「ど、どうにかならないんですか!?」
「残念ですが……原因が分からないのです……
回復魔法を掛けても治る見込みが無い……それどころか悪くなる一方で……」
「そ、そんな……だったらママは……」
この時代では明らかにされていなかったので断言はできないが、恐らくは癌だったのだろう。
だから回復魔法で治療を試みるも、癌細胞まで活性化させてしまい、病状が悪化してしまった。
そして、当時の少女はそんな事を知る由もない。
故に母を救うためにあらゆる手段を講じた。
だが、講じたといっても母親の身体を実験体のように扱うことは少女にはできなかった。
「だったら――」
その結果女性が出した決断は――自らの身体を実験体にする。ということだった。
女性は身体を酷使した。
幸か不幸か、女性の勤務先は研究機関だ。
市場では到底手に入らないような、様々な物が扱われている。
だから試した。
回復魔法が効かないのであれば毒は?
そのように考えると古今東西、あらゆる毒を致死量に満たない範囲で身体へと取り込んだ。
加えて、衰弱に聞くという薬物があれば躊躇なく取り込んだ。
そんな生活が続いたからだろう。
女性の金髪は色を失い、白髪ともいえない銀髪へと変わっていた。
そしてそんな中、女性は一冊の書物に出会ってしまう。
書物の題名は【賢者の石の生成に関する考察】。
女性は、その内容に眉を顰めた。
記述されている内容は、魔石を触媒とした人体実験の数々なのだ。
嫌でも忌避感を憶えてしまう。
しかし、光明でもあった。
流石に他人の命を犠牲にはできないが、己の命なら犠牲にできる。
実際、そんなことしたところで母親が喜ぶ筈もないのだが……
母親に残された余命は数年となっており、女性は焦りから正しい判断をすることができなかったのだろう。
だから埋めた。胸に魔力の消失した魔石を。
もし【賢者の石】が生成できるのであれば、母親を救えるかも知れない。
そう思ったからだ。
もしかしたら魔物になる可能性がある。
だとしてもか細い糸に縋らずには居られなかった。
女性は震えながら毎日を過ごした。
【キメラ化】してしまった場合、他人に被害を加えることになるかもしれない。
それを恐ろしいと思いながらも、女性は実験の手を止めなかった。
時に、【賢者の石】の生成に必要とあれば水銀を飲んだ。
時に、魔力が必要だと聞けば、魔物の肉すら喰らった。
女性自身も無謀な試みであり、おぞましいことをしていると理解していた。
だが、止められなかった。
それは母親を救いたいからか?それとも探究心からなのか?
正直、自分の目標に迷い、寝つけず、食事も喉を通らない事もあったが、それでも止められなかった。
そして、そんな女性の努力の成果が身を結んだのだろう。
女性は【キメラ化】することも無く、自我を失うこともせずに月日を過ごした。
それと同時に気付いたのは――
「というか、アナタも二十三よね? その割にはお肌がプルプルよね〜」
病床に臥すは母親の一言で確信に変わる。
【賢者の石】の研究を始めてから体の衰えを感じないということを。
「そ、そうかな?」
「その割には目が充血してるみたいだけど? ちゃんと寝てるの?」
「寝てるよ~。もぅ、ママは心配し過ぎなんだって」
「心配もするわよ……大事な一人娘なんだもの」
加えて、女性は更なる確信をする。
己の中で【賢者の石】が成ったのだと。
「まあ、貴女が昔から魔法に夢中なのは知ってたけど……あんまり無理しないでよね?」
「無理はしてないよ? 好きでやってることだしね」
「本当かしら? というか……髪の毛もそんな色になっちゃって? 折角お揃いの金髪だったのに」
「それは確かに残念だけど……ほら、こうやるとお揃いでしょ?」
「あら、魔法っていうのは凄いのね〜。髪の色まで変えられるんだもの」
「そうそう。魔法は凄いんだよ。だからママも安心して!
私が絶対にママの病気を治して見せるから!」
「くふふっ。本当に頼もしい娘だわ」
「ふふっ。そうでしょ?」
「ええ、本当に……本当に自慢の娘よ」
「遠慮なく、自慢してもいいよ?」
「あら、言うようになったわね?」
女性は母親の笑顔を見て思う。
もう少しだ。もう少しで母親を治療してあげることができる。
そのように思ったからだろう。
自然と笑みが零すと共に、母親の手を力強く――それでいて優しく握った。
「ママ、病気が治ったら一緒に編み物しようね?」
「珍しい? 明日は雪が降るのかしら?」
「もう……そうやって茶化して? 意地悪だよ?」
「ごめんなさいね? でもそうね……暖炉の前で椅子に揺られながら編み物するのは確かに魅力的よね」
「そうでしょ? 寒くなる前には長期の休みを取るから、そうしたら温かい紅茶を飲みながら編み物をしましょ?」
「くふふっ、それは素敵ね。楽しみだわ」
女性は明るい未来を思い描き、頬を緩ませる。
母親も同様に頬を緩ませるのだが……
人の生とはままならいものなのだろう。
「ママね……娘と編み物するのが夢だったんだ……
パパはもういないけど……パパの為に毛糸の帽子とか編んだりしね……
だけど……それはできなかったけど充分にママは幸せだったな……」
「ママ?」
「……あんまり無茶しちゃだめよ? 小食なんだしご飯はちゃんと食べるのよ?
折角可愛いんだからたまにはスカートも履くのよ?
孫は……見るのは無理そうだけど、パパみたいな良い人を見つけるのよ?」
「……ママ?」
「くふふっ……本当、ママは幸せだったな。
だから……あなたも幸せになってね?
ママはメーティーのことを……とっても愛しているわ」
「マ、ママ!?」
女性の母親はそう言い残すと、そっと瞼を伏せた。
「マ……ママ?」
先程まで気丈に話していた母親。
しかし、それは演技で、最後の灯を燃やしていたにすぎなかったのだろう。
「ママ!? ねぇママ!? 編み物……編み物するんだよね? ねぇ? ママ?」
その問い掛けに答えは返って来ない。
女性の目に映るのは、何処か満足そうな母親の表情。
それと、徐々に失われて行く手のぬくもり。
言葉無く、返事を返していた。
――そして女性に残ったのは悠久の時。
平穏にして苛烈な悠久の時。
親しい人を見送り続ける、空しくも決別できない時間だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「要は私が【賢者の石】の生き証人だ。
そして伝えておこう。永遠の命など……虚しいものだよ」
「ぞれが……げんじゃのいじ……」
僕は理解する。それがメーテの原点。
後に続く【禍事を歌う魔女】や【始まりの魔法使い】の始まりなのだと。
同時に思う。
人々が恐れたこの魔女は――
不器用で……誰よりも優しい魔女なのだと。
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