第207話 相対

 激動の一夜が明けた。


 貧民街の住人が【キメラ化】したというメーテさんの推測。

 その推測を裏付けるかのように、襤褸布を纏った者達の目撃情報が数多く寄せられ、目撃情報と並行するようにして被害報告も寄せられることになった。


 一方、被害報告が寄せられた冒険者ギルドと学園側も、迅速な対応をもって事態の収拾を図った。

 住民に対する避難勧告から始まり、現場での住民の保護に【キメラ】の討伐。

 寝る間を惜しんで奔走した甲斐もあってか、夜が明ける頃には、一先ずの落ち着きを取り戻すことに成功する。


 しかし……事態は深刻だった。

 一先ずの落ち着きを取り戻したのはよいものの、【キメラ】の襲撃による爪痕は深く残されていた。


 突如として行われた【キメラ】による襲撃。

 加えて、夕刻という時間帯だったことも災いしたのだろう。

 多くの家庭が夕食の準備に追われる時間であった為、至る所で調理用の火種が飛び火していまい、幾つもの家屋が半焼、又は全焼するという被害を被ることになった。


 だけど、何よりも深刻だったのは――



「ぶっ殺してやるッ!! 仮面の糞野郎どもがッ!」



 そう声を荒げたのはオーフレイムさん。



「【キメラ化】した住民も含めれば、計158名もの犠牲者が出ているという状況……

今の時点でもこれだけの犠牲者が出ていることを考えれば……もはや形振り構っている場合では無いのだろうな」



 私達の眼前にあったのは、時計台広場に並べられた老若男女の亡骸……

 何よりも深刻だったのは、グスタフ副学園長が言うように、信じられない数の犠牲が出ている事だった。



「メーテ……確か、一週間は結界を継続できるって話だったよな?」


「ああ、その通りだ」


「悪りぃんだけどよ……その間は絶対に結界を解かないで貰えねぇか?」


「それは構わないが……以前も言ったように流通に支障をきたす事にならないか?」


「きたすだろうよ。きたすだろうけどよ……それ以上に仮面の連中を逃がす方が問題だ。

幸いなことに、冒険者ギルドには食料の備蓄があるし金銭面の余裕もある。

まあ、商人たちにも協力して貰うのが大前提ではあるんだけどよ……

冒険者ギルドの備蓄と合わせれば一週間程度の食料は賄えるだろうし、その後の責任に関しても俺が全てを負うつもりだ。

だから、メーテは心配せずに結界を維持して欲しいんだわ」


「オーフレイム……」



 全ての責任を負うと口にしたオーフレイムさん。

 実際、どの程度の責任を負う事になるかは分からないけど……

 それでも、学園都市の規模や住民の数を考えれば、重い責任を負わされるだろうし、相当な覚悟を持って口にした言葉であると理解することができた。


 しかし、そんなオーフレイムさんの覚悟は良い意味で折られてしまう。



「オーフレイム殿だけに責任を負わせる訳にはいかんよ。

食料に関しては微々たる協力しか出来ないが、金銭に関しては協力できる筈だ。

学園都市に入ることが適わず、門前で立ち往生している商人連中の保証は、学園側で請け負おうじゃないか」


「オーフレイム殿にグスタフ殿。その心配はいりませんぜ。

この事態に憤っているのは貴方達だけじゃありませんからね。

俺達商人組合や学園都市の住民達だって、仮面の連中とやらを許そうなんて考えちゃいません。

言っちまえばこれは学園都市の総意だ。誰か一人に責任を取らせるなんて野暮な真似はしませんよ」


「……本気で言ってんのか?」


「無論だ」


「当然でしょ」



 グスタフ副学園長や、この場に居合わせた商人組合代表の言葉を聞いて、空を仰ぐオーフレイムさん。



「学園都市……この都市のギルドマスターで居られることが俺の誇りだよ。

グスタフの爺様。組合長……本当にありがとうな」



 そう言うと、泣きそうな表情を浮かべながらも白い歯を見せた。






 それから更に一夜が明けた。


 学園都市一丸となった捜索の手は、あらゆる場所へと伸びていた。

 貧民街は勿論のこと、地下通路に地下水路にも捜索の手は伸びており、鼠一匹逃がさないといった気概の元に捜索は続けられた。

 その過程で【キメラ】による被害者や、【キメラ化】した住人が犠牲となる場面も多々あったようだけど……

 それでも、学園都市の住民達は、捜索の手を緩めることをしなかった。


 そして、事件発覚から三日目となった現在。

 私達は、冒険者ギルドの会議室に集まっていた。



「大体の場所は調べ終わったな。

調べていない場所となると……後はポルタ伯爵の屋敷くらいだな」


「伯爵邸か……少しばかり面倒だな」


「ああ、ある意味で不可侵みたいな部分があるからな……」



 大方の捜索を終えた事により、オーフレイムさんとグスタフ副学園長はそのような会話を交わす。



「住民に紛れている可能性も否定できないが……限りなく薄いのだろうな」


「ああ、商店街の連中にも聞いただろ?

ここ数ヶ月の間、大量の食糧を買い込む太客がいたって」


「確か、灰色髪で鼻に眼鏡を乗せた男だったか?」


「そうだ。名前は【メイヤー】。

コイツと一組の男女が、大量の食料を持って貧民街を訪れているのを何度か目撃されている。

コイツらが貧民街の住人の【キメラ化】に深く関わっている――いや、仮面の連中であることはほぼ間違いないんだが……

容姿の似通ったヤツらが目撃されたって情報は、今のところ入ってきてねぇ」


「ふむ、学園都市の至るところに捜索の手を伸ばした現状で、未だに目撃情報が無いとなると……

考えられるのは逃げられたか、伯爵邸に潜伏しているかの二択か」


「まあ、逃げられたって可能性も確かにあるが……俺はその線は薄いと考えている」


「それは何故だ?」


「ただの勘だよ。まあ、付け加えるのなら【落書き】と話した経験があるからかもしれねぇな。

あの狂人が、住人の【キメラ化】なんてイベントを見過ごすようには思えないんだわ」


「ふむ、然もありなん……といったところか。

ともあれ、伯爵邸に仮面の連中が潜伏したと仮定するとなると……少々面倒だな」


「ああ、ポルタ伯爵が協力関係に有ろうが無かろうが、犯罪者の潜伏先として利用されちまったのは確かだ。今までのような関係を続けていくには無理があるだろうな」


「で、あろうな……次から次へと厄介事が増えていく。本当に頭が痛いよ」


「まあ、その辺はグスタフの爺様やテオドールの爺様に任せるしかねぇからな。

大変だとは思うけど、宜しく頼むわ。まあ、愚痴の酒くらいな付き合うからよ」


「ふぅ……その時は朝まで付きあって貰うぞ?」


「ああ、構わねぇよ」



 真剣な表情で、小難しそうな会話を交わす二人。

 正直、政治的な話は付いていけなかったけど、仮面の連中の潜伏先としてポルタ伯爵の屋敷が利用されているのであろうことは分かった。



「それはさて置き。伯爵邸には実力者を向かわせるのが道理なのだろうな」


「ああ。本当に伯爵邸に潜伏してるんなら、向こうもそれなりの準備を整えてる筈だ。

伯爵邸に向かうヤツは厳選する必要があるだろうし、伯爵邸を包囲する為の人員も必要になる。

まあ、【瞬転】や【賢者の弟子】を警備から呼び戻せればいくらか楽なんだが……

【キメラ】が居るかもしれない現状で、戦力を固めすぎちまうのも問題だしな」



 そう言うと顎髭を撫で、二人は考え込むような素振りをとるのだけど……

 その視線を追ってみれば、メーテさんとウルフさんにチラチラと向けられていることが分かる。



「まったく……遠回しな真似をしなくても元よりそのつもりだよ」


「男って面倒よね? どうして素直にお願い出来ないのかしら?」



 視線の意味を汲み取り、呆れたように息を吐くメーテさん達。

 遠まわしな言い方ではあるものの、伯爵邸に向かうことに対して同意を示しているようだった。

 そして、そんな二人に対して反論の声が上がることは無い。

 二人の実力については、事件発覚からの三日間で嫌というほど証明されているのだろう。


 だがしかし……



「二人が行くんだったら、ボクも同行しようかな?」



 ヤーが立候補した事で、怪訝な視線がヤーへと集まる。



「ガキ……遊びじゃねぇんだぞ?」



 そう言ったのは【暁鼠】のタイラー。

 その言葉を聞いた私は「また、突っかかって来たのか」などと考えてしまうのだけど……

 タイラーに視線を向けてみれば、相手を威嚇するような様子も無く、侮るような態度を取っている訳でも無さそうだった。

 言い方には少しばかりの難があるけど、タイラーからしたら相手を気遣ったゆえに出てきた言葉なのだろう。



「えっと、実力者というから立候補したんですけど……何か問題ありますかね?」



 対して、相手を侮るような態度を取るヤー。

 アルだったら絶対に取ることの無い態度を見て、私は若干の苛立ちを憶えてしまう。



「ちっ……オーフレイムのおっさんの顔を立てて優しく言ってやってんのに、面倒臭せぇな……

はぁ……もう一度言うぞ? これはガキの遊びじゃねぇんだから後は大人に任せとけって言ってんだよ」



 随分と理性的な態度が取れるようになったようで、タイラーは声を荒げることも無くヤーを諭す。



「ふむ、少しはお灸を据えてやった甲斐があったということか?

まあ、タイラーの言葉に同意するのも癪ではあるが一理あることも確かだ。後は私達に任せておけ」



 タイラーの態度を見て、感心するような言葉を口にするメーテさん。

 とはいえ、タイラーに対して好印象を持っていないのだろう。何処か辛辣な言葉を口にする。


 しかし、そんな辛辣な言葉に対し――



「は、はあぁッ……メーテの姉さんは本日もお美しい……

そして、その辛辣な言葉が俺の心を高鳴らせます……」


「……は?」



 タイラーはなにやらうっとりした視線をメーテさんへと向ける。

 対してメーテさんは半歩だけ身を引くと、冷たいを視線をタイラーへと向けた。



「はああッ……す、凄い冷たいです……でも、それが良いッ!」


「…………こ、こわっ」



 しかし、そんな冷たい視線を受けるとブルリと身悶えるタイラー。

 メーテさんは盛大に顔を引き攣らせると、ウルフさんの背後へと隠れた。

 まあ……性的な趣味や嗜好というのは多様性があるという事なのだろう……うん。


 それは兎も角。



「でも、実力者を求めてるんですよね?

メーテとウルフを除けば、この場で一番強いと思うんですけど?」



 ヤーは、またも相手を侮るような真似をする。

 この言葉は流石に看過できなかったようで、タイラーを含めた数名が目の色を変えた。


 タイラーは眼つきを鋭くすると、ヤーを睨みつける。



「ガキぃ……あんまり調子にのって――」



 そして、そのような言葉を口にした瞬間。



「【水刃】」



 タイラーの言葉を遮るようにして【水刃】が放たれる。



「なッ!?」



 不意に【水刃】を放たれたことにより、驚きの声を上げるタイラー。

 加えて、不意であった為に反応が間に合わなかったのだろう。【水刃】はタイラーの頭部を僅かに掠め、数本の髪の毛がパラパラとテーブルの上に散らばった。



「ほらぁ……やっぱり反応できないじゃないですか。

ボクの実力を疑うのであれば、これくらい反応して貰わなきゃ困りますよ?」


「て、手前ェッ!」


「大きな声を出さないで貰えます? 吃驚するから嫌なんですよ……」



 ヤーは不機嫌そうな表情を浮かべると、指の動きと連動させるようにして何発もの【水刃】を放つ。



「て、手前ェ!? ぐっ!? そ、それを止めやがれ!!」


「じゃあ~……もう怒鳴らないって約束してくれます?」


「わ、分かったからやめろッ! やめろって言ってんだろうがッ!」 


「ほら、また怒鳴ったじゃないですか……?」



 そのような会話を交わしてる間にも【水刃】はタイラーの薄皮を裂き、幾つもの傷を作っている。

 その様子を――相手をいたぶるような光景を見た私は、思わず声を荒げた。



「ヤー! アンタいい加減にしなさいよッ!」


「ヤー! 【水刃】を止めろ!」



 私の声に重ねて、メーテさんも制止するように訴えかける。

 すると、そんな私達の声がヤーの耳へと届いたのだろう。



「分かったよ……でも、あの人が実力を疑うような真似をするから悪いんだよ?

それに、怒鳴るしさ……」



 ヤーは【水刃】を放つのを止めると、不貞腐れた子供のように唇を尖らせた。


 そして、その表情を見た瞬間……私は理解してしまう。

 このヤーという存在は、まさに子供のような存在なのだと。


 正直、大人と子供の差はなにか?と問われれば明確な答えは出せない。

 だけど、拙いなりに答えを出すとするのなら【自制】というものが大人には求められると考えていた。

 その形は様々だけど、時に理不尽な要求に堪え、時に相手の事を思いやり厳しく接する。

 感情というものを【自制】できるからこそ大人なのだと私は考えていた。


 しかし、今のヤーからは【自制】というものを感じることができない。

 だから、周囲の雰囲気など無視して、へらへらとした笑顔を浮かべられるのだろうし。

 感情のままに言葉を発して、相手を侮るような真似までしてしまう。

 まあ、アルの記憶や感情が備わっているから、最低限の振る舞いは出来ているようだけど……

 アルという人格――【自制】する為の人格が抜け落ちてしまったヤーという存在は、感情のままに行動する、子供のような存在であるといえるのだろう。


 加えて、先日の【キメラ】の件だってそうだ。

 ヤーは覚悟という言葉を口にしながらも、足の腱を斬るだけに終えた。

 それは、相手の無力化という意味では正解なのかもしれないし、ある種の覚悟の表れなのかもしれない。

 しかし、肝心の命を奪うという行為に関しては他人任せで、無責任なものだった。


 更には、メーテさん達に叱られた際に口にした言葉――


『へ? メーテが覚悟を持てっていったから覚悟を見せたつもりなんだけど……駄目だったかな?』


 その言葉の節々からは。


『手を汚す覚悟を見せたのに、何で褒めてくれないんだろう?』


 といった、子供じみた行動理由さえ窺い知ることができた。


 ……実際の話、アルが覚悟を決めて【キメラ】を殺す選択をしたのかは正直分からない。

 確かにアルには優柔不断な部分はあるし、煮え切らない部分もある。

 だけど、人命という重荷を誰かに背負わせてしまうのであれば……ヤーとは違う覚悟を決めるのだと思う。


 要するに、ヤーという存在は良くも悪くも無垢なのだ。

 アルという感情を【自制】する為の人格が抜け落ちてしまっているから、ただただ感情に素直でいられる。

 だからアルが躊躇するような場面でも、躊躇すること無く一線を越えてしまうし、楽しいと感じたら笑うし、不満があれば子供のように不貞腐れる。


 そして……だからこそ危ういのだ。

 もし、ヤーが本気で不快だと感じたなら、感情のままに人を殺めてしまう可能性だって考えられる。

 今のところは『殺すのはアルの負担になりそうだしな』と口にしているので、間違いを起こさないとは思うのだけど……

 それでも、【キメラ】の足を容赦なく斬り裂く姿や、タイラーに対する言動を考慮すれば、いつ間違いが起きても何ら不思議ではないように思えた。


 そのような不安を覚えた私は、ふとヤーに視線を送る。

 すると。



「タイラーの所為でメーテに怒られちゃったよ……ボク、あいつの事嫌いかも」



 自分のやったことを棚に上げ、ヤーは愚痴を溢す。

 それと同時に私の視線に気付いたのだろう。



「ねぇ? ソフィアもそう思うよね?」



 向けられた笑顔はとても無邪気なもので、私はゾクリとしたものを感じてしまうのだった。






 一時的に中断されてしまったものの、その後は滞ることもなく会議は進められた。

 その結果、伯爵邸に向かうことになったのは合計で四名。 

 政治的な観点から強硬手段を取る訳にもいかないようで、学園都市でも政治的に高い位置にあるグスタフ副学園長とオーフレイムさん。それに加え、メーテさんとウルフさんが伯爵邸へと向かうことが決定した。


 その決定を聞いて、ヤーは少しだけ不貞腐れていたのだけれど……

 伯爵邸を包囲する一団に【黒白】も参加するよう告げられると、それで少しは機嫌を直したようで、相変わらずへらへらした笑顔を浮かべていた。


 まあ、メーテさん達からすれば、参加しないで欲しいというのが本音らしいのだけど……

 この緊急時に私情を挟むことや、貴重な戦力を持て余すのを良しとしなかったようで、渋々ながらも同行することを認めてくれたようだ。


 ともあれ、程なくして準備が整った私達は伯爵邸へと向かうことになった。






 そうして、辿り着いたポルタ伯爵の屋敷。

 時刻は昼前だというのに、やけに静まり返っているように感じられる。



「門兵すら居ねぇってことは……悪い予感が当たっちまったみてぇだな」



 苦虫を噛み潰したような表情のオーフレイムさん。



「屋敷内までは魔力感知で探れなかったが……庭にも人の反応は無いようだな。

仮面の連中の在否は兎も角、問題があったことに間違いはないだろう」



 メーテさんも眉根を皺を寄せる。

 そうしていると、ウルフさんが鉄門へと歩み寄り、鉄門を軽く押す。

 すると、来訪者を阻む筈の鉄門は、キイィという音を響かせながらゆっくりと開いた。



「『いらっしゃい』ですって」


「ふむ、施錠すらしないのは不用心なのか……それとも罠か……」


「どちらにせよ、入らない選択肢は無いんでしょ?」


「そうだな。注意を怠らずに進むしかない。といったところだろう」



 グスタフ副学園長がそう言うと、四人は鉄門の先へと一歩踏み出す。



「じゃあ行ってくるが、お前らも周囲の警戒を怠らず配置場所へと着くように!」



 オーフレイムさんが振り返って告げると、全員が大きな返事を返して配置場所へと向かう。

 私達の配置場所は正門前だったので移動する必要もなく、もう一組の冒険者パーティと並んで、玄関へと向かう四人の背中を見送ることになった。


 そして、広い庭を通過した四人が、玄関へと辿り着いた瞬間だった。



「そろそろ頃合いですかね?」



 誰かの声が後方から届くと同時に、屋敷の窓ガラスが割れ、幾つもの人影が飛び出す。



「閉じ込めてくれたお返しです。

【混ざれ混ざれ黒へと混ざれ 万象を受け入れ 万象を染め上げ給え】

【何人たりとも白点を落とせぬ拒絶の黒 五色の織り成す受諾の牢獄――混合魔法 五色黒牢ッ!】」 



 更には、屋敷の異変に目を奪われている間にも、詠唱が紡がれてしまい――



「な、何よコレ!?」



 その瞬間、屋敷を横断し、点と点を結ぶようにして、赤、青、緑。それに黄色と茶色の線が延びていく。

 それを俯瞰して見るのであれば、恐らく星を形作っているのだろう。



「ま、まさか結界か!?」



 その様子を見たダンテが声を荒げると、伯爵邸全体を包むかのように薄黒い壁が出来上がった。


 私達は声の主が誰であるのかを確信しながら振り返る。

 すると、そこに居たのは予想通りの人物で、【落書き】の姿と仮面を被った一組の男女の姿があった。



「ご名答です。魔族の少年が言うようにこれは結界ですね。

うまいこと面倒な相手を閉じ込めることができましたよ――というか、君達の顔には見覚えがありますね?」



 そう言うと、僅かに首を傾げる【落書き】。

 その後方からは、「ああ」「地下水路で会った子達ね」などという会話が聞こえてくる。


 

「お前らッ! お前らの所為でどれだけの被害者が出たと思ってやがるッ!」



 そんな【落書き】達に対して、敵対心を剥き出しにするダンテ。

 腰に差してある剣を抜くと、突きつけるようにして剣を構えた。



「おお、怖い。お二人ともお願い出来ます?」


「ああ」


「面倒ね……」



 後方に控えていた二人が一歩踏み出すと、場の空気が緊迫していくのが分かる。

 しかしそんな中、ボンという何かが弾ける音が耳に届き、【落書き】から視線を切ってしまう。

 続けて音のする方に視線を向けてみれば、薄黒い結界の向こうで、メーテさん達が窓から飛び出した人影――【キメラ】と思わしき者達と応戦してるのが分かった。


 そうして応戦している内に、正門前に居る私達の姿が視界に入ったのだろう。

 メーテさんとウルフさんは戦闘から離脱すると、空を蹴るかの速さで駆け寄ってくる。



「おや? どうやら、こちらの存在に気付いたようですね。

まあ、気付いた所でどうにもならないんですけどね」



 自前の結界に、余程の自信があるのだろう。

 そう言った【落書き】の声は自身に満ちていた。


 その言葉を裏付けるようにして――



「ちっ……無駄に堅いわね!」



 ガンという硬質な音と共に、ウルフさんの拳が弾きかえされてしまう。


 そして、その様子を見た私もダンテと同じように腰の剣を抜く。

 メーテさん達であれば、結界を破壊できるかもしれない。

 しかし、希望的観測に縋っているようでは、剣が鈍ってしまうだろうし、臨機応変な対応を取ることも適わないだろう。

 そのように考えた私は、剣を構えると詠唱を口にする。



「【火天渦巻き剣を纏えッ!!】」


「へぇ……確か【魔装】でしたよね?

あ、もしかして【魔装】って呼び方じゃ伝わらなかったりします?

まあ、【魔法剣】と呼んだ方が一般的ですし、知らなくても当然といえば当然ですよね」



 私が【魔法剣】を発動するなり【魔装】と口にする【落書き】。

 他愛も無い会話ではあったのだけど……敢えて周知されていない名称を口にすることで、自分の知識をひけらかす類の、いけすかないヤツだと理解することができた。



「まあ、それは兎も角として……

貴方達には――主にオーフレイムさんにはお世話になりましたからね。

実験に使用したい気持ちも山々なのですが、殺してしまった方がスッキリするとも思うんですよね」



 仮面を被っている所為で視線の動を知ることはできなかったけど、その視線は私達の後方に向いているようだった。



「おや、オーフレイムさんもこっちに向かってきているようですよ?

ははっ、必死な表情で走ってますね~。そんなオーフレイムさんの目の前で君達を殺したらどのような表情を見せるんでしょうね? ああ、想像したら楽しくなってきましたよ」



 愉快そうな声を上げる【落書き】。



「お前らどけぇえええええッ!!」



 結界の向こうからオーフレイムさんの声が届き――



「――――なッ!? 堅てぇ!?」


「あははははっ! だから無理なんですってば!」



 続いて振り下ろされた剣が結界に弾かれると、心底愉快そうに声を上げた。



「無駄無駄無駄ッ! この結界は属性魔石を五つも使用した結界ですからね!

そんな力任せの剣技では罅一つ入りませんよ! 貴方達はただただ無力に、この子達が死ぬのを指を加えて見てることしか出来ないんですよ!」



 しかし、【落書き】がそう告げた瞬間――


 ガキィンという硬質な音が響くと共に、ピキッという何かが罅割れるかのような音が耳へと届いた。



「へ?」


「やっぱり堅いわね……かなり力を入れたのに……」



 一転して、間の抜けた声を漏らす【落書き】。

 対してウルフさんは、不満げな様子で手首を回している。

 見逃してしまったけど、ウルフさんが何かを行ったことで、結界は二つの音を鳴らすことになったのだろう。



「ひ、罅? は、はあっ!? 罅ッ!?」  



 余程信じられない光景のようで、語彙を崩壊させる【落書き】。

 そんな【落書き】をあざ笑うかのようにして、メーテさんとウルフさんは告げた。



「阿呆どもが……本気で閉じ込めるつもりなら、せめて【七色黒牢】くらい用意しろ」


「漸く、誰を敵にまわしたか教えてあげられそうね?」



 そう言うとウルフさんは構える。

 ――いや、それは構えと呼ぶにはあまりにも拙すぎた。

 体重を乗せた拳を全力で放つ。その為に上半身を大きく捩じっただけの体勢であった。


 まるで隙だらけといった体勢。

 間違いなく対人戦で使用できるようなものではないし、結界を殴りつけるにしたってあまりにも単純すぎる。

 だけど、そんなウルフさんの姿を見た私はゾクリとした何かを感じずにはいられなかった。


 ツーと背中に汗が流れる。

 友人達や、【落書き】達さえも同様のものを感じていたのだろう。

 お互いに攻撃を加える機会はいくらでもあるというのに、ウルフさんの行動に見入っているようだった。


 そんな中、【落書き】が「ハッ」と声を漏らす。

 続いて、頭の中に浮かんでいるのであろう在り得ない光景――それを否定するかのように声を荒げた。



「ち、力技ですか!? 先程も言ったでしょう!? そんな力技ではどうにもならないって!

こ、これだから知能が低いと獣人は馬鹿にされるんで――」


「怖いのね? もっと怯えなさい? これが貴方の終わりの始まりなんだから」


「な、何を言って……」



 【落書き】の言葉を遮るウルフさん。 

 そして、次の瞬間だった。



「――砕けなさい」



 ウルフさんが踏み込むと、地面が蜘蛛の巣状にひび割れ、土煙を上げる。

 限界まで捩じられた上半身から、矢のような拳が放たれると、それと同時に何かが弾けるようなパンという渇いた音が耳へ届く。


 その音を掻き消すかのように響く轟音。

 耳を塞ぎたくなるほどの硬質な轟音は、まるで目の前が真っ白になるかのような錯覚すら起こしてしまう。


 だけど、私の耳は休む暇など無い。

 更に届いた音は、何かが罅割れていくような。罅割れが伝播して行くような音で――



「さて、もう逃げられないわよ?」


「ど阿呆どもが、己の力を過信し過ぎたようだな?」



 硝子片が散らばる様な音の中、聞き慣れた声がそう告げるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る