第205話 地獄の蓋

 空を見上げれば藍色。商店街の店先には魔石灯の明かりが灯り始めている。

 雑貨屋で買い物を楽しむ客に、食堂の換気口から立ち昇る煙。

 それに加え、酒場から届く楽しげな笑い声。

 普段と変わらない商店街の様子を見て、私は思わず眉を顰めた。



「どうしたソフィア? 不機嫌そうだな?」



 私が眉を顰めていると、メーテさんが尋ねる。



「不機嫌……って訳じゃないんですけど、少し不謹慎な気がして……」


「不謹慎? ああ、ソフィアの目にはこの光景が不謹慎に映る訳か」


「はい……強制するものでは無いとは分かってるんですけど、あまりにも普段と変わらないから」


「ふむ、ソフィアの気持ちも分からんではないが――ソフィア、そこの酒場を見てみろ」


「酒場?」



 メーテさんが指を差す方向を辿ってみれば、酒場の店先に棚が置かれており、酒場には似つかわしくない花束と、子供が好きそうな焼き菓子が置かれていることに気付く。



「あっ……」


「気付いたか? それと、そこの雑貨屋も見てみろ」


「瓶と……その中にお金が入ってますね……」


「ああ、恐らくだが、遺族に宛てる募金か何かなのだろう」



 メーテさんがそう言うと、丁度募金をしようとする男性が訪れたようで――



「今週くらいは酒を我慢すっか……」



 男性は独りごちると、手に持っていた銅貨をしまい、代わりに銀貨を取り出して瓶の中へと落とした。


 そして、そんな光景を見た私は途端に恥ずかしくなる。

 周りを良く見もしないで、感情のままに不謹慎であると口にした。

 それは視野が狭く、酷く身勝手で、押しつけがましい善意なのだろう。


 そのように考えた私は、反省すると共に謝罪の言葉を口にする。



「ご、ごめんなさい……私、全然周りを見ていませんでした……」



 すると、そんな謝罪の言葉に対して微笑みを返すメーテさん。



「ソフィアが謝る必要は無いさ、それも一つの善意の形だしな」


「で、でも……」


「まあ、他者に強制するとなれば話は違ってくるが、それはソフィアも理解しているんだろ?」


「そ、それは理解してます!」


「それを理解しているのなら問題無いさ。無関心でいるよりもずっと人間的で優しい感情だよ。

正直、難しい問題ではあるが……涙を流して弔う者も居れば、明るく振る舞う事を弔いにする者も居る。弔い方は人それぞれだという事を理解し、互いの気持ちを尊重しあうのが大切なのかもしれないな」



 メーテさんの話を聞き、私は大きく頷く。

 人の弔い方や善意というものには多様性があり、必ずしも正解が用意されている訳ではないのだろう。

 そう理解すると同時に、改めて浅はかな発言をしてしまった事に気付き、謝罪の言葉を口にしようとする。



「ご、ごめ――むぐっ!?」


「ソフィアが謝る必要は無いと言っただろ?」



 だけど、謝罪を遮るようにして、私の口に手を宛がうメーテさん。



「やはりソフィアは優しい子だよ」



 そう言うと私の頭に手を置き、優しい手つきでクシャリと撫でるのだった。






 そのような話を終えた私達は、メーテさん達が住む貸家へと向かう。

 本当なら、寮に送り届けて貰う予定だったんだけど……



『同行することを認めた以上は、共に行動した方が都合が良いからな。

毎回送り届けるのはちと手間が掛かるし、それならばうちで寝泊まりして貰った方が私としても助かる』



 との事らしく、事件に進展があるまでメーテさん達の家でお世話になることになった訳だ。

 そのような理由で、メーテさんの家へと向かう為に商店街を歩いていると。


 きゅきゅきゅる~。


 誰かのお腹が間の抜けた音を鳴らした。



「あはっ、我慢してみたんだけどお腹が鳴っちゃったみたいだね」



 音を鳴らした犯人はヤーで、笑顔を浮かべながらお腹を撫でている。



「アル……では無くヤーだったな。どうにもこの呼び方は慣れんな……

まあ、それは兎も角。時間を考えれば腹が鳴るのも仕方ない事か。

商店街に来ていることだし、ついでに夕食でもとっておくか?」



 確かに夕食時である事に加え、昼食もとっていなかったのでお腹は空いている。

 だけど、あんな凄惨な現場を見た後では、何かを口にする気にはなれないというのが本音だった。



「うん。折角だし、皆で夕食を楽しもうよ?」



 しかし、そんな私の考えを他所に明るい返事を返すヤー。

 先程、弔い方は様々だと教えられたばかりだというのに【楽しもう】と明るく口にするヤーに対して、僅かばかりの苛立ちを覚えてしまう。



「私は……水分が補給出来れば問題ないわ」



 その所為で、私は連れない返事を返してまうのだけど……

 そんな私の心情など容易に見透かされてしまったのだろう。



「まあ、ソフィアにも思うところはあるとは思うが……

水分だけでは明日の捜索に差し支えてしまうだろうし、サラダとスープくらいは腹に入れといたらどうだ?」



 申し訳ない事に、メーテさんに気を遣わせてしまう。



「そう……ですね」


「うむ、そうしたらいい。

お前達も無理にとは言わないが、食事を取らないと肝心な所で力が出ない場合があるからな。

多少の食事は腹に入れておくようにしろよ?」



 メーテさんは続けて食事の必要性を伝えると、友人達は「はい」と返事を返し、私達は食堂へと向かう事になった。






 そうして、食堂へと辿り着いた私達。

 店内へと案内されて席に着くと、各々が食事の注文をする。


 私はやっぱり、あまり食事をお腹に入れる気にはなれなかったけど……

 それでも、メーテさんの助言は正論だったので、野菜の入ったスープと、豆が多く入ったサラダを頼むことにした。


 それから程なくして、全員の注文した料理がテーブルの上に並べられる事に。

 並べられた料理に目を通していけば、他の皆も私と似たような注文をしていたようで、そこにパンや野菜の煮物が加えられているものの肉料理を頼む人は少ないようだった。


 まあ、それでも例外は居るようで、ウルフさんの前には当然のように牛肉料理が置かれているし、ヤーの前にも鳥肉料理が置かれている。


 だけど、何よりも意外だったのは、ダンテの前にも肉料理が置かれているという事だった。


 他の友人達は兎も角。私とダンテは後輩達の亡骸を間近で目撃し、腐敗臭すらも嗅いでいた。

 あれから数時間が経過したとはいえ、その光景は脳裏に焼き付いており、早々消せるものではない。

 従って、肉を見れば嫌でも亡骸を思い浮かべてしまうし、肉を食べる事自体に忌避感を憶えてしまう。


 そして、それはダンテも同様だろう……


 だというのに、ダンテは肉料理を注文しているのだ。

 ダンテが肉料理を注文した理由が分からず、私は目を丸くしてダンテの事を凝視してしまう。


 すると、そんな視線と、視線の意味にダンテは気付いたようで。



「……俺だって肉を食うのには抵抗があるんだぜ?

けどよ、肝心な場面で力が出ねぇんじゃ話になんねぇからな……だから、俺は無理してでも食うわ」



 ダンテはそう言うと、若干涙目になりながらも肉を口に放り込んだ。


 そして、そんなダンテの姿を見た私は、覚悟の差というものを知ると同時に自分が情けなくなり――



「て、定員さんすみません! 私にもダンテが――この子が食べてるのと同じヤツを下さい!」



 ダンテに触発されるようにして、追加注文を伝えるのだった。






 その後、私とダンテはお互いに涙目になりながら肉料理を食べ終える。



「まったく……無理してまで食べる必要は無いんだぞ?」


「本当よ? そんな雑な食べ方じゃお肉に失礼でしょ?」


「す、すんませんっす」


「ご、ごめんなさい」



 涙目になりながら食べていた所為で、お叱りを受けることになってしまった私とダンテ。

 メーテさんとウルフさんは口では注意するものの、何処か微笑ましいものを見るような、何処か呆れているような、そんな複雑な表情を浮かべていた。



「まあ、それは兎も角。

腹も満たされたことだし、コレを飲みきったら店を出ることにするか」



 そう言うと、メーテさんは半分ほど残った紅茶をカップの中でチャプチャプと揺らし、私達が「はい」と頷くのを確認すると、紅茶を口に運ぼうとする。


 しかし、その時だった。



「きゃああああああああああッ!」



 食堂の外から叫び声が届く。



「今のは悲鳴か?」



 カップが口に届く直前でソーサーの上へと戻したメーテさん。

 悲鳴を聞いて椅子から立ち上がると店の外へと向かおうとし、私達もメーテさんに続いて店の外へ向かおうとする。



「ちょ、ちょっとお客さん!? 代金は!?」



 だけど、店員に呼び止められてしまい、足を止めてしまう。



「――っと、すまんな。釣りはいらんから取っておけ」



 食事の代金として、メーテさんはテーブルの上に二枚の銀貨を置く。

 その間にも外から聞こえる声は喧騒を帯びていき、私達は急いで店の外へ向うことにした。



「痛い! 痛いんだってば!? 痛いっていってるでしょッ!?

離して! 離してよぉおお!!」


「ぐぎゃ! ぐぅぅううぅう!」



 店を出た瞬間にそのような声が届き、視線を右方向へと向けてみれば、数十メートル先で一組の男女が掴みあいをしているのが目に映った。



「仮面の連中絡みかと思ったが……痴話喧嘩の類か?」



 その様子を見たメーテさんは、目を細め疑問を口にする。



「いや違うな――まさか!?」



 しかし、即座に疑問を否定すると一瞬の内に駆け出した。



「ちっ! やはりか!?」


「げぎゃ!?」



 瞬きを終える頃には男性の眼前に立っていたメーテさん。

 女性から男を引き剥がすと、後頭部を掴かみ、容赦なく地面へと叩き伏せるのだけど……

 あまりにも容赦ない行動を見た私は、思わず「へっ?」っという間抜けな声を漏らしてしまう。



「な、何してるんですかメーテさん!?」



 メーテさんが口にしたように、ただの痴話喧嘩という可能性だってある。

 まあ、暴力を振るっている時点で止めるのは正解だとは思うのだけど……

 それでも、意識を失う程の勢いで地面へと叩きつけるのは少しばかりやり過ぎのように思えた私は慌ててメーテさんの元へと駆け寄った。



「腕を噛まれていたようだが大丈夫……では無さそうだな」


「うぐっ、ひぐっ、痛い痛いよぉおおお」



 私が駆け寄った先にあったのは地面に転がる男性の姿と、心配そうに尋ねるメーテさんの姿。



「メ、メーテさん。流石にやり過ぎなんじゃ……なっ!?」



 加えて、涙を流す女性の姿があったのだけど、女性の腕を見た私は驚きの声を上げた。



「少しだけ我慢しろ。今治療してやるからな」


「ぐぅう、痛い痛いよぉお」



 女性の腕を見れば、肘から先が血に濡れており、肉の裂け目から骨が覗いていることが分かる。

 その痛ましい姿を見た私は昼に見た亡骸を思い出してしまい、喉に酸っぱいものが込み上げて来るのを感じてしまう。

 しかし、それをどうにかして耐えていると。



「ほら、痛みが引いてきただろ?」 


「あ、あれ!? う、腕が!?」



 メーテさんは回復魔法を使用したのだろうか?

 指をパチリと鳴らした瞬間、女性の腕が淡く光り出し見る見る内に傷口が塞がっていく。

 数秒が経過した頃には完全に傷口が塞がり、僅かに傷跡は残るものの、痛みを感じることは無くなったのだろう。



「い、痛くないです! あ、ありがとうございます!」



 女性は目を白黒させる事で驚きを表現し、お礼の言葉を口にすると頭を下げた。







「で、だ。お前はこの男と知り合いか?」



 女性が少し落ち着いた所で、メーテさんは尋ねる。



「い、いえ! 知り合いじゃないです!

フラフラしながら歩いていたので、少し心配になって『大丈夫ですか?』って声を掛ける事にしたんです。そうしたら……」


「腕に噛みつかれたという訳か?」


「は、はい! そのとおりです!」



 メーテさんは地面に転がる男性――お世辞にも身なりが良いとはいえない男性に視線を落とす。



「そうか、それは災難だったな。傷も治った事だし今日は早目に家に帰るといい」


「は、はい。あの……気持ちばかりではあるんですが、治療費として受け取って下さい」


「いらんよ。傷は治したつもりだが、襲われたという事実は心に残るものがあるだろ?

気持ちだけは受け取っておくから、その金で旨い紅茶でも購入して、家でゆっくりと気持ちを落ち着けるがいいさ」


「で、ですが……いいのですか?」


「構わんよ。ほら、行った行った。

早くしないと私が心変わりして正規の治療費を請求するかもしれないぞ?

その場合、金貨数枚は軽く飛ぶ事になるが……そっちの方がいいのか?」


「い、いえ! お、お言葉どおり、紅茶の購入に充てさせて頂きます!

ほ、本当にありがとうございました!」


「ああ、養生しろよ」



 メーテさんが労いの言葉を掛けると、女性は何度もお辞儀をしてこの場から去っていった。



「さて……問題はコイツか……」



 女性が去った事で、再び男性へと視線を落とすメーテさん。



「仮面の連中とやらは、吐き気を催すほどの外道のようだな……」



 うつ伏せに転がされた男性を仰向けにし、胸をはだけさせる。

 すると、男性の胸には瘡蓋に覆われた、雑な縫い目がある事に気付いた。



「ま、まさかこれって」


「ああ、まだ初期症状のようだが、間違い無く【キメラ】の実験体――仮面の連中の犠牲者だろうな」


「と、いうことは……この人は助からないんですか?」


「初期症状とはいえ、こうなってしまっては……残念だが手遅れだろうな」


「そ、そんな……」



 驚きを隠せない私を他所にメーテさんは話を続ける。



「加えて、この男の身なり……

糞共が……倫理というものに唾を吐くか」



 そして、忌々しげに呟いた後にメーテさんは告げた。



「私の推測が正しければ――此処からは地獄だぞ」



 その言葉を裏付ける様にして――



「きゃあああああああッ!!」


「ぐがああああああああッ!!」


「だ、誰か!? 誰かあああああッ!!」



 学園都市に悲鳴が上がり始めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る