第204話 ソフィアの我儘

 

「要するに人体実験じゃない……そんなの狂ってるわ……」



 メーテさんの話を聞き終えると、私の口から忌避の言葉が漏れた。



「ああ、ソフィアの言うとおりだ。

このような外法……試そうなどと考えるのは常人の発想では無い。

仮面の連中とやらは人の道を踏み外した外道――余程の狂人といえるだろう」



 私の言葉に同意を示すメーテさん。その表情はいつになく険しい。



「ちょ、ちょっと待ってくれ……【属性魔石】って素養持ちの魔物から取れる魔石の事だよな?

仮面の連中は、それを人為的に生成しようとしてるっていうのかよ!?」


「ああ、そのとおりだ」


「そのとおりだって……そもそもだッ! そんなことが可能なのか!?」


「……残念ながら可能だ」


「可能って……じゃあッ! ガキ共はそんな物の為に――実験の為に殺されたっていうのかよッ!?」



 怒声を上げると共に、壁を殴りつけるオーフレイムさん。

 会議室にズンという重い衝撃音が響き、破壊された壁の一部がバラバラと床に転がる。



「落ち着けオーフレイム」


「落ち着けって!? これが落ち着いてられるかよ!?」


「それでもだよオーフレイム。

お前の気持ちは痛いほど分かるし、先程狼狽えた私が言える義理ではないのも分かってるんだが……

上に立つ者がそうも狼狽えていては、下の者が不安を憶えてしまうだろ?」


「分かってる! 分かってるんだけどよッ!」



 頭ではどういった態度を取るべきか理解しているのに、感情がそれを許さないのだろう。

 オーフレイムさんは、厳つい顔を歪ませて声を荒げる。



「オーフ……」


「カルナ……わりぃ、少し頭を冷やしたいから時間をくれ……」



 そんなオーフレイムさんの手を優しく包み込むカルナさん。

 その行為によって、少しは気持ちを落ち着けることが出来たのだろうか?

 オーフレイムさんは椅子に腰を下ろすと、天井を仰ぎ、手のひらで目を覆った。


 そして、オーフレイムさんが口を噤むと、途端に静かになる会議室。

 聞かされた話が話なだけに、会議に参加している人達の表情は一様に暗く、口も重たい。


 しかし、このままの状況では話が進まないと考えたのだろう。

 オーフレイムさんから話を引き継ぐようにして、グスタフ副学園長が疑問を口にした。



「【属性魔石】の件についても驚かされたが……

それに加え【人為的な魔物の生成】だったか? 本当にそのようなことが可能なのか?

長く魔法に携わっている身ではあるが……にわかに信じられんというのが本音なのだが……」


「疑いたくなる気持ちは分かるが……残念ながら可能だ」


「君ならそう答えるんだろうとは思っていたが……本当に頭が痛くなってくるよ……

しかし……そのような方法があれば文献に残されていそうなものだが……」


「ご尤もな意見だな。

しかし、内容が内容だ。文献として残したとしても倫理的な観点から処分されている可能性が高い。

まあ探そうと思えば、類似する文献を手に入れることが出来るかもしれないが……

もし文献を手に入れたとしても、常人であれば質の悪い冗談として一笑に付せてしまうだろうし、文献としての価値を見い出すことも無く、蔵書の中へと埋もれさせてしまうのかもしれないな。

こんな与太話を信じて実行に移そうとするのは、さっきも言ったように狂人の類だけだ」


「確かにそうかもしれないな……

して、その外法なのだが……一体どういったものなのだ?」


「聞いてどうする?」



 グスタフ副学園長が実験内容を尋ねると、メーテさんは眼つきを鋭くして睨みつける。



「そ、そのような冷たい視線は老骨にはちと堪えるな……まず、君が誤解していることを伝えておくよ」


「誤解?」


「ああ誤解だ。恐らくだが、メーテ殿は情報が悪用される事を懸念しているのだろう?

多くの犠牲者が出ていることを考えれば、それは当然の懸念だと思うが……私とてそれは同じだ。

ただ単純に、今後の対応の為にも情報の共有をしておきたかっただけで、誓って悪用しないことを約束しよう」


「今後の対応か……」


「ああ、今後このようなことがあった場合――いや、無いに越したことはないのだが……

どのような実験内容で、どのような者が狙われる対象にあるのか? それを理解していた方が気付きも早いだろうし、迅速な対応が出来るのではないかと考えた訳だ。誓って他意はないよ」


「ふむ、その言葉は本当に信用に足るのか?」


「信用に足るかはメーテ殿が判断することだ。ただ、信用して欲しいとだけは伝えておくよ」



 顎に手を置き、逡巡するかのような素振りを見せるメーテさん。



「副学園長の意見も一理あるか……

それに加え、死体を詳しく調べればある程度の全貌も見えてくるだろうしな……

だったら説明して釘を刺しておくのが正解か?」



 僅かに間を置いた後、そのような言葉を呟く。



「……始めに伝えておくが、決して悪用しようなどと考えるなよ?

万が一、そんな愚かな考えを持つ者が居たとしたら――まあ、聡明なお歴々であれば、その先は敢えて口にしなくても理解して頂けるだろう」



 続けて、メーテさんが言葉に含みを持たせると、会議に参加している人達は、勢い良く首を縦に振ったり、無言で頷いたりと様々な反応を返す。



「分かって頂けて何よりだ」



 そして、そんな反応を見たメーテさんは一つだけ頷くと、説明を始めた。



「では、説明に移らせて貰うが――【属性魔石の生成】と【人為的な魔物の生成】の過程は殆ど同じだ。

魔力の抜けた無色の魔石が転がっていたという報告があっただろ?

それを胸へと埋め込んで、定着させることによって生成が可能となる」


「魔石を……定着?」


「ああ、そうだ。本来、そのようなことをしたところで定着することは決して無いんだが……

極限まで衰弱している状態か、【魔力枯渇】状態の身体に魔石を埋め込むことで魔石は定着する訳だ。

そしてその理由なんだが、恐らくは人の生存本能というものに起因している

【魔力枯渇】状態になると、魔素に対して身体が開くというのは知っているだろ?

それと原理は似ており、【魔力枯渇】状態の身体は貪欲に魔力に近しいものを取りこもうとするんだ。

身体は魔石の残滓を取りこもうとし、魔石自体も空になった魔力を補おうという力が働く。

言わば相互関係が確立した状態――そういった状態ゆえに定着へと至る訳だな」


「そ、そのような方法が……

し、しかし、上手いこと魔石だけを取り除くことができれば……命まで奪う必要は無いように思えるのですが?」


「残念だが、それは不可能に近いだろうな……

この場では定着と表現したが、実際は癒着といった表現の方が正しい。

周囲の器官に癒着した魔石を取り除くのは至難の技だろうし、魔石を埋め込まれた時点で数日も身体が持たないだろう」


「身体が持たない……?」


「ああ、相互関係が確立しているから定着する訳だが、その先は魔石に魔力を吸収される一方だ。

唯でさえ衰弱しているというのに【魔力枯渇】による体調不良が加わり、そこから更に魔力を吸収されてしまう所為で、延々と【魔力枯渇】状態が続くことになるんだぞ? お前なら耐えられるか?」


「ぜ、絶対に無理です……」


「そうだろうな。従って、魔石を埋め込まれた者の命は数日と持たない。

そしてその結果……その者が持つ素養と命を引き換えにして【属性魔石】が生成される訳だ」


「まさに外法じゃないか……で、でも何故子供ばかりが狙われたのですか?」


「……その理由は、大人と比べて、子供の魔力が安定していないからだろうな。

要は学ぶことと同じだ。大人には経験に裏付けされた知識があり、新たな観念というものは受け入れづらいものだろ?

それに対して子供というのは柔軟だ。新たな観念というものをすんなりと飲み込んでしまう。

それは魔力にもいえる事で、魔力に柔軟性があり、魔石が定着しやすい子供が狙われてしまったのだろうな……胸糞の悪い話だよ」



 メーテさんの説明を聞き、会議室に動揺を含んだ声が幾つも上がる。

 それと同時に、私の中でモヤモヤとした物が――思わず叫び出したくなるような感情が湧き上がってくる。



「そして、【人為的な魔物の生成】も仕組みは大体同じなんだが……

魔石が定着したものの、身体が拒絶反応を起こしてしまった状態を差す訳だ。

加えて、この状態になると精神が徐々に蝕まれて自我を失っていき、更にそれが進行すると身体の一部が変異していくようで、元の魔石の持ち主である魔物に近しい特徴を持つという話だ。

その姿から混合生物――【キメラ】と呼ぶ者もいるようだな。

【落書き】とやらが詠唱のようなものを唱えていたと言っていたが……

恐らくだが、強制的に【キメラ】化を進行させる術式でも組み込んでいたのだろうな」


「人を魔物に……狂っている……」



 メーテさんから聞かされた話はあまりにも荒唐無稽で、開いた口が塞がらない。

 だけどメーテさんが……【始まりの魔法使い】が口にする言葉である以上、それは紛れもない事実なのだろう。


 そのように考え、胸の内に湧き上がる感情と葛藤していると。



「し、しかし、それが事実だとしたら【属性魔石】にしろ【キメラ】にしろ、効率的に見合わないような気がするのだが……

確かに【属性魔石】は希少であるといえるだろう。しかし、素養を持つ人間だってそれ以上に希少だ。

それに【キメラ】と言ったか? 聞く話によれば自我を失った魔物に近しい存在らしいではないか?

そのような存在を生み出す為に人の命を利用するなんて……馬鹿げている」



 確かに、グスタフ副学園長の言うとおり馬鹿げている。

 人の命を犠牲にしてまで求めるような物ではないし、求めるべきではない。

 命というのはもっと尊いものなんだと私は思う。


 しかし、そのような事を考えている私に対して、メーテさんは現実を突きつける。



「人というのは残酷な生き物だよ。

外法だと知って尚、悪事に手を染める者もいれば、外法だと知って尚、求める者が居る。

【属性魔石】は分かりやすい希少性があるゆえに、欲する者は数多く存在するだろうな。

それに【キメラ】にしたってそうだ。

争いの無い場所では無価値な存在かもしれないが、もし戦地であれば……

恐れも怯みも無く、敵陣へと赴く存在というのはそれだけでも価値がある。

加えて、魔物の力を得た狂戦士となれば尚更だ。戦地であれば随分と重宝する存在なんだろうよ……」



 メーテさんの言葉を聞き、私はゴクリと唾を飲む。

 私は恵まれているから気付かないだけで、世界とは残酷な側面を幾つも持ち合せているのだろう。

 だけど……



「だけど……私は許せない……

命を無碍に扱う権利なんて誰にも無い……自分自身の命だって無碍に扱っちゃいけないんだ……」



 私は思わず胸の内を吐き出していた。



「ああ、そうだな……私もそうあって欲しいと願っているよ。

だが、仮面の連中にとってはそうじゃない。【賢者の石】を錬成する為の礎――必要な犠牲くらいにしか思っていないのだろうな……」



 理想と現実。それを知っているからなのだろう。

 メーテさんは少しだけ困っているようだったけど、それでも私の意見に同意してくれた。


 そして、私達がそんなやり取りをしていると。

 【賢者の石】――その言葉が告げられたことで、再び会議室内がざわつき始める。



「さっきも【賢者の石】と言っていたが……あれは物語上の存在だろ?」


「ああ、不老不死を齎すとされているが……架空の存在であるという認識しかないぞ」


「いや、一部の連中は本気で信じているという話は聞くが……」


「だが、錬成に成功したという話は聞いたことも無いし、史実上でも成功した例が無いと聞くぞ?」


 

 そこかしこから上がる【賢者の石】という存在を否定する声。

 そんな否定や疑問が耳に届いたことで、メーテさんは答えるべきだと判断したのだろう。

 気持ちを切り替えるようにして息を吐くと、【賢者の石】について補足を始めた。



「そのとおりだ。【賢者の石】を錬成する為の方法には諸説あるが……

水銀を用いて錬成するだとか、幾人もの魂を魔石に捧げて錬成するだとか眉唾物の話が多い。

だが、眉唾物であろうとなんだろうと、不老不死という言葉には人を魅了する何かがあるのだろうな。

幾ら眉唾物であると失笑されようと、それを求める人の探究心というのは止めることが出来ない。

存在するかもしれない。錬成できるかもしれない。そんな可能性があるだけで探求に値するのだろう」



 メーテさんの話に誰も反論することができなかった。

 存在自体が不確かであろうと、現に【賢者の石】を錬成する為、実行に移している者が居る。

 そして、実行する者がいる所為で何人もの被害者が出ている。

 その事実が重要であり、いくら【賢者の石】の存在を否定したところで意味なんて無いのかもしれない。


 そのようなことを考えていると、グスタフ学園長が疑問を口にする。



「余人では与り知ることも無い知識に加え、大規模な結界……メーテ殿、貴女はいったい何者なのだ?」


「ふむ、こちらにも事情があるので答えることは出来ないが……それではちと失礼か。

あまり吹聴したいことではないが、礼儀として学園長とは旧知であるとだけ伝えておくよ」


「テオドール様と? ……本当に貴女は何者なのだろうな」


「まあ、詮索するのを止めることは出来ないが……藪を突いて出てくるのは、蛇だけに限らないと伝えておくぞ?」


「成程、それは怖い……野暮な詮索をするべきではなさそうですな」


「そうしてくれると助かる。

――ともあれ、私が話してやれるのはここまでだ」



 会議室にメーテさんの声と、手のひらを打ちつける音が響く。



「仮面の連中とやらの目的が【賢者の石】の錬成にあることが分かった。

ヤツらが古い文献を見つけてそれを実行に移しているのであれば、犯行はまだまだ続くだろう。

それは、学園都市から逃がしてしまった場合も同様であり、私はそれを見過ごすことが出来ない」



 メーテさんはそう言うと、私の肩に手置いた。



「先程も言ったが、此処からは私達は私達で動くことにさせて貰うよ。

ああ、結界の問題もあるし、定期的に連絡はするようにするからその辺りは心配しないでくれ。

――話が長くなってしまったな。それでは、そろそろお暇させて頂くよ。

ソフィア、寮まで送ってやるから帰る事にしようじゃないか」



 そして、私の肩をポンと叩くと、メーテさんは会議室から退出しようとする。


 だけど……



「メーテさん、私達にも何か手伝えることは無いでしょうか……?」



 私は、そんな言葉でメーテさんの足を止める。



「いや、無いな」


「――ッ」



 しかし、にべも無く否定の言葉を口にするメーテさん。

 その表情は聞き訳の悪い子供に向けるような表情で、呆れのようなものまで感じることができた。


 だけど、それも仕方ない事なのだろう。

 今までメーテさんの話を聞いていれば、危険だという事は馬鹿でも理解できるし、大人達が身を案じてくれることも充分に理解出来る。


 だというのに、それを無碍にするような我儘を口にしたのだ。

 メーテさんが呆れてしまうの無理のない話だと思う。


 今まで向けれたことが無いメーテさんの表情。

 私は気圧されてしまい、思わず言葉を飲み込んでしまいそうになってしまう。

 それでも……それでも私は食い下がった。



「メ、メーテさん! 力不足なのは認めます!

だけど、メーテさんの話を聞いた今、少しでも力になりたいんです!」


「ソフィア……お前の気持ちは理解出来る。

だが、分かっているのか? この事件には人の生き死にが関係している。子供の遊びじゃないんだぞ?」


「き、危険だって事は理解してます! だけど……」


「分かっているなら大人しくしてるんだ。

後は私達が解決してやる。仮面の連中の事も――アルの事もな」



 そう言ったメーテさんはアルに……ヤーに視線を向け、私も釣られてヤーへと視線を向ける。

 すると、そこにあったのは微笑むヤーの姿……いつもと変わらない微笑みだというのに、何を考えているのかさっぱり読み取ることが出来ない微笑みで、それが妙に私を苛立たせた。


 だからだろう。



「今、子供の遊びじゃないって言いましたよね!?

それって、邪険に扱ったタイラーが言ってた言葉と一緒だって自覚してますか!?」


「ぐぬっ……」



 苛立ちをぶつける様にして反論してしまう。



「だ、だが! ソフィアなら分かるだろ?

下手したら死ぬかもしれないってことぐらいは?」


「分かってます! だけど、それは大人達だって同じですよね!?」


「それはそうだが……」


「それに、メーテさんはさっき言ってくれました! 私達なら下手な冒険者よりも実力があるって!

だったら――実力を認めてくれているのであれば、少しでもこの実力を役立てたいんです!」


「ソフィア……」



 私が反論すると、心底困ったといった表情を浮かべるメーテさん。

 私も私で、無理を言っていると自覚しているだけに、罪悪感から胸がズキリと痛む。


 だけど、そんな痛みよりもずっと胸の内で燻ぶっていた感情。

 人を人とも思わない行為をおこなっている仮面の連中に対する【怒り】が、傍観することを拒絶していた。


 そして、罪悪感と怒りがぐちゃぐちゃに渦巻き、喉の奥に熱さを感じ始めていると――



「メーテさん……俺も、仮面の連中が許せないっす。

アルもあんな調子だし……俺だって一年トリオとは親交があったから、仇をとってやりたいってのが本音っす」


「僕もです。アルディノが楽しそうに話してるのを見てましたからね……

それに、学園都市に暮らす者として何もしないなんて――黙って見ているだけじゃ悔しいです」


「んにゃ。メーテさん達に任せっきりじゃ、胸を張って後輩達の墓前に立てないしにゃ……

少しだけでも良いから役立たせて欲しいにゃ」


「そうですわね……及ばずながらもお力添えできればと考えておりますわ」



 同意を示すような言葉を皆が並べ始める。



「お前達……」



 そして、そんな友人達の姿を見て、眉根を揉むメーテさん。



「はぁ……本当、困った生徒達だよ……」



 大きな溜息を吐くと、諦めるように呟くのだった。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 一方その頃、ポルタ伯爵は家路へと向かう馬車に揺られていた。



「どいつもこいつも私の事を馬鹿にしおってッ!」



 ポルタ伯爵は怒鳴り声を上げると共に座席を叩くのだが……



「ぐあっ!? ああああッ! 何もかもが鬱陶しいッ!!」



 打ち所が悪かったのだろう。手首に走る痛みに耐えかね、更に怒声を響かせる。


 そんな怒声を上げるポルタ伯爵は兎も角。

 馬車は順調に進み、暫しの時間馬車に揺られた後、ポルタ伯爵は自らの屋敷へと辿り着くことになった。



「おい! 今帰ったぞ!」



 屋敷についても未だ怒りが収まらないポルタ伯爵は、扉を開くなりまたも怒声を上げる。



「帰ったと言ってるだろうがッ! 主が帰ったというのに誰も迎えに現れないとはどういう了見だッ!」



 唯でさえ苛々しているというのに、迎えの一人も姿を現さない状況にポルタ伯爵の怒りは限界に達しようとしていた。



「どいつもこいつもッ!! 使用人までもが私を馬鹿にするのかッ!?」



 ひと際大きな怒声を響かせたポルタ伯爵。

 しかし、その声は広い屋敷に空しく響き渡る結果となった。


 そして、その事によってポルタ伯爵は疑問を抱き始める。



「何故、誰も姿を見せん?」


「わ、分かりません……予定よりも早く帰ったから気付いていないとか?」


「チッ……使えんヤツらめ」


「ご、ご尤もです!」



 使用人の内の一人。会議に同行していた護衛の返答を聞き、ポルタ伯爵は舌を打ち鳴らす。


 ともあれ、取り敢えずは疑問を先送りにしたようで。



「まあ、良い……取り敢えずは湯あみの準備だ。

それと、料理の準備を進めるように言っておけ。ああ、葡萄酒を用意しておくことも忘れずに伝えろよ? 今の気分のままでは到底眠れそうに無いからな」



 そう言うと一歩踏み出し、浴場へと向かおうとするのだが……



「おいっ! 返事はどうした!?」



 返事が返ってきていないことに気付き、ポルタ伯爵は振り返る。

 しかし、そんなポルタ伯爵の目に映ったのは――



「ゴボッ……はぐじゃぐ……逃げで……」


「ひうッ!?」



 口から大量の血を溢す護衛の姿で、ポルタ伯爵は驚きのあまり短い悲鳴を上げる。

 そして、そんな護衛の後方に視線を向ければ、地面に倒れ込む数名の護衛の姿と――



「はじめまして、ポルタ伯爵」



 まるで子供が描いた様な拙い似顔絵――【落書き】が施された仮面を付けた者と、同じく仮面を付け、血に濡れた剣を握っている者達の姿があった。



「ままま、まさか……お、お前達が仮面の連中というヤツか!?」


「……仮面の連中? ああ、貴方達の間ではそういう呼ばれ方をしているんですね」



 思わず後ずさるポルタ伯爵。

 しかし、足を縺れさせるとそのまま尻餅をつき、腹に蓄えた脂肪を盛大に揺らした。



「ななな、何が目的だ!? か、金か!? それとも脱出の手引きか!?

わ、私が用意できるものなら何でも用意するぞ!?」


「魅力的な提案ですね。まあ、出来れば脱出の手引きをして頂ければ助かるんですけど……

取り敢えずは、妙な結界の所為で脱出できそうに無いので、暫く匿って貰えたらありがたいです」


「結界……あの馬鹿女が張った結界か……

わ、分かった! 何日でも匿ってやる! 契約成立だ!」


「馬鹿女? まあ、それはいいとして……では、暫くお世話になりますね」



 そういうと屋敷内に足を踏み入れる【落書き】。

 ポルタ伯爵は泥の付着したブーツに目をやると、思わず泥を落とすように注意しそうになるが、下手に機嫌を損ねてしまった場合、自らに生死に関わると判断して口を噤む。



「お、おい、客人だぞ! 使用人共は何をしているんだ!?」



 少しでも【落書き】達の機嫌を取ろうと考え、歓待の準備をする為に使用人を呼びつけるポルタ伯爵。 

 だが、結果は先程と変わらず、ポルタ伯爵の声が空しく響くだけであった。



「ははっ……おかしいですな……本来なら、すぐに使用人達が駆けつける筈なんですが……」



 媚びた笑みを浮かべるポルタ伯爵だが、内心は穏やかでは無く、使用人に対する憤りがフツフツと込み上げていた。


 しかし、次の瞬間……



「ああ、使用人達なら駆けつけませんよ?

大半は拘束させて頂きましたし、他は殺してしまいましたから」


「い、今なんて?」



 【落書き】が告げた一言により、そんな憤りは霧散する。



「拘束? 殺した?」


「ええ、折角なので実験をしようと思いましてね。まあ、如何にも使えなさそうな者は殺しちゃいましたけどね?」


「な、なんでぇ? 何でそんなことするのぉ?」



 衝撃的な話を聞かされたことにより、子供のような口調になるポルタ伯爵。

 それと同時に思考を働かせる。どうすれば使用人と同じ末路を辿らずに済むのかを。



「で、でも、約束しましたよね? 匿って契約をしましたよね!? 私の安全は保障されるんですよね!?」



 思考の末にポルタ伯爵が出した結論は、取り敢えず言質を取るという拙いものだった。


 そして、そんな言質を取る為の質問に対して【落書き】の答えはというと――



「へ?」



 疑問を濃縮した一言で、その瞬間にポルタ伯爵は理解する。

 自分は助からないのであろうという事を。

 従って、助けを求める為にポルタ伯爵は声を張りあげるのが……



「だ、誰かッ――けひょッ!?」


「黙れ」



 首に手刀を受けたことで意識を失う事になり、これがポルタ伯爵でいられる最後の瞬間となった。


 ポルタ伯爵が意識を失ったことで、途端に静かになった屋敷内。



「確か、ポルタ伯爵って言うのはお飾りの領主なんですよね?」


「ああ、だからポルタ伯爵は学園都市の政策に大きく関わることが出来ないし、逆に関与もされない」


「要は、学園都市にありながら学園側が強制的な権限を持つ事が出来ない唯一の場所って訳ね」


「なるほど。流石に長期間潜伏は出来ないとしても、数日程度であれば時間が稼げるという事ですね」


「ええ、そういう事よ」


「では、この数日でどうにかしなければいけませんね……」



 【落書き】ことメアレス=ファレスは考えを巡らせる。


 そして――



「撒いた種が芽を出す頃でしょうし……取り敢えずは成り行きを見守ることにましょうか?」



 そう言うと、三日月形の笑みを浮かべるのだった。

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